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終焉の烙印 ーThe stigma of the endー  作者: 亜貴 千翼
堕落した少年のギルド運営
3/11

アーナス

ヴァリストン家の中庭で行われているやり取りを見物している兄弟姉妹たち、使用人たちが、各々、口元を隠しクスクスと笑っている。止めてくれるような人はここにはいない。


ーー見慣れた光景だ。


誰も僕を助けてくれない。悲しいことだがこれが現実でいつもの事だった。


その集団の中で他の人たちと違い、何も言わずにじっとこちらを見つめる、僕と同じ黒髪・黒目の少女がいる。

笑っているものがほとんどの異様な空気の中で、真っ直ぐな視線を送る少女を見つめ返す。


ヴァリストン家の三女で15歳のジュリアという、同じ母を持つ僕の姉だ。


姉弟仲が良かったかと聞かれれば、物心がついた時から他の兄弟たちと同じく、彼女に弟らしい事をしたことは一度もない。話を交わした事もない、だからどんな人かも知らないと言うのが答えだ。


ーーーー話したことがない


それは他の兄弟たちにも共通するが、僕はこの中で貴族であって貴族ではない。父が出した僕に対する扱いだ。


僕は生まれた時から、この屋敷という狭い世界の中で誰よりも下なのだ。

それは、屋敷に勤めるどの人よりもである。


執事、調理師、メイド、庭師、色々な職の使用人たちがこの屋敷で働いているが、生活でのストレスなどの鬱憤の捌け口に、兄弟同様、使用人たちからも数多くの暴行を受けてきた。僕を殴る蹴るの暴行を繰り返し、スッキリした顔で離れて行く姿は、兄弟も使用人も人の皮を被った獣のようだった。


僕は兄弟だけでなく、彼らのストレス解消のおもちゃでもあるのだ。


屋敷に部屋も与えられず、馬小屋で睡眠をとり、食事は使用人たちの残り物やゴミを漁る毎日を過ごす。で、目があえば暴行を受ける。


これが僕の過ごしてきた、ここでの当たり前の日常だった。


僕を殺す事は当主である父の意向で許さなかった為、いつも身体に傷を作ってはいたが、これさえ我慢すれば「食」や「住」を考えなくてもいい。ずっと、そんな風に思っていた。


幸い食事に関しては公爵家という事もあり、良いものが手に入る環境ではあるし、睡眠も人の嫌な部分を見てきたせいか、馬など家畜の方が自分に親切だとさえ思う。暴行は最初、「痛い」や「怖い」という感情があったが、ある歳を境にその感情も(なり)を潜めた。


その役割があったからこそ殺されずに、今まで生きながらえていたのかも知れない。


ただ、思い返しても今まで、姉であるジュリアにだけは暴行を受けたことがない。しかし、冷たい目で見つめてくる彼女は、僕を心底恨んでいるだろう。


自分にどうして母親がいないのか?


そんなことを考えれるようになった時に、彼女に対しての罪悪感が僕の心を蝕んだ。


母は僕が生まれた時に命を落としている。


理由は僕が世間一般でなく特別だったから…………。


特別と言っても良い方の意味ではなく、悪い方での特別だ。


僕の左眼の中には見た事もない、訳のわからない《紋章》があった。

生まれてすぐに調べてもらったらしいが、どの文献にも載っておらず、教会の関係者たちにも紋章は不明という結果だった。

しかも、その紋章は半分に欠けている、欠損している《欠落紋》であり、それは咎人として扱われる忌まわしいもの……。


《欠落紋》と言うのは、先ほど述べた、この世界の階級の構図の中で、最も忌み嫌われるものである。


《紋章》ではなく、《烙印》だと、笑うものがいるほどだ。


咎人、犯罪者……何もしていなくても【スティグマ】と呼ばれ、人々の最底辺に分類される。

欠けた状態で紋章が出現すると言う事は、「まともではない」と言う事らしい。

それは神の逆鱗に触れた犯罪者、あるいは神の信仰に仇をなすもの『神の敵』と考えられているから。


この事が発端で、僕の生まれた年に当時、伯爵家だったヴァリストン家は大いに揺れた。

父は勿論の事、義母たちや家人が、今すぐにでも僕を処分する勢いだったという。


そんな僕を救ってくれたのが、実母のミーシャだった。


何故かこの年、同じくして皇帝陛下よりヴァリストン家は公爵の地位を頂き、伯爵位から公爵へ異例の出世になる。今ではこの皇国の貴族の頂点にまでのし上ることになった。


これら全てが、母の命と引き換えにという流れで…………母は僕のせいで命を落とした。


…………僕は母のおかげで、10年の月日をここで生きる事が可能になった。


姉の僕に対するあの目は当然のことなんだろう。あの日、母の命を奪った生まれてきた僕を、彼女は許せないだろうと幼いながらも姉の態度を納得した。



「構えろ!! アーナス!!!!」


痺れを切らしたハイネルが叫び出した。


こうなっては仕方がない。僕は身の丈以上ある大剣に手を伸ばした。そして正面にハイネルを捉え剣の切っ先を持ち上げる。

重い剣は僕の筋力ではどうする事もできない。構えるのがやっとでプルプルと震え、その都度に上下運動を繰り返す。

10歳の子どもには持ち上げるだけで精一杯なのだ。


揺れる剣先の向こうで、口角を吊り上げニヤリと笑うハイネルがいる。


ーー導き出される答えは一つ、こいつは僕を斬りたいのだ。


「では、始めるぞっ」


と言った瞬間、目の前にいたハイネルの身体の周辺に青白い光が灯る。スキルと呼ばれる武技の発動だ。

《剣の紋章》を持っているハイネルには、その剣技スキルに補正がかかり一般人以上の能力が加算されるはず……。


だが、ハイネルとの剣の間合いに入っていないっ! 今、間合いの外に僕はいる。


距離にして15mほどの間合いを問題視しないスキルだろうが、剣を振るう動作に対応できれば反応できるはずだ。

…………正直、大丈夫だと思っていた。


ーーーースッ!!!!


ハイネルの身体が霞む。

グッと歯を食いしばり、その力によって擦れる音が口から漏れる。ハイネルを認識できた瞬間に半歩でも後方に下がれば躱せる……。

しかし、僕が気づいた時にはハイネルは距離を詰め終わり、下段から剣を凄まじい勢いで斬り上げてきた。


警鐘を鳴らしていた身体はわずかに反応するが、剣の重さで思うように僕の身体は動かない。


ガスッーーっと鈍い音が辺りに響く。


しっかりと握っていたはずの僕の手から剣が溢れた。先ほどまで握っていたはずの大剣は姿を消したのだ。


残ったのは剣を構える姿勢のままの状態で、何も持たない左手と思考停止した僕。


音のした地面をよく見てみると、落ちた大剣の柄を握り締めてる自分の腕が付いていた。


そこでようやく気がついた。僕は肩口付近から右腕を斬り落とされたのだった。


ーーーー痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ!!!!!!


色々な暴行を受けてきたが、これほどの痛みを今まで味わった事がない!

止まっていた思考が『死ぬ』という言葉を、高速で頭の中を書き換えてゆく。


血が溢れ、地面を赤く染めていく様を見て、過去に一度は断ち切ったはずの『恐怖』の感情が開いてくる。


「ふむ、アーナス……反応は良いが、身体が付いていけていないな。

今のは《疾風斬り》という、剣下位のスキルだ! これくらい躱せないようでは今後やっていけんぞ!」


良い笑顔でハイネルはこちらに話しかけてくる。


「次は《段斬り》という……これも剣下位のスキルの一つだが、使う人間は多い。見ておけばお前の役に立つだろう…………さあ、構えろっ!!」


逃さないといった圧力を僕に向けながら、ハイネルは満足そうに、また剣を構え直した。


「そうそう、折角、私が贈ってやった剣はどうやらお前には荷が重いようだな。持てない剣をくれてやるのは失礼だからやめておく。 ……私の品性が疑われてしまうからな!」


「さて、残った左腕も斬り落と……いや、違うな。

旅立つお前の為に、これは世界は甘くないという兄からの最後の教えだ!」


斬られた痛みと自分の大量の血を見て、僕の思考はうまく働かない。あろう事か、この男はまだ左腕さえも斬り落とそうとしている。


ーー僕が生まれたことには意味があるんだろうか?

ーー僕に真面(まとも)な紋章を授けなかった、出来損ないの神にも意味があるんだろうか?


僕は世界の全てに失望し、ガクッと力なくその場で膝から崩れ落ちた。


「えぇい! 起たんかっ、アーナス!!」


ハイネルの怒鳴り声を打ち消すかのように、ジュリア姉さんが慌てた様子で報告する。その姉さんの言葉で少し希望が持てた。


「ハイネル兄様! ノワール皇子殿下がお越しになられています。すぐにおやめください」


ノワール皇子はこのラーゼフォン皇国の第3皇子で、ジュリア姉さんの婚約者であるが、ハイネルにとっても自分の出世に関わる重要人物だ。聞いた話によると6歳離れた年下の皇子に媚を売り、騎士団への入団や父の計らいもあるが、自身の輝かしい未来の為に色々と画策しているようだ。


この皇子の来訪は僕にとってはありがたい。この状況を終わらせれる確率が出てきた。

この状況を皇子に知られる事は、ヴァリストン家としてもハイネル本人にとっても良くないということを理解したのか、チッと舌打ちして僕に近づいてくる。


そのまま手に持った剣で、あの忌まわしい紋章の宿る左眼をスッと斬り裂き、嘲笑いながらやりたい事はやったと満足したように剣を鞘に戻した。


「命拾いしたな、アーナス。殿下の前で、貴様の血に汚れた屋敷を見せるわけにはいかんからな。

……元気に暮らせ。まぁ、生きていたらの話だがな」


後方を振り返り、見物していたヴァリストン家の面々の中から、執事のオービスに指示を出す。


「オービス、こやつを捨ててこい。我が屋敷の近辺には捨てるなよ。血で汚れるし、皇族様に感づかれるわけにはいかん。わかったな!」


ワハハと高笑いをしながら屋敷の中へと戻っていった。訪れた皇子の相手をしに行ったのであろう。


その後のことは良く覚えていない。オービスをはじめ数人に抱えられ、僕は何も持たされないまま10年間過ごした家を出ることになった。


屋敷から少し離れた川の辺りで、血だらけの僕はようやく彼らから解放された。僕は捨てられたのだ。


もう意識を保つ事も限界にきている。これまでのことを振り返りながら考える。溢れてくる涙はもう隠し止める必要もない。

ずっと、泣きたかった。あの家で泣くことは許してもらえなかった。誰からも愛情を授けられなかった僕は感情を押し殺し耐えるしかなかった。


張り詰めていた気持ちをやっと解く事ができると思えば、それが自分の命の最期のタイミングで……可笑しくて笑いが込み上げてくる。


ーーやっと、自由になれたんだ。


後、数分もすれば意識をなくし、僕は死ぬのだろう……。



そう思っていた僕の額に、誰かの温かい手の感触が感じられる。消えかけていた火が再び灯るように、最後の力を振り絞り、必死に意識を呼び戻しその手を確認した。


「レックス、この子まだ息があるわっ!! 体温が下がってるみたいだから温められるように……!!」


それだけ指示を出し、その後の言葉は続かなかったが、そんなことはわかってるという風にレックスと呼ばれた男が、その女性の言葉に被せるように馬車にあった毛布のようなものを直ぐに持ってきた。


「これで、どうだ!? 少しはあったまるだろう。俺は止血すっから、クレアは引き続き回復をしてやってくれ」


クレアと呼ばれた女性の手に触れられたところから、温かい水が身体全体に流れるようなそんな感覚を感じた。

これが魔法というものだと知るのは、もう少し時間がたってからだった。


「おい、坊主! 家族は?」


「……いません」


先ほどの状況を父が知らないわけがない。今日、家を出ていくこの瞬間を待っていたかのように、命を刈り取りにきた彼らの事を「います」と表現する勇気はなかった。


男は顎にある無精髭を撫でながら、思案するような仕草の後にこう言った。


「俺らは今からこの国を出ていくところなんだが、まだ、クレアの治療中って事もあるが……このまま、坊主を放っておくことはできんだろう。お前さんさえ良ければ一緒に来るか?」


素っ気無い言い方ではあるが、優しくしてもらった事が極端に少ない僕には、嬉しい言葉だった。

気がつけばコクコクと必死に何度も何度も頷いていた。


「俺はレックス。レックス・レイナードって、連合国家でギルドをやってる。隣はクレア。クレア・レイナード、俺の嫁だ。で、お前さんは?」


ーーーー名前? ……か…………


一瞬、アーナス・ヴァリストンと名乗りかけたが、これまでのことを思い出すと躊躇われた。クレアさんの治療のおかげで、意識はしっかりとしてきた。


ーーーーこれまで、人に蔑まれ続けてきたんだ。名前を変えるのもありだ、ただ、母に付けてもらったアーナスという名を嫌いかと言われればそんなことはない。母との唯一の繋がりなのだから。

……そう、堕ちた僕にふさわしい名前……この世界の古の言葉で堕落を()()()という。


()()()()()()()()。ジェナアーナス……今の僕にぴったりの名前だろう。


「…………ジェナスです」


僕はそう答えた。


「そか、よろしくな! ジェナス」

「ジェナス君、よろしくね! まだ、傷が塞がっただけだから、これから熱が出るかもだし、暫く何にも考えず寝なさいっ」


「はぃ、ありがとうございます……」


そのまま、数分前に死を覚悟したような薄れていく意識ではなく、安心した気持ちで意識をなくしていった。

優しく髪の毛を梳くように、頭を撫でてくれる手の感触を、肌身でずっと感じながら……。


「「おやすみ(なさい)、ジェナス(君)」」



こうして僕は、連合国家にその人有りと謳われる【剣聖】レックスさんと、同じく【雷帝】と呼ばれる高名な魔法使いクレアさんに助けられる。


8年前の話だ………………。


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