第三話 家畜の教育者(1/7)
第三話 家畜の教育者
ドルトの攻撃で深刻なダメージを負ったアモンは、セイルと共に都を後にしていた。
途中何度か追手による魔法攻撃を受けたが、なんとか都を脱し、今は深い森に踏み込んでいる。
「アモン。出血が……」
セイルが言うように、アモンの体は先の攻撃で焼け焦げて、出血がなかなか止まらなかった。
セイルに肩を貸され、ただ当て所もなく深い森の奥に向かって進んでいく。
それから半日ほど彷徨い続けた後に、アモンは青ざめた顔で地に伏せる事となった。
セイルが彼の顔を心配そうに揺り動かしていると、藪の方から物音がして振り返る。
「誰……?」
藪から姿を現したのは中年男性と幼い少年だった。二人とも背に野草を摘んだ篭を担いでいる。こちらを覗く赤い瞳から、彼らもまたロチアートであるという事がわかる。
身構えたセイルは柔和な声に語り掛けられる。
「キミ達は?」
白髪の中年男性が、傷を負ったアモンとセイルを驚いた様子で眺めていた。アモンの方はもう、気を途絶させて意識が無い。
「フロンスさん! あの人怪我してる!」
「なんと、これは酷い。魔法攻撃による負傷だ」
篭を捨てて走り寄って来たフロンスと呼ばれた男性が、アモンの側に膝を付いてその全身を眺める様にした。するとセイルは深く被ったフードの下で、涙を溜めて彼に懇願するのだった。
「お願いします。この人を、アモンを助けて下さい!」
「キミも我々と同じロチアートですか……」
「フロンスさん……それより早く、助けてあげようよ」
中年男性の袖を掴んだ少年に、セイルに注がれていた視線が戻されていく。
そうしてフロンスと呼ばれた男は、少年に向かって微笑みながら言った。
「君は優しい子だ、カース。ならばそうしよう」
*
俺は全身に包帯を巻かれた姿で飛び起きた。
見覚えの無い部屋のその隅の椅子に腰掛けていた男が、読んでいた本を側に置いて立ち上がって来るのを見上げる。
「目覚めたか、アモンさん」
「あんたは? ……セイルはっ!?」
俺が声を上げて立ち上がろうとした瞬間に、セイルが扉を開けて室内に入ってきた。衣服をもらった様で、スカートの裾を掴んでモジモジとしている。
「アモン。私は大丈夫。フロンスが助けてくれたの」
「フロンス?」
セイルの隣から、赤い瞳が嬉しそうにこちらを眺めているのに気付く。
「アモンさん、キミが無事で良かった。回復魔法をかけなければ危ないところだったんですよ」
フロンスは両の掌に白い光を発光させて俺に見せた。どうやらこの男も魔法とやらを心得ているらしい。
「あんた、赤い瞳の……」
「そうです。ここはロチアートの、家畜の村なのです」
その言葉に、俺は思わずベッドに拳を叩き付ける。
「お前達は家畜などでは無いっ!」
フロンスは驚いたような表情に変わって、次に眉を下げて感嘆の声を上げていた。
「なんと慈悲深いお方だ。我々ロチアートをそんな風に思ってくれるとは……。それではアモンさんの慈愛に感謝して、こちらも何があったのかは聞かないでおきましょう」
「……感謝するフロンス」
するとそこで俺の腹が鳴った。それを聞いたセイルが微笑して、口の端から漏れた笑い声が緊張の糸を解いていった。
……思えば彼女の笑顔を見るのはこれが初めてかも知れなかった。口元に覗いた八重歯はまるで、彼女の姿を想起させる……しかし、彼女は梨理では無いのだ。
俺が視線を膝元へと伏せていくと、セイルは少し物悲しそうに口角を下げていった。
「食事にしましょうか、積もる話しはその時に」
そうと告げたフロンスが部屋から出ていって、セイルと二人きりになる。途端に走り寄ってきた少女は、遠慮もなく俺の胸に飛び込んで来た。
「……無事で良かったよ」
眼下に彼女の存在を認める。
赤い瞳をすぐ胸の中に。この悲劇の引き金となった、ほんの些細な個性に俺は吸い込まれていった。
――ロチアートって一体何なんだ。
赤い瞳の彼女達を、この世界は人間以下の家畜と定義していた。だがやはり、胸に抱いた温かな感覚は、俺と同じ人間の物としか思えない。
「セイル、何がどうなってる、ここは?」
「ここは、ネツァクの近隣にあるミーシャ農園よ。フロンスは多分ここの村の教育係」
「農園、村? 赤い瞳の人間達の村があるのか?」
「アモン、何も知らないのね」
俺が申し訳なさそうに顔をしかめるのを、セイルは不思議そうに見上げながら話し始めた。
「ここは都の管轄するロチアートの農園なの。他の農園と同じように放牧されて、ロチアートだけの村を形成している」
「放牧……何故逃げないんだ?」
「ロチアートはみんな人間に食べられる事だけを生き甲斐にしているの。だから逃げ出す人なんていないわ」
セイルは語った――。
赤い瞳は家畜として膨大過ぎる年月を強いられた結果、人類に服従し、食べられる事だけを至上の喜びとするだけの、従順な家畜に成り下がっているのだと。
「なんでそんな……でも、お前は逃げ出したじゃないか」
――私はね……異常なの。
セイルは言いづらそうに俯きながら、長いまつ毛を伏せて語った。窓から差し込む夕刻の陽射しが、彼女の赤い髪を燃え立つかの様に輝かせていた。
「私はみんなと違って生に執着があって、人間に食べられるのなんて絶対に嫌だった。けれど村のロチアート達はみんな喜んで食用肉として出荷されていく」
「……」
「村のみんなはそんな私を異常だと言ったわ……ロチアートのくせに人間ぶっている、狂っていると」
「そういう事だったのか」
「アモン。私はやっぱり人間じゃあ無いのかな? 瞳の色が違うだけで、他の人間達と何が違うのかな……今もこうしてアモンと普通に話しているのに、どうして私は食べられなくちゃいけないのか?」
俺は下を向いてしまったセイルを胸に抱き締めた。かつて梨理にした様に力強く。
「セイル。お前は人間だ。俺と同じ人間だ。その思いは何一つ間違っちゃいない」
「私は……間違ってない?」
「この村の人達を全員救ってやる。みんな俺達と同じ人間なんだ! 同じ人間が、人間に食われて良い訳が無い!」




