しつけぇ
現在、時刻は二十四時を回ったところ。
寝る準備を整えたというのに、部屋はまだ明かりが付いていた。薄い壁越しに、シャワーの流れる音がする。……冷え切った身体を温めるため、幼馴染がシャワーを浴びているのだ。
俺はスマホを手に持つと、凛花へと通話をつなげる。
が、いつまで経ってもつながらない。もう寝ているのか、あるいはスマホの電源を落としているのだろう。
俺は包み隠さずに、今、幼馴染がウチに居ることとその経緯をメッセージで送る。
連絡すれば済む話ではないが、隠しておく方がもっとよくない。
どうしよう、嫌われたら……。
でも、いくら幼馴染相手とは言え、この寒空の下、放置することは出来ない。いや、言い訳だな。結局、何かあったとき責任を負いたくないだけだ。……クズかよ俺……。
しばらく悶々とした時間を過ごしていると、奥の扉が開く。
「シャワー、ありがと」
「……あ、ああ」
俺の家にドライヤーはないから、まだしっとりと水気を含んでいる。
「トシ君のシャツだから、ぶかぶかだ」
ゆらゆらと余った袖の部分を、左右に揺らす。
太もものエリアにはみ出すくらい、シャツの丈が合っていなかった。
「気にくわないなら着なくていいけど」
「ううん、違うの。なんか新鮮だなって」
嬉しそうにはにかむ。
少し前なら、そんな彼女の些細な反応に、心がざわついていたのだろう。だが今は、無感情でいられる。それだけ俺の気持ちが、彼女から離れていることを痛感した。
幼馴染が、俺の元に寄ってくる。ちゃぶ台を挟んで対面の位置に座った。
「誰に、連絡してるの?」
俺のスマホを一瞥して、不安そうに聞いてくる。
ここはありのまま事実を伝えることにした。
「俺のカノジョ」
その返答を受け、幼馴染は慌てて自分の携帯を確認する。
けれど、俺が連絡しているのは凛花だ。
「お、おかしいな……あはっ……カノジョってあたしのことだよね」
「いい加減しつこいな。もう愛──月宮さんとは別れた。月宮さんは俺のカノジョじゃない」
「なんでそんな距離のある呼び方するの……もう、愛里って呼んでくれないの?」
「ああ。呼ぶ気はない」
基本的に、名前呼びは親交の証だ。
ただの意思表示でしかないが、名前呼びを封印することが、彼女との距離を置く第一歩に繋がると思っている。
ピシャリと告げると、幼馴染の表情に影が差した。
僅かに目を見開き、下唇を噛んでいる。
「もう、やり直せないのかな……」
「余地はない」
「あたしが間違ってた……。もう言い訳はしないよ。トシ君を傷つけて、身勝手で、最低だった」
「口先だけの謝罪なら誰にだって出来る」
「ぜ、全部……全部直すよ。あたしのダメなとこ、全部直す。あたし、心入れ替えるから! だからもう一回だけ……やり直せないのかな……」
段々尻すぼみになって、復縁を切実にお願いされる。
長い時間、外で待って健気なアピールをすれば、俺が折れると思っているのだろうか。非を認めて、これからの展望を話せば、俺が許すと思っているのだろうか。
「無理。どれだけ更生しても俺の気持ちは変わらない。俺を馬鹿にするのも大概にしてくれないかな」
「……っ。そんな、つもりじゃ……」
「布団はそこに敷いてあるのを使って、このちゃぶ台が境界線だ。こっちに来たら、その時は無理矢理にでも追い出すから」
「トシ君……」
今にも消え入りそうな声で俺の名前を呼ばれる。
けど、そんなのはお構いなしに、俺は電気を消す。
俺は枕に頭を預けると、壁の方に顔を向けてまぶたを落とした。
今日は色々あったせいか、すぐに眠りにはつけない。
「……起きてる、よねトシ君」
電気を消してから一分足らず。
まだ起きているが、返事はしない。
「……そっか。じゃあ独り言」
「…………」
「信じてもらえないかもだけど、あたし本当にトシ君が好き。……覚えてる? 昔、あたしがママと喧嘩して公園に一人で居たら、トシ君『一緒に家出してあげる』って言ってくれたんだよ。普通、家に連れ戻すところなのにさ。あたしの手を握って、知らないところまで連れてってくれた。結局その後、物凄い怒られたけど……」
「…………」
「でもね、ああいうトシ君の何気ない優しさが好きなの。それが正しいとか間違ってるとかじゃなくて、その時、あたしが一番してほしいことをしてくれるから」
「…………」
「あ、別にあたしにとって都合が良いから好きって事じゃないの。完全にその側面がないって言ったら嘘になるけど。トシ君の真面目で熱心なとこも、掛け値なしに人助けできるところも、あんまり気づかれてないけど塩顔でカッコいいところも、手先が器用なところも、全部……全部好き」
胸の内を吐露する。
暗がりで彼女の顔がどんな顔をしているのかは窺えない。
これが本心なのか、ただ俺を揺さぶるためのお世辞なのかは分からない。
しかしいずれにせよ、俺から言えることは一つしかない。
「だったらどうして、裏切るような真似をしたんだよ」
「……っ。寂しかった……の。中学に上がってからトシ君、和菓子屋のお手伝いであたしに構ってくれる時間少なかった。高二になるまで、トシ君があたしのこと好きでいてくれてるって知らなかった。自分自身に磨き掛けたり、他の女子に牽制かけたり、色々してたらストレスが溜まって、それに家のこともあって……それで」
「それは昔の話だろ。俺と付き合う前に誰と何があったって、それを咎める気はない。けど、付き合った後はやめることができたはずだ」
「……っ。……そう、だね。トシ君の言うとおりだ。ごめんね」
それを境にパタリと静まりかえる室内。
衣擦れの音がわずかに聞こえるだけだった。
ようやく眠りにつける──そう思った、矢先。
「本当にもう……やり直せないのかな……?」
いや、いい加減しつこいな……。
もう何度目にもなる復縁を申し込まれる。だがそれに応じる気は更々ない。
俺は布団を目深に被ると、まぶたを落とした。




