第三話 家畜の教育者(2/7)
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それからフロンスに呼ばれた俺達は、先程まで寝かされていた二階の寝室を降りて一階の居間で食卓を囲んでいた。
「フロンス、この家にはお前達だけなのか?」
「ここは教育係の宿舎ですので、私と今料理を作っているメリラの二人です。子供達は、今頃それぞれの家で食事をしているのかと」
メリラという中年の女性が奥から現れると、俺とセイルに挨拶をしてから、料理をテーブルに並べてまた奥に引っ込んでいく。野菜や穀物が中心の品々にホッとすると、空腹に耐え切れずに俺は食べ始めた。
「さぞ空腹だった様ですね。丸一日も眠っていたので無理もないでしょう」
「そんなに……すまないな。何から何まで世話になって」
「良いのですよ。それがカースの意志だったのですから」
――カース。と言うのが、誰の事を言っているのかを俺は朧げに思い出していた。確か初めてフロンスに出会った時に隣に居た少年の名だ。途切れかける意識の狭間でその名が呼ばれたのを覚えている。あの少年の意志を汲んで俺は救われたと言うのなら、彼には礼を言わなければならないだろう。きっとこの村の何処かにいる筈だから、その時に礼を言おう。
「……フロンス、他にも色々と聞いていいか」
じゃが芋のスープを飲んでいた手を止めて、フロンスは微笑んでいた。その理知的な瞳を見つめ、俺はこの世界に対する根本的な疑問を問い掛けてみた。
「どうして人間が人間の肉を食べるんだ」
フロンスは途端にむせ込むと、胸を叩いてから水を飲んだ。
「人間が人間を……? いやいやそんな事は致しません! そんな事は禁忌中の禁忌で、悪魔の行為と呼ばれています。考えすらもしません……」
そして何やら俺が冗談を言っているとでも思ったのか、今度は目尻にシワを寄せながら腹を抱えて笑い出す。
「我々が食べるのはロチアートじゃないですか、アモンさん」
フロンスは自分自身もロチアートでありながら、さも当然のようにそう答えて見せた。
俺は奥歯を噛み締めながら質問を続ける。
「他の動物は食わないのか、魚や豚や牛だとか、他に動物が居るだろう」
「動物? 聞いたことのない単語です。しかし、この世界には人類とロチアートと魔物しか居ませんから。食べられる肉はロチアートだけではないですか。魔物の肉は強い毒性がありますし」
フロンスがいよいよと心配そうな視線を俺に向け始めていた。大方この世界の住人として余りに無知では無いのか、とでも考えているのだろう。それがこの世界の常識だと言うのならば、その疑念は当然だ。
視線を感じてふと横を見ると、俺をつぶらな瞳で見上げているセイルの視線に気が付いて、テーブルの下で手を握った。
――セイルの言うとおりだ。このロチアートと呼ばれる赤い瞳達は、自身も人間であるという事を完全に忘れてしまっている。
別段隠し立てる事でも無いと思い、俺はテーブルの上のパンを手に取っていく二人に告白した。
「信じられないかもしれないが、俺はこことは別の世界から来たんだ」
「はい?」
「えっ?」
そんな反応になるだろうという事は予想していた。セイルとフロンスが仰天して飛び上がるのを、俺は冷静な態度で見ていた。
「俺の居た世界では、赤い瞳も含めてすべての人類が共存していた」
「ね、ねぇアモン、別の世界って、それ本当に?」
「ああ」
「あっはっはっは! アモンさん、お戯れが過ぎますよ」
だがセイルは笑わずに、俺を真っ直ぐに見上げる様にしていた。
するとそこで、メリラが奥の部屋から大皿を持って現れて、テーブルの真ん中にそれを置いた。
「アモンさんとセイルちゃん。お客人が来たから今日はご馳走にしたわ、沢山食べてって」
「これは……」
テーブルの中心に置かれた大皿に乗っているのは、巨大な肉の塊であった。
キツネ色になるまでオーブンで火を通されたその肉は、語るまでもなく、人の胴体の造形をしている。
「お前ら……お前らさえもっ」
「痛いよアモン」
セイルの手を強く握り締めていた俺は、再びあの晩の梨理の姿を思い出していた。額にじっとりと嫌な汗をかき、無意識にピクつく小鼻を上げていくと、フロンスが物憂げな様子で俺に語り掛けて来ていた。
「ええ、Eランクに認定された肉は、我々の農園で頂く事になります。我々だって最低限の肉は食べますよ。栄養として必要ですから」
「ランク……?」
フロンスは言う――。
都から指名され出荷が決まったロチアートは、病気の有無や体の欠損、脂肪、筋肉、性別、容姿を測る検査にかけられてA~Eまでのランク付けをされ、都の管理施設に送られてから市場に流通する。しかし最低のEランクに選定された者は管理施設にも送られず、ロチアートの村で食料とされるのだ、と。
「アモンさん、アナタ方と出会った時、私の隣に少年が居たでしょう?」
「は……?」
「先日のランク付けで……彼はEランクに認定されたのです。先天性の病を患っていましたから」
「何を……言っている?」
「これはカースです。私は誰でもない彼の意志を引き継ぎ、アナタ方を介抱する事に決めたのです」
「うぁぁぁああっ!!」
訳がわからない……。俺を救おうと迷わずに言ってくれた少年が。つい先程まで生きていた筈の彼が……これだと言うのか?
血の気が引いて、喉の奥から悲鳴が溢れ出す。よく見ると、やはり肉からは人の面影が窺えた。
「アモンさん!?」
テーブルに乗った肉を見下ろしながら、俺はこの怒りを何処にぶつければいいのかも分からずに、地べたに膝を着いた。
「お前らも、お前らも人間の肉を、仲間の肉を食べるのかっ! どうして……」
涙を流して訴えた俺に、厨房から騒ぎを聞き付けて出て来たメリラが、批判的な眼差しを向けて来るのに気が付いた。
「ロチアートが……人間ですって? そんな事を考えるアナタの方がおかしいわ」
しかしフロンスがメリラの肩に手を置き、その先の言葉を制していた。
「ロチアートも人間……ですか、アモンさん」
「そうだ、何がおかしい!」
フロンスは俺の激情を真っ直ぐに受け止めてから、思う事でもあったのか、机の前の椅子に深く座り込んで視線を天井に彷徨わせる様にした。彼の妙な様相に息を呑んでいった面々は、満を持して語り始めたその声に耳を澄ませる事しか出来なかった。
「もし仮に……そう、仮に私が人間だったとするのならば、他者を愛するという感情も許されるのでしょうか」
絶句したのはメリラだった。瞳を吊り上げながらフロンスの背に歩み寄っていく。
「いや、わかっているよメリラ。我々はロチアート。家畜なんだ。家畜が人間のように恋をする事など、あってはならないのだから」
――その時だった。その場にいた全員は、地鳴りの様な振動が村を覆ったの感じ取った。近くで何かを吹き飛ばすかの様な轟音が巻き起こり、村中に響き渡り始めたのだ。




