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火垂灯の孤哀  作者: 仲奈
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ぼくのソネットⅡ

 電車は走り続けている。


 ふいに車両間のドアが開いて、思わず眉を顰めたくなるような身なりの男が入ってきた。薄汚れただらしない服装で、骨と皮だけの腕には缶ビールと競馬新聞がぎゅうぎゅうに詰め込まれたビニール製のレジ袋をぶら下げている。男はいまいち焦点の合わない視線をそのままに、全身の血がアルコールで出来ているのではないのかと思えるほどの臭いを辺り中に漂わせながら、ふらふらとよろめきつつ僕の目の前を横切っていった。体が小さく老人のようであったが、本当はもう少し若いのかも知れない。他の乗客たちも、あからさまな嫌悪の含有された視線で彼のほうを見ていた。その男はぼんやりとした表情のままどこを見るともなしに視線をうろつかせては、また次の車両へと進んでいった。その両の乗客みんなの強張っていた顔がほっと緩む。


僕は目を瞑り、黙って眉間に皺を寄せていた。この密室空間に充満した酒の臭いは、当分消えることはないのであろう。頭の奥から鈍く痛みが生じだす。

都会に来てからまず驚いたのが、その臭いたちであった。どこに行ったって何かしらの異臭が鼻につくのだ。たとえば排気ガス、きつい香水の匂い、エアコン、コンクリートや生ゴミ、それからアルコール。僕はそれが大嫌いだった。最初はすぐに気分が悪くなってしまって、大変につらかった。慣れてしまえば、別に取り立てて大したことではないのだけれど。今ではもう既に、なんとなく、息が詰まる感じを覚えるくらいのものだけだ。

脳髄にまで酒の臭いが染み込んでくるような気がして、僕はどうにかそれらのものたちから気を逸らそうとした。何故だかそのときは、そうでもしないと気が狂ってしまいそうだったからだ。


 元素記号、スイヘイリーベ、水素H、ヘリウムHe、リチウムLi、ベリリウムBe、ホウ素B。頭の中に浮かんでは消えていく教科書の中の文字列。それらを無機的に脳内で繰り返して、やがて自嘲の笑みを浮かべている自分に僕がようやく気づくことが出来たのは、降車すべき駅に電車が停車しようと減速し始めてからのことであった。

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