第三話 家畜の教育者(7/7)
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夕闇に一人佇んで、影になったその表情に、赤い瞳が二つ灯っている。
「なんなのだ……一体……これは……」
首元からの夥しい出血を手で抑え、メルトが見ている光景はまさに悪夢そのものである。
黒焦げの亡骸が騎士を襲い、噛み付き、掴みかかっていく。必至に抵抗する騎士達であったが、どれだけ切り刻もうが、魔法攻撃をしようが、丸焦げの死骸は足を止めなかった。
口の端に泡を吹いて困惑しているメルトが、憤慨しながらフロンスに槍の切っ先を向けていく。
「何なのだと聞いているんだ貴様アアアっ!!」
「アナタ達がただ無闇に殺戮したロチアートですよ」
「んぬぁ……にを……っそんな事はわかっているっ!!」
「アナタ達の育てた家畜。下劣で愚鈍なただの食い物です」
「ッがああぬっ!!」
メルトは怒り狂い、混乱しながら醜い表情で歯を食い縛っていた。余りに興奮して、喰い千切られた首元から血が噴き上がっている。
「殺せえぇぇ!! 騎士達よ、コイツらにありったけの魔法球を放てぇえ!!」
メルトの指示で、残された兵が一斉に火球の雨を降らせる。
「燃え尽きろ! 『炎弩砲』――!」
メルトも槍の先から熱線を放ち、瞬く間に周囲の一帯は炎の渦に包まれていく。
「ヒィーハッハッハッハ! やったぞ、燃やしてやった!」
――しかしメルトは立ち上る豪火の中に、目を剥く様な光景を見る。
一陣の風が吹き、煙の晴れ渡った先に広がっていた光景は、彼の思い描いたものとはまるで違うものだった。
「ぬえッ!?」
その身を呈してアモン達を守るかの様に、約二十の騎士達が盾となって立ち並んでいる。皆火炎に肉を焼かれて煙を上げながらも、その場に倒れ込む者は一人としていない。つい先程まで自らの勢力であった騎士達が、言葉の通りに肉壁となってメルトの攻撃を防いでいたのだ。
フロンスの足元には再び巨大な紫色の光のサークルが生じていた。彼が葬った騎士達を『死人使い』の能力で使役しているのだ。
「アモンさん。セイルさんは私が」
「……わかった」
応えたアモンは両腕で地面を殴って高く飛び上がる。未だ状況を整理出来ていない騎士達はその光景をただ棒立ちで見上げながら、やがて後衛の五十の兵の中心へとなんなく降り立ってしまった、黒い悪魔の様な男に戦慄する。
驚愕して誰一人声も発っせない沈黙の中、アモンの声は静かに夜気に沁みていった。
「……お前ら全員殺してやる」
「うわぁあああっ! 撃て撃て撃てえぇぇ!!」
「落ち着けぇえ落ち着…………ぁあああっ!!」
フラフラと軍勢にもつれ込んでいったアモンは。騎士が無茶苦茶に繰り出す魔法攻撃や剣撃など物ともせずに、その漆黒の腕で猛進を始めた。
まるで爆発でも巻き起こっているかの様に、アモンの侵入して行った兵の中で、血の噴水が噴き上がっていく。人が物の様にわし掴みにされて鈍器の如く振り回されては敵に叩き付けられる。血を吹いて壊れた玩具を蹴りたくって次の獲物の足首を引っ掴む。
そんな光景を見やりながら、メルトは何が何だかわからなくなって、背中に冷たい汗が伝うのをただ感じていた。
「な……? 私の百五十の兵…………なに……が?」
前衛の騎士の最後尾にまで後退していった茫然自失のメルト。前衛には未だ約七十程の騎士達が居るにも関わらず、その場にいる者は皆戦意を喪失しかけていた。
するとフロンスは緩く微笑み、優しさに満ちた様な表情でメルトに視線を向ける。
「さぁ、サハトよ。人間共に、愛を」
フロンスが両腕を広げると、黒焦げのロチアートと焼け死んだ騎士達がメルトに向かって走り出した。
血と混乱が交錯して乱戦となる前衛。後衛ではアモンが一方的な虐殺を遂行している。
混戦状態の前衛では特に、目を覆いたくなる位に凄惨な光景が、死の縁で待ち受けていた。
「ロイド! ロイド俺だ、お前の兄ちゃんだ、目を覚ませッ!」
「メルト様っどうすればッ!?」
「逃げろッ! 逃げる……ぎあああ!!」
「戦え! 我らは誇り高きセフトの……アアア!」
フロンスの操る死人が敵を斬る。黒焦げのロチアートが遮二無二に歯や爪を剥き出して騎士を襲っていく。頭や足を失った死人達はその場で動かなくなって無力化されていたが、最早そんな事に気が付き、機転の利く者は居なかった。
指揮を失った軍勢が脆く崩れ去っていく。混乱と絶望の光景に皆が恐怖を増していき、足元を震わせて次の一歩を踏み出せずにいる。
「あぁ……ッあ! ロチアートに! ロチアートに喰われれ……ッッ!」
黒焦げのロチアートが騎士に食らい付き、血を滴らせた肉を口元から覗かせている。それは平和な世に身を置き続けて来たこの世界の住人にとって、誇り高き騎士達にとって、想像を絶する程の恐怖でしか無かった。
「くっ! ロチアートに……家畜ナンカにッ!」
「痛い!! やめろおお!! 薄汚い家畜がこの俺を、この俺の肉をッ! に肉、肉、に、にに喰うんじゃねぇえッ!」
「指揮をおおぉ! メルト様っ指揮をどうかあぁあ!」
メルトは目を見張ってその戦場の有り様を眺めていた。
「……ひ……ひぃ、いいい」
全身をガタガタ震わせながら顔を青ざめさせたメルトは、槍を投げ出して戦場に背中を向ける。どうやら未だ応戦している前衛の騎士達を見棄てて、自分だけ逃亡する腹積もりつもりであるらしい。
「メルト様ァァ! 指揮を……指揮をぉ!」
「うわあァァッ! イヤだ……ワシはまだ死にたくない……ッ死ぬわけにはいかぬのだぁ」
「メルト様っ! メルト様あぁ……!」
「イヤだ……いやいやい……いぃ! 逃げる! にに逃げるんだぁあぁ……ッ!」
仲間を置いて駆け出したメルトに、一つの火球が飛んでいった。それをモロに顔面にくらったメルトは、戦火の中に吹き飛ばされていく。
「アアアっ!! き、きキ、キサマァァッ!!」
それは後衛からメルトの様子を窺っていた一人の騎士から放たれた魔法球だった。
「ゴミ野郎が」
その騎士は最後にそう呟いて、黒い腕に胴を捻じ切られていった。
無様に転がったメルトは、鼻汁に塗れた醜い形相で、腰を抜かして這う様に後退していく。
「ひぃい……ひぃ! ひぃいいいっ!! こんな所で、こんな死に方ぁあ……逃げるんだ、ワシは逃げて生き延び――ッアア!!」
メルトの太腿に黒焦げのロチアートが噛み付いていた。歪んだ歯牙で肉を噛み、首を捩って噛み千切る。
「イタイタイタイタァァッ!! 離せ家畜ぅうっ! シネェシネェ!!」
更に左腕に、覆い被さる様な形で騎士の死人が歯を立てる。
「ぎぃぃッッ!! ギャアアアアアアアアアアアっっ!!」
痛烈な痛みに悲鳴をあげたメルトの腕に、胴体に、顔に、黒焦げの死人達が覆い被さって山になっていく。
「ぎぃぃァァッアアアア!! イタイイタタタタがっ!! 助けろ!! 誰かワシを助けろォオオ!」
メルトの指先を、目玉を、頭を、腹を、ロチアート達が食い破っていく。自分の血に染まりながら絶叫し、騎士に助けを命じるメルト。
「アアアア助け……たすげろォオオ! ワシを……ワシは国家騎士隊ぃい! 隊長メルト・メニラっがぁあぎぎき!!」
食い破られた腹から流れ出した臓物を死骸が咥えて引きずり出していく。騎士はそんなメルトの姿をチラりと横目に見るだけで、何もしなかった。
「がぢぐ……家……ぢぐなんがに……コの誉れ高ぎワジががが……ロヂアー……どもぉナンガっ……ニ…………喰ワ」
メルトは家畜に喰われて死んだ。自らが卑下したロチアートの手によって、自分達がロチアート達にしていた様に、喰われながら。
狂気の景色に佇み、恍惚の表情で頷きながら、フロンスは囁いてた。
「アナタ達が私達を愛してくれなくても、私達はアナタを愛します」
命を終わらせていく騎士達の声が、波状雲の並ぶ夕闇の空に吸い込まれて消える。




