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10、私の恋・彼の愛

 私はそのまま彼の家を訪ねた。

「住友さん……」

 彼の家は数日前とは打って変わって、殺風景になっている。

「あ……ごめんね。昨日の休みに業者が入って。ほとんどの物無くしたから、人を呼べる状態じゃないんだけど……」

 そう言いながらも、彼はどうぞと招き入れようとしてくれている。

 私は首を振って、彼を見つめた。

「あの……こんなこといっても、また困らせるだけだと思う。でも、もう後悔したくないの。最後だから聞いてほしくて……」

 玄関口で立ち止まったままの切羽詰まった私に、彼は怪訝な顔で頷く。

「うん……」

「……小四の時、あなたが転校してきた時から好きでした。梶君は私の初恋なの……もう会えないと思ったけど、再会した時、苗字は違ってもすぐわかった。梶君はまた遠くへ行ってしまうけど、もう偶然があるかはわからない。だから伝えさせて」

 私は深呼吸して、もう一度口を開いた。

「家族のこと、忘れなくていい。私に背負わせてとも言えない。でも、私はあなたのことが好きだから……何か困ったことがあったり、人恋しくなって、誰かと遊びや飲みたくなったりしたら、声をかけてください。友達同士でもいいから、これからもずっと連絡し合える仲でいたいの」

 次の瞬間、私は何がなんだかわからなくなった。

 気がつけば、彼に抱きしめられている。壊れるくらい、強く……。

「……僕は家族のことが忘れられないんだ。忘れちゃいけないんだ。新しい恋に踏み切ることも、家族への裏切りだと思ってる。僕は……子供の頃、転校ばかり繰り返していて、人と深く付き合うこともしてこなかったと思う。だから今回も、辛くはないと思ってた。だけどなんでだろう……住友さんに会えないと思うと、寂しい。家族を失った時みたいに、闇に呑まれそうで怖いんだ……」

 彼の目から、大粒の涙が零れ落ちた。

 どれだけの我慢を強いられてきたのだろう。どれだけの重みを背負い、どれだけの痛みを、一人で抱えてきたのだろう。

 想像すら出来ないほどの絶望を抱えた彼に、ちっぽけな悩みしかない私がしてあげられることはない気がした。

 私は同じくらい強い力で彼を抱き返すと、子供のように彼の髪を撫でた。

「好きだ……」

 やがて、彼がそう言った。

 どのくらいの間、抱き合っていただろう。私たちはもつれるように、気を失うように、玄関先に倒れ込んだ。

「梶君……」

 見つめ合う目は、どこか暗く寂しい。まるで彼は、決して許されない罪を、たった一人で背負っているかのようである。

「……やっぱり駄目だ。手放しで君を好きにはなれない。なっちゃいけないんだ」

 言い聞かせるように、彼は目を伏せてそう言った。

 私は静かに頷き、彼から離れた。

「奥さんはどんな人? 死んじゃっても、好きな人の恋を許せないくらい、嫉妬深い人なのかな……」

 ぼそっと言った私に、彼は顔を上げる。

 私にとっては、意味のある言葉ではなかった。ただの疑問である。

 だが彼には、私の向こうに、生きている奥さんの姿が見えるようだ。

「……そんなことない。きっと笑って祝福してくれる。私のことばかり考えず、幸せになれって。そういうやつだから……」

 壁に寄りかかったまま、彼は顔を真っ赤にして泣き崩れた。

 彼の奥さんは、きっと素敵な人だったんだろう。明るくて優しくて、誰よりも彼を愛していたんだろう。いつか見た写真からも、そんな人柄が伺えた。


 それから私たちは、何をするでもなくそこにいた。

 時に手を握り合ったりはしたが、言葉を交わすこともなく、抱き合うこともなく、私たちは玄関先の廊下に座り込んだまま、ただ茫然と朝を迎えるためだけに、そこにいた。


「住友さん……」

 いつの間に眠っていたのか、私は彼の声で目が覚めた。

「あ……お、おはよう」

「おはよう」

 彼はいつもの笑顔で、私を陽だまりのように包んでくれる。

「いつの間に寝ちゃったんだね……」

「僕も。ごめんね、こんなところに寝かせて……風邪引いてない?」

「うん、平気」

 そう言ったものの、喉には痛みがある。でもそれを悟られまいと、私は立ち上がった。

「今日もいい天気」

 玄関口に差し込む光に、私は目を細める。

「……今日も仕事だよね」

 彼が尋ねた。

 彼は昨日で退職したので、もう出勤することはない。

「うん。もう行かなきゃ……」

 腕時計を見て、私はそう言った。

「ごめんね……」

「ううん、私のほうこそ。いろいろ……困らせてごめんなさい」

 そう言いながら、私は靴を履いた。そして彼を見つめる。

 なんだか清々しい気持ちでいっぱいだった。彼に思いを告げたこと、少しは伝わったと実感出来たことが、素直に嬉しい。

「……気を付けて」

「うん。じゃあ、また……」

「うん、また……」

 それ以上、何も言うことが出来なかった。

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