第五十三話 帝都攻防戦1
バロラム将軍の部隊をナガス要塞に送り出してから四日が過ぎた。
友軍を壁にして作り出したこの貴重な時間を使い、帝国軍中央参謀本部は、帝都での籠城戦の備えをする。
民間人の避難指示や物資の管理などの籠城戦の準備を実際に行うのは、他の将校達とはいえ、帝国軍の最高司令官であるイェーガー元帥には、呑気に椅子にふんぞり返っている暇はない。
今後、ナガス要塞を突破してきた連合軍と魔王軍をどう対処するのか、何度も何度も議論を重ね作戦を立案する。
だが、何日も自宅に帰れず職務に励んでいるため、心身共に疲労が蓄積していた。
ナガス要塞が陥落したという連絡は、まだないので、イェーガー元帥は決戦の前に英気を養うために、執務室で仮眠を取ることにしたのだが、いざソファーに寝転んだ矢先、部下から凶報が届けられた。
「た、大変です!!」
「ん?」
「斥候からの報告ですが、帝都北側の平原に連合軍と思われる部隊を発見したと!!」
「何だと!!」
イェーガー元帥は飛び上がると、詳しい情報を知るために、大急ぎで作戦本部に向かう。
元帥閣下の入室だ。普段であれば、全員、姿勢を正し敬礼をして出迎えるのだが、その余裕すら失われていた。
「閣下大変です! 敵軍が!!」
「報告は聞いた。帝都北側の平原に連合軍を確認したそうだな。数は?」
「はっ! 確認できた敵軍の総数は、凡そ三万前後。敵軍は、帝都を守る城壁からでも視認できるほどの距離に陣地を構築中です。それと、北壁守備隊長の独断で、北側の門は全て封鎖されました」
「迅速な判断だ。北壁守備隊長には、後で私から礼を言っておこう。それよりも、帝都全域に第一級非常事態宣言を発令。いつ戦闘に突入してもおかしくないと各所に伝達せよ」
最後に、帝都が他国からの攻撃を受けたのは、百年近く前になる。
遂に来たか、と作戦本部内に未だかつてないほどの緊張が走り、将校達は慌ただしく動き出した。
取りあえず、すぐにやらなければならない指示を下した後、イェーガー元帥は椅子に座り、思い出したかのように、あることを尋ねた。
「おい、そう言えば、ナガス要塞はもう陥落したのか? 敵は連合軍だけなのか? 魔王軍はどうした?」
イェーガー元帥の知る限り、ナガス要塞を攻めているのは、魔王軍であり、連合軍は魔王軍の背後にいるはずなのだが、ナガス要塞陥落の知らせは受けていない。
そのため連合軍だけが、帝都近郊に出現したことに疑問を感じたのは無理からぬことであった。
「いえ、ナガス要塞は、未だに健在です」
「ん? では、連中はどうやって帝都近郊までやってきたのだ?」
首をかしげるイェーガー元帥の疑問に応えるべく、情報参謀長が口を開いた。
「斥候からの報告によると、連合軍はナガス要塞を迂回し、ゴモン街道を使用しているとのことです」
「ゴモン街道だと?! あの街道は途中にある谷間を大岩が塞いでいるから使用できないんじゃないのか?」
「ええ、ゴモン街道は、数年前の地崩れで、崖の上から落ちてきた大岩が道を塞ぎ通行不能になっていました。予算が降りずに撤去工事も遅れていましたが、どうやら連合軍の連中、大岩をどかして通れるようにしたみたいです」
「くそっ、何ということだ」
今もナガス要塞は、魔王軍と交戦中であるため、彼らの献身が無駄になったわけではないが、それでも、これは大きな誤算だ。
「戦務参謀長。籠城の準備はどの程度進んでいる?」
一週間あれば、帝都での籠城に必要な物資を一か月分用意すると豪語していた戦務参謀長は、顔面蒼白だったが、質問にはすぐ回答した。
「……十日前後。最初から配給に制限を掛ければ、二週間と言ったところです」
「う~む。二週間か」
「閣下、提案なのですが、奴隷共を帝都から追い出してみてはどうでしょうか? 奴隷がいなくなれば、食糧に関しては、かなりの余裕が生まれます」
昔に比べれば多少は待遇が改善されたが、帝都には過酷な労働条件下で働く大勢の奴隷が住んでいる。
敵に囲まれ食糧がなくなれば、外部に助けるために暴動を起こす可能性は十分に考えられた。
食糧の消費を抑え、不安要素を取り除くことを考慮すれば、一石二鳥の悪くない提案だったが、イェーガー元帥は反対した。
「追い出した奴隷共が、連合軍に組したらどうする? 敵兵を増やすだけだぞ」
「では、武器を持たせて、戦わせてみるのは?」
「万が一、反乱を起こされたらお終いだぞ」
部下の提案を一蹴するイェーガー元帥だが、本当に危機的状況に陥れば覚悟を決めなければならない。
(最悪、奴隷を皆殺しにして、食糧消費を抑えるという手段もあるが、それは最後の手段だ)
そう心に決めたイェーガー元帥は、あることを閃き確認をする。
「連合軍は、ゴモン街道を補給線にしているんだよな? 確か、例の大岩があった辺りは、急な斜面が続く山と山に挟まれた狭い道だったはず。だとしたら、魔法か爆薬で、もう一度塞げないか?」
やり方次第では、再度封鎖することも可能な地形だったはずというイェーガー元帥の発案に対し、情報参謀長は首を振った。
「現在、周辺は、連合軍の厳しい監視下に置かれ、ネズミ一匹通る隙間もございません。道を塞ぐほどの魔法使いを連れていくことも、大量の爆薬を運ぶことも無理でしょう。陛下か筆頭魔法官のどちらかがおられましたら、話は別ですが」
使徒のような圧倒的な個の武勇を持つ者がいない以上、博打に近い作戦はやるべきではないとはっきりと告げられ、薄々分かってはいたが、やっぱりダメだったかとイェーガー元帥は天井を仰いだ。
「そりゃあそうか。まあ、そうだよな。今、あそこが封鎖されれば、帝都北側に展開している敵軍は孤立する。ナガス要塞が陥落すれば別だが。補給線を失った軍隊であれば、一か八か、討って出ることもできたのに」
などと、ぼやいたが疲労が溜まり、逆に脳が活性化したのか、今日は冴えているとまたまた名案を繰り出す。
「地上からがダメなら、空からならどうだろうか? 帝都防衛用にまだ三個艦隊が残っていたはずだ」
おお、その手があったか、参謀長達が手を叩いた。
「なるほど、空爆ですな」
「地上からは無理でも、空からなら行けるかもしれません。早速、手配します」
数時間後、帝都の空を守るために温存されていた三個艦隊の中から、一個艦隊計八隻が、参謀本部の期待を背負って飛び立った。
だが、その期待もすぐに裏切られることになる。
「閣下、ゴモン街道を封鎖するために送り出した艦隊からの報告です。当該空域には既に統合軍艦隊が上空にて待機しており、空爆はできないとのことです。それと、我が艦隊の方は敵艦隊の射程距離外ギリギリで待機しています」
今の技術で空爆を行うには、目標の真上から爆弾を落とすしかない。そのためにも、目標である谷間の上空を抑える必要があるが、先に奪われていた。
「流石に、補給線の守りは完璧か。敵艦隊を撃破してからの空爆は?」
「それも賛成できません。敵艦に搭載されているバリスタの方が我が艦よりも射程は上です。どう考えてもこちらの方が被る被害は大きいでしょう。まあ、特攻覚悟でぶつかれば、或いは可能かもしれませんが、帝都決戦の前に艦の損害を出したくありませんね」
「どちらにしてもナガス要塞が陥落すれば、敵軍は、ゴモン街道のような危険地帯がある道を使わずに、補給線を確保できるでしょうから、仮に成功しても長い目でみれば効果は期待できません。艦隊に引き上げ命令を出してはどうでしょうか?」
「ええ、それがいいでしょう」
情報参謀長、戦務参謀長、それから作戦参謀長まで、艦隊の撤収を進言するが、イェーガー元帥は首を横に振り、むしろ、残りの二個艦隊も向かわすように命じた。
これには参謀長達もビックリだ。
「か、閣下!! 正気ですか?」
「帝都の空の守りを失いますぞ」
予想通り、反対する参謀長達に対し、イェーガー元帥は理由を説明する。
「こちらが全艦隊を差し向ければ、向こうも対処するために、ゴモン街道沿いに残りの艦を集結させるだろう。そうなれば、帝都に回す余裕はなくなる。少なくとも、ナガス要塞が陥落するまでは、連中、唯一の補給線であるゴモン街道を死守するために空中戦力を他所へ動かせなくなる筈だ」
三人の参謀長は、今の説明で得心がいったという顔になった。
「ナガス要塞が陥落するまでですが、敵の空鯨艦の動きを封じられるわけですね」
「そうなると、今、帝都北側に集結中の連合軍は、地上戦力のみで攻城戦をするしかない」
「それにこちらは、ゴモン街道を何が何でも封鎖しなければならないわけではない。牽制状態で、もし向こうが攻撃してきたら、さっさと逃げればいい」
「そうだ。そして忘れるな。現在、陛下がラグナロク艦隊を率いて共和国の各都市を攻撃しているのだ。魔王軍はともかく、連合軍に関しては時間さえ稼げればそれでよいのだ」
魔王軍は殲滅しなければならない相手だが、連合軍は違う。まあ、倒せるに越したことはないが、時間さえ稼げればいいのだ。
「イスラ同盟国政府と共和国政府が音を上げれば、統合軍は撤退せざるを得ない。それでもユグド王国軍は撤退しないかもしれんが、極少数の近衛騎士団を除けば、残りは雑魚の集まりだ。どうとでもなる」
こうしてイェーガー元帥の指示に従い統合軍の空中戦力を封じるために、ゴモン街道に向けて更に帝国軍艦隊が増強された。それに呼応し統合軍もまた動かせる全ての艦を配備した。
ゴモン街道の上空は、両軍の艦隊が睨み合う状態が続くことになるが、ナガス要塞が陥落するまで、イェーガー元帥の目論見通り、統合軍艦隊は、帝都での決戦に参加できなくなるのであった。
そして、それから更に三日後。
魔王軍の攻撃に晒されるナガス要塞は未だに健在だったが、帝都北側の平原に展開する連合軍が建造していた砦は完成した。
ガリウス国王やレヴァン近衛騎士団長の到着には、まだ数日掛かるものの、大半の部隊が現地に到着した。
帝都の眼前までやって来た連合軍の総数は二十万を超える。
対して、帝都に立て籠もる帝国軍は西部方面軍と中央軍の合わせて十五万だが、帝都の治安維持やらに回す事を考えると防衛に回せる戦力は限られる。
砦の建設中に、討って出ることも検討されたが、皇帝自ら共和国の各都市を攻撃している以上、無理して危険を冒す必要もなく、またいずれナガス要塞を突破して来るであろう魔王軍との交戦に備える必要もあるため、帝国軍は、城壁上で敵軍を迎え撃つことを選択するのであった。
セントラル・イスラに現れた謎の空飛ぶ巨大要塞が、途方もない破壊兵器を披露した映像を、ケルベロスからテレパシーで受け取ったメルクリアは、要塞が帝都に向けて移動中であることを聞き、少し悩んでからこう言った。
「アレをやるぞ」
『アレとは、アレか?』
「そうだ」
『う~ん。確かにアレは魔王の奥の手だ。しかし他の連中ならばまだしも、あの要塞に通用するかと言われると疑問が残るぞ』
メルクリアの言うアレとは魔王の切り札だ。
歴代の魔王達が勇者と戦う時に使う正真正銘の奥の手であり、メルクリアは、現勇者をその切り札で殺害に成功している。
しかしながら、テレパシー越しではなく、直接自身の目で要塞を観察しているケルベロスは、その切り札をもってしても懐疑的だった。
『情報が揃うまで、撤退するべきではないか?』
ここは逃げるべきという判断をするケルベロスの意見に、メルクリアは反対した。
「何を言うか。ようやくここまで来たんだ。今を逃せば帝国を倒せるチャンスは来ないんだぞ。例の要塞との交戦で、帝国の大艦隊が半壊状態とはいえ、イスラ同盟国の首都も壊滅的被害を出している。恐らく、軍の撤収も秒読み段階に入っていると見ていい。それに、どちらにしても帝都に背を向いてあの要塞には対応できない」
顔を合わせないテレパシーでの会話とはいえ、ケルベロスは、悲願だった帝都攻略を前にメルクリアの視野が、いつもよりも狭まっているのではと疑念を抱いた。
いつものメルクリアならば、ここは慎重策を取ると考えていたからだ。
しかし、メルクリアの指摘するように、帝国を倒すのであれば今が最大の好機であることは間違いなく、同盟国首都の壊滅により、撤収のカウントダウンが早まったのも事実だ。
「補給線確保のために空鯨艦は使えず、ガリウス国王や近衛騎士団もまだ到着していないが、明日にも総攻撃を仕掛ける。今の戦力でも短期間の内に帝都を陥落できよう。その後、帝都に向かっている女神が乗り込む巨大要塞を全戦力でもって相手をしてやる」
『いや、しかしだな』
「なにを怯えているケルベロス? こちらには膨大な数の兵に空鯨艦。それに何より、竜騎士レヴァンがいる。空鯨艦では、要塞に歯が立たないようだが、奴の召喚する竜に乗せてもらい要塞内に辿り着けさえすれば、アレを使ってこちらの勝ちだぞ」
『まあ、確かにそうなのだが……」
「女神の直接参戦は僥倖だ。見ていろケルベロス。私が全てを終わらせるところを!!」
彼の名前は、ジョン・ポアーロ。
ユグド王国王都アルンの商店街にある小さな雑貨屋を営む一家の長男だった。
だった。そう過去形だ。
ローラン伯爵討伐のために、徴兵されたジョンは、突如、王都を襲撃してきた魔王軍の攻撃で、店と家族を失った。
王都帰還時に、唯一生き残った母親から、店は焼け落ち、父と弟が死んだと聞かされ彼は泣き崩れた。
成人したばかりの歳だったが、一晩中泣き喚き、翌朝、手に武器を取り復讐を誓った。
「魔王軍も魔王も絶対に許さない!! 八つ裂きにしてやる!!」
母親にそう告げると、魔王軍追撃のために再編成された連合軍に加わった。
魔王軍による王都襲撃でジョンは、多くのものを失ったが、代わりに新たな仲間ができた。
「聞いたかジョン。上層部が決断したぞ。これからこのファウゼンを出発して、帝国領へ侵攻し、帝国諸共、魔王軍を滅ぼすそうだ」
「本当か? だが、そうなると、帝国軍も敵になるぞ。両方相手にして勝てるのか?」
ローラン伯爵領討伐に参加した兵士の中には王都襲撃で家族を失った者が大勢いた。失ったものに差はあれど、彼らもジョンと同じように魔王軍による被害者達だ。
故に、打ち解けるのに、そう長い時間は掛からなかった。
「関係ない。魔王を殺せればそれでいい。帝国の連中も邪魔するなら一緒にぶっ殺すだけだ」
「おお、怖いな」
「しかし、頼もしいぜ」
その中でも激しい復讐に燃えるジョンが周囲に放つ殺気は、雑貨屋の跡取りが放つものではなかったが、他の仲間達からは頼もしいと高い評価を受けた。
やる気があるのはとても良いことだと、行軍中に昔、とある貴族の家で私兵をやっていた老兵士から戦い方を教えてもらえるほど、ジョンは、やる気と殺意と復讐心に溢れていた。
行軍中も特訓は続き、ジョンの剣の腕前が、ひよっこの段階を卒業した辺りで、彼らは帝都の目の前で連合軍が建造した砦に辿り着いた。
砦というよりは、前衛基地と呼ぶべきだろう。
あちこちに掲げられている所属を表す旗。無数の天幕と簡単な造りの倉庫。幾重にも張り巡らされた空掘と柵。そして、視界の一番奥には、高い城壁に囲まれた帝都がよく見える。
「スゲーな。あの帝国の心臓部である帝都の目と鼻の先によくこれだけの基地を造れたな」
「さっき聞いた話だが、もう二十万近い兵がいるらしいぜ」
「帝都にいる連中、今頃、大慌てだな」
そこら中から聞こえてくる兵士達の言葉に耳を傾けると、連合軍は大分帝国を追い詰めているようだ。
しかしながら、ジョンを始め、魔王軍を倒すために連合軍に参加している兵士達は、強い不満を抱いていた。
「糞っ、どうなってやがる! 俺達は魔王軍を倒しにきたんじゃないか?!」
帝国軍も一緒になって倒すことに賛同していたが、魔王軍に恨みを持つ者達にとっては、あくまで帝国軍は第二目標であり、本命は魔王軍だ。
「そういえば、魔王軍はどこに行った?」
「噂だと、ナガス要塞っていう近くの要塞で帝国軍と交戦中らしいぜ。俺達は、そのナガス要塞を迂回してあの狭い谷間を通って帝都まで進軍したそうだ。」
「はあ? だったら、要塞を攻撃している魔王軍を後ろから狙えば、すぐに倒せたんじゃないのか?!」
「俺に当たるなよ。上に上の考えがあるんだろうぜ」
「チッ、今の連合軍の指揮官メルクリアだったけか?頭おかしんじゃないのか? 帝国より先に、魔王軍だろ!」
一般兵である彼らには戦術や戦略的なことは分からない。
それでも、魔王軍を倒せる好機を見逃して帝都を狙うという上層部の考えに納得がいかなかった。
このように、大した被害もなく無事に帝都に辿り着いたのはいいが、連合軍内には不和が生じていた。
特に魔王軍を倒すために参戦したジョンのような人間は、誰の目から見ても明らかな強烈な不満を漂わせていた。
そのような空気の中、明朝、帝都に総攻撃を仕掛けるという命令が全兵士に下された。
翌朝。
帝都北側の城壁の外にある平原に、連合軍の大軍勢が隊列を組み展開した。
兵士達の正面にそびえる帝都を守る城壁は縦にも横にも長い。連合軍側にも長梯子や攻城塔はあるが、苦戦は必死だろう。
そうなると、兵の士気が重要な要素になるが、統合軍の兵士達はともかく、魔王軍に恨みを持つ者が多い王国軍側の兵士の士気はかなり低下していた。
突撃陣形を組み出撃まで僅かであるため、流石に、不平不満を挙げる者はいないが、彼らの顔色を見れば、納得していないのは一目瞭然である。
果たしてこの状態のまま、帝都への攻撃を開始して大丈夫だろうか?と各部隊の指揮官達は疑問を呈する。
そんな矢先、馬に跨った一人の男が全軍の前に立つ。
幸運にも最前列に配属されていたジョンは、その男の姿を肉眼で見ることができた。
魔法を使っているのだろうか。男の声は、平原中にとてもよく響いた。
『私の名前は、ユーリ・メルクリア!! ガリウス陛下が到着されていない今、この軍で最高指揮官を任されている者である!!』
その声を聞き、三種類の動揺が走った。
一つは、メルクリアのことをよく知っている統合軍。彼らは、メルクリアがこれまで、戦いの前に、このような演説をした試しがなかったので、大変驚いた。
もう一つは、メルクリアのことをあまり知らない王国。噂の類でメルクリアの名前だけは知ってはいるし、ガリウスと並び連合軍の司令官であることも知ってはいるが、所詮はよく知らない他国の人間だ。それでも土産話に、雲の上にいる人がどんな人なのか、その顔を拝もうとする。
「あいつが、そうか……」
最後に、ジョンのような帝国よりも魔王軍と戦いたいと願う者達は忌々しい目付きでメルクリアを睨む。
ジョン達からすれば、メルクリアは魔王軍よりも帝国を攻撃することを選んだ自分達の望みにそぐわない決定を下した愚かな指導者だ。彼らにしてみれば怒って当然だった。
一部から厳しい視線に晒されていたが、メルクリアは、気にすることはなく叫んだ。
『兵士諸君、諸君らの中には不満を抱いている者もいるだろう。自分達は魔王軍と帝国をまとめて潰すために来たのに、何故、ナガス要塞を攻略中の魔王軍を背後から攻撃しないのかと?!』
いきなり、それをぶつけてきたかと思いつつも、ジョン達は理由を教えてくれるならば早く教えろと耳を傾けた。
『そんな諸君らの疑問に答えよう。答えは簡単だ。私から言わせれば、魔王軍などいつでも潰せる雑魚だからだ!!』
一瞬、全兵士が、こいつは何を言っているんだ?という理解に苦しむ顔になるが、余計な声を出される前に、メルクリアは言葉を続けた。
『今代の魔王は、今日までに多くの地で猛威を振るってきた。共和国ドリュアス要塞。ユグド王国旧ローラン伯爵領。そしてユグド王国王都アルン……』
全員の脳裡に、直近の戦いが思い起こされる。噂でしか聞いていないが、どれも多大な犠牲が出た戦いだ。
『その全ての攻撃を、私は追い払った』
その一言で、兵士達に激震が走る。
そうだ。そうなのだ。この男は。ユーリ・メルクリアは、今日までに三度魔王軍と交戦し、その全てで白星を飾っていた。
改めてその偉業を思い知りドリュアス要塞の時から、メルクリアの戦いを目撃してきた旧共和国軍の兵士達は、うんうんと頷く。
メルクリアのことをよく知らない他国の人間も、噂ではその活躍ぶりを知っていたので、凄い人が目の前にいるんだなと感心した。
そして、一番心の中で変化が生まれたのは、魔王軍を倒すことで頭が一杯なジョン達のような人間だ。
彼らは、メルクリアが魔王軍相手に全戦全勝をしている事実を知ると、先程までの非礼を心の中で詫び、代わりに尊敬の念を抱き始めるが、それだけに、何故、魔王軍ではなく帝国を狙うのかが理解できなかった。
その理由は、メルクリアの次の言葉にあった。
『統合軍だけでも魔王軍を撃退できた。王国軍と手を結んだ今、私から言わせれば魔王軍など眼中にない。だが、そんな私が、今、魔王軍以上に帝国を恐ろしいと思っている』
魔王軍キラーと言っても過言ではない男が、魔王軍ではなく、帝国に恐怖を覚える。その衝撃は絶大であった。
『帝国の軍事力は大陸を征服できる規模だ。元ゼラシード商会の情報部長として断言する。このままでは、十年も経たずに大陸中が帝国の支配下になる!! 共和国も王国も北方諸国も、みんな等しく帝国の属国と成り果てるぞ!!』
共和国、ユグド王国、北方諸国。
この場に集う連合軍を構成する国々は、一度たりとも帝国の支配下に置かれたことがないが、情報も碌に入って来ない貧しい農村の出身者ですら、帝国の非道さは知っていた。
征服した国の民を奴隷として酷使することで国を拡大してきた帝国の野蛮さは、大陸の共通認識だった。
『帝国に隷属することになった我々に待っているのは、過酷な奴隷生活だ。財産も尊厳も未来も全てを搾取される絶望的な日々が待っている!』
『想像したまえ。君達の妻や娘は、帝国の脂ぎった肥満貴族共の慰み者になり、我々のような男性は危険な炭鉱や工場などの過酷な労働現場で一生こき使われる。先祖伝来の土地や財産も当然のように奪われるぞ』
演説を聞いていた兵士達の脳内に、最悪の未来の光景が思い浮かばれ、メルクリアの叫びが、その未来を更に暗く染め上げる。
『この中に、そんな悲惨な運命を受け入れる者などおらんだろう!!』
空気が変わった。言葉には出さずとも、ほとんどの兵士達が大きく頷いた。
『近年帝国は奴隷の待遇を改善したというが、あんなのまやかしだ。我々という外部の敵がいるから、内部の奴隷を利用するためにやっただけであり、世界の全てが帝国に塗りつぶされば、奴らは遠慮なく奴隷を玩具のように扱うに違いない!』
全員の意志が一つになりつつ、メルクリアの演説は佳境に入る。
『帝国は強い!! 誰も倒せない!! だが、だが、今だけは違う!!』
『帝国に抗う意志を示した各国の協力と、偶然にも帝都を目指し侵攻している魔王軍を利用するという奇跡のおかげで、我々は、こうして帝都の喉元までに来ることに成功した!!』
『それに、我々は、この決戦まで力を温存することができた。こんなチャンス二度とない。今が帝国の蛮行を食い止める最後のチャンスなのだ!!!』
『三度も魔王軍を退けた私が断言する。安心したまえ、軟弱な魔王軍などいつでも潰せる。それは私の今までの実績を見ればすぐに分かるはずだ。故に今は、ひ弱な魔王軍の事は忘れたまえ』
確かな手ごたえを感じたメルクリアは、右腕を掲げて、一番の大声を張り上げる。
『問おう! 我々らの敵は誰だ!!!』
二十万の大軍勢は一人も欠けることなく同じ答えを叫んだ。
「「「帝国だ!!!」」」
『我々らの、家族を奴隷にして売り払うと企むのは誰だ!!』
「「「帝国だ!!!!」」」
『我々らの、財産、誇りを奪おうとしている者は誰だ!!』
「「「帝国だ!!!」」」
バラバラだった兵士達は、同じ意志を持ち、目の前の敵に激しい殺意を向ける。
『殺せ! 殺し尽くせ!! 邪悪な帝国兵は皆殺しにせよ!!』
体験したことがない熱狂的な雰囲気に呑まれ、ジョンの頭の中から魔王軍のことは抜け落ちていくが、これはジョンにだけ限った話ではない。
メルクリアの演説により、最高潮にまで士気を高められた連合軍の兵士達全員の頭の中から魔王軍の姿が消えていく。
『諸君らの故郷で待つ家族だけではない。今も帝国に怯える多くの国の人々が。帝国に国を奪われ奴隷に落ちた全ての人達が我々に期待している! 今この場にいる我々が、邪悪な帝国を打倒しその支配から解放してくれることを!!!』
『この場にいる我々こそが、帝国の支配に抗う自由の希望なのだ!!』
『敗北は許されない!! 我々は必ず勝たなければならない!!! しかし敵は強大で、我々は弱い。それでも、一人一人の力は小さくとも、手を取り合えばきっと勝てる!!』
演説を聞いていた誰もが、手に持つそれぞれの武器を強く握りしめて掲げた。
『勝つぞ! 輝かしい世界の未来のために!! 全軍攻撃を開始せよ!!!』
「「「「「ウオオオォォォーーー!!!!!」」」」」
ドリュアス要塞の戦いから始まった、今代の魔王との戦いの最後を締めくくる最終決戦は、決戦の地である帝都に一番乗りした連合軍の地を揺るがす突撃を合図に始まった。




