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新しい名

 ロゼとマダムが、私の背丈に合った軽いワンピースをいくつか買ってきてくれた。

今日はそのうちの一つ、紺地に白い丸襟のついたシンプルなものを選ぶ。

色だけ見ると地味なようだが、胸のところにはレースがはめ込まれ、白襟にもカフスにも刺繍が入っている。

ウエストはゆったりとしている形だが、それを共布のリボンで締めると、スカートはかわいらしく膨らんだ。


私は満足して鏡の中の自分を見る。

体に密着したオーダーメイドのドレスではない、いわゆる吊るしの服、私はこういったものを初めて手に取り、そして自分で準備をした。


髪はメイドたちのように美しくは結えない、後ろで一つにするのが精一杯だ。

そこにロゼにもらった白いレースの細めのリボンを結ぶ。

鏡に向かって顔を左右に振り、ちゃんと結べているか確認してみる。


「よし……」


気合を入れた私は鏡のカバーをおろして、部屋を出る。


 今日からビュウタイムズに出勤だ。

もしもあのまま、伯爵家にいたならば、ありえなかっただろうこと、でも不思議とそれが嫌ではない、むしろ、少し嬉しかった。

おそらく、人手が無く困っていたわけではない、ビュフェ子爵は私のために仕事をくれた。

少しでも、私の気が晴れるよう、そして、遠慮なくこの家にいられるように。

感謝しても、しきれない。



 ビュウタイムズの社屋は、この家から渡り廊下で繋がっている。

廊下は途中曲がっていて、そこに庭木が植わっているのでそれが目隠しとなり、社員がこちらの家を覗き見ることができないようになっている、繋がっているとはいえ、社屋からは完全に切り離されているのだ。


その植木の角を曲がると、社屋の裏口がある、そこの鍵を昨夜のうちに受け取っていた。

私はワンピースのポケットから銀色の鍵を取り出し、扉を開ける。


 扉の中は、長く続く廊下の端だった。

廊下の両面にいくつもドアが見え、その中から声が漏れ聞こえる。

いったいこの建物に何人の人が働いているのだろうか?


3階の端に社長室があると聞いているので、すぐ横の階段をあがる。

その階段では行き交う人もなく、少し安心しながら3階まで上がってきた、3階は廊下の片側は窓、ふとのぞくと、街が見下せた。

採光があるだけで、こんなにも開放的かと不思議な思いになる。


そして、ドアの文字を確認する、『社長室』

私はノックをして、返事を聞いてからゆっくりと開けた。


「ああ、リリアーネ、待っていたよ」


そうだ、私はここでは『リリアーネ』、ビュフェ子爵の姪となっているのだ。


にこやかに私を迎えたのは、ビュフェ子爵と、短く切った髪の毛をピシっとそろえた40歳ぐらいの女性。

彼女は細身のジャケットに広がらないスカートを身に着け、首元にスカーフを巻いていた。


彼女はスタスタと私に近寄り、キリっとした表情を崩さずに私に握手をもとめてきた。


「ロミーです、よろしくお願いします、リリアーネ様」

「彼女はビュウタイムズの編集員だ」


驚いたが、ビュフェ子爵の説明で納得し、ロミーの手を握った。


「よろしくお願いいたします、ロミー様」

「私は貴族ではありません、様は必要ありません。リリアーネ様」

「あ、はい……」


私は勢いに押され、中途半端な返事をしつつ、ビュフェ子爵の手招きに応じて、デスクのそばまで歩いた。


「私のデスクはここで、その横を君がつかいたまえ、リリアーネは私の秘書としてここにおくので、皆にもそう伝えてくれ、ロミー」

「了解いたしました、歓迎会はなさいますか?」


ロミーは私を値踏みするようにジロリと見た。


「いや、今は忙しい時期だ、そういうことはしなくてよい」

「かしこまりました、では」


ロミーは書類をまとめるとそれを手にし、一礼して下がって行った。

なんとなく詰めていた息を吐くと、ビュフェ子爵はククっと笑った。


「ロミーは悪い人間じゃない、大丈夫だ」

「はい」


私は、さっそくあてがわれたデスクに座り、机の上を見渡した。

インク壺に、美しい羽ペン、そして、書類入れ。

脳裏に浮かぶのは、お父様の書斎だった。


「さっそくだけどね、リリアーネ」


昨日皆で決めた私の新しい名は、リリアーネ、家族や親せきに由来しない名前を選ぶようにと指示され、マダムとロゼと、お茶を飲みながら皆で案を出したのだ。

新しい名はまだ馴染まないが、私自身もなかなか気に入った。


「はい、社長」

「ふふ、社長か」


ビュフェ子爵は厳しい顔にふんわりとした笑顔をのせてほほえんだ。


「ほかに適当な呼び名がございましたら、そちらでお呼びしますが」

「いやいや、それで結構だよ、リリアーネ、それでだね、今から画家のジャクロン氏がいらっしゃるんだ、ビュウタイムズは貴族階級が読む新聞だ、様々な業界の注目される方々からの寄稿がある。文章を受け取る場合もあれば、お越しいただいて対話の形式をとることもあるのだよ」

「そうですか……私、何も存じ上げなくて、その、お茶などをお出しすればいいだけですの?」

「いやいや、君には書記をしてもらいたい」

「え」


私は目を丸くするしかなかった。


「そう緊張しないでくれ、最初からできなくて結構だよ、だが学んでほしいのだ、そろそろ来ると思うんだが、君の先輩」

「先輩ですか?」


その時、扉がコンコンとなった。

ビュフェ子爵の返事で入ってきたのは、ヴァルベルだった。


お読みいただき、ありがとうございます。

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