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此岸の華

作者: 柏望
掲載日:2021/11/01

この物語で一番のファンタジー要素は間違いなく父親でしょう。

 じじーが死んだ。最期まで何を考えてるのかわからないやつだった。好きにやらせてくれたからうっとうしくはなかったが、もういない。他所の家はじじーがいるならばばーもいるらしい。おれにもいたらしいが、産まれる前に死んだ。

 だから。じじーのいたこの村におれが来ることはもうない。

 夏休みはじじーのいるところで過ごしていた。きみこ。おれの母親は自分の子供が気に入らないらしい。おれが指名手配犯のこどもだから。一回だけおやじの顔が見たくなって交番で写真を確認したら、なんとなくだがやっぱり似ている。

 どこが似ているかは言葉にできなかった。それでもきみこがおれを殴る理由はよくわかった。

 きみこは年が明けたらじじーにおれを渡すつもりだったらしい。じじーが死んだからもうできなくなったが。邪魔だというならおれを捨てればいいと思う。度胸はないからできないんだろうが。

「これからどうすればいいの」

 じじーの葬式できみこは泣きながらそう言っていた。どうすればいいかは、おれにもわからなかった。バカなやつと同じことを考えられないからおれもバカだ。


 立てれば腰に届く大ナタを握って納屋を出る。持ち主だったじじーは、おれが何をかっさらっていっても黙ってするがままに任せた。

 そんな持ち主が死んだからこの大ナタはもうおれのものだろう。

 邪魔な草をぶった切って進む。鬱陶しい竹を叩き割って前に行く。

 しゃらくさいものを潰して、先へ向かうことはとてもきもちいい。夏休みのあいだは食い物と水をもって朝から山に入った。暗くなったら灯りを頼りにじじーの家に戻って寝る。面倒なものをナタでゴミに変えて進むのは、生まれて初めて味わった自由だった。

 それでも、すべてのものからは、自由にはなれない。

 山にはなわばりがある。あそこの沢やこっちの斜面はだれのものときまっている。仕返しは見えないように村からくるとじじーは言っていた。殴るのも殴られるのも、嫌いじゃないが好きでもない。面倒だとは思ったから、これだけはじじーの言う通りにしてきた。

 だけど、もうこの山に入ることがないなら勝手にしていいだろう。

 

 じじーの縄張りを外れてみても山は山だった。他所の縄張りは何本かの木に太い縄が巻いてあるくらいで。探してもめぼしいものはそれだけだった。

 この場所にも飽きたから、夏休みにはいなかった赤トンボを追いかけようとしてやめた。

 来た道がわからなくなったから。

「沢を探して、下れば村には着くか」

 水は高いところから低いところへ流れる。だから、沢の向かう方向に進み続ければ村のどこかには着くはずだ。いつになるかはわからないが。

 秋になってしまったから、夏休みの間に食えた山のものはもうない。冬に備えて最後の大食らいをやろうとする獣だってそこらにいるだろう。

「サルやイノシシくらいはナタでぶった斬ってやる」

「そういう男の子のロマンス。嫌いじゃないよ。でも、ここら辺は熊もでるから帰ろうか」

 うしろからいきなり声をかけられたが、ナタを向ける相手じゃない。夏休みの間、声の持ち主とは何度も喋った。じじーの葬式にも来ていて、おれに手を振ってきたがまだ何か用があるらしい。

「ならアンタが帰ればいいんだ。さよ」


 さよは高校生だ。じじーがそう言っていた。黒で塗りつぶされたような服と、胸元のリボンの深紅が目についた。

中学生から上は制服を着るらしいとも聞いた。毎日同じ服を着ている妙な連中は自分より一歩大人なんだと叩きつけられた。同じこどものくせに生意気だと思ったから、顔と名前はすぐ覚えた。

それがなぜか本人に伝わってしまい、気に入られた。初めて名前を呼んだ日からたった何年か早く産まれたことを、さぞ大切であるかのように振る舞ってくる。

おれの邪魔はしないし、いちいち追い払うのもめんどうだ。だから好きに喋らせている。

「帰りたくないんだ。巽くん」

 ちがう、と言うほど大人にはなれなかった。けれど、帰りたくないというほど子供のつもりじゃない。

 黙っているのは見透かされているようで頭にくる。後ろを向いて睨みつけようとすると、さよは岩の上に立っておれを見下ろしていた。

「山ぶどう食べようよ。巽くん、いつも夏休みが明ける前には帰っちゃうでしょ」

 これから先は長い道になることが思い浮かぶ。無意識にでてきた唾を呑み込むと、山風に乗ってぐう。と、くぐもった音が流れてきた。

「腹がへったんだろ」

「うん。あと降りるの手伝って」

「なんで登った」

「カッコよく見えるでしょ? 助けてくれると思ったし。へるぷみー」


 降ろすのは手間だった。足場が不安定ですくむなら、なんで登った。本当に。

 

 小さな沢の上を飛んでいるトンボを二人で眺めて過ごす。岩から降ろした後、さよは座ったら足を釣った。用を済ませたんだから川を進もうとしたが、さよが山ブドウをくれてやるというので貰ってやることにした。

 さよはおれのじゃまをしない。なら一緒にいてもいなくても同じだろう。

「もうすっかり秋だね。都会の秋ってどうなの」

「まだそんなに変わらない。面白味ならここの方がある」

「こっちが好きなんだ」

「どこも同じだ」

 せせらぎというらしい。沢に水が流れる音は激しいがうるさくはない。トンボの赤色。さよのリボンの赤色。夕方が近づいているから、山は薄暗くなっていく。景色は暗く沈んで色をうしなっていくはずなのに。赤はなんでか鮮やかになって、おれの目を離さなかった。

「巽くんの住んでいる場所にはあの花は咲いている? 好きなんだ、彼岸花」

 さよが指でさした方向には赤い花が咲いていた。先が爆発している線香のような花。アサガオ。チューリップ。さくら。おれの知っているどの花とも違う。

 彼岸花という火花みたいな形と深い赤。

 おれはこの花が嫌いじゃない。

「きれいっていうんだよ。こういう時は」

「きれい」

 キレイだの。カワイイだの。知ってはいたが、今まで見てきたものに見合うと思えるものはなかった。言われるまま写真だの絵だのに触れたこともあるが、別にどうだとも思わなかった。

 だけど、この花はきれいだ。

「今度は栗を食べようか。もうすぐ日も暮れるしね。次に会う時の楽しみにするといいよ」

 今度なんてない。ここに来るのも今日で終わりだ。

 言おうとして口を開いたが、声が出る前に山ブドウを詰めこまれる。

 何をしやがると文句をつけようとしたが、さよも山ブドウを口に放りこんでいた。

 小さくぷちぷちとした食感。むせかえるほどに濃い山の香り。種は大きくて、いちいちのみこむのもめんどうだからまとめて吐き出す。そして、開いた口にまた山ブドウが入れられる。

 おれにどれだけ食わせるつもりか知らないが、それでさよの分が食い尽くされても関係のないことだ。じじーのことはさよの山ブドウを食べつくしてからだ。

「巽くんのお祖父さん。いいお葬式だったと思うよ」

 じじーが死んだのを知っているのなら。おれがこれからどうするかもわかっているはずだろう。なんで栗の話なんかした。

 山ブドウの汁で赤く染まったさよの唇は答えやしなかった。

「寂しい、よね。お父さんはいないし、お母さんも、あまり優しくしてはくれないでしょう」

「おれもじじーも好きにやった。じゃまもしなかった。それだけだ」

「辛いね。大切な人をそういう風にしかいえないの。ちょっとこっち来なさい。慰めてあげよう」

 さよがずいと身体を寄せる。さよの香りを知った時には、さよの腕がおれの背中に回っていた。

 制服を着てるがこどもはこどもだった。ほんの少し大きいだけで、ヒョロくて軽い。本気なのか手を抜いてるのかはしれないが、俺なら簡単に振りほどける。

 これ以上締め付けるわけでもないし、投げつけられもしなさそうだ。さよなら殴ったり蹴ったりをしないだろうからこのまま喋らせてやればいい。飽きたらそのうち離す。

「泣いたり、笑ったり、しないんだね。うん。巽くんはロクな生き方できないよ。たぶん」

「それでいい。好かれようが嫌われようがみんな勝手に死ぬ。だから、いいも悪いもない」

「知ってる? 男の子ってこういうのは強がりで言うんだよ。本当の気持ちで言えちゃうなら、きっとみんなに嫌われちゃうよ。誰も君のために、泣いたり笑ったりしなくなるんだよ」

 さよも余計なおせっかいを焼きにきたらしい。気に食わない考えだから相手の意見を変えようとしているのか。脅したり怒ったりして、おれの機嫌をどうこうするのと何が違う。邪魔にはならないやつだと思っていたが、タチの悪いことをする。

 付き合うだけ時間の無駄だから殴って突き飛ばしたあと場所を変える。さよだとしても飽きるまで無視するつもりだった。

 なのになぜか。ふと湧いて出てしまった言葉があった。

「なら。どうしてお前が泣いているんだ」

「おかしいね。慰めてあげてるの、私の方なのに」

 おれは涙が嫌いだ。さよを泣き止ませようと思ったが、方法がわからない。

 泣いているこどもを抱きしめたり、菓子をやって黙らせるところをみたことがある。だが、抱き着かれているのはおれだし、山ブドウは俺の手元にはない。

 黙るまで殴るほうが、泣き止むまで時間がかかりそうだ。

 目の端から涙をこぼしたままのさよがじっと俺を見つめる。泣くなと言っても泣き止むことはないのは知っているから、黙って瞳に映った自分を眺めるしかなかった。

 父親と同じ可愛くない顔だ。少しでも動かすとさよを怖がらせてしまうだろうから。

「きみ。悪ぶってるけどいい子なんだね。私より背が高くなったらお婿さんにしてあげる。早く大きくなりなさい」

「なにバカなこと言ってやがる」

「うん。バカみたいだよね。鬼瓦みたいな顔がこんなに不安そうなんだから。助け船を出したくなって」

「そんなものいらない」

 なにもしなくても、さよは勝手に泣き止んだ。そもそもの話。俺がさっさと離れていればさよは泣かなかった。俺がいなければ、勝手に問題が解決するし、起こらない。

 それに気づいたら、言いたいことがすっと口から出た。

「おれはもうここに来ない。じじーが死んだ。栗は一人で食べろ」

「そう。じゃあこのまま村にいよう。大丈夫、私の家この辺じゃ偉いから。お祖父さんが預かっていいなら、私がそのまま貰っちゃっていいよね」

 茶化した言い方だが、さよの伝えたいことはわかる。要は母親を捨てて自分のところに来いと言っている。

 婿だの。弟だの。飼い犬の代わりかもしれないが。じじーがいなくても、さよがいるのなら家に戻るよりはずっといいのかもしれない。たぶん、間違いない。きみこと離れるのだから、相手の手元を見て話すことはなくなるだろう。明け方まで躾につきあってやることもない。

 きみこはおれをじじーにくれてやるつもりだった。おれだって村にいた方が鬱陶しいことは少ないだろう。

 だからおれもきみこを捨てるべきなのか。疲れていて、怒り泣いて、男に捨てられた人間を。まだ、おれにできることは。ほんの少しだけでいいから、今みたいにのんびりとした穏やかな時間を本当は。

 いいや、何を考えているんだ。今はさよと話している。きみこは関係ない。

 湧き上がる嫌悪感が心臓を刻むようだ。身体が内側からねじ切れるように苦しい。気づいたときには、掠れた喉が言葉を絞りだしていた。

「無理だ。おれもさよもこどもだ。できないに決まってる」

「だよね。じゃあ帰ろうか。まだちょっと痛いからおんぶしてってよ」


 苦し紛れの嘘までついて街に戻った。が、きみことの生活に変わるものはなかった。

 中学に入れば、親の目から抜け出す知恵が回るようになる。吹けば飛ぶようなはした金も手に入れられた。僅かな額だが、溜めればさよの所へ行って帰るだけにはなるだろう。

 何度か見つかって取り上げられもした。が、鉢植えに隠した現金が嵩を増していくのを実感する度、旅にでることが夢幻の話じゃないという確信も増していく。

 だから、新聞や路線図で調べた。それで、さよが死んでいたことを知った。

 さよと別れた夏休みのあと。長い秋雨で崩れた土砂に、さよが乗っていたバスが?み込まれた。らしい。


 高校の制服に袖を通した時にふと思った。金を貯めておいて使わない道理はない。使い道もないのだから。


「案外、覚えてないもんだな」

 爺さんが死んだ年を数えたら片手が埋まった。さよの死んでいることを知った時、この田舎にまた来ることは考えもしなかった。

 だが今、こうして爺さんが住んでいた田舎の駅舎に立っている。長い時間が経ったんだ。

 下校時に、担任に暫く欠席をする旨を伝えてすぐに駅へ向かった。終電になるまで行けるだけ進み。読み方もわからないような駅で降りて、その辺で一晩過ごした。それから始発に乗って、村の最寄り駅を目指し、バスを使ってようやく辿り着いた。

 初めての旅は一人旅で長旅だったが、これからが本番だ。

 墓場の近くにある雑貨店で線香を買う。身分を隠すためにジャケットを着ているが、墓参りをするときには制服の学ランに着替えられる。

「さよ。あんたは今、どこにいる」

 死亡届が受理されていないから親父の墓はない。お袋も連絡は取れないが、たぶんまだ生きているだろう。爺さんの墓は納骨の時に線香を供えたきりだ。

 墓場については皆目見当がつかないがどうしようもない。墓の脇には死んだ人間の名前と、亡くなった年と年齢が彫ってあることは知識として知っている。それを辿って、片端から探すのが手堅いだろう。

 

 地図を使って墓地を巡ってみたが、さよの墓がみつからない。さよの墓を探す途中で爺さんの墓に線香をやることはできた。

 駅から一番遠いこの墓地で見つけられなければ探し方を見直すしかない。

 学ランの前を閉めて、火をつけた線香を供え、手を合わせるだけのこと。たったそれだけにこれだけ汗をかかされるとは。

 下から初めて、段の半分ほどを調べたが、まだ見つからない。休憩も兼ねて振り返る。辺り一面山ばかりだけれども、赤に黄色に色づいている部分も少なくない。墓と墓の間を赤とんぼが飛んでいて、みよと食べた山ブドウの風味を思い出す。

『栗を食べよう。栗』

 さよが言うのだ。あの中の何本かには栗があるんだろう。

 爺さんの山も見えるはずだがどれだろうか。一応は親父が相続したらしいが。もとは爺さんのものだ。好きにやる。

 先祖代々から土地で入り組んでいる村だ。その中にさよの墓があるかもしれないが探すのは一苦労だろう。狭い村とはいえ何日かかるかわからない。まだあるかわからないが、寝床を確保を優先して爺さんの家に向かおう。

 降ろした視界の端に何かが見えた。

 墓と墓の隙間から、黒いセーラー服と赤いリボンの女がこっちに向かっているのが見える。

「さよ」

 そんなはずはない。確認に使った新聞は一つ二つじゃない。だいたい、生きているならもう制服を着ているような歳じゃない。

 誰かの墓参りに来た、たまたまさよと同じ出身いうだけのどこかの学校の生徒だ。合理的に考えればそうなる。

 気にするまでもない。

 石段をなるべく時間をかけて降りる。すれ違わないで別の場所に行ってくれるならお互い顔を見ずに去ることができる。制服を見て、さよのことを案外覚えていることがわかっただけで俺には十分だ。

 さよが俺に逢いに来たなんて都合のいい夢は見ない。まったく無縁の女にさよを重ねたくもない。

 曲がってくれるようにほとんど祈るような心地だったが、相手に進路を変える気配はない。まっすぐとこっちの方向を向いて、ゆっくりと石段を登ってきている。

 俺も直視しないように降りているが、この時期にいる見ず知らずの他校生が珍しいのだろう。足元の誰かは俺の顔をじっと見ているのがわかる。

 制服が同じだからか。雰囲気が似ているのか。一瞬、微塵も関係ないはずの女子が、さよに見えた気がして足が止まってしまった。


「アンタね。墓場うろついてる不審者ってのは! ウチのシマになんの用」

 本当に気がするだけだった。この辺の女はそういう顔立ちだというだけなんだろう。

 黙ってりゃ似てる気もするが、顔と声がうるせえ。っていうか、シマってなんだシマって。

「うるせえな。出てけばいいんだろ。放っとけよ」

「そーはいかないわ。手配書そっくりなのが村をうろついてるってんでジャリどもがうるさいの。それに、駐在が来る前に捕まえちゃえればお小遣いにもなるんだから」

「悪かったな似てて。だが、別人だ。墓参りをしたいんだが見つからないんだよ。もう用はないだろ。穏便に済ませてくれないか」

「お盆はもう過ぎてるのに感心ねえ。じゃ案内してあげる。私は樋田美代。この辺じゃちょっと名の知られてる家だから頼りになるわよ」

 ガン飛ばした次は親切の押し売りか。喧しい上に自分が役に立つと思ってるようなやつは苦手だ。佇まいは否定できないくらいには似ているが、そこは変わらない。

 何故かを言葉にできないのがムカつく理由に拍車をかけるが、強く出られそうにない。面倒な奴に目を付けられた。

「ドコ校か知らないけど、襟章で同学年ってわかるわ。お参りしたいのはご親戚か恩師ってところね。さ、ちゃちゃっと言っちゃいなさい。夜は暗いわよーこの辺はー」

 一回喋るのにどんだけ表情を変えれば気が済むんだこいつ。けれど、樋田という姓は新聞で読んださよのものと同じだ。田舎で苗字が偏ることは稀にある。同じ苗字の連中が親戚と決まっているわけでもないとが、何かの足しにはなるかもしれない。

「さよ。樋田紗世って知ってるか。線香だけでもくれたら帰る。できる範囲だが礼もする。だから」

「ダメ。連れてけない」

「んだと。てめえから言っといて??」

 あれだけうるさかった表情が暗く沈んでいる。さっきまで鼻につくほどだった自信が嘘のように、美代は狼狽していた。言いたくないことや触れたくないことは誰にでもある。ましてや、さよは土くれの下敷きだった。実際にこの村で見聞きした人間には思い出すだけで苦しいだろう。

「悪かった。事故だもんな、謝る。一人で探すよ。じゃあな」

 美代とかいうのにできることもなければ、かまってやる時間もない。さよが死んでしまったことはお互い辛い。背を向けて別れるのが正解だ。

 というはずなのに、肩を掴まれて静止される。

「なんのつもりだ。おい」

「ダメ。あたし、アンタを連れてっちゃいけない」

「誰のとこに行こうがお前には関係のない話だ。さよがお前にとってのどういう奴かは知らない。だがな、そいつはお互い様だろう」

 振りほどいてやろうとしたができなかった。美代とさよがなぜか被ってしまう。泣いているさよが脳裏に浮かんで、肩に乗った美代の手をそっと外す。

 豊かな表情が褪せた美代の顔は、間違いなくさよに似ていた。

 もう少し見ていたいような気もするし、できるなら償いもしてやりたい。だが突っぱねたんだから余計なお世話だ。

 段を降りてしばらくして、秋空に大声が響いた。

「アンタ、巽でしょ! 迅巽! だから、姉さんには会いに行っちゃダメ!」


 田舎には不思議な習慣がある。と、爺さんから聞いたことがある。すっかり忘れていたがこの村にも確かにあった。その中の一つに俺が巻き込まれるとは思ってはいなかったが。

 夢枕に立った個人が呼ぶ人間を、五日が過ぎるまでは墓に連れて行ってはいけない。彼岸に引っ張られるから。

「気にすんなよ。俺だって信じちゃいない」

「でも。だからって。こんなの上手くできすぎてる」

 否定はしない。夢に出てきた人間が死んだ日に、名前を呼ばれた誰かが、相手の墓を探している。

 美代はさよの夢を見た張本人だ。姉に対する想いが強い分そのまま、今こうして出会ったことを不気味に感じて、怯えてしまう。

 家族と文化の話だ。否定するつもりはない。

「どうだろうな。俺が来たくて来たんだ。お前は関係ないよ。じゃあな」

 かける言葉はない。迷信深いわけではないし、気にすらしていない。どうでもいいとすら思っている。

 だから、俺が美代にできることはない。変に何かをしてもお互いの神経を逆なでするだけだろう。

 ため息を呑み込んで階段を一歩下る。

「アンタ。お腹減ってるんでしょ。おはぎ、あるわよ」

 秋風が腹の音を運んだらしい。始電に乗ってからずっと、電車の合間合間を利用して水分補給しかしてこなかった。

「そうだ。ついてきなさいよせっかくだし。目につくようなものはないけど、何もないわけじゃないんだからこの村。ほら、ご馳走してあげるから」


 墓のある山を降りる途中に脇道がある。枝分かれした道を幾つか右に左に曲がるとうんざりするくらい長い坂に突き当たった。どこに連れてくつもりだと聞きそうになったが、美代は自転車を曳いてすいすいと登っていく。

 見栄を張るつもりはない。が、腹を空かした程度で坂も登れないと思われるのは癪だ。

「一息で登るなんて根性あるじゃない。ほら、顔上げなさいよ」

 目の前には一面にコスモスが広がっていた。

 彼岸花の鮮烈な紅と違う。淡く、儚げな薄桃色。秋風に揺れるコスモスの薄桃と澄んだ青空のコントラストが互いに調和し、引き立てあっている。

「彼岸花だけじゃなかったんだな、ここに咲いてるのは」

「そ。綺麗な景色を見て、お腹もいっぱいになれば、お互い話を聞く余裕も出るでしょ」

 美代は自転車の籠からシートを取り出して広げると、何かが包んである風呂敷を持って来た。それなりの大きさがあり中身も重そうだった。全部ひとりで食うつもりだったのかこいつ。

「ほら、アンタも座んなさい。立って食べるのはお行儀が悪いわよ」

 ガキか俺は。食うのはこいつが用意したものだし、聞いてやらない理由もない。疲れてもいるし、休むきっかけにはちょうどいいだろう。

 足を少し広げて尻を下げるとコスモスが目線に合うようになった。水面のように広がる薄桃色は、花と花が群生したからできたのだと実感する。一本一本を鑑賞しようとするとそれこそ永遠に時が過ぎていきそうで。

「ちょっと。うんこ座りやめなさいよ。シートだしてるんだから」

「もう少し言い方考えろよ。だいたいな。お前と荷物で満員なんだよ、そこのシートは」

「あら。隣に座ればいいでしょ」

 田舎者っていうのはこういうものか。満員電車じゃあるまいし、なんでこんなだだっ広いところで肩をぶつけて物を食わないといけないんだ。

「なによその不服そうな顔。はあん。恥ずかしいんだぁ。都会のヤンキー誑かすなんて罪な美少女ねー。わたしも」

「わーったよ。座ればいいんだろ座れば。ったく」

 美代が強引だ。関わると調子が狂う。さよが俺にしたりさせていた、あれやこれやを追体験しているようで断る気にどうしてもなれない。

 シートに座った時は美代の匂いがしたが、さよのものと少し違っていた。さよの匂いを俺は記憶していたこと。比較してしまうくらいには美代とさよを重ねてしまっていること。まったくの別人の共通点を探し始めている自分に驚く。

 近寄れば美代に悟られてしまいそうで嫌だった。

 美代の頭の中は重箱の中身でいっぱいなのは見ればわかる。杞憂だろうが。

「アンタ喜びなさいよー。今日は大好物の手作りおはぎなんだから」

「誰が作ったんだよ」

「あたし」

 不安になってきた。自分の作ったものを大好物にするやつの大好物がまともだった経験がない。

 美代が開いた重箱にはおはぎが入っていた。握りこぶしくらいのデカいのが、ぎっしりと。

「おれ、粒あん派なんだよな」

「美味しいんだからとりあえず食べる!」

 だから粒あんが苦手なんだよ俺は。と、開けた口へおはぎを詰められる。噛んで飲まなきゃ窒息しかねないほどの大きさだ。口もつけてしまったなら呑みこむしかない。


「けっこうイケるな」

 こしあんが嫌いだった。どこか水っぽいか妙に固いかで、歯ごたえが皆無の泥みたいな食感も好きじゃなかった。あんこそのものは嫌いではなかったが、皮の食感がないとだいぶ物足りない。

 その点、美代の作ったこしあんは良く出来ている。しっかりした食感だが口当たりはさらりとしている。舌や歯にふれるとほろりと崩れるような絶妙さは初めて味わった感覚だ。

 子分代わりに可愛がっている連中とに食べるつもりだったらしいから、だいぶ甘い。が、クドさはなく、噛んでよく味わえる塩梅に収まっている。

 あんこに包まれた餅もいい。田舎風というのか、滑らかな食感のなかに米の粒の感じがまだ少し残されている。噛めば適度な弾力を保ちつつ、口の中では心地よい舌触りだ。あんこがなくても十分に楽しめると言っていい。

「不愛想だけど美味しそうに食べるのねー。作った甲斐があるわ」

「うまいよ。ありがとうな」

 長旅で消耗しているし、腹も空いていた。コスモスと青空の素朴な美景はささくれ立ちそうな神経を宥める。美代の作ったおはぎは疲れきった体に活力を与えた。

 秋風を感じながら青と薄桃のコントラストを眺める。さよもこの景色の下で、こんな風に過ごすことはあったのだろうか。

 背伸びをした美代が神妙な面持ちで俺を見ているのに気づく。あんこでもつけてると拭かれそうだから口を拭う。けれど、美代が話を仕掛けてきたのは別の思惑だった。

「私もいい感じに上がってきたから話すわ。どっちがやるにしたって湿っぽくなっちゃうんだし、明るく済ませた方が、お互い気も楽でしょ」

「おい。なんで俺まで」

「アンタ、私にだけ話させるつもり。おはぎたらふく食べておいて」

「そりゃ。そうだが。うん。いいぜ」

 美代の事情を俺は知らない。その逆もまた同じだ。だが、何も知らないのを承知でこいつは俺を止めようとした。そして今、食事をしながら俺と意思疎通をしようとしている。餌で釣ろうとしているで癪だが、そうするだけの理由があるということだ。

 さよの墓参りをすることに変わりはない。田舎の風習なんかしったことじゃない。だが、こうまでして伝えようとするなら無視をするのにもやり方はあるはずだ。

 無言になる俺を見て何を察したのか知らないが、美代は明かるげにさよのことを話し始めた。


 樋田紗世。アンタがさよって呼んでる人、アタシの姉さんなんだ。ほんの少しだけど雰囲気も似てるでしょ。ちょっと怪訝な顔やめなさいよ。表情が五月蠅い。前歯擦り下ろすわよ。

 アンタのこともちゃんと知ってた。名前だけだけれども。山の中の影しか見えないから仲間内じゃ天狗扱いだったっけ。

 ごめんなさい。話が逸れた。

 姉さん。無表情だけどタマにとんでもないこと言う人だったでしょ。食事中にいきなりみんなに向かって話があるとか言い始めてね。

「私、お婿さん決めました。もうお見合いの相手とか紹介しなくていいよ」

 やっぱりここ田舎だからお見合いはあるのよ。付き合いで。昔に比べてその辺だいぶ緩くなったらしいから、結婚どころか、実際に交際をするかも自由なんだけどね。

 でも、一番上の兄さんはお見合いで結婚したのよ。姉さんともなんとなくお見合いで親に選んでもらった相手と結婚するんだろう。そんな話も何回かしたわ。

 それだってのに、姉さんってば急に爆弾発言かましてきたわけ。もちろん、お相手の話にもなった。結婚するなら、両家の合意って大事だと思うし。

「迅さんとこのお孫さん。あの子、きっといい男になるよ。もう唾つけちゃったし、いいよね」

 場が凍り付くってあるじゃない。ああいうの産まれて初めて見たわ。そりゃあ年齢のこともあるけれども。その。アンタのお父さん。まともな人じゃないじゃない。内乱罪だの外患誘致罪だの、アンタの父さんで初めて知ったし。

 ごめんなさい。でもこれ以上は話すつもりはないし、あなたからも聞かない。今は姉さんの話だものね。

 家族のほとんど全員が大反対だったんだけども、一番上の兄さんとお爺さまは賛成だったわけ。それで具体的なところがポンポン進んでいるうちに。お爺さんたちの間で話が纏まっちゃったの。

 え。初耳。嘘でしょ。

 ま、まぁそういうことがあったのよ。迅さんがお亡くなりになって、立ち消えになっちゃったけども。

 姉さんは残念な表情もしてなかったわ。

「平気。荒波に揉まれていい感じになってきたら向こうから会いに来てくれるから。光源氏より人間として正しい選択できたし」

 気にしないで。むしろ、辛いのはアンタの方でしょ。明るく話すつもりだったけど、どうしてもダメね。同い年になって、どれだけ優しい人だったのか。わかってきて。できることならもう一度会いたいわ。

 アンタにとってもそうだったでしょうけど。姉さんは急に亡くなったの。被害にあったのは私たちだけじゃなくて、村も大変でね。悲しむ時間も、準備をする時間もあまりなかった。

 それで慌ただしいうちに供養も終わってしまって。姉さんがなくなってからもう両手を使って数えなきゃいけないくらい時間が経ってた。

 アタシも姉さんと同じ制服を着るようになった。姉さんと同い年になっちゃったなって考えるとアンタのことを思い出してね。

 姉さんの命日に学生服を着た不審者が現れた。まさか。とはおもったけれど、実際にアンタがいたんだもの。

 妙だと思うでしょ。うまくできすぎてる。

 だから、アンタには帰って欲しい。姉さんには呼んだ人がちゃんと来てくれたこと伝えておくから。


 認めたくはないが似ていることは否定はできない。姉妹だとは思わなかったが。さよも言ってることに表情が追いつくとこいつみたいに顔面がうるさくなるのだろうか。

 勿論、俺のことも話した。自分のことだけでなくさよとのこともだ。内臓を口から掻きだすようだった。打ち明けることが辛かったのは美代だって同じだろう。

 それに苦しい思いをしているからこそ話す意味がある。俺がなんでさよに嘘をついたか。今も恥じて後悔していることは一体なんだったのか。確認するためにも。


「さよは俺の嘘を見抜いていた。否定しなかったのは、嘘を嘘で良いとしたんだろう。本心を知っていたんだろうな。たぶん」

 美代から聞いた通りだったら、俺とさよの縁談はあと一歩まで進んでいたはずだ。子供の妄言だと突っぱねられても反論はいくらでもできた。嘘だと追及して本当の理由を聞くことだってできた。さよにその気さえあれば一緒にいることになっていただろう。

 そうしなかったのは、さよが俺の本心を尊重してくれたからに他ならない。

「断ったのを後悔してるわけじゃない。嘘をついたのを後悔してるんだよ。一番肝心なときに俺は自分の言葉を話さなかった」

 相手が真剣に向き合おうとした時に、何を考えているのか気づいてしまうのが怖くなって嘘をついた。ただ、それだけのことと言ってしまえばそれまでだ。気にしない人もいるし、日が過ぎれば忘れてしまう方が大多数だろう。

 でも、できなかった。

「もう終わったこと。やり直しも効かない。けどな、謝りたいんだよ。今度こそ、俺が、自分とちゃんと向きあった俺の言葉で」

「そこまで考えられるなら。次の機会で生かそうってしなさいよ」

「ケジメだよ。後悔を反省したり、恥を教訓にするっていうのも、そういうことができてからだ」

 俺の言葉を美代が伝えれば、なんとなくその場はお互い解決した感じにはなるのかもしれない。しかし、俺はそうしたって恥じも悔いも消えない。美代だって、俺が自分で言えなかったことを気にするだろう。

「案内してくれよ。場所、わからないからさ」

 立ち上がって美代に手を差し出す。相手の話を聞いて、俺も洗いざらい喋った。迷っている人間を動かす方法は他に知らない。

「わかった。ありがとう。踏ん切りつけさせてくれて」


 おはぎを食べ終えてからだろうか、空をうっすらと雲が覆い始めた。コスモスの原を去って坂を降りる時には、あたりには薄暗い霧がかかりはじめた。

「山風で運ばれてきたのね。日暮れも近くなるだろうし、一気に進んじゃいましょ。坂降りたら、自転車に乗せてあげるから漕ぎなさい」

「は」

「たらふくおはぎ食べたんだから力を出す! ファイト」

 急ぐなら片方が歩くよりは二人乗りの方が早いだろう。なら、美代よりは俺が運転するのが早い。なら、仕方ないか。

 サドルを上げる許可を取って自転車に触れる。何か違和感があるが、他人のものを扱おうとするのだからこういうものだろう。

「アンタ足長いのねー羨ましい。乗ったら速いでしょ」

「そっちかよ」

 変な茶々が入ったが丁度いい位置まで椅子を調整できた。一回触ったんだから、今からでもいいだろいう話になって。俺が自転車を押して坂道を降ることになった。

 確かに、結構な急勾配だ。美代が手を滑らせて自転車壊しましたじゃ話にならない。怪我だってするはずだ。俺がやった方が安心だろう。

 サドルい腰かけてハンドルを握る。荷台の中には重箱を包んだ風呂敷が入っていて、やっぱり俺が動かしてよかった。

 スタンドを上げると、弾けるような金属音がした。

「わ」

「ん」

 音は足元でした。何かが落ちてきたか転がってきたのか。屈んでみると自転車のチェーンがギアから外れて垂れ下がっていることに気づく。

「すまん」

「悪いなんて思ってないわよ。手荒く扱ってるならとっくに取り上げてるんだし」

 脱輪しているなら少し時間がかかるが直せる。が、できなかった。チェーンが切れている。繋げる小道具は持っていない。

「ここじゃ直せないな。場所だけ教えてくれりゃ、あとは一人で行くよ」

「今更そんな他人行儀なこと言わないで。って、なにしてるのアンタ」

「垂れたままだと危ないから片付けてんだ。汚れは洗濯すりゃ落ちる。手に持つのも危ないんで荷台には入れちまうが、安全とか衛生を考えろよ」

 外したチェーンをハンカチに包んでしまう。さよに会うための一張羅は汚したくなかったからハンカチで我慢してもらった。破れるかもしれないが。

「使えない自転車を今更家まで運ぶのも疲れるわ。置いてって、明日取りに来る」

「無理すんなよ。すっ転んでも、担いでやったりはしないからな」

「ちょっと縁起でもないこというのやめなさいよ。だいたい、自転車持ってるアンタならともかくこの私が」

 美代のやつ、言い終わる前にすっ転びやがった。

 舗装されていない坂道で頭から落下したから肝が冷えた。うまいこと受け身を取ったようでだ。目立った怪我はない。足をやったのか美代はなかなか立ち上がらない。

「言ったそばから転んでんじゃねえよ。悪いけど自転車は置いてくぜ。どっちもの面倒は見てらんねえ」

「心配してんなら素直に言いなさいよ。足釣っただけだから、放っておけば治る。ササっと紙に書いとくから。行っちゃいなさい。って、ちょっと」

「うるさいな。食後の運動がしたくなった。付き合えよ」

 ヤワな造りの体にはならないようにしてきたつもりだったが、背負った美代の身体は想像以上に軽かった。投げ飛ばしたり、叩きつけたり、人体の重みを感じることはたくさんあったはずだ。

 なのになぜか。背中で支えている美代の身体は軽くて、小さくて、不安になりそうなほど華奢だった。

 さよがあの時に泣いたのは。たぶん、今の俺と同じようなことを感じたんだろう。俺よりずっと優しかったろうから、耐えられなかったんだと思った。

「そういえば。坂の途中に栗が植わってるの。気づいてたかしら。戻るときには食べましょ」

「あぁ。丁度いいな。どういう気分だった」

「食いしん坊」

「どっちが」

 穏やかな会話というものは本当に久しぶりだった。疲れているのか、気が緩んでいるのか、両方なのか。どちらかは知らないが、意味も目的もない会話を爺さんとさよ以外でしたのは数年ぶりかもしれない。

 ぺらぺらと喋る奴は苦手だし、喋ることも好きじゃない。だが、今はそれを楽しんでいた。

「ねえ、気づいてる」

「お前もか。道はわかるんだろ」

「一回休みましょ。これ以上は危なっかしいのはごめんだわ」

 いつの間にか霧は深くなっていて、手を伸ばしたすぐ先ですら朧に消える。

 チェーンが外れて、美代が転んで足を釣り、霧まで濃くなってきた。

 うまく出来過ぎている。お互い心当りはあって、だから口には言えなかったが。

「傘とカイロくれるなんていきなり気が利き過ぎじゃない。ジャケットも暖かいし降

「シート敷いとくから休んでてくれ。すぐ戻る、ありがとうな」

 美代が何か言ったのが聞こえたが、無視して坂道を駆け降りる。

 美代も美代で。亡くなった姉に伝えたかったり、聞きたいことがあったのかもしれない。家族としてはそっちの方が普通なんだろう。たぶん。

 けれどこれは。俺とさよの。俺たちの問題だ。

 だから都合の良すぎることだって起きるんだろう。

「さよ。今行く」

 向かうべき場所はもうわかっている。


 爺さんの家の裏山を進む。何年も来ていなかったが、いざ足を運んでみると身体が覚えている。

 さよと俺が最後にあったあの川辺。季節が過ぎていて、もう彼岸花はみられなかった。目印をあてにするなら不安だろう。

 でも、さよと山ブドウを食べて、栗を食べる約束をしたのは確かにこの場所だった。

 ライターから抜いたオイルで着火した焚火を眺める。途中で拾った栗のイガを踏んで中身を出す。穴がないのを選ぶ。爆発しないようにナイフで切れ込みを入れた後アルミホイルでくるむ。手をかざして暖かいくらいに火が落ち着けば、栗を入れるにはちょうどいい温度だ。

 包んだ栗を薪に投げ入れた火花が彼岸花に一瞬見えた。あとは二十分ほど栗が焼けるのを待つしかない。

 焚き木の弾ける音がする。

 ナイフで作った栗の切れ込みから空気が漏れる音がした。

 霧はますます濃くなっていて、焚火の光がなければここがどこかもわからなくなりそうだ。

 

 焚火の中の何かが弾けた。音と火花に驚いてのけぞった後一息つく。疲れているのに焚き火をしていれば気が緩むのも当然か。うっかり山火事を起こしたら冗談にならない。

 もう火を落として、栗には余熱で通そうと思って気づく。

 目の前にあるはずの焚き火がない。火が燃えているはずの場所には彼岸花が咲いている。それも一本二本じゃない。辺り一面に敷かれたように彼岸花が咲いていて、生育できないはずの水面からも茎が伸びて咲きほこっている。

 立ち上がってどこにきたのか確認しても、霧の中では何も見えない。

「お久しぶり。大きくなったね」

 懐かしい声。背中を指がなぞる感覚。振り返らなくても、声の主が誰かは既にわかっている。

「筋肉かな。なんかみっちりしたね。元気になったと思う。顔も見せてよ。せっかくここまで来てくれたんだし」

 さよが俺の顔を覗きにきた。声も。顔も。匂いまで。忘れていたと思っていた記憶がよみがえるほどに、生きていた頃そのままのさよが俺を見つめていた。

 だからこそ。会ってはいけない人間に、俺は会ってしまった。

 さよが幽霊になって出てきたのか。俺が生きたまま三途の川まで来てしまったのかは知らない。目の前にいるさよのことを、恐ろしいともおぞましいとも思えないことは確かだ。

 霧に囲まれ、季節外れの彼岸花に一面が覆われている。ありえないことだということしかわからないこの景色だって、穏やかで不思議と心地いい。

 さよがまた何かを言い出す前に、俺のほうから話しかけた。

「さよ。謝りにきたんだ。そりゃ、こうして喋れるとは思ってなかったが」

「お母さんのことでしょ。気にしてない。わかってたから」

「それだけじゃない。さよに本音で話さなきゃいけない時、わかっていたのに、逃げたんだよ俺は。嘘までついてな」

「いいよ。たぶん一生で初めてついた嘘でしょ。許してあげます」

 さよの顔は微かに笑ってすらいて、泣くこどもをあやしているような調子だった。

 何年も恥じ、今に至るまで後悔し続けた。そんなことをなんということもないように扱われたことが、許されること以上の救いに感じた。

「自分が初めてついた嘘のことなんかもう覚えてないし。真面目に大きくなったんだなってちょっと感動してる。それにあの時、実は嬉しかったんだよ」

「なんで」

「嘘をつかれるくらい身近な存在になれていたんだってことだから」

 嘘をつくほど誰かと関わろうと思わなかった。邪魔をするやつ。鬱陶しいやつ。そういう連中を遠ざけて過ごせば嘘をつくことはない。

 今だって嘘をつくくらいなら黙って泥を飲むことにしている。が、嘘をつかないでいいように一人で生きること。嘘をつかないように決めて過ごすこと。外形は同じでも、やっていることは別だろう。

 どういう変化をしたのかはわからないが、さよのもたらした変化なら納得できる気がした。

「すっきりした顔してるね。あっさり済ませちゃったけど。拍子抜けとかしてない」

「こんなもんだろ、終わりなんて」

「よかった」

 微笑んでいるさよの顔はどこかに違和感があった。何かを隠しているような。言い淀んでいるような。

 確信があるわけでもないし、うまく説明もできない。黙って言葉を呑みこみ続けてきた俺だからわかる。

「その、私の未練も聞いてもらっていい」

「さよみたいに、あっさり済ませられると思わないが。付き合う」

 抱えているものを吐き出させるべきか。決める前にさよに言われてしまった。なら、どんなことでも受け入れてみせる。できるかはわからないが、そういう気持ちで言葉を紡いだ。

 さよもあの時のあの場所にずっと抱え込んできたものがあったのか。嘘をついても怒らないどころか、むしろ喜んでいた。そんなさよが何を未練にしているのか。

「私の未練はね。巽くん。あなたを傷つけてしまったこと」

「嘘をついたのは俺だろう。それで俺がどう思ったって、さよには」

 さよの指が唇に触れる。さよは首を横に振ってじっと耳を傾けるように促されるようだった。

「嘘にも使い方があるんだよ。あの時の嘘は、誰かを傷つけるための嘘じゃなくて、自分を守るための嘘」

 嘘に違いはない。嘘は嘘だ。どっちが悪かろうが、手を出して殴り合った時点で両成敗だ。嘘も同じ。取り繕おうが、訂正しようがついてしまえば同じだろう。

 時間は戻らないのだから。

「嘘をついて自分を守れることもあるし、認めたくない現実もある。生きていくなら嘘だって必要だと思う」

「そんなものなくったって、俺は今日まで生きてきたし、今ここにいる。だから」

「嘘つくの嫌いになっちゃったんだ。でもね。嘘をついてまで守ろうとしている何かができたなら、見守ろうと思ったんだ。ちょっとくらい後ろめたいことするのも経験だし」

 とんでもないことを言い出したな。こういう考えをできるから性にあったのかもしれないが。

「いきなり貰っちゃうより、少しの間離れる方がいいと思ったんだ。色んな経験とか勘とか磨くべきかなって」

 そのまま村に残った自分を考える。さよについて行った未来が想像できなかったから、どちらが幸せかはわからない。

 離れた方がよかったとは胸を張っては言えない。

 さよが言うように、今日までの俺が得たものがお互いの為になるかもわからない。むしろ、ないと言ったほうが正しいような気さえする。

「でも、私ったら死んじゃって。何もしないまま。それっきりにしてしまって」

 ごめんなさい。と、さよはか細い声で謝罪を繰り返す。小刻みに震えるさよを見て、あの時抱きしめられた俺の写し姿だったのかもしれないと感じた。

 昔はなんで泣いているのか、わからなかった。そして、今はどうやって涙を止めればいいのかがわからない。

 俺の中のわだかまりをとかしてくれたのだから、俺も何かをしてやりたい。俺が何年も苦しんできたのと同じだけ、さよは泣いてきた。目の前の涙が許せないのではなく、ただ癒してやりたくて。

 慰めようとしてさよが抱きしめたのを思い出す。真似をしてみたが、力加減もわからないような抱擁ではなんの慰めにもならないようだった。

「ずっと。ここにいようよ。そっちは辛いことばかりだよ。きっと」

「だろうな。これからもそうだって思う」

「お母さんがいる家じゃなくて、私といよう。彼岸花も綺麗だし、いつまでも二人きりだよ。邪魔なんて入らない。ずっと我慢してたし、させたぶん、もう遠慮しなくていいんだよ」

「悪くないかもな。あいつ、男作って出てったし。一緒にいて不幸なら、どっちかだけでも笑って過ごせるほうがいい。なんて思ってた。俺だって同じかもな」

 親として感謝をするほど大人にはなれないが。別に不幸になって欲しいとも思っていない。

 さよは辛い道を選ばせてしまったと思っているようだが、踏ん切りをつけられて感謝している。おぼつかなかったが、俺の気持ちは伝えられたと思う。正直ドン引きだと驚かれて、泣かれたけれど、間違いじゃなかったんだとは伝えられた。

 それでに涙を止められなかったが、だいぶ落ち着いてくれたようだった。

「大きくなった君と、そのままの私がここにいる。きっとここは私たちの満願成就の彼岸なんだと思う。だから、あとは笑ってのんびり過ごそうよ。ずっと」

 薄桃色の唇が言葉を紡ぐ。さよの泣きはらした顔をじっと見つめて考える。

 俺たちが描くことすらできなかった奇跡が今、起こっている。さよのいう通り、確かにここは満願成就の場所で。

 今度こそ、俺は自分の心を、自分の言葉で伝える時だ。やり直すためじゃなく、今目の前にいるさよのために。

 さよの背中に回した腕をほどいて、肩に触れる。

 離れたくない。離したくない。だからこそ、続く言葉に意味がある。

「さよ。俺はここにはいられない」

 沈黙。


 撤回したいという言葉を?み込むのに必死で舌が回らない。膝から崩れ落ちそうになったなさよをもう一度抱えて、深呼吸をする。

 ふたりの気持ちが離れたわけじゃない。ここにいれば幸せだとわかっているし、向こうにいっても何かいいことがあるわけでもない。

 でも。それだけに。ここにいるのならお互いに納得するべきだから。

「さよがいたから幸せっていうのが存在するってわかったし。どういうものか理解できた。出会えてよかった。本当に感謝してる。これからも、きっと、永遠に」

  

「だから。一個くらい自分で見つけたいんだよ。俺もさよをし幸せにしたいから」

 言葉にしてしまえばこんなにも呆気ない。

さよは俺に色々なことを教えて、自分でも知らぬ間に俺を満たしてくれた。それでも今の自分には足りないものがある。数え上げればきりがないほどに。これでは釣り合わない。対等じゃない。もっといい未来が描けるはずだと胸を張っていえるから。

さよが与えてくれたもの以上の存在になったと。双方思える自分になって。堂々と幸せになってみたい。

我儘だとはわかっている。だけど、さよを想うほどに絶対に譲れないものになっていく。

「欲張りになったね。期待してもいい」

「約束する」

 さよに可哀そうだと慰められていた頃からは、期待されるくらいの人間にはなれた。あとは考えもしなかったような何かをみせてやればいい。

 きっとできる。やってみせる。

 辺りを白く覆っていた霧が晴れる。

 俺たちがいたのは足元に一面の彼岸花が広がっている黄昏の川辺で。赤い夕陽と深紅の彼岸花が、黄金に照らされた空気の中で眩しいほどに輝いていた。

 俺の後悔とさよの未練。同じ場所と同じ時間で互いを想ってきた。そしてこれから、この場所でお互いを思いながら同じ未来を願う。

 さよにどんな言葉を選べばいいのか。口にしようとしたけれど腹の音が鳴った。俺たち以外にはほかに誰もいない。抱き合っているから震える胃の動きすら伝わってしまっている。

 なんとか取り繕おうと思ったが、ごまかしにもまだ慣れていない。

「お腹。減ったんでしょ」

 くすくすとさよは笑っているがバツが悪い。泳ぐ視線が、一筋の煙を捉えた。火元は石で囲ってあるのは俺が焚き火をするときのやり方だ。

「焼き栗。作ってきたんだ」

「覚えてくれてたんだ。今度会う時、一緒に食べようって」

「ほら、向こうの岸に煙立ってるだろ。あん中にある。取ってくるからさ。ちょっと待っててくれよ」

「うん。気をつけてね。いってらっしゃい」

 沢を越えるのに濡れる必要はない。一飛びで越えてしまえるから。足に踏ん張りをいれつつ、さよの方へ石が飛ばないように少し離れる。

「いつかの未来が、もう昨日のことになっちゃうんだね」

 浮かんだ身体が地面に向けて落下を始めた瞬間に、さよは確かにそう言っていた。

 

 受け身を取るまでもなく、音もたてず、俺は着地した。

 たき火はすっかり火が落ちていて、僅かに煙を立ち上がらせているだけだった。中にある栗は余熱でしっかり火が通っているころだろう。美味しく、仕上がっているはずだ。

 軍手を嵌めて栗を拾う。封を開ければ香ばしい水蒸気が立ち上ってくる。上出来だ。

 ふたりで食べるには不足するだろうが、それでも一緒に食べたいと思う。出来上がった栗を見せようと振り返ったが、対岸にはもう彼岸花は咲いていなかった。


「ちょっと冷めてるけど美味しいわねー。このぽくぽく感っていうの。お芋じゃ楽しめないし」

 結局、俺は戻ってきた。さよといた場所があの世なのか彼岸なのかはわからない。寝ている間に見た夢といわれても否定はできないだろう。

 でも、それでもいい。

 死んだ人間へできる最大の供養は今を生きる人間が立派に生きることだ。と美代は言っていた。死んでしまえばもう相手に何をすることもできない。思い出は懐かしむ程度にとどめて、歪めないように、縛られず今を生きるしかないのだと。

 だとするなら、俺がさよにできる供養はきっと自分だけの幸福を見つけることだと。

 自分の見つけられた幸せで誰かを幸せにできたとき。俺はさよにもう一度会う資格を手に入れられるのだと思って生きる。

 とりあえずは、怪我人の自転車を運んでやるところから始めよう。

「アンタも食べなさいよ。お腹鳴らしてるんだから。皮くらい剥いてあげるのに。ほら、あーんしなさい。あーん」

「俺はお前の自転車引くので忙しいんだよ。わざわざ」

 開いた口に栗が放り込まれる。なんとなくわかっていたが美代は明らかに大雑把だ。皮を剥けきれていなくて栗が少しえぐい。

 さよと食べる栗は一体どんな味がしたんだろうか。

 秋晴れの夕焼けを眺めて、美代の声に掻き消されてしまいそうな鈴虫の音を聞いて考える。

!!!僕はおねショタが大好き!!!


産まれて初めてギャルゲー姉ルートみたいな話が描けた。

前回が男祭りだった反動か。

推敲がとても大変だったが、学ぶものも大きく、次に生かせるだろう。


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