はじめての出勤
ヴァルベルは、いつもの黒づくめではなく、濃紺の三つ揃いにアイボリーのシャツ、そして光沢の美しいマスタード色のタイをしていた、少し長めの黒髪は後ろでかるく結わえてある。
これまでと印象が違いすぎるその服装に、ドキリとしてしまって、思わず立ち上がってしまった。
そんな私に視線をやって、ヴァルベルはニコリともせずに言った。
「君、なんと呼べばいいのかな」
「あ……リリアーネです」
「そう、リリアーネ、君は私のいとこ、だね?」
本当のいとこ同士なら出てこない言葉だが、今の私たちには必要だった。
「はい! あの、よ、よろしくお願いいたします」
そんな私を面白そうに眺めていたビュフェ子爵は、ヴァルベルに私を書記として必要なあれこれを教えるよう伝えた、ヴァルベルはちらりと私を見て、それからうなずいた。
「まあ、難しくはないさ、だが、話す速度についていけるようになるには、少し時間はかかるかもしれない。しばらくは私も同席するから練習のつもりでいてくれていい」
ヴァルベルは無表情だったが、そういってくれて少し落ち着いてきた。
……初めは練習、そうでなくては困りますよね、お互いに……
◇
画家のジャクロン氏は、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの人気画家で、彼の描く肖像画を待つ人々は、10年先まで埋まっているという。
かつて、伯爵令嬢であった私の肖像を描いてくれたのは、伯爵家が支援していた新進の画家だった。
彼ら芸術家には貴族が後援をするのが当たり前なのだ。
なんとなく懐かしい思いで、ジャクロン氏を待つ。
やがて、現れたジャクロン氏は、杖をついて現れた。
お付きの人が大きな荷物を持っていて、壁側にそれを置くと、椅子に座るジャクロン氏の介助をしている。
……足が、お悪いんだわ……
顔を見ると、そこまでお年ではないようだけど。
「待たせたかな、すまないね、ゴルジュ」
ジャクロン氏は低音を響かせて開口一番謝った。
「いや、時間はぴったりだよ、クロード。それより足が悪いのに3階は大変だったね、そこまで悪くなっているとは思いもせず」
「構わない、この者が運んでくれたからね、新しく雇った介助人は身体強化のできる元衛生兵だ、私のこの巨体もなんのそのだよ」
そういって大きな体を揺すった。
後ろに立つ介助人は表情を変えずに軽く頭を下げた。
「では、ここまで抱えて?」
「いやいや、あの装置に座るんだ、椅子のようなものさ。それを彼が持ち階段をあがるんだよ」
大きな荷物だと思っていたもの、それは介助に必要な椅子であったらしい。
身体強化ができるのは、騎士の中でも特に優秀な人だと聞いたことがあるのだけど、衛生兵でも出来る人がいるのかと、感心する。
おそらくだが、ケガをした重い鎧の騎士や兵士らを運ぶ必要があるのだから、医療現場には必要なのだろう。
「おや、その見慣れぬ美人は」
「ああ、そうそう、私の姪なのです」
場の関心が私に移り、少しどぎまぎしながら微笑んだ。
「リリアーネと申します」
「うん、いいね、本当に美しい子だ」
「おやおやクロード、やめてくれよ、年甲斐もなく」
ビュフェ子爵の言葉に噴き出したジャクロン氏はうんうんとうなずいた。
ところでこの二人はお互いに名で呼び合っている、おそらく以前より懇意にしている。
どのような仲なのかは聞いていないが、一見して友人同士に見えた。
「私は結婚しなかったのでね、娘も息子もいない。もしかしてこれくらいの子がいたかもしれないと、この年になると思うこともあるのでね、そういう意味だよ」
「ならばいいが、というか、君と私は同い年なんだ、そりゃこれくらいの娘の一人や二人、普通にしていればいただろうさ」
「まあそういうな、画家なんて貧乏商売の男に、妻なんて贅沢だよ。若いころの私は自分のことだけで精いっぱいだったんだ、今でこそようやくこうやってそこそこの成功を手にしてはいるがね」
「そこそこの成功か、お前でそこそこの成功ならば、画家の世界に成功など無いということになるよ」
ビュフェ子爵は笑い飛ばした。
私はいつの間にか横に椅子を寄せ、私のデスクの端で筆記をはじめているヴァルベルを見て驚いた。
……え、いまのこれって、もう始まっているの?
私は慌ててノートを広げ、羽ペンを取った。
ヴァルベルはそんな私を横目に見て、無表情のまま小声で呟いた。
「慌てずともよい、まだ本題じゃない」
「はいっ」
私は緩んでいた気を引き締めて、ペンを握りしめた。
「肖像画にも流行りすたりがあると思うが、今の流行りはどんなものかな?」
急に始まった本題に、ビュフェ子爵がそれとなく様子を見ていたことに気づいて恥ずかしくなる。
「そうだね、今は明るい外の景色を取り込むのが主流だね」
「なるほど、それは多くはその方のお屋敷で?」
「そう、だいたいにおいてそうなのだが、背景に広場や、公園、それに、窓から本来は見えない城などを描きこんだりもあるようだよ、私はそこまでわざとらしい脚色はせんがね」
「外で……自然の光の中だと、やわらかな印象の肖像画になるだろうね」
「その通りだよ、私はそれが得意だ」
「つまり君の得意なものが主流になっていると、いいたいわけだね?」
「ああ、皆、私のマネをしているにすぎない」
二人は顔を見合わせ笑った。
「そうそう、オベール家のことだけどね」
ビュフェ子爵は突然私の家の名を口にした、瞬時に固まる私……どうしていいのかわからず、目線も動かせなかった。
「ああ、あの騒動があった伯爵家だね」
「君は全く繋がりがなかったかな?」
「実は一度、あの家の奥方を描いたことがあったよ。まだ若い時分だ。親方に回ってきた仕事だったんだが、頼み込んで私に描かせてもらったんだ」
ジャクロン氏の言葉に、ひゅっと息をのみこんだ。
ペンを持っていられなくて、その場に置き、膝の上で拳を握りしめる。
この方の画風は光がうまく表現されることで有名なはず、私は頭の中で母の肖像画を思い浮かべる。
ひとつ、心あたりがあった、庭にある池のほとり、美しく差す淡い光の中、夕暮れ時にたたずむ母の肖像。
あれはもしかして……
そう思って顔を上げ、ジャクロン氏をじっと見つめる。
ジャクロン氏はビュフェ子爵を見つめながら楽しそうに言葉を紡ぐ。
「あの人にはね、娘さんが生まれたばかりだったんだよ、亜麻色の髪で水色の瞳の……それはそれは愛らしい赤子だった」
「……」
声にならない声が出てしまった……
顔に熱が集まってきて、今にも涙がこぼれそうだ、そんな思い出を聞いてしまうには、今はまだ生々しすぎる。
我慢できなくなって立ち上がろうとしたときに、ヴァルベルがそっと私の手を握った、そして、ポンポンと軽くたたいてくれた。
……大丈夫
そう伝えようとしてくれた。
「その子が成長すれば、ちょうど……君ぐらいだね、リリアーネ」
ハッとして顔を上げると、ジャクロン氏がじっと私を見つめていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
イイネやブックマークなど、応援よろしくお願いいたします☆
がんばって書いてまいります!




