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街の人々

 デビュタントの日からひと月経った

夢のような舞踏会での思い出に、今だに思い出すと頬が熱くなる。

ヴァルベルと一緒に踊ったあの日は、きっと死ぬまで忘れられない大切な思い出だ。


 本日はロゼからの誘いがあって、街を歩くことになっている。

ビュフェ子爵は家と、たまに出社する以外をおとなしく過ごす私に、少しだけ時間をくれた。


 私の実家の事が徐々に世間から忘れられようとしているらしく、ロゼと買い物にでかけるぐらいは大丈夫だろうと許してくれたのだ。


そういうことで、今、私は水色のワンピースに袖を通し、サイドの髪を編み込みにしているところだ。


 かつての私は、馬車で現地まで乗りつけるのが常だった。

おそらくは高位の貴族の女性は皆そうなのではないかと推測する。


 つまり私の顔を見てピンとくる友人は、街をぶらぶらなんてしないわけだ。


マダムは、支度を終えた私を見て考え込んでいたが、戸棚から眼鏡を取り出した。

ロゼが昔かけていた眼鏡だそうだ、そのレンズを外し、渡してきた。


「これをかけてみてくれる?」


マダムは真剣な顔で私を覗き込んだ。


「えと……どうでしょう?」


金色に輝く細い眼鏡フレーム、右横には美しい透かし模様があった。

とても軽くて付け心地も良い。


「似合うわ、それをかけて帽子を目深にかぶれば、まずわからないんじゃないかしら。知り合いに出会うようなお店にはいかないでしょうし」


マダムはまだ心配げに、私を見てため息をついた。


「大丈夫よ、お母様、心配しすぎだわ」


ロゼは軽やかに微笑んで、そして私の腕に手を添えた。


「ねえ、リリアーネ、行きましょう!」

「ええ」


私は戸惑いぎみに、マダムが渡してくれた紺色の帽子を受け取って、被った。

マダムが細く白い指で私の髪を直してくれる。

その優しさに、泣きそうになった。


この方を見ていると、どうしても母を思い出してしまうのだ。


「では、いってまいります」


 私たちは家を一歩出た。


久しぶりに見る外の風景。

窓から見下ろすことはあっても、自らの足で屋外に出たのは、あの日以来となる。


 軽く深呼吸して、空を見た……大きく感じた。


 見渡しても、知らない街並みだ。

この家の玄関は、部屋の窓から見える場所とはちょうど反対側になる。

美しく続く並木道がすぐそばにあり、そこには馬車がひっきりなしに通っていた。


馬車と言っても、貴族の乗るそれではなく、荷馬車であったり、貨物を載せた業務用のそれだ。

かつての私が知らなかった街の営みを、すぐそばで実感した。


……働く姿というのは、美しいのね。


私はまぶしさを感じる思いで、それらを眺め、しばし足を止めていた。


「リリアーネ」


ロゼの優しい声で呼ばれ、笑顔で振り返る。


「ロゼ」

「大丈夫?」


かわいらしく首をかしげて問われて、こくりとうなずいた。


「ええ、大丈夫よ、行きましょう」

「うん」







 ロゼの案内で、知らなかった街の顔を見ることができた。


街の小道をゆっくりと歩きながら、いろんな店を冷やかす。

自然と笑顔になって、日常に必要ではないものばかりを手に取って、あれこれとロゼと語り合うのはとても楽しい時間だった。


 私はあまりにも知らないことが多すぎた。


 やきたてのパンが昼までにすべて売れてしまうことや、昼からは甘いパンやバターケーキが店頭に並ぶことも初めて知った。

それらの切れ端だけを買い求める子供たちの姿もあって、本当に驚きながらも正直感心した。


全てが無駄なく、うまく回るよう、計算されているのだと知ったのだ。


かつて暮らした館では、それらは溢れるほどあるのが普通で、ちょうどよい量ではなく、いつも余るほどあるのが普通。

足りないとなると問題かもしれないが、必要以上を用意することの、なんと無駄なことだろうか。


そんなこと、考えたこともなかったけれど。


「おねえちゃん、そこどいて!」


勢いよく駆け回る子供に道を譲ると、飛んでいきそうになった帽子を思わず両手で掴んだ。


「あはは! リリアーネったら」

「すごい勢いね!」

「そりゃそうよ、子供はいつだって元気だわ」


かわいらしいロゼの笑顔でこちらまで明るい気持ちになった。


「今日も船を見に行くのかもしれないわね、あの子たち」

「船……」

「そうそう、この季節は大型船が何隻も停泊するわ。諸外国からの豪華客船よ。季節のよい時期に旅行するのが流行りなのよね」

「ロゼもそんな旅行を経験したことあるのかしら?」

「いえ、私はまだないの。父が新聞屋だと、まとまった休みを家族単位で取るなんて、おそらくずっとないわ」


ロゼは肩をすくめた。


「ということは、リリアーネもないのね」

「ええ、ないわ」


頭にブルゴー商船のことが浮かぶ、もしかして、兄は船で外国へ落ち延びているかもしれないと、なんとなく思うのだ。

どうか、無事でいてほしいと。


「よかったら、港の方へ行ってみる?」


ロゼは気楽な感じでそう聞いてきた。

長い間書けていませんでしたが、また最低でも週一のペースで書いていきたいと思います。

どうぞ応援してください。


日乃

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