第4話
戦勝に沸く砦。誰もが勝利の美酒に酔いしれ、上機嫌に歌い、笑い合っていた。
そんな中、ふと私は先程まで近くにいたはずの主役の姿が消えていることに気付き、その姿を探して祝勝会会場を出た。
行き場の見当はなんとなく付いている。
巡回の兵士から明かりを借り、砦の裏手に回ると、案の定そこに探し人の姿があった。
「閣下」
「……シスか」
暗がりの中、1人ぼんやりと地面を見詰めているその背中に声を掛けると、ジンク少将はこちらに振り返ることもなく、抑揚のない声で返事をした。
「何をしていらっしゃるのですか? 主役がいなくては、祝勝会も盛り上がりませんよ?」
「ああ……」
覇気のない声。それきり、また彼は動かなくなった。
あまりにも頼りない背中。戦場で見る英雄としての凄みをまるで感じさせないその姿に、私は「ああ、この人はもう駄目だな」と思った。
* * * * * * *
1人寂しく、砦を出て行く英雄の背を、部屋の窓から見送る。
もう、二度と目にすることはないだろうその姿をしっかりと目に焼き付けてから、私は意識を切り替えた。
今の私は、傲慢で冷徹な司令官。上官を追い落とし、その座を奪った反逆者だ。
「さて、では今後の作戦を決めようか」
室内へと振り返り、西方戦線総司令官に相応しい態度でそう宣言する。
その後の会議は、実につつがなく終了した。当然だ。この平和ボケした愚か者共は、端からこんな会議マトモにやるつもりなどないのだから。
一番の障害であったジンク将軍を追い落とした今は、部屋に戻った後の酒と女のことで頭がいっぱいに違いない。
解散後、部屋の外から聞こえてきた「今日は金風亭の娘を~」とか「最近は娼婦の質が落ちて~」とかいう声を聞いて、それを確信する。
娼婦の数や質が下がっていることに気付いて、なんでこの砦の危機的状況に気付かないのか。
出稼ぎに来ている娼婦の数と質が下がっているのは、戦場の敗戦ムードを察した娼婦達が、優良店から順に続々と引き上げているからだ。
戦争の素人である彼女達にすら分かるこの敗戦の気配が、あの平和ボケした愚か者達には分からないらしい。
まったく、いつの間にここまで腑抜けてしまったのか。あるいは、これすらも隣国の狙いだったのではないかと思えてくる。
そもそも我が国が国力で勝る隣国に連戦連勝を続けられていたのは、隣国が我が国以外に2つの戦線を抱えていたからだ。
東方に当たる我が国の他に、北方と南方の国とも戦争をしていたからこそ、この戦線に割ける戦力に限りがあった。だからこそ、我が国は今まで大した苦も無く、その侵攻を阻むことが出来ていたのだ。
だが、今年になって隣国は北方と南方の国との間に停戦協定を結んだ。そして、本腰を入れて我が国への侵攻を開始したのだ。
そのことを何度も説明し、もっと危機感を持つよう警告したが、あの高官達は全く耳を貸さなかった。10年以上も続いたぬるい小競り合いで、あの者達はすっかり腑抜け、平和ボケしてしまっていた。
今では、幹部以下指揮官級の軍人の大半が、いかに他者を出し抜いて楽に功績を上げるかに腐心する始末。
今の我が軍のどこに、味方同士で足を引っ張り合って功績を奪い合っている余裕があるというのか。
敗戦を繰り返し、1000人以上の兵を失ってもまだ分からない。まだ、自分達が本気になればいつでも敵軍を撃退できると信じ切っている。我が軍が負けることなどありえないと、自分達の優位性を疑いすらしない。
救えない。これがかつて王国一の精強さを誇った西方方面軍かと思うと、あまりの堕落っぷりに溜息すら出ない。
まあ、それでも……無駄に頭が回るよりは、あれくらい馬鹿な方が計画通りに進められる分いいとも言える。
私はそう思い直して溜息を呑み込むと、会議室を後にした。
* * * * * * *
「殿下、黒翼隊の皆様がいらっしゃっていますが」
部屋を訪れたロゼックが、私にそう告げた。
彼は元々私の侍従であり、私が軍に入る時についてきた従者の1人だ。今では彼を副官に据え、他の従者14名を親衛隊のような扱いで側に置いている。
「用件は?」
「はっ、ジンク将軍の処遇について、異論があると……」
「追い返せ。私のやり方が気に入らないなら出て行けばいい」
「……はっ、畏まりました」
「ああ、あと他の幹部に幹部会の招集を。時間は今日の午後8時で」
「畏まりました」
やはり、彼の仲間達が騒ぎ出した。予定通りだ。
ここで冷たく突き放しておけば、彼らはますます不満を募らせていくだろう。
そこで、幹部会で彼らの追放を提案すれば、誰も反対はしないはずだ。
その後、やはりあっさりと私の提案は可決され、その日の内に黒翼隊全員の後方勤務が決定された。
* * * * * * *
「ふむ、また敗戦か……」
「今回の奴らはいつもより随分と頑張りますな。そろそろ我らも本腰を入れるべきでは?」
「そうですな。あまり敵を調子に乗らせても面白くない。ここらで身の程を教えておくべきでしょう」
続く敗戦に、ようやく幹部達の中からそんな声が上がり始める。
だが、この期に及んでその態度にはまだ余裕が感じられるし、まだまだ事態を軽視しているのが丸分かりだ。
ここが正念場だ。
機と見た私は、咳払いをして注目を集めると、立ち上がり、ずっと温めていた提案を行った。
「皆も、ここのところ兵士達の士気が下がっていることには気付いていると思う。私が思うに、それは各地で徴兵した農兵達が原因だ。本物の兵士ではない奴らは、元々士気も低く、事ある毎に不満を漏らして全体の士気を落としている。どうだろう、ここは奴らを追い出し、栄えある王国軍のみで、本物の勇士達のみの少数精鋭で挑めば、必ずや勝利を掴めると思うのだが」
この提案に、流石の幹部達もざわつく。
だが、ここで手を緩めるわけにはいかない。考える間を与えずに力技で押し切り、強引に納得させるしかない。
「ここだけの話、ここのところの敗戦続きで、国王陛下の諸君らに対する心象も悪くなっている。今こそ、名誉を挽回する時だ。平民上がりの成り上がり者と、それに盲従する戦うしか能のない蛮兵共を追い出した今。今こそ諸君らの真の力を見せつけ、西方方面軍ここにありということを天下に知らしめるべきだと思うが?」
そう告げると、幹部達の困惑が焦りへと変わった。
西から迫る命の危機などよりよほど身近な、国王陛下から突き付けられた進退の危機に、目に見えて動揺が広がる。そして……
「ふむ、そうですな。いたところでさして役にも立たぬ農兵共などに、手柄を分けてやることもないでしょう」
セルゲン中将がそう言ったのを皮切りに、次々に賛成の声が上がった。
本当に、揃いも揃って愚かで助かる。
少数精鋭? そう言えば聞こえはいいが、ただでさえ押されているこの状況で、自ら兵数を減らしてどうするのか。
だが、まあいい。これで、これ以上農民達の命を無駄に散らさずに済む。
手土産は支給した武器防具に、持てるだけの食料を持たせてやろう。敵に鹵獲されるものを必要以上に残しておくこともない。
この戦争は勝てないのだ。
ジンク将軍がこの砦の全権を握り、全ての兵を意のままに動かすことが出来ていたならばともかく、この無能共とそれに追従する腑抜け共が兵力の大半を握っている限り、勝利はおぼつかない。
ここにいる幹部を強引に粛清したとしても無駄だ。どうせ頭が変わるだけで何も変わらないし、高位貴族である彼らを強引に粛清すれば、彼らの実家が黙ってはいない。最悪国が割れる。
結局、どうしようもないのだ。ここまで堕ち切るまでに、彼らの堕落を食い止められなかったことが全ての原因だ。そのツケを、敗戦という形で払う時が来たのだ。
(それでも……農民を逃がせば、国力の低下は抑えられる。まだ、希望は繋がる)
西方方面軍が壊滅すれば、まだ楽観視している他の貴族も、本格的に危機感を持つだろう。
私の役目は、次に繋がるように上手く負けること。後顧の憂いをここで絶ち、可能な限り敵の戦力を削ぎつつ、より多くの希望を逃がすこと。
(そして……)
もう1つ。
これは、王族としての責務ではない。誰に与えられた役目でもない。
ただの、私のわがまま。誰にも褒められず、理解されることもない、たった1つの願い。
* * * * * * *
地面に座り込み、戦死した兵士達が眠る墓地をじっと見詰め続けるその姿に、私は「ああ、この人はもう駄目だな」と思った。
この人はもう駄目だ。早く、一刻も早くこの戦場から逃がしてやらなければ。
この人は英雄じゃない。体は英雄でも、心が英雄じゃない。
この人は割り切れないのだ。討ち取った敵の首を誇るより、失った仲間の命に心を痛めてしまっている。守れなかったことを罪と感じ、死による報いが与えられることを求めている。いつか、戦場で自らの命を散らすことを望んでいる。
この人はここにいるべき人じゃない。誰よりも優しく繊細な人。普通の村で、戦いなど知らずに普通に暮らし、普通の幸せを手に入れるべき人なのだ。
今にも夜闇に溶けてしまいそうな頼りない背中。
その背中に、胸が締め付けられるような哀切を感じながら、私は密かに決意した。
この人を、何が何でも生かすと。たとえ……どんな手を使っても。
* * * * * * *
「殿下!! どうするおつもりですか! 敵はもう、城門まで迫っておりますぞ!!」
「そうです! この状況、どう責任を取るおつもりか!!」
憤慨し、語気を荒げる幹部達を、私は冷めた目で見返す。
この期に及んでまだ人頼みか。もはや、責任の所在を追及するような段階ではないというのに。
「こうなってはもうどうしようもないだろう。貴殿らも、誇りある貴族として、軍人として、そろそろ覚悟を決めたらどうだ? 本当に誇りを持ち合わせているならば、最後くらい華々しく散ってみせればよいではないか」
「なっ……!?」
「ふ、ふざけるなぁ!!」
顔を真っ赤にして立ち上がったセルゲン中将が、そこでふと何かを閃いた表情をした。
「ふむ、そうですな……」
そして、腰の剣を抜くと、私に切っ先を突き付ける。
「なんのつもりだ?」
「なに、殿下にはこの責任をその首で取って頂こうと思いましてな。私は殿下の首を手土産に、敵軍に投降させて頂きます」
セルゲン中将が醜悪な笑みを浮かべてそう言った瞬間、セルゲン中将の突然の蛮行に動揺していた他の幹部達が目の色を変えた。
そして、次々に剣を抜くと、同じように私に切っ先を向けてくる。
「そう……そうですな。総司令官である殿下の首を持って行けば、奴らも無下にはしないでしょう」
「恨んではくださいますな? 全てはこの事態を招いた貴方の責任なのですから」
まったく、最後の最後まで失望させてくれる。
結局、この者らに誇りなどというものは一片たりとも残ってはいなかったのだ。
本当に、最後まで愚かで……どこまでも、予想通りだ。
私がスッと手を上げた瞬間、部屋の各所に隠れていた親衛隊15名が、一斉に彼らに矢を撃ち込んだ。
この距離で、無駄に肥え太った大きな的を外す彼らではない。
次々と悲鳴を上げて倒れていく幹部達。そこに素早く距離を詰めると、容赦なく全員斬り伏せる。
「殿下、ご無事ですか」
「ああ。ご苦労だった」
一瞬で血に染まった会議室。
幹部全員の死亡を確認してから、私は冷淡に告げた。
「セルゲン中将以下幹部12名は、全員最後まで奮戦し、華々しく戦死した。彼らの家にはそう伝えよ」
「はっ、仰せのままに」
「では行け。彼らと合流し、1人でも多くの兵を逃がせ」
「殿下……やはり……」
「くどい。総司令官である私が逃げてはこの戦いは終わらない。逆に私さえ確保できれば、敵も無理な追撃は行わないだろう」
「殿下……っ!! はっ、畏まりました」
「ロゼック、皆、ご苦労だった」
「「「「「はっ!!」」」」」
一様に何かを必死に堪えるような表情で、深々と頭を下げて出て行く彼らを、最後まで見送る。
そして、1人残された会議室で、私はようやく肩の力を抜いた。
「ふぅ……」
いや、気を抜くのはまだ早い。作戦の行く末を、最後まで見届けなくては。
私は気を引き締め直して席を立つと、窓から戦場を見下ろした。
しばらくすると、王室の旗を掲げた何人かの兵士に連れられて、続々と兵士が内地側の城門に集まってきた。そして、順に門を潜って内地側に脱出していく。
最後の一団が門を潜り、しばらくして堀に渡された橋が落とされた。どうやら上手くいったらしい。
私はあらかじめ、軍人としての誇りを守っていた数少ない心ある指揮官級の者達に密命を与えておいた。
それは、内地側の城門で待ち構え、我先に脱走しようとする他の指揮官達を粛清すること。そして、粛清が終われば速やかに全兵士を連れて、各所に火を放ちつつ内地側の城門に移動。敵国側の城門が破られる前に、渡し橋を落として速やかに撤退する。
事前に準備をさせていたとはいえ、間に合うかどうかはかなり厳しかったが……見事、やり遂げてくれたらしい。
終わった。あと私に残された仕事は、最後の詰めだけだ。
達成感はない。ただ、なすべきことを成したという粛々とした思いだけが胸を満たす。
「さて……ジンク様は、今頃どうしていらっしゃるでしょう」
肩の荷を下ろし、慣れない傲慢な総司令官としての仮面を外してしまえば、やはり頭に思い浮かぶのは彼のこと。
他に想いを馳せるべきことはある。だが、それでもどうしようもなく彼のことを考えてしまう。
どこで、何をしていてもいい。ただ、戦場から離れ、自分の新たな居場所を見付けていてくれればそれでいい。
彼をこの戦場に縛るものはもう何もない。彼を慕う仲間も、守るべき農民も全て逃がした。彼を虐げた愚か者と、誇りを失った軍人、そして……彼を追い落とした裏切り者は、ここで死ぬ。彼はもう、自由だ。
「どうか……」
その時、激しい靴音が近付いて来て、扉が開かれた。
室内に雪崩れ込んで来たのは、隣国の兵士。
彼らは一様に室内の惨状に絶句した後、窓際に立つ私に気付いて身構えた。
「システィーナ・レイ・ノジバイト第二王女だな」
「ええ、いかにも」
こちらに近付いて来た隊長格と思われる男に、堂々と返す。
さようなら、ジンク様。
ずっと、お慕いしておりました。他の誰よりも。
貴方様の未来が、穏やかで幸せなものであることを祈ります。