湯灌場買いと衣料品廃棄問題
物を大切にって、口で言うのは簡単だよねって思います。
ユニクロ式の大量生産が一時アパレルのトレンドになって、その後、それが服飾関係ではビジネスとして継続が難しいと、当のユニクロが経営方針を転換して尚、その成功に追従することに問題があるとも思います。
湯灌場買いと言うのをご存知でしょうか。
湯灌場とは江戸時代に死者を清め、供養するために死化粧や死装束を纏わせる場所やそれに携わる方をさした言葉で、その昔に流行って海外でも高評価を得た邦画「おくりびと」なんかをイメージして貰えばいいでしょうか。
そんな湯灌場から死体から剥ぎ取った衣服や小物を買い取って商品とするのが湯灌場買いです。
江戸時代、旅先で亡くなる、所縁のない奉公先で亡くなるなど、身元引き受け人のない死者を弔うために湯灌場の人たちは彼らの衣服や持ち物を買い取り業者に売って、その費用にしていたんですね。
江戸時代はあらゆるものがリサイクルされた時代でした。
さて、今、私たちの住む日本では年間30億ほどの衣料品が市場に出て、その約半分、15億着が新品のまま裁断され焼却処分されています。
家庭の衣料品も、余程ぼろくなって着れなくなったものもあるとは思いますが年間で50トンもの衣料がリサイクルされず、棄てられていると言われています。
年間100トンもの衣料品が処分され、そのうちの半分は店頭から買われることなく処分された新品、残り半分の多くもまだ着れるものなんですね。
フランスで2022年1月から、リサイクル可能な衣料の処分を禁止する法律が施行されるそうですが、なぜ、衣料品はこれほど過剰供給され、そして、棄てられているのでしょう。
大量生産の弊害
先ず、コストを下げるための大量生産が背景にあります。スケールメリットを得てコストを低減するには大規模な生産体制を敷く必要性があるためですね。
しかしながら、過去10年程で、衣料の生産量はほぼ、倍になっているにも関わらず、新品の消費は横這いから若干のマイナス傾向にあります。
ほぼ、半分が棄てられてしまうのは当たり前と言うことですね。
ブランドイメージ、ブランド戦略
アパレルブランドにとって、イメージは大切でしょう。売れ残ったからといって、安易にディスカウント出来ないのは当たり前です。
それでも売れ残った衣料の一部がブランドロゴやレッテルを剥がされて、公認でディスカウントに流れています。それでも、過剰供給によって、大半が棄てられている現状があるんですね。
今やアパレルメーカー自体が飽和状態なことも問題の根底にはあるでしょう。
トレンド操作の難しさ
アパレル業界はトレンドを操作して、自分たちが売り込みたい商品を売っていましたが、ネットの普及や価値観の多様化、また、天候の変動によって、トレンドを操作するのが難しくなっていると思います。
一昔前の話になりますが、アパレル業界がデニムベストを流行らせようとしたことがありました。
業界で雑誌やテレビなどのメディアでモデルを使いプロモーションするなか、なんとデニムベストがトレードマークの芸人が大ブレーク、いくらモデルを起用して「今年のトレンド」「ファッションのマストアイテム」と謳って見ても、若い女性からしたら、中年一歩手前の独特ファッションの芸人の影がちらつくアイテムなんて欲しがりませんよね。
まあ、「ワイルドだろー」とすかさず返せるメンタル激強系女子なら別かもしれませんが、それこそ少数でしょうしね。
そんなこんなで大量のデニムベストが売れ残ったということがあったそうです。
メルカリなどで、古着の市場は拡大傾向だそうですが、それでもリサイクルされずに捨てられる、まだ着れる服が多いのも実状です。
そして、古着市場が拡大すれば、今以上に新品市場は縮小するでしょう。
私が好きな漫画の一節にこんなのがありました。
蘭学を学び、立派な医者になると志を立てた青年は長崎へと旅立ちます。
長崎へと向かう青年に師匠と彼を兄と慕う少年が金を出し合い立派な羽織を送ります。
旅先、不幸にも夢半ばで亡くなった青年、彼の羽織は湯灌場買いに買い取られ江戸へと戻ります。
音信不通となった青年の足取りを調べていた、かつての少年のもとに羽織が戻って来ました。
小袖の羽織に宿った青年の想いは妖怪、小袖となってかつての少年を慰め、助けてくれている。
そんなお話です。
物を大切にする想い、物を通して人を想うことの大切さが語られている、素晴らしい話ですよね。
アパレル関係で働く方はたくさんいると思いますし、大量生産、大量消費は何も衣料に限ったことではありません。フランスの法整備は拙速に過ぎるとも思います。
社会構造を変化させていく中で、勿体無いという想いに、もう一度立ち返りたいものですね。