第三話 家畜の教育者(3/7)
驚いた俺達は家から飛び出して、夕暮れの村を見回していった。するとすぐ側の空に黒煙が立ち上っている。
「こ……これはっ!」
フロンスが驚愕の声を上げると、一つ、二つと村の各所で爆炎が上がり始めるのが見えた。
「子供達が……子供達が!」
「いかんメリラ、行くな!」
子供達を思い狼狽したメリラは、フロンスの忠告も聞かずに爆炎の上がった方角へ走り出して行ってしまった。
怯えたセイルは俺の背中に隠れる様にしていた。
「まさか……都の奴らがここまで来たのか」
「アモンさん、どういう事なのです、説明を!」
俺に詰め寄って来たフロンスは、眉間にシワを寄せた怪訝な面持ちをしている。
「都で印章持ちと呼ばれていたセイルを匿って、騎士隊の隊長を名乗るドルトという男を殺した。そうして俺達はここまで逃げてきたんだ」
「な……」
フロンスは後退って顔に手をやると、まるで夢の話でも聞いているようだと囁き漏らした。
「印章持ちに……騎士隊隊長を……殺した? は、はは、これは現実なのか? ……だがもしそれが全て真実だと言うのならば、天使の子が血眼でアナタを捜している事にも頷ける。何せそこに居る少女は世界を安定化させる為に必要な、生贄となる筈の少女なのですから!」
フロンスが俺に掴みかかろうとするのを、セイルが前に出て止めていた。小さな体を目一杯に広げながらフロンスを見上げ、右の肩に灯る印章を衣服の上から赤く発光させ始めている。彼女の放つ赤き魔力の残滓を認めて、フロンスは首を緩く揺する様にしていた。
「アモンさん……それは一体何故なのです。どんな理由があってアナタはそんな……」
俺はフロンスへと短く答える。
「セイルの為に」
――あの時生きたいと願った、ただ一人のロチアートの為に、俺は全てを敵に回した。
そう告げると、フロンスは何か思った様に神妙な顔付きへと変わり、短い溜息と共に、やや落ち付いてから続けていった。
「たった一人の、ロチアートを守るために……ですか?」
「セイルは俺に生きたいと願った。一人の人間として俺に助けを求めていた。そして俺には、それを叶えるだけの力と、怒りがあった」
「は……ハハ、ハハハハ……イカれている、イカれているが……」
フロンスは夕暮れの空を仰いで一度よろめくと、俺とセイルとをそっと見据えた。
「あなたは一人のロチアートに。愛を……注いだのですね……強大すぎる世界が敵になったとしても」
その言葉に反応を示したセイルは、何故か耳を赤くしながらの俺の方にチラチラと振り返っていた。
「ああ」
そう答えると、セイルの頬はますますと赤く染まっていった。
赤い瞳を夕暮れに灯らせて、フロンスは柔和な声で言う。
「ならば……私と同じなのですね。愚かだとわかっていながらに、一人のロチアートを愛した。私はアナタと違って、堂々とそう言い放つ事は出来ませんでしたけど」
フロンスは肩を落として、今やすっかり敵意を失ってしまった様に見えた。
意味深に語られる彼の言葉の節々には、何やら並々ならぬ因縁がある様に感じられたが、それが何なのかを追求している時間は残されていなかった。
――向こうで子供達の甲高い声が上がったのに気付く。
「あっ、フロンスさんだ!」
「みんな、フロンスさんの所へ集まれ」
「おお、子供達よ、無事だったか!」
フロンスの元に、村の方々から子供達が集まってきた。
瞬く間に五十名程の赤い瞳がフロンスの周りに集う。
しかし彼らが異様なのは、故郷の村が火に巻かれているのにも関わらず、皆が朗らかに笑っている事だった。
「子供達よ、何があったのか説明できるか?」
「うん!」
一人の少年は顔の半分を炎の明かりで影にしながら、無邪気な笑顔でフロンスに答え始めた。
「都の騎士様達が来てくれたんだ」
「都の騎士達が……やはりか」
「最初は魔物かと思ったんだけど、違ったんだ! でも何でか魔法で僕達の家を焼いていくんだ」
「だから、僕達フロンスさんにお別れを言いに来たんだ!」
フロンスの表情が固まっているのに俺は気が付いていた。しかし子供達はそんな事などつゆ知らずに嬉しそうに話し続ける。
「騎士様が僕らを殺したら、きっと美味しく食べてくれるんだよね!」
「私達、まだランク付けをされてないけど、お肉が必要になったからこの村に来てくれたんですよね!」
「は……待て……違う、待つのですお前達……!」
「他の皆は騎士様を見たら、喜んで炎の中に飛び込んで行っちゃったんだ、でも僕達は最後に勉強を教えてくれたフロンスさんにお礼が言いたくて!」
「待つんだ……頼みますから……」
「ありがとうフロンスさん! 僕達もやっと食べて貰えるんだね! 育ててくれてありがとう!」
「あぁ……あぁぁ……!!」
――違う、違うんだと、フロンスは必死になって子供達を引き留めた。だが何かを言いあぐねて、開いた口は声も出せずに開閉を繰り返すだけとなっていく。
「それじゃあフロンスさん、さようなら」
震えながら大粒の涙を流すフロンス。しかし子供達は今から楽園にでも行けるかの様な面持ちで笑っていた。
何故フロンスは止めないのか。子供達が喜んで死んでいく光景に、俺は声を震わせて訴えていた。
「目を覚ませ、どうして喜んで喰われようとする!」
「あっ、人間様だ! お兄さんも僕達を食べてくれるの?」
「お前達はみんな人間だ! 瞳が赤いだけで、俺と何一つ変わらない人間だ! 俺が全員守ってやる……だからッ」
「人間? 何言ってるの、面白いなぁハハハ。この赤い目はロチアートの証でしょう」
屈託の無い笑みに包まれながら、俺は虚空の如き虚無の赤目に訴え続ける。
「だからッ生きたいと、生きたいと願ってくれ! お前達の事は、俺が守るから! だから生きたいと、せめてそう言ってくれッ!」
「僕達は人間様に食べられる為に生きてたんだよ、だからもう、そんな事思う必要無いじゃないかハハハ!」
狂喜に包まれた子供達。フロンスはきっと、彼等を止めることが出来ない事を悟って泣いているのだ。俺もまた、子供達の価値観に絶望して立ち尽くすだけになりかける。
「フロンスっ!」
だがやはり間違っていると強く思い、過ぎ去っていく子供達を横目にしながら、項垂れたフロンスの胸ぐらを掴む。すると沈んだ瞳が僅かに上がって来た。
「無駄……です。それに、この子達に真実も伝えられない」
「何でだよ、子供達が死んでいくんだぞ!」
「ランク付けをしない農園の焼き払いは、疫病が蔓延した際の屠殺しか聞いたことがありません。子供達は皆、人間に喰われる事だけを夢見て生き続けて来たと言うのに、彼等はこれからただ無意に殺されて食べられる事も無いのです。私達はこれから騎士様に皆殺しにされるのです。ならばせめて、夢を見せたまま……」
言葉はもはや届かずに、子供達は笑顔で駆けていく。胸ぐらを掴み上げた俺の手にぶら下がったままフロンスは泣き続けていた。
「止められない……止められないんです。子供達よ、どうか安らかに……あぁぁあぁぁ」
「殺させるかよ!」
フロンスを置いて子供達の後を追っていくと――正面より、強烈な熱波を感じて飛び退くしかなかった。
――そして次の瞬間に、正面から迫ってきた巨大な炎の塊が、子供達を一網打尽に包み込んでいった。
そんな光景を見やり、フロンスは悲鳴に近い声を上げながら頭を抱え込んだ。
「あぁ、子供達……ッ子供達よ!」
眼前にひるがえる炎の中に、先程まで生きていた少年少女達が悶え、倒れていくシルエットが映っていた。俺達はその様を何をする事も出来ずに唖然と見つめている事しか出来ない。
「ぁぁぁぁあついぃいいいッ!!」
「ギャアアアッ!!」
「アーハハハハ! アーハハハハ!」
「だすげてぇフロンスざんぅぅう!!」
巨大な炎の渦の中から様々な阿鼻叫喚が溢れだしていた。そして次第に炎が弱まっていくと、そこには黒焦げになった無数の死骸が転がっていた。




