第3話
今日中に砦から出て行くよう言われて会議室から放り出された俺は、自室に戻って荷物をまとめると、砦の奥にある墓地を訪れていた。
墓地と言っても、墓石も墓標もない。あるのは、耕された土だけだ。
砦の中で死んだ兵は、一部の貴族を除いてわざわざ家族の元に帰されたりはしない。
空き地に掘った穴に放り込まれ、穴がいっぱいになったらまとめて火葬される。そして、火が収まったら穴は埋められ、土に還される。それだけだ。
それでも、戦場に打ち捨てられて、埋葬もされずに獣や鳥に食い散らかされるのに比べればだいぶマシか。
「……」
今まで死んだ俺の仲間達も、ここに眠っている。
まだ小さかった俺に正しい剣の使い方を教えてくれた上官。俺の最初の部下となった農兵のおやっさん達。肩を並べて修羅場を駆け抜けた戦友。俺に憧れて軍に入ったと語っていた後輩。
誰も彼も皆、ここに眠っている。
俺は無言で酒瓶を開けると、彼らの顔を思い浮かべながら瓶を傾けた。
どぼどぼと流れ落ちる酒は、最近掘り返されたばかりの土に跳ね返ることもなく、地面に吸い込まれていく。
「結局、俺がお前らと同じ場所に行くことはなかったなぁ」
いつか、俺もここに眠ることになると思っていた。
身寄りもいない平民出身の俺に、帰るところなどない。
いつかは俺も戦場に倒れ、ここに埋められるものだと思っていた。そして、それこそが、たくさんの仲間を死地に連れ込んだ俺に与えられる、当然の報いだと思っていたのに。
「……」
悲しみとも、喪失感ともつかない感情に、胸の中が冷え切っていく。
ここに来ると、いつもそうだ。胸に開いた穴に隙間風が通るような感覚に襲われ、どうしようもなく無気力状態に陥ってしまう。
俺は無言で部屋から持って来た酒瓶を全てひっくり返し、中身を全て地面に吸わせてしまうと、しばしその場に立ち尽くして地面を眺めていた。
そのままどれくらい経っただろうか。巡回の兵が上げる声で、俺はようやく自失状態から覚めた。
「……行くか」
日の傾き具合からして、そろそろ砦を出なければ近くの村に辿り着くまでに日が暮れてしまう。
「じゃあな」
俺は荷物を背負い直すと、今は亡き仲間達に別れを告げ、その場を後にした。
* * * * * * *
「ふぅ……」
日が暮れる直前に最寄りの村に辿り着いた俺は、なんとか野宿を回避することが出来た。
と言っても、村には宿なんて気の利いたものはなく、愛馬と一緒に厩舎に寝泊まりだが。
「さて……これからどうするかな……」
普通に考えるなら、このまま王都に向かって国王に直訴し、シスの行った暴挙を撤回させるべきだろう。元々シスにも、あの砦の幹部達にも、俺を軍から追放する権利などないのだから。
だが……今回の一件は、俺の副官であったシスが主導していたもの。
前々から準備をしていたなら、既に王都にも手回しをされている可能性が高い。もしそうなら、もう俺にはどうしようもないだろう。
(いや、そもそも……)
俺は、本当に軍に戻りたいのか?
ふと浮かんだ、そんな疑問。それに対して当然だと即答できない自分がいることに気付き、俺は驚いた。
元々、俺が軍に入ったのはただの成り行きだ。家族も故郷も失くし、呆然としていたところをたまたま軍に拾われただけ。特別愛国心があった訳でもなければ、隣国に対して敵愾心があった訳でもない。
そんな俺が軍で戦ってきた理由は、やはり側にいる仲間を守りたかったからだろう。
共に訓練をし、共に飯を食った仲間達を、死なせたくなかった。ただそれだけだった。それだけのために、ひたすらに剣を振るい、ひたすらに敵を殺してきた。
だが、皮肉なことに、討ち取った敵の首が増えるごとに、斃れた仲間の死体も増えていった。
功を上げる度により困難な作戦、危険な戦場に身を投じることとなり、俺の足元には仲間の死体がどんどん積み上がっていった。
死神が死をもたらすのは、敵だけではない。仲間もだった。
「挙句、その仲間に……それも、一番信頼していた副官に裏切られてちゃ世話ないよな」
厩舎の窓から星空を見上げながら、自嘲気味に呟く。
せめて、背後から刺されるとかなら、これも俺に相応しい末路かと納得できたのだが。地位だけ奪われて戦場から追い出されるとは、なんとも締まらない。
「それにしても……」
なんで、シスは俺を追い落とすような真似をしたのだろう。
俺とシスはもう4年の付き合いになるが、恨まれるようなことをした覚えは全くない。シスは俺の片腕としてよく働いてくれたし、俺もシスを信用して頼りにしていた。
まさか、王位継承争いに勝利するために功績が欲しかった? いや、でもシスが王位を狙っているとは聞いたことが……シスが軍に身を置いているのは、王族が戦場に立つことによる戦意高揚を狙った国王の意向もあるが、その役目に自ら志願したのは他ならぬシス自身だ。
もっと手っ取り早く王位に近付ける手段がたくさん転がっている社交界との関わりを絶ってまで、わざわざ引き受けるような役目とも思えない。何より、シスからそんな権力欲を感じたことは一度もない。
「そう言えば……俺、あいつがなんで軍に入ったのか聞いたことなかったなぁ」
ただ、なんとなく兄弟との継承争いを避けるため、護国の役に立つために志願したものとばかり思っていたが……そうだとすると、本格的に今回俺を追放した理由が分からない。
実権を握りたかったなら、西方戦線総司令官の地位を奪うだけでよかったはずだ。その後、俺を手駒として使った方が、無理に追い出すよりずっといい。
地位を奪われた俺が反旗を翻すことを恐れた? いや、俺がそんなことしないのはあいつだってよく分かってるはず……
「……ダメだ、わっからん」
そもそも自分がどうしたいのかも分からないのに、他人のことがそうそう理解できるはずもない。
まずは自分のこと。差し当たっては、これからどうするかだ。
「本当に……どうすっかなぁ……」
ぼんやりと考えを巡らせながら、俺はゆっくりと睡魔に身を任せた。
* * * * * * *
── 数日後
「おや、ジンクさん。こりゃまた立派な猪を仕留めてきたねぇ」
「ええ、血抜きは済ませてあるので、村の皆さんで分けてください」
「ありがとねぇ。この村にはもうまともに狩りが出来る者がいないから、本当に助かるよ」
「いえ、村に住まわせてもらっているお礼ですから」
「いっそのこと、このまま住んでしまったらどうだい? 村の者は皆歓迎するよ?」
「はは、それもいいかもしれませんね。……考えておきます。それじゃあ、まだ狩りの途中なので……」
「気を付けてね」
「はい」
気のいい老婆の見送りを受けながら、再び森に向かう。
あれから色々考えて、結局俺が出した結論は、“保留”というなんとも締まらないものだった。
どれだけ考えても、俺自身軍に戻りたいのかどうか判断がつかず、数日が経った今も砦近くの寒村で足踏み状態だ。
町に行くことも出来たが、貴族の手の広さと速さは尋常ではない。俺のことを目の敵にしていた幹部連中の手が回っている可能性を考えると、大きな町には近付く気にはなれなかった。
結局、空き家がたくさん余っていた老人ばかりが住む寒村で、空き家を一件借りて猟師の真似事なんかしている。
昔取った杵柄というのか、狩りはもう10年以上ぶりになるが、一応毎日獲物を仕留めることは出来ている。
村のお年寄り達も素性の知れぬ俺に優しくしてくれるし、俺はわずか数日でこの村での暮らしに居心地の良さを感じ始めていた。
「いっそのこと、ここで猟師として静かに暮らすのもいいかもなぁ」
そんな風に独り言ちるが、同時に心のどこかにそれを拒む自分がいることにも気付く。
この村での生活が居心地がいいのは本当のこと。だが、何かが足りない。言い知れぬ不満感が、ずっと胸の中でくすぶっている。
満たされぬ思いを抱きながら、半分無意識に森へと向かい……ふと、砦の方へと繋がる街道を、こちらに近付いて来る一団を見付けた。
「あれは……」
その一団が身に着けている装備は、俺にとって非常に見慣れたものだった。
やがて、向こうもこちらに気付いたようで、慌てた様子でこちらに馬を走らせてくる。
「隊長!」
「ジンク少将閣下!」
「将軍! なぜこんなところに!?」
「いや、それは俺のセリフだ。なぜおまえらがこんなところに?」
なんと、その一団は俺が率いていた部隊、通称黒翼隊(黒い翼を描いた旗を掲げていることからそう呼ばれている)の仲間達だった。
困惑して問い掛ける俺に、分隊長の1人が困惑と憤りが交じった表情で口を開いた。
「それが……ジンク将軍の処分に不服を申し立てたところ、上官の命令に異議を唱え、軍紀を乱す者などいらぬと……全員、問答無用で後方勤務を命じられました」
「はあ!?」
いくらなんでも無茶苦茶だ。
自惚れるわけではないが、俺率いる黒翼隊は間違いなく西方戦線における最重要戦力だ。
俺だけならまだしも、黒翼隊全員を後方に下がらせるなど、戦争に勝つ気がないとしか思えない。
今回の戦争が、ここ10年以上続いている軽い小競り合いで済むならまだいい。
だが、今年の隣国の力の入れ方は例年とは違う。今まで連戦連勝で隣国の侵攻を阻み続けた我が軍がここのところ負け続けているのは、幹部連中の怠慢もその一因だが、敵側の本気度が今までとは違うのが一番の原因だ。
長年のぬるい小競り合いで平和ボケした幹部連中はともかく、俺の元副官であるシスがそのことに気付いていないはずがない。その上で、黒翼隊を手放した? あいつは一体何を考えているんだ?
「シスは……なんと言っていた?」
「ノジバイト少佐ですか? それが……気に入らないなら出て行けと、取り付く島もない様子で……」
部隊の仲間達もシスの態度が腑に落ちていない様子で、困惑し切っている。
「それで、閣下はこんなところで何をなさっているのですか?」
「いや、それが……俺も、突然のことでどうしたらいいか分からなくてな。近くの村にちょっと住まわせてもらっているんだ」
「そうですか……では、我々と共に軍の宿舎がある近くの町まで行きませんか? そこでしばらく情報を集めてみるというのはどうでしょう?」
「だが、お前達は後方勤務を命じられたんだろう? 王都に帰還しなきゃいけないんじゃないか?」
「いえ、具体的にどこに向かえと指定はされませんでしたので。この近くの町も後方であることには変わりません」
「いや、それは詭弁だろう……」
我が国では、普通場所を指定せずに後方勤務を命じられた場合、それは軍の本部がある王都への帰還を意味する。王都で待機し、新たな指示を待てという意味だ。
だが、俺も色々と腑に落ちないことは事実。何より彼らと共に行けば、この胸の中でくすぶる不満感の正体が分かるような気がしたので、俺はその提案に乗ることにした。
村のお年寄り達に別れを告げ、部隊の仲間達と共に近くの大きな町へと向かう。
そして、それから2カ月後。
俺達の元に、西方の砦が陥落したという報告が届いた。
次回、副官視点