夜の街2
返事をためらっていると、ヴァルベル様はするっと私を抱き上げた。
顔が近くなり、息をのんだ。
月に照らされた赤い瞳は、いつもよりも濃く見えて、さらに美しく見えた。
「あの……あの……」
「大丈夫だ、少しだけ我慢してくれ」
私はぎゅっと目をつむって、身を縮めた。
ふわりと体が持ち上がり、ポンと上に飛び上がったのがわかった。
思わず、あの日のようにヴァルベル様の首に手を回した。
「そうしてくれると安定して、こちらも助かるよ」
笑いを含んだような声で、そう耳元につぶやかれ、心臓がますます早鐘を打った。
それからしばらく、ぴょんぴょんと移動をしているのがわかったので、目は閉じたまま、邪魔にならないようにじっとしていた。
「目をあけてごらん」
私はヴァルベル様にしがみついたまま、そっと薄目を開ける。
「わぁ……」
屋根の上にいる私たちからの視界に、遮るものはなかった。
邪魔になるものが何もない、美しい夜景が目の前に広がっている。
生まれ育ったハイスロリアの城下町は、こんなに綺麗だったのかと、息をするのも忘れて見入った。
「リリアーネ降ろすよ、ここは平らだから、落ち着いて足をつけて」
ヴァルベル様は、そっと私を降ろしてくれた。
身近に感じていた体温が無くなって、少し身震いがした。
そして、寂しいと思ってしまって、思わず手を伸ばして腕に触れる。
「大丈夫だよ、ほら」
私が怖がっていると誤解をしたらしいヴァルベル様は、私の手を取って握ってくれた。
思ったよりも、ごつごつとしている気がして、剣ダコの出来ていた兄の手を思い出した。
「ここから見る風景が、俺は一番好きなんだ」
「ほんとうに、なんて綺麗なんでしょう……」
私は北の丘の上に立つ城を見て、その対をなすようにある東の神殿に目を移した。
「もしかして、お城だけではなく、神殿からも、この素晴らしい夜景が見えるのでしょうか」
「そうだな、神殿から見える夜景はここよりもさらに高いからな、さぞかし美しいだろうが……まったくうらやましくはないな」
「そうですか?」
「神殿から出ることができなくなるなんて、息が詰まるじゃないか」
私たちは顔を見合わせ、声を抑えて笑い合う。
神殿にお勤めにあがるということは、聖職者になるということ。
厳しい戒律の元、日々その身を神のために捧げ、励むのだ。
私などには想像もつかない厳しい暮らしであるだろう。
もしかして、くじけそうになった時、夜景を見て心いやしている人もいるのではないか? と、そう思った。
ヴァルベル様は西に広がる森に視線を移した。
森の中に、うねうねと曲がった道が見える。
真っ暗なのだが時折通る馬車の明かりが、その道筋を教えてくれている。それに、道沿いにぽつぽつと建物があるのだろう、その光も少し見えた。
「森は、さすがに真っ暗ですね」
私は、森の暗さに恐怖を覚え、思わずヴァルベル様に身を寄せる。
「ああ……森の夜は人を拒絶しているかのようだね」
すぅっと冷たい風が二人の髪の毛をさらっていった。
私は繋いでいない方の右手で顔にかかった髪を耳にかけた。
「あの……聞いていますよね? あのこと……」
気になっていた首飾りのことを、それとなく聞いてみた。
ここは屋根の上とはいえ、一応外だ。直接的な言葉は避けた方が良いのではないかと思ったから。
ヴァルベル様はゆっくりと私に視線を移し、困ったように下を向いた。
「そうだね、事の顛末はもちろん聞いているよ。僕は情報を探すように命を受け、ずいぶん前からその仕事をしていたからね、だから一緒に君の持ち物を検めたりもしたんだ」
一緒にバッグの中身を確かめたことを思い出して私はうなずいた。
「ヴァルベル様は情報を探るのがお仕事ですものね……あの時は、あれを持っていないかとお探しだったんだなって、今ならわかります」
「不思議なことだな……所有者を自分で選ぶとは」
「……あの……私、思い切ってお城にお届けに行った方がいいんでしょうか」
「ダメだ、それだけはダメだ」
強くそう言われて、手を引かれた。体勢を崩してしまって、やむなく彼の胸の中に抱かれるようになった、慌てた私は離れようとした。
だけど、ヴァルベル様はきつく私を抱きしめて、離さなかった。
「それだけはダメだ……渡してはいけない女があそこにはいる」
「え?」
思わず見上げると、月夜に照らされた美しい顔が厳しい目で私をじっと見つめていた。
「あれを持つ君の身の安全は、あそこにない」
その言葉の意味がわからず、私は近すぎるヴァルベル様の顔にただ見惚れるだけだった。




