第六十一話 魔王ユーリ・メルクリア
少し昔話をしよう。
私の名前はユーリ・メルクリア。
我がメルクリア家は、元を辿れば帝国の貴族の出自であり、亡命後も、貴族制度のない共和国にもおいても、屈指の名家であり続けた。
先祖たちは亡命時に、多額の資金を持ち出しその資金を用いて、共和国の要職を買い漁ることで、新参者でありながら、早期に上流階級の地位を獲得した。
勿論、身分の平等を謡う共和国において、我が先祖たちの行いは必ずしも歓迎されなかった。
当初は、金で地位を買った卑しい一族を侮蔑の眼差しを向けられていたそうだ。
だが、今日においては、そういった声は小さくなっている。
「メルクリア家の人間は、優秀な人間を多く輩出している」
それが我が一族に対する今の共和国国民の評価だ。
家格よりも、実力を重要視している共和国に溶け込むために、地位と権力に胡坐をかかず、絶え間ない努力を積み重ねることを決めた先祖たちの判断は正しかったといえよう。
金と権力を持っているだけの無能一族というレッテルを貼られないために、メルクリア家の人間は、本家と分家の区別なく最高の英才教育を施されている。
共和国民の教育水準は、この大陸中の国家と比較してもかなり高い方であるが、我が家はその中でもダントツだった。
そんな恵まれた環境で私は生まれた。
優秀な人材を多く輩出してきたメルクリア家の中でも、私は神童と讃えられた。
共和国最高峰の教育機関の初等科、中等科、高等科で歴代最高の成績を叩き出したからだ。
私は他の有象無象の人間とは違う。完全無欠の天才である。才能のある人間が、決して驕ることなく努力を続ければ、凡人では一生足掻いても勝てやしない。
そうような高慢な考えを胸に秘め、自分よりも勉学で劣る学友達を見下して学生時代を送った。
やがて月日は流れ、卒業の日を迎える。
人生の選択肢は無数に存在した。何にでもなれた。
官僚から大手商会の幹部候補まで、優秀な人間である私を周囲が放っておくはずがなく、様々な組織から誘いを受けた。
どの道を選んでも、それなりの人間になることは約束されたも同然だったが、何でもできると思い上がっていた当時の私は、それらの手を跳ね除けて、共和国防衛軍への入隊を決意し軍学校を行くことを選んだが、そこでも歴代最高の成績を出し、天才の名を欲しいがままにした。
そして、軍学校を卒業してから一年後、順風満帆、向かうところ敵無しだった私の人生に転機が訪れる。
この頃、共和国は帝国との間で小さな小競り合いをしていた。
当時帝国で影響力を強めていたシド・カルスタンは、領土拡大を目論見、隣接する中小諸国に侵略戦争を仕掛けていたのだが、シド・カルスタンの成功を良しとしない一部の帝国貴族が独断で共和国と領土問題を抱える共和国領ウェザル地方に兵を送り出し占領下に置いたのだ。
地方貴族の独断とはいえ、これは明確な侵略行為。
しかし、共和国政府は抗議こそしたが、数か月後に控えた議会選挙への影響を鑑みて、抗議だけに留めた。
当時の議員達が、万が一、敗北した場合、選挙に与える影響を恐れたからだ。
同時に、多数の戦線を掛かる帝国政府もまた共和国との全面戦争を回避したいがために、貴族たちの行動は独断専行であり、この件に、中央は一切関わらないという声明を出した。
結果、ウェザル地方は両国が直接関与しない一種の陸の孤島と化し、そこに住む共和国人達は悲惨な目に合う事になった。
中央から見捨てられやけになった帝国貴族たちは、この地に自分たちの王国を築こうと住人を弾圧し支配を強め、支配に反発していた住人の一部はレジスタンスを結成し、両勢力は、一般人を巻き込みながら、凄惨な戦いを繰り広げた。
選挙を控えていたこともあり、国民にウェザル地方の状況を知られることを恐れた当時の共和国政府は、徹底した情報統制を敷いた。
国民の大多数はウェザル地方の悲惨な状況を知ることができなくなったが、メルクリア家独自の情報網がある私はウェザル地方の状況を知ることができた。
最初は、ウェザル地方に住む共和国民が虐げられているにも関わらず何もしない怠惰で無能な共和国政府へ激怒した。
だが、やがて、私の中である考えが生まれた。
共和国政府ですら迂闊に手が出せないこの状況を解決できたのであれば、私はきっと英雄になれる。
軍学校でも最高の成績を叩き出し調子に乗っていた私は愚かにも、自分であればこの件を解決できると思い上がってしまった。
そして、幸か不幸か、周囲の者達でさえ、私であれば事態解決の糸口を見つけてくれるのでないかと期待を寄せた。
数日後、ウェザル地方への詳しい状況把握のために派遣する偵察部隊に、私の小隊が選ばれた。
軍の上官たちは、現地の情報を集めてくれれば、それでいいと言っていたが、愚かな私は、自分の部隊だけでこの紛争を収めるつもりでいた。
これが、全ての物事は自分の思い通りに上手くいくと信じて疑わなかった私の初陣であった。
ウェザル地方に潜入した私の眼に映ったものは、生まれて初めて見る帝国の支配だった。
奴隷制度のない共和国に生まれてきた私にとって、年端もいかない子供や女性が、首輪を付けられ、ボロボロの衣服を着せられて奴隷という名の商品として帝国兵や商人達に売り払われる光景はとても耐えがたいものだった。
ましてや、悲鳴を出しながら、目の前で売り払われていく者達は、私と同じ共和国人である。
情報収集に留めるようにという命令に背き、現地で活動していたレジスタンスに合流することに反対する部下は一人もいなかった。
私の小隊は、可能な限りの情報を収集した後、命令に背き、レジスタンスが計画していた反抗作戦に参加することを決めた。
ウェザル地方を占領下に置く帝国軍の討つべく、レジスタンスの立てた計画の成功率は五分五分と言ったところであった。
なので、己を天才と信じて疑わなかった私は作戦にいくつかの修正を加えることにした。
軍学校の演習で無敗を記録していた私の考えを取り込んで、より成功率を高めた反抗作戦を、誰もが必ず成功すると信じ切った。
それなのに、
「どうしてこうなった……。作戦は完璧だったはずだ。一体どこで読み間違えた?!」
私の立てた作戦をまるで読み切っていたかのように、帝国軍は適切な対応をして見せた。
結果、領都中枢に突入したレジスタンスは壊滅、作戦に参加していた我が小隊も、二十人から大きく数を減らし、残りは私を含めて僅か四人となってしまった。
私は、敗残兵となってウェザル地方からの逃亡を余儀なくされていた。
「ちくしょう、ちくしょう!!」
演習と実戦が違うことは分かっていたが、ここまでの惨敗を期すことになるとは予想もしていなかった。
散っていた隊の仲間達とレジスタンスのメンバーを想いながら、馬上から叫び声を上げると並走していた副官が暗い顔付きで言葉を発した。
「隊長、実は自分、今回の作戦が失敗した原因を知っています。確認は取れていませんが、撤退間際にレジスタンスのリーダーが泣き叫んでいるのを聞いておりまして」
「何だと!! それは何だ!!」
「はい、レジスタンスのリーダー曰く、レジスタンスの指導部にいた一人の男が裏切ったと」
副官の話をまとめると、レジスタンスの指導部に裏切り者がおり、そいつが作戦の全容を全て帝国側に漏らしたらしい。
故郷で圧政を敷く邪悪な帝国に組するなど共和国人として、あるまじき行為だ。
「そいつは、故郷を取り戻すという気持ちはないのか!! なんということだ」
平等を国是とする共和国の人間が、階級制度のある帝国に寝返るなど信じられなかったが、裏切り者の話にはまだ続きがあった。
「その裏切り者ですが、資産家の人間ではありますが、さしたる能力もなく、レジスタンスの指導部に入るには能力不足だったそうです。それ故に、周囲から実家の威光しかない男と影口を叩かれておりまして」
「それで裏切ったというのか?! 共和国では居心地がなくなりつつあるなら、裏切って、帝国から利益得ようと!!」
副官からの言葉はなかった。他の二人の部下からも。
しかしながら、沈黙が答えであった。
「……なんということだ」
机上での演習において私は無敗だった。実戦演習でもそうだ。
だが、身内に内通者を抱えたまま、演習をしたことはなかった。
「防衛軍であれば、情報部が情報を管理しているから、一般軍人である我々は気を使う必要はないが、素人同然のレジスタンスでは勝手が違うか……。ふっ、演習と実戦は違うというのはこういうことか…」
与えられた環境下において、常に最高の成績を出してきた。
演習における兵士という駒には、できることとできないことがはっきりとしている。
駒の特性と能力を把握し、能力の高さに応じて適切に配置し作戦を組み立てる。この点に関しては私は天才だった。
だがしかし、演習では戦闘面の能力だけを考慮すれば良かったが、実戦ではそれだけでは圧倒的に足りない。
良い教訓になった。
などという無責任なことは言えない。
失敗した原因こそは別のところにあるものの、私の立てた作戦で多くの人間が死んでいるのだ。
言葉には上手く言い表せない。しかしこれが生まれて初めて経験する挫折、失敗と呼べるものであることは理解できた。
「隊長、後方から敵です!」
失意に沈みかけていた私の意識は、部下の声で目覚めた。
後ろを振り向くと、三十人ほどの騎馬隊が迫ってきた。
迎え討とうと腰の剣に手を掛けるが、
「我々が敵を食い止めます。隊長は先にお逃げください」
一切の迷いなく、副官を含め、三人の部下たちは強い決意を漲らせた。
「待て、部下を囮にして上官だけが逃げることなどできない!! 一緒に戦うぞ」
私は当たり前の事を言ったつもりだったが、三人は揃って首を横に振った。
「責任を感じて思い詰めている人間が突撃しても瞬殺されるだけですよ」
「はっきり言って、足手まといです。そんなアンタにできる仕事はウェザル地方の情報を軍に伝えることだけですよ」
「それに、貴方は私達とは違う。愚かな裏切り者のせいで今回は失敗しましたが、名家の出身であり、成績も極めて優秀で将来を嘱望されている特別な人間だ。いずれは共和国防衛軍、いや、共和国という国を導く大人物になるでしょう。こんなところで死ぬような人間ではない」
「ち、違う! 私はっ!!」
私は思わず反論の声を出すが、弱気になっていたせいか、彼らに届くことはなかった。
「では。おさらば!」
共和国の未来を守るためならば、どんな犠牲も惜しみません。
そう言い残し三人は笑ったまま反転し、敵集団に突っ込んでいった。
後に残された私は彼らの想いを無駄にしないという言い訳を繰り返しながら、それ以上、後ろを振り向くことなく前に進んだ。
帝国の馬は共和国の馬よりも速い。ゆっくりと近づいてくる死の気配を背後から感じながら、私には逃げることしかできなかった。
そこから先の記憶は曖昧だ。
気が付いたら、真っ赤に染まった無人の野原に一人佇んでいた。
乗っていた馬は傍で絶命していた。後ろから迫ってきていた帝国の騎馬隊も血や臓物を垂れ流しながら、散らばっていた。
そして、目の前には、一頭の巨大な三つ首の犬が平伏していた。
「ようやくお目覚めになりましたか、魔王様」
魔王? 何を言っている? と口に出すことはしなかった。
今の自分であれば、はっきりと理解できる。
「時期的にはそろそろ現れるという噂はあったが、まさか、自分が今代の魔王になるとはな」
この日、私は魔王の力に目覚めた。
それは、愚かにも人間同士が戦いを繰り広げていた安寧の時代の終焉であり、魔王と勇者という人知を超えた超常の存在達の戦いが始まることを意味する。
「我が名はケルベロス。歴代魔王の側近として仕えた者です。過去に敗北してきた魔王たちの無念を晴らす時が来ました。これまでの魔王と同様に、まずは配下となる魔物を従属させ、しかる後に、魔王様が治める領土を築きましょう。そして、いつの日か、世界の全てを手にするのです」
ああ、そうか。
名家の出であり、将来を期待された男、ユーリ・メルクリアは死んだのか。
これからは、残虐非道な魔王として魔物たちを君臨し国を築く。
それが魔王となった私に与えられた使命なのか。
クソ、食らえだ。
「悪いが断る」
「……え? 今、何と?」
魔王の力に目覚めた今、強烈な支配欲が心の中を染め上げ、自分が人を人とも思わぬ殺戮者や暴君になり果てる予感がした。
だが、この悪意の激流に逆らうのは難しそうだ。
今は抑えられているが、いずれは負けるだろう。
仕方ない、であるならば、この悪意付きの力を最大限利用すべきだ。
「魔物を支配下に置き、土地を奪い君臨する。それで負け続けてきたのだろう。歴代の魔王達は?」
「え! そ、そうではありますが、ですが、それが長く続く伝統でして」
だから、負けたのだお前たちは。いい加減理解すべきだ。
「人の世から世界を支配する。正面から敵対しては勝てるものも勝てやしない。
「し、しかし、それでは、世界征服の実現は困難になるかと」
なんだ、魔物を使役し国を奪い、侵略を繰り返せばいつか世界を手にできると思っているのか?
愚かな。
それでは、ウェザル地方を解放すべく立ち上がったレジスタンスのように、支配に抗う者達を団結させるだけだ。
今回は、抵抗者側が敗れたが、戦いに絶対はない。
「仮に勝利者となっても人間の敵である王に従う者などいない。民衆からの強い支持がなくては、支配者にはなり得ないだろう。私は私のやり方で行く。反対するか?」
「いえ、それが王の御心であるならば従うのみ、ですが、これだけは覚えておいてください。貴方は魔王です。人間の枠を超えた超常の存在に至った特別な存在なのです。今後は、人の世で生きていくのは困難を極めるでしょう。貴方は王。貴方と同格以上の存在はなく、敵対者として勇者と使徒が存在するだけです」
そういうことか。
今の言葉を聞いて、私はようやく、先程から引き摺っていた事を言葉にすることができた。
「特別な人間なんて者は、この世のどこにもいやしない」
人種、年齢、性別、技能、経験、血筋、人脈。言うまでもなく、人は皆違う。
だが、天才であるともてはやされた自分の立てた完璧な作戦は、能力の劣る一人の無能の企ての前にあっさりと崩壊した。
私は知った。この世において能力の優劣は絶対ではないことを。
もう二度と失敗しないために、考えを改める必要がある。
無能と蔑まれようとも、どんな人間にも何かを変える可能性があるということを肝に銘じておくべきだ。
「確かに、魔王の能力は破格だ。女神に選ばれたという魔王を倒すための勇者や使徒以外の人間には抵抗すらさせずに殺せるだろう。だが、だからといって、それ以外の人間を無価値と決めつけるのは間違いだ」
現状では、魔王を殺せるのは女神がこの世界に送り込む勇者の神剣だけだが、もしかしたらいずれ誰かがそれ以外の手段で魔王を滅ぼす方法を生み出すかもしれない。
人を殺すことしか能のない魔物と違って人間には無限の可能性がある。
無能も弱者も決して侮ってはならない。
もう一度言うが、能力の有無は絶対ではない。
だが、だからこそ、それを利用しない手はない。
「魔王であることを隠し、人間の社会の中で頂点を極める。そうすれば魔物のみならず、人間を率いて、勇者や使徒と戦うことも可能なはずだ。或いは使徒同士を戦わせることだって……。当然、危険は伴うが、魔王に忠誠を捧げる人間と魔物だけが味方という考えは捨てるべきだ」
この発言に、ケルベロスと名乗る黒犬を目を見開いて驚愕の顔を見せた。
「驚きました。そのような事を言った魔王は歴代には一人もいませんでした。では、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「何だ?」
「貴方の目指すゴールはどこにあるのです?」
その問いを聞き、私は自分がおめおめと逃げてしまったウェザル地方の方を向いた。
他の人間とは違う天才で特別な存在である自分であれば救えると思い上がり、そして最悪な結果に終わった。
帝国貴族の嫉妬から始まり、両国の為政者の政治的な判断により放置され、ウェザル地方の惨劇はこれからも続いていくことだろう。
脳裡に浮かぶのは、救えなかった奴隷にされた女子供の姿だ。
「争いのない世界」
ふっ、魔王である自分が言うとおかしな気分になるが、それが私の理想だ。
「人間社会の表の顔と魔王である裏の顔を使って、未だに誰もなしえない大陸統一を成し遂げ全ての争いを終わらせる。もう二度と、一部の権力者たちの欲望に振り回される力無き弱者を生まないために、今代の魔王である私が、人の身には余る力を与える女神を含めて、立ちはだかる全ての脅威を撃破する」




