第三話 家畜の教育者(5/7)
再び槍の矛先にメルトが赤い熱を溜め始めていくのが見えた。俺は左の小脇にセイルを抱き、掌でフロンスの首根っこを掴むと、残った右手で地を殴ってその場から飛び上がっていく。
「逃がさんぞアモン!」
一時後退した俺達は無惨な焼死体の転がる焦土に降り立つ。騎士が咆哮しながらに剣を振り上げて向かって来る。前衛に約百の騎士。後衛には五十の兵を残して。
地面に転がったフロンスは正気を疑う様な表情で俺を見上げる様にした。
「アモンさん、あなたは一体……何をしようとしているのですか」
夕暮れのオレンジ色の空の下、フロンスは怒髪天を衝いた俺の姿と、黒く変異した悪魔の腕を呆然と眺め……そこに鬼でも見たか、瞳をすくませ、身震いをした。
「やはりアナタ……イカれている……」
フロンスは自分の頭を激しく掻きむしりながら、動転した眼差しを俺に向け始めている。
――そこにメルトの熱線が俺を目掛けて飛んで来た。
後退りながら弾き飛ばしたが、今度は騎士達が剣を持って飛び掛かって来る。
無数の剣撃を捌き、幾つかの剣を砕いたが、近距離からも兵は火炎や雷撃を放ち、徐々に被弾していった。
「くそっ!」
百もの兵に何時しか円形に取り囲まれていた俺が防戦を強いられる中、突如と騎士を掻き分けて、巨大な槍の刺突が襲い掛かって来る――。
「あ……ああッつ!」
「アモン。我が兄の仇は自ら取らせてもらうぞ!」
強襲して来たメルトの槍は炎を纏っていて、攻撃を受けた左腕が発火した。俺は腕を襲う灼熱に悶えながらも、連続の刺突を腕で受け続ける。
「防戦一方か。その体たらくでどう兄を出し抜いて殺したのだ!」
メルトが頭上で槍を回すと、更なる火炎が纏われていく。
「『炎斬』!!」
「アモンッ!」
セイルの悲鳴が辺りに響いた。
俺の顔面に槍が迫り来ているのが見える。
――駄目だ。血を流した腕がすぐには持ち上がらない。
疲弊した俺は、その一撃を間違いなく防げなかった――。
「な……っ!」
――筈であった。
俺の顔の前で、白い魔方陣が宙に浮いていた。メルトの繰り出した渾身の一撃は、その防御魔法によって弾かれたのだった。
「フロンス?」
静かに立ち上がったフロンスは、意を決した眼差しをメルトに向け始めていた。
そんな男を見下ろしたまま、メルトは忌々しそうに鼻を鳴らす。
「ロチアートごときが魔法を扱うとは……貴様、何処でそれを」
「村の子供達を守る者として、防御魔法位は身に付けていますよ。教育係がそういった魔法を習得する事は常識かと思いますが」
「舐めた口を利くではないか……だが貴様一人が加勢した所で何になるというのだ」
「……一人ではありません」
「なんだと?」
メルトはピクリと眉を上げて見渡すが、やはり周囲には無数の死骸しか無い。それとも、力無く背後で震えているだけのセイルの事を言っているのだろうか。俺としても、フロンスが何を言いたいのかが理解仕切れなかったが、その赤い瞳の奥には確かに、何かの存在が捉えられている気がしてならなかった。
「かっかっか、良いだろう。家畜の惨めな人生最後の大舞台だ。虚勢を張る位させてやる」
フロンスの発言を虚勢と断言したメルトであったが、彼の見据える先にはやはり、腹を据えた男の視線が落ちている。先程までへりくだっていた騎士達に対しても物怖じしないその佇まいは、何処か威厳すらも灯している様に感じられた。
この様な男が虚勢など張るだろうか? いや、やはりその瞳は何かを見ているのだ。
「アモンさん。どうせこの場で朽果てる運命だったこの身、アナタの狂気に全てをかけてみたい」
フロンスは、山間に暮れていく陽光を顔に浴びながら言った。
そして厳格な声音で、胸の内に長く吹き溜まっていた、その感情を激白する――。
「私はロチアートだ。しかし、一介の人間と何が違う。何故この胸に迸るサハトへの愛を押し殺さねばならない。人間と同じ様に他者を愛してはならないのだと……教育係にまで任命された私が、あろう事かそんな思いを胸に秘めていた事は、私以外の誰一人も知りません」
気味の悪いモノを前にしたかの様な表情で、メルトは唾棄するかの様にフロンスを非難し始めた。
「貴様ぁっ家畜の分際で! 家畜が誰かを愛するなど、それは人間に近付こうとする禁忌の思考であるぞ!」
フロンスに向けて強烈に繰り出された槍を止めていたのは――俺の黒い掌だ。柄を握って完全にその勢いを止める。
そして目と鼻の先に差し迫った殺意を前にしてしながら、フロンスは真っ直ぐとメルトへと向き直って続けていく。
「私は自分が何者であるのかを知りたい。ロチアートでありながらサハトを愛するこの感情が何なのか。ロチアートとは、私とは何なのかを! アモンさん。あなたと一緒なら、胸を張ってこの世界に問い掛けられる」
メルトは後方に飛び退きながら俺の手から槍を振りほどく。そうして口をへの字に曲げて、心底不愉快そうな声を発した。
「貴様も大罪人だ、楽には死なせんぞ! たった二人でこの数に何が出来るッ! やれ騎士た――っ!?」
メルトが言葉を中断したのは、首元に痛烈な痛みを覚えたからだとすぐにわかった。何者かが、夜に変わり始めたこの夕闇に紛れ、背後から奴の首筋に噛み付いたという事実に、メルトの思考はまだ追い付けていない。
「――なァッ……なァんだこれはッ!!」
黒焦げのソレを今更ながらに振り払ったメルトだったが、首の肉を深く喰い千切られて多量の鮮血を噴き上げる。
哀れな悲鳴と共に、苦悶の表情を上げたメルトは、目前で繰り広げられ始めた地獄の光景に、瞬きするのも忘れた様子で刮目していた。
闇の始まった濃紺の空へと、男達の悲鳴が間断なく響き始めていた。
「メルト様! うわぁあっ! なんなんだこれは!?」
「近寄るな! ギャアア!」
「焼き殺せ焼き殺せっ! アァアッ!」
騎士達の足元から、無数に転がった黒焦げの死骸がフラフラと立ち上がっている。赤い瞳の子供達は体を焼かれ、腕を切り落とされても動じること無く、目前の騎士に襲い掛かっていく。
目を白黒とさせたメルトは、未だ理解が出来無い様子でそこに立ち尽くしていた。
「なんだ……ぁ? これ……は?」
無惨な亡骸達による襲撃は、集団に恐怖とパニックを巻き起こし、伝播させていく。
足元に巨大な紫色の魔方陣を張ったフロンスは、そのロチアートの証である赤い瞳でもって、メルトを睨み付ける。
「一人では無いと言った筈だ」




