命令
静まりかえる冷たく光る廊下、どこまでも続くような長いそれは果てしなく長く思え、足が重かった。
ハイスロリア王宮、王妃の私室に続くこの廊下を通る事が出来るのは、王妃の侍女と選び抜かれたメイド、そして王、と王子、姫のみ。
先々代王妃は偉大な精霊使いだった、その力ほしさに彼女を狙う諸外国にもあったほどだ。
歴史のある国にも今や精霊使いはまれなのに、ハイスロリア王国は王妃が精霊使いだったのだ、その脅威は絶大で、誰もがひれ伏すしかなかった。
実際、長く続いていた戦争を、王妃は精霊王から譲り受けた龍の涙で鎮めた。
彼女がそれを太陽にかがけ、そして祈ると、戦場にいた者すべてに光が注ぎ、心に安寧が訪れ、戦う気力を無くした。
さらには本国の王も、矛を収めたのだ。
それが今や伝説となっている。
しかし、その後も王妃さえ亡き者にすればと狙う者が後を絶たず、王妃は厳重に守られていたのだが、ついに何者かに毒を盛られそれが元で亡くなったとされている。
本当のところはわからない、なぜなら彼女の亡骸は精霊王が精霊界に持ち去ったからだ。
医師たちもご遺体を検めることができなかったのだ。
それほど王妃は精霊に愛されていたということ。
そのような経緯で、王妃宮は厳重な警備がしかれている。
しかし、誰もが思うのだ。
現王妃にそれほどの警備が必要なのだろうか?と。
大きく豪奢な意匠の扉が見えてきた、一瞬足を止め、深呼吸を繰り返す。
『聞かれたことによどみなく答えなさい、聞かれた事以外は決して口に出さぬよう』
そう言われて初めて訪れた王妃宮。
扉の両横に立つ二人の女性騎士がこちらをじっと伺っていた。
「あの……私、ハインキア家から参りました、ヨシュアンと申します、本日王妃殿下にお呼び出しを受けました」
私の声はかすれ、蚊の鳴くような声となった。
女性騎士は何も言わず、カツンと足を打ち鳴らし、そして扉を開けてくれた。
まばゆい光が室内から漏れてくる、大きくせり出したバルコニーを背に、優雅にソファーに座るのは、いつか遠くから見たことのある王妃殿下だ。
慌てて頭を下げた。
「表をあげて、名を」
侍女の声に従って、名乗りをする。
「ハインキア家のヨシュアンでございます」
そして身についていないカーテシーをした。
「そう……クレールに言われて動いてくれた子ね」
王妃殿下が答えた、威厳のある声だった、顔は少しも笑ってない。
背に一気に汗が噴き出してくる……怖い、そう思った。
「はい、ランドスー商会には親の代からお世話になっております」
「それで?」
王妃殿下は優雅な仕草でティーカップを取り、私をチラリと見た。
「……ご要望の、首飾りですが……その、ございませんでした」
「まあ」
意外そうにそう言った王妃殿下は、持っていたティーカップから一口王茶を飲んで、それから、ゆっくりとテーブルに置いた。
「無いって、どうして? オベール家にあるはずなのよ」
「……はい……その、暴漢が押し寄せる前日まで、首飾りは地下の宝物庫に厳重に保存されておりました。ですが、当日、騒ぎに乗じて盗み出そうとしたところ」
「まあ、盗むですって」
王妃殿下の眉間に深い皺が寄った。
心底嫌そうな顔をして、軽蔑のまなざしを私に向けている。
「それじゃ、頼んだ私が盗人のようじゃないの」
「いえ……いえ、そんな……」
「あれは元々王妃が持っておくべき王家の物なの。だから返してもらおうとしただけよ?」
王妃殿下は深いため息をついて、ティーカップをテーブルに置いた。
「下がりなさい、あなたの用は済んだわ」
「……はい」
そのまま後ずさり、お尻を王妃殿下に向けないように扉の外まで出ると、頭を低く下げた。
先ほどの番人の女性騎士がパタンと閉める音を頭上に聞き、ほっとする。
ああ、済んだ……これで。
正直、オベール家の人たちは一点の曇りもなく、皆優しかった。
奥様も気さくに私に笑いかけてくれ、お子様方もみな素直で健やかにお育ちで、絵に描いたような幸せな一家だったのだ。
お手当も破格に良かった。
オベール家のメイドとなるときに、二重取りになるからと、ランドスー商会からのお手当は止まったので、それはとてもうれしい誤算で、出来た余裕で子に何着か服を買ってもやれた。
あのような方々を、だまし、そして命までも奪うなど……
私はランドスー商会のことも、王妃殿下も、恐ろしい悪人に見え、心が冷え切る思いだった。
ともあれ、これで用事は済んだのだ。
目的の首飾りは手に取れなかったけれど、潜入という難しい仕事をやり終えたのだ。
どこか晴れ晴れとして、私はまた寒い廊下を一人でカツカツと歩いて戻る。
ああ今日は、夕ご飯にお肉を使いましょう、子供たちが喜ぶように、シチューにしようかしら。
私は肩の荷が下りていつしか笑顔になっていた。
その時、冷たい物が首筋に当たった。
寒気が全身を襲い、身震いする。
思わず手を首筋にやって、ぬるりとした液体に触れて驚く、手を見ると、真っ赤に染まっていた。
……血?
世界が暗転し、私はドスンと磨き抜かれた床に倒れた。
まだ動く指で必死に廊下の先に手を伸ばす。
子の名前を交互に呼び、そして最後に、夫の顔を思い浮かべた。
白い光……
清らかな、冷たい冬の風……
冷え冷えとした廊下に横たわる、私。
こんなはずでは……




