第二話 ロチアートの少女(5/7)
「梨理……無事か、頬を見せてみろ」
梨理の腫れ上がった頬を観察してから、頭の上に血塗れの手を置く。
「う、ぅ……痛いのは、もう嫌、だよ……私、殺されるの……かな」
「そんな事は俺がさせない」
「私、生きたい、の……まだ、生きていたい。変、なのかなぁ?」
咽び泣く梨理の背の奥で、俺はこちらに向かって近付いて来ている存在に鋭い視線を差し向けていた。
「貴様か、往来の真ん中で殺しをしたという下賎は」
堂々として現れたのは、鎧の腰に剣を下げた大男だった。豊満な口髭を揺らすその背後には、十名程の軽装の兵も控えている。
「ん~」
気の抜ける声で唸りながら、大男は俺と梨理を観察する様に交互に眺めている。おそらくこいつが村で耳にした騎士なのだろう。きらびやかな装飾の施された鎧が、こいつの身分が並では無いことを物語っている。
「信じられんな。ロチアートを守る為に殺しをしたというのか、異能力者の青年」
「ロチアートじゃねぇ、梨理は人間だ!」
「ふむ、そういう事か」
男は髭を撫でつけながら厳格な表情で腰から抜刀し、切っ先をこちらに向けて名乗りを上げた。
「我こそは、天使の子マニエル様に忠誠を誓いしセフトの騎士。第十九国家騎士隊隊長ドルト・メニラ。殺しをした大罪人の貴様は、今ここで即刻この剣の錆びにしてくれよう」
「セフト? さっきからなんなんだよ、天使の子だとか印章持ちだとか!」
俺にはドルトと名乗る男の言葉のほとんどが理解出来なかった。
しかしそんな事などお構いなく、ハッキリとした二重の瞳がこちらに向けられて来る。
「貴様の名は?」
濃厚な戦いの気配を感じて、梨理を背の方に押しやる。
「終夜鴉紋」
「そうかアモン……!」
異様なスピードで間を詰めてきたドルトの剣を、ギリギリで右腕に受ける。鉄と鉄をぶつけた様な音と共に火花が散った。
「なんだ貴様のその異能力は」
「知るかよそんな事」
「ふむ。だが……硬く、力がある。それだけの地味な能力だ」
ドルトは一度飛び退くと、地に横たわった顔面を潰された男を見て眉間にシワを寄せた。
「先日のナハト村の虐殺……ヴェルト隊長をやったのも、貴様の仕業だな」
――ヴェルト……あの村の老人の名だ。その名を耳にすると、あの忌々しい老人の顔が浮かぶ。
凄惨な記憶を振り払う様にして、俺は強く言い放った。
「あいつらは人を殺して俺に食わせた! 俺の大切な人を、生きる意味を!」
「大罪人め。それはロチアートだろう」
「……っ!?」
「ロチアートは人ではない。家畜だ。そんな事はこの世界の全ての者が知っている」
間合いを一挙に詰めながら、ドルトが再び斬りかかって来る。縦に、斜めに、時には突きも交えた縦横無尽な太刀筋に翻弄される。
巨体ながらもスピードのあるドルトの剣撃は受けるだけで精一杯だった。
「左半身の守りが薄いなッ!!」
くそッ!
黒くなった右腕を避ける様に、左半身に回り込みながら攻撃を繰り出し始めたドルト。その剣撃が捌ききれずに、頬や左腕にダメージを受けて出血する。
「……何がロチアートだ。あの子を見てみろ。あの子は痛いと泣き叫ぶんだ。生きたいと叫ぶんだ。瞳が赤いだけで、あとは俺達と何一つ変わらない。同じ人間だろう!!」
襲い来るドルトの剣を右手で掴み取り、握り込んで砕いた。しかしドルトは怯みもせず、未だ精悍な顔付きを崩さなかった。
「笑止。我らは太古よりロチアートを家畜として飼い慣らしてきた。我々が食べるために奴等は生かされているのだ」
ドルトが手を挙げ、兵に合図をする。
すると後方から鋭い雷撃が飛んで来て俺の腹に炸裂した。始めて受ける衝撃は、内蔵に直接電流を流されているかの様な痛烈な感覚だった。
「っ……なんだ、それは!」
「……なんだとはなんだ。これが魔術でなくてなんだ」
再びドルトが手を挙げると、後方の兵から無数の雷撃や炎の塊が飛んできた。それを右腕で薙ぎ払うが、軌道の読めない魔術の攻撃は幾つか体を貫いていった。燃えるような痛みと内蔵を痺れさす苦痛に思わず倒れ込む。
「魔法攻撃が弱点だったか、やれ! 誉れ高き魔術師たちよ」
兵は倒れ込んだ俺に躊躇無く魔法球を放ち続けた。その全てを全身に受けながらも、なんとか顔をそちらに向けて梨理を見る。
「あ……もん……あもん」
「逃げろ、梨理……」
拳を握り締めて、小さく俺の名を呼ぶその声を知覚する。だが今の俺には苦痛に悶え苦しむ無様しか選択する事が出来なかった。
やがて体は麻痺して動かなくなっていった。衝撃に体を上下し、されるがままの有様になる。ドルトが深い息を吐きながら切っ先の折れた剣を鞘に納めていくのが朧げに見える。そして既に勝敗は決したと言いたげに微笑しながら、踵を返し始めていた。
「勝負あったな、終夜鴉紋」
「…………ざけん……なっ」
「ほう、なんだまだ息があったか」
ドルトはボロ雑巾の様になって横たわる俺の前に仁王立ちになって、両腕を胸の前に上げていく。
「民衆の避難は済んでいるな?」
「ハッ、ドルト様。殺人を犯した大罪人に死を」
ドルトの構えた両手の中心に、巨大な電気の塊が形成され始めた。バチバチと音を立てる光の瞬きを、俺は見上げている事しか出来ない。
「あもん……あもん! あもんっ!!」
梨理の必死の叫びが耳に届くと同時に、ドルトの両腕から落雷その物の様な巨大な電撃が放たれていた。
「『雷弩砲』――ッ!!」
「カッ――――っ……梨……理……」
巨大な雷でもってその身を貫かれ、黒く肉を焦がしながら吹き飛んでいく。遥か後方にあった筈の鉄の噴水が強烈に背に叩き付けられて、俺は力無く水面に沈んでいった。
「あ……あぁ…………あああ!」
梨理の悲痛の声だけがこの耳に届く。
もう二度と泣かせないと誓ったのに、俺はまた彼女との約束を……。
………………。




