桜の木の下で…
1940年 4月 5日
香澄は桜咲く坂道を駆け上がっていた。
「やばい〜!遅刻だよぉ〜!入学式早々に遅刻はやばすぎる〜!」
中西香澄15歳
地元でも有力な地主の家の生まれの彼女は、まだ女性の地位の低かった時代であったにも関わらず
『これからは女性も学問は必要だ』
とする父の影響で地元でも有数の私立の女子校に入学したのだった。
学校は小高い丘の上にあった。
学校に至る坂道の両側にはたくさんの桜の木が咲き乱れ、まるで吹雪のような状態になっていた。
「何であんな山の上にあるのさ、まだまだ距離あるし。はぁ…このまま学校行かずに逃げようかな」
坂の中腹に立ち止まると香澄は一本の桜に寄り掛かりつぶやいた。
「さぼりはいかんな」
背中の桜の木から声がした。
慌てて振り返ると寄り掛かった桜の木の反対側に一人の男性が本を読みながら座っていた。
白い学ラン姿のその男性、服装から海軍士官学校の生徒であるのが分かった。
彼はゆっくりと本を閉じると香澄に向かって振り返りながら立ち上がった。
調った顔立ち、落ち着いた空気、それでいてどこか近寄りがたい雰囲気を醸し出す彼は身長も170はあろうか、身長が148しか無い香澄にはとてつもなく大きく見えた。
そんな彼の持つ空気に圧倒され香澄はしばらく言葉を失った。
これが香澄の運命の出会いであった。
彼は香澄の目をじっと見つめると、まるで鳩が豆鉄砲でもくらったかのような表情の香澄に微笑みかけた。
「ち、ちょっと!他人の独り言盗み聞きするって失礼じゃないですか!」
香澄は一瞬とは言え、彼に見とれてしまった自分への照れ隠しの為に一方的に食ってかかった。
「独り言とは小さな声で言うものだ。それだけ大きな声で言えば誰でも聞こえるぞ」
確かに正論である。
「って言うかあなただってサボってるじゃないんですか?!」
「僕はまだ時間があるからね」
言い返す言葉が無かった。
「って言うか、他人の独り言を盗み聞きするのは失礼じゃないですか!」
「独り言なら周りに聞こえない様に小さな声で言うものだ。あれだけ大声なら誰でも聞こえるぞ」
「う゛……」
「それはそうともう時間無いんじゃないのか?その制服は聖心の生徒だよね?ほら、急がないと(笑)」
香澄の白いセーラーを見ながら彼は言った。
「い、言われなくても行きます!」
香澄は急いで振り返ると再び上り坂を走りはじめた。
「がんばれよ〜」
後ろから彼の声が聞こえたが香澄は振り返る事無く走りつづけた。
「なんとか間に合ったね(笑)」
教室に入ると幼なじみの智子が話し掛けてきた。
「入学式早々遅刻はまずいでしょ♪」
「まいったよ、誰も起こしてくれないんだもん」
「ってかさぁ、15にもなって親に起こされるのはまずいでしょ」
「う゛……」
今日は色んな人間に責められる日である。
「そうそう聞いてよ!今ここに来る途中にすっごい失礼な男がいたんだよ!」
香澄はとっさに話題を切り替えると、今朝あった事を一部始終智子に話した。
「だとしたらその彼はあそこの生徒だね」
智子が指指したその先には海岸線に建てられた海軍士官学校が見えた。
そこは有名なエリート校で、心技体、家柄までもが優秀でないと入学すら許されない学校だった。
「優秀だか何だか知らないけどああ言う他人を見下した態度取る男って嫌いだよ。それより以前に私は軍人って大嫌い」
そう言うと香澄は黒板に書かれた自分の席に座った。
窓際の最後尾、窓からは春の心地良い風が吹き込んでいた。
(名前ぐらい聞けば良かったかな…)
香澄は窓から見える士官学校を見ながら心の中で呟いた。