第四話 天使の子(1/9)
第四話 天使の子
宵の空の下を逃げ惑う騎士達。散乱する食い破られた死骸。未だ行進する傀儡の死者。平和なこの世界で、今日まで蹂躪する側でしか無かった人間達の断末魔がこだましていくのが小気味良かった。
「て、て撤退だ!」
「逃げろ! 何もかも捨て置いて逃げろ!」
不滅の死者達の前に、残る騎士達は打つ手もなく戦線を離脱していく。指揮官も無く、戦意すらも失って、百五十対二の絶対的不利は恐怖の二文字で覆った。
残されたのは死屍累々の光景だった。
「アモンさん……私はこの世界に反旗をひるがえしてしまった様です。ただの家畜の分際で……」
「もはやお前は家畜ではないフロンス……それより」
死者達が伏せて騎士の死骸を喰らっている。惨たらしく、陰惨で、目を覆いたくなる光景だ。
「私の異能力です。すぐに辞めさせることも出来ますが……」
「いや、いい」
「え、しかしアナタはロチアート達が喰われる事に憤慨していたのでは?」
「あぁ、だがそこで喰われているのは赤い瞳の人間ではない」
「……」
どうしてフロンスがいま、俺を唖然とした目で見ているのかが理解出来なかった。
その時、逃げていく騎士達とは方向を逆にして、こちらに向かって歩みを進める者のある事に気付いた。どうやらその男はたった一人で俺達の元へと向かって来ているらしい。
「アモンさん。あれを」
薄闇を背に携えて、ふらふらとこちらに歩み寄ってくる剣を抜いた兵士。その目は金色に光り、明確な殺意を携えている事がわかる。
ブロンドの長髪を靡かせるその青年は、メルトに殴られた右の頬を腫れ上がらせたまま、ギラギラと輝く眼を剥いていた。
「確か先程ダルフと呼ばれていた一介の騎士です。アモンさん、ここは私が」
フロンスの声と共に、死人が騎士を喰うのをやめて立ち上がる。だが俺はそれを制した。
「待てフロンス。あいつは俺に用があるらしい」
「しかし……」
俺はこちらを激しく睨め付けているダルフという名の騎士に向かって歩み出す。
何やらこいつの名に聞き覚えがあるが、どうだっていいし思い出そうとも思わなかった。すぐに地に横たわって動かなくなる生命の事など、つゆ程も気にならない。
いま俺を支配仕しかけているのは殺戮の衝動。それのみだった。
俺の中に滾るこの灼熱の如く情念は一体何だと言うのか。わからないが、一人でも多くお前らを八つ裂きにする事で、少しだけこの熱が収まる気がした。
「アモン待って!」
フロンスの背中から顔を出したセイルが、不安気な表情で俺を見つめていた。
「どうしたセイル、心配するな」
セイルは何か思う事があるらしく、歩み行く俺の背中に投げ掛けて来た。
「あの人の目。アモンに似てる……。だから、だから……」
獣の様な激しい瞳が俺の視線と交差する。俺は今どんな顔をしているのだろうか、セイルが言うように、この男そっくりの激情を顔に刻み込んでいるのか。
自分の表情を確かめる様にそっと顔に指を這わせた。
――するとどうやらそうではない。何故なら俺の瞳は弓形に反って、口角は少し上がっている様だったから。
物怖じする事もなく、迷うこともなく、やがて互いを正面に認めて俺達は足を止める。
「アモン……オマエが、終夜鴉紋……!」
「お前は何者だ」
「……第二十国家騎士隊騎士。ダルフ・ロードシャイン」
ダルフは苛烈に眉を吊り上げて、怒気を込めた声で続けていく。
「ヴェルトとフィルという名に聞き覚えはあるか!」
忌々しく思いながらも、俺は梨理の事を喰らったあの老人達の事を思い起こす。そうだ、確かダルフという名の息子が居ると言っていたが、まさかこいつがそうだとは。
「……復讐か? 一人で何が出来ると思った」
「黙れ。貴様は絶対に殺す。絶対にだ」
「俺達の力を見ていなかったのか」
「貴様の様な悪は俺が討たねばならん。我が両親の仇はっ!」
興奮冷めやらぬまま俺を睨み付けるダルフの目尻には涙が伝っていた。しかし俺の心は全くもって動揺を見せなかった。
こいつの悲劇を思ってみても、煮え滾る激情に思いを馳せてみても……俺は何も感じない。どうだっていい。毛ほども気にならない。
何故ならこれはお前達が始めた事だからだ。
「――はぁっ!!」
ダルフの放った剣の一撃は、俺の左手がなんなく弾き落としていた。
驚愕した顔のダルフの腹を、甲冑の上から殴って捻り上げる。
肉の潰れる良い感触があった。
「ぐっ……ほぁッ!!」
甲冑は崩れ、腹を突き上げる拳は貫通こそしていなかったが、内蔵に重大なダメージ与えている事は確実だった。ダルフは体をくの字に曲げながら吐血して、その苦痛を表情に刻む。その表情を見ているのが楽しくって、俺は思わず間近に覗き込んでしまう。
俺の腕を弾いたダルフが数歩後退した。しかし倒れずに激情の顔を上げていく。こいつはどうやら相当にこの俺を恨んでいるらしい。
「……何故だアモン!! 何故村の人達を殺した、何故俺の両親を……っ!」
「……」
「あの村の人達は、皆親切だった……見ず知らずのお前の事も、きっと村に迎え入れて食事を与えた筈だ……」
「……」
「俺の……俺の両親は義理とは云えど、俺に……真の愛を与えて育んでくれた……んだ! 生まれもわからぬ俺を、都の騎士とするまでに!」
「黙れ」
何を言いたいのか? なよなよと情に訴え掛けてでもいるつもりなのか。情けの無い奴。貴様の様な奴を見ていると胸がムシャクシャとする。
俺にあれだけの事をしておいて被害者ヅラか? 梨理にあの様な結末を追わせておいてなんて口振りだ。
許せない。やはりコイツらはクズだ。
苛ついた俺はダルフの頭を掴んで地に叩き付けていた。
「――――ッ!」
まともにくらった。意識が飛んだか、それとも呆気なく死んだか……。
かち割れた頭に流血を余儀なくしながら、ダルフは顔を上げ始めていた。
「父は……俺に、優しさを持って弱き者を救えと……言った」
「黙れ!」
もう一度地に叩き付ける。そのまま数秒沈黙していたダルフだったが、フラフラとよろめきながら立ち上がって来た。
怒りに任せた俺の拳がダルフの頬を打った。しかしこいつは頬の肉を削ぎ落とされながらもまた踏み留まる。
その顔はボコボコに腫れて、元の整った顔立ちは既に無くなっていた。
……だが奴は、そんな有様になりながらも震えた口元は開き始める。
「母は俺……に、強くなり大切な物を……見つけ、守れと言った」
「さっさと倒れろ!」
ジクジクと、こいつの言葉は俺の胸に鈍痛をもたらすかの様だった。
とっととくたばれ偽善者。どうして何度も立ち上がる。
……なんなんだ。こいつを見ていると、胸が掻き回される。
なんだその目は。そんな目で俺を見るな。
その目は。何を言いたげにしている!
殴られたダルフはまた相貌を上げる。その星屑を散りばめた激情の瞳が俺を貫いていった。
「俺はお前を殺すぞ、アモン」
「……っ」
満身創痍の男に滾った気迫に、信じられない事だが俺は一瞬萎縮していた。そしてダルフが血の筋の垂れる口元を食い縛るのを見る。




