校門前で彼女を待っているフリをしていたら、美少女にお待たせって言われた、お前誰だよ
終業のチャイムが鳴ると、のんびりと帰る支度をしているクラスメイトなどを尻目に、教室を飛び出す。それもう、土煙のエフェクトが目に見えるかのように。廊下で屯しながら別のクラスのショートホームルームが終わるのを待っている邪魔者らを掻き分けて、先を急ぐ、それはもう韋駄天。
行き先は、ひと駅隣にある名門私立女子高校だ。
その前に、最寄り駅の公衆トイレに入って、着替えを済ます。まず、微妙に色あせた学ランの代わりに、グレーのブレザーを羽織る。鏡の前で赤と黒のチェック柄のネクタイを締めて、目にかかるほどの長い前髪を上げて、整える。最後に黒縁眼鏡を外して、コンタクトに付け替えた。これで、僕は完全に別人。近所の私立男子高校の生徒になり変わった。
トイレを出た僕は、胸を張って女子校まで歩いていく。途中、何度か女子高生とすれ違った。そのたびに、彼女らは僕の容姿を見て、騒ぎ立てる。僕は彼らの様子を見て興奮しながら目的地に意気揚々と進んでいく。
この通りの突き当たりに、いかにも中世ヨーロッパ的な、城のような建物が見える。それが、私立緒条学園女子高等学校の校舎だ。
その正門を出たすぐ左の塀に背をもたらさせて、軽く脚を組み、ポケットに両手を突っ込めば、準備完了だ。時計を確認するのと同時に、後方から鐘の音が聞こえた。終業の合図だった。
数分後、ぞろぞろと帰路に着く女子高生たちが僕の前を通り過ぎていく。女子高生たちは、僕の姿を見ては、ヒソヒソと、しかし興奮気味に僕のことを話題にするのだ! ふふふ、噂しろ噂しろ。
僕はこの学園に通う女子高生と付き合っているという設定で、その彼女の帰りを甲斐甲斐しく校門前で待っているという設定だ! これから放課後デートにでも行くのかなあ、なんて噂しろ噂しろ。
「お待たせ。ごめんね、先生のお手伝いしてたら、遅くなっちゃった」
ふふふ、今日も女子高生の視線が気持ち良いなあ。
「先生ったら、私に手伝いを頼んだ仕事自体を忘れてて、私が先に始めて……」
はあ、僕のこと見て見て、僕がミステリアスな彼氏でーす。
「ねぇ、聞いてるの? 遅れたことはちゃんと謝ったのに、そんなシカトまでしなくてもいいじゃない」
「ヘヴンッッ!?」
まず、良い匂いがする。チラリと視線を向ければ、そこは天国か。愛らしい顔面が間近に接近中だった!!
おっと、これは緊急事態。俺のテントが天元突破しちまいそうだぜ。
腰を後ろに引きながら、その女子高生の頭を撫でてやる。
「よしよし、ちゃんと謝れて良い子だ。ちょっとばかし遅れたことは許してやるさ、別に気にしていないからな」
いや、ここは、自分も今来たばかりだというのが正解だったのかしらん。知らん知らん。俺はずっと待ってたのだ、今この瞬間をッッ!!! 今まで入学してから一年半この時を待ち続けた! 俺は、この瞬間を迎える為だけに生きてきた、いや生まれた! もう俺を天国まで連れて行け!
いやあ、それにしても良い匂いだし、誰だよこいつ。
とか考えている間中、俺は無意識に彼女の頭を撫で続けていたのだが、その毛並みの心地よさが半端じゃない。なにこれ、絹? 絹豆腐、は関係ないか。
彼女は少し俯きがちになって、頬を赤らめながら、目を細めて気持ち良さそうな表情をしているが、ちょっと従順さが剥き出しすぎて、むしろ恐怖を感じる。何しても怒らなさそう、というのは、俺をどこまでもぶっ壊しにくるブルドーザーのような獰猛さを感じさせる。恐ろしく怖い。やばい、どうしよう。逃げられない。俺はどこまで大きくなっちゃうんだ?!!
彼女の髪の毛を撫で続ける手が、止まらないッ!!! あああああっ!!! 摩擦熱で手が千切れそうだあっ!!!
暑い、暑すぎる。俺は空いた方の手でネクタイを緩める。もう日はすっかり暮れ、下校時刻も過ぎに過ぎた今、校門付近に人通りは皆無。この暗闇の中に頭を撫で続ける男と撫で続けられる女が、熱い視線交換を取り続けている。
女の髪の毛は、俺の手汗によってヨレヨレに曲がりくねりながら、掌に張り付く。柔らかな細い髪は時折ナイフに姿を変え、俺の指を裂いた。あっ、と声を上げながら俺は咄嗟に手を引いてしまったのだが、すぐさま反対の手で頭を撫で始める。撫でる手は絶対に止めない!
傷口からぷっくりと膨れた鮮血を見詰める彼女は、不意に、それを指ごと口に加える。
「ヘヴンッッッ!!!!???」
天国は、ここにもあったのか! 生温かくて、ねっとりと感触が俺の指先を包み込む。
「しゅぽぽぽぽぽぽぽぽぽ」
す、すごい吸引力だッッ!!! 血管を流れる血液が次々に吸い出されていくッッ!!!
まずいぞ、指の関節が痛み始めてきたが、彼女の吸引はとどまるところを知らないッ!!! それに伴って、俺の頭撫で撫でも加速していくッ!!!
「しゅぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぼぽぽ」
「シャカシャカシャカシャカシャカシャカ」
「あああっ! あっ! いくいく、いくうっ!!!」
「スポンッッッ」
間の抜けた音と共に、指にかけられていた圧力が落ちる。ゆっくりと指を口外に引き抜くと、夜風が当たってひんやりと冷たい。そして、何かが足りないと思って顔に近づけて見ると、ビチャっと、顔面に生暖かい液体がかかる。
「いでああええええええええええ」
血だ。
「ごちそうさまです♪」
彼女は唇の端についた血液をぺろりと舐めとる。
無い!!! 俺の、人差し指の、第二関節から先が、無い。だから、血が吹き出してやがる。こいつが吸い込んだからだ、俺の大事な人差し指の第二関節から先を。
「うッ、うううッ」
唸る俺は患部を左手で握り潰すように必死に抑えながら、歯を食いしばって彼女を睨みつけた。もう2度と撫でてやらないからなッ!! とでも言うように。
「え、こわい」
彼女は2、3歩退きながら、両手をぎゅっと握りしめて顔の近くに寄せた。今にも泣き出しそうな顔だ。
「おい、待てよ」
本当に泣きたいのは俺の方だ。
彼女を追うように、不意に差し出した右手に痛みが走る。まだ温かい血が、手のひらを這いながら、滴り落ちる。
「もう一回」
気づいたら、そう呟いていた。
「え?」
「もう一回、吸ってくれよ」 彼女に一歩近づく。
「え、ちょっと、無理なんですけど」 身体を捻って、のけぞるように退いていく。
「別にいいでしょ。もう一回くらい。キミ、減るもん無いでしょ? 減るのは俺の指だけなんだし」
「いや、そういう問題じゃないっていうか。気持ち悪いし」
「ていうか、キミって、呼び方、キモいよね。名前、何ていうの?」
「いや、別にいいでしょ、なんでも。キミでいいですよ。ていうか、近寄って来ないでください。ほんとに気持ち悪いです」
「えっ、キミちゃんっていうの? へええ、すごいね、なんか、たまたまなのにね、へええ、キミちゃんかぁ」
「違いますけど、まぁ別に何でもいいですけど、だから、もう近寄らないでください。これ以上は警察呼びますよ」
彼女はバッグの中を探り始める。
「ここだよ」
ベージュ色の皮のカバーが装着されたスマートフォンを指先で挟んで、ぴらぴら。数滴、血が飛んだ。
「なっ」
「どうだい。びびったかい。キミちゃんが僕の人差し指に夢中になっていた間に取ったんだ」
「……気持ち悪い」
彼女はそう呟くと、完全に背を向けて、ツカツカ歩き出した。
ばわわわわわわわわわあああん。ぼわわわわわわわわああああん。ぼわわわわわわわあああああん。しばらく、その後ろ姿をみて呆然とした。
この俺に向かって背を向けて良いと思っているのか? この後、後ろから何されるかわからないのに。
そもそも、スマホが惜しくないのか?
「ねえ、ちょっと待ってよ!!」
肩に手をかける。
「やめてください」
「ねえ、スマホ欲しくないの? 返してほしくないの?」
「いりませんよ。そんなごみ。あなたの人差し指さえあれば十分、やっていけますから」
「えっ? 何言ってるんだよ。スマホだよ? このスマホがあれば、キミちゃんは警察を呼ぶことができるのに」
「警察呼ぶのに、必ずしも通報をする必要がありますか? いま私が叫べば、大通りにいる人が気づくでしょう。これ以上の接触は諦めてください」
「そんな……」
彼女は突然自らの口に腕を突っ込み、内部から何かを取り出した。ぐちゃぐちゃに濡れた手のひらの上には、俺の人差し指が転がっていた。
指はみるみると、風船のように膨張して、真っ赤な球体が、彼女を覆い隠すようにして前に現れた。
球体は音もなく破裂したかと思うと、薄い破片がすぐさま空中で形を変えていき、次の瞬間には、2メートルほどの赤い鼠が座っていた。
鼠は私に一瞥もくれず路地の暗い方へと駆けていった。鼠が見えなくなって、その足音も聞こえなくなってから、私は出来るだけ高い声で叫んだ。大通りにいる人間が気づくくらいの高い声で。