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第五十二話 進撃の魔王軍

 時は遡る。


 王都を襲撃した魔王軍に復讐するために一時的に手を結んだ統合軍と王国軍からなる連合軍は、順調に行軍を続け、とうとうローラン公国から続くレギア街道の終着地である帝国との国境に近い城塞都市ファウゼンに到達した。


 しかし、ここである問題が浮上していた。


「さてと、ここまで兵を進めたのはいいが、今後はどうしたものか? 魔王軍は既に帝国領内に入ってしまったのだろう?」


 到着早々、一人の将校がぼやくように予想よりも早く魔王軍は帝国領への侵攻を果たしていた。


 王国を蹂躙した魔王軍を敵国である帝国領へと追いやったと見なすべきか、それとも連合軍は逃げる魔王軍を捉えることができなかったと見るべきか、意見は分かれるが、魔王軍はもうユグド王国内にいないことだけは確かな事実だ。


 そして、現在、魔王軍がいる地は世界最大の軍事力を有するバイキング帝国の領土内であるため、これ以上、追撃することはできない。


 帝国側に共に魔王軍を倒すために協力しませんか?と打診してもいいが、連合軍の兵力は三十万。これほどの大軍が領内に入ることを帝国側が許すわけがない。


 さりとて、何も成果を上げずに、ここで解散といくわけにもいかない。


 困り果てる連合軍上層部。


 そんな時、連合軍上層部に思いもよらない人物が接触してきた。





 ファウゼンの郊外にある廃村の一角で、連合軍上層部は、厳重な警備体制下で、ある男と面会していた。


 男の名は、ナハト・ギュスターブ。


 突如、連合軍上層部と対話したいと接触してきた当代の魔王である。


 今代の魔王が、自ら名を名乗り、人前に姿を晒したのはこれが初となる。


 警戒しつつも、少しでも有益な情報を掴めないかと判断した連合軍上層部は、外部に漏れないように徹底した情報封鎖を敢行。代表者を選出し魔王が指定した場所で顔を合わせた。


「絶対に手を出すなよ。勇者でなければ魔王は殺せん。戦うだけ無駄だ」


 この場にいる者の中にも、魔王に恨みを持つ者がいるのは知ってはいるが、それでも安易に手を出せば命はないと全員に警告するのは、統合軍司令官ユーリ・メルクリアだ。


「賢明な判断だ。流石はユーリ・メルクリアだ」


 十体ほどのオーガを護衛に付けて会談の場所に姿を見せた黒色のローブを羽織った男、魔王ナハト・ギュスターブは、王の風格を纏わせて用意された椅子に腰を下ろした。


 魔王が席につくのを確認した後、メルクリアとユグド王国、国王ガリウスの名代として王国側の代表になっていた竜騎士レヴァン・ゼーレスも椅子に座る。


 簡単な自己紹介と世間話を挟んだ後に、魔王の方から本題に入った。


「さて、お二方、ボチボチ本題に入ろうか?」



 


 翌日、ファウゼンに国王ガリウスが到着し、すぐに軍議が開かれた。


「昨日の魔王からの提案についてご報告します」


 突如姿を現した魔王が何を言って来たのか、レヴァンは多くの将校達の前で説明する。

  

「魔王は、帝国を滅ぼすのであれば、手を貸すと提案してきました。具体的には、魔王軍が先陣を切って帝国領内を進み、邪魔する帝国軍を蹴散らして帝都までの道を切り拓くそうなので、統合軍は魔王軍の後ろをついて来て、好きなタイミングで暴れてくれとのことです」


 魔王の言葉を代弁するレヴァンに、統合軍、王国軍問わず、将校達から驚きの声が上がる。


「信じられない。確かに歴史上、魔王軍の侵攻を各国が勝手に利用することはあった。だが、魔王の方から自分達を利用して国を滅ぼせなど前代未聞だ。何を考えている?!」


 大きな声を張り上げるその将校の言うことはもっともな意見だ。


 統合軍と王国の双方から同意の言葉が上がる。


 そこで魔王が何故こんな提案をしてきたのかという理由を、警戒する将校達に向けて、今度はメルクリアが説明した。


「本人の真意はともかく、帝国の軍事力が魔王の想像を超える速度で増大しているので、今の内に確実に潰しておきたいそうだ」


 全員ではないが、列席者の大半が、今の説明で得心がいった顔をする。


「なるほど、一応、理に適ってはいる」


「帝国の軍事力は強大だ。魔王が警戒していてもおかしくないほどにな」


 世界有数の国力を持つ三強の力を削ぐために、魔王軍はこれまでに共和国首都、ユグド王国王都を襲撃し国力を削ったが、未だに帝国は無傷だ。


 後回しにしてしまった間に、今日まで魔王軍による直接的な被害を出さなかった帝国の軍事力が、魔王ですら容易には攻められないほど増大していたのは誰もが認める事実である。


「なるほど、魔王の事情は理解した。だが、我々が魔王の提案に付き合う必要があるのかね?」


 最初に、そう言い出したのは、統合軍側の一人の将校で、すぐに同じ考えを持っていた将校達が同意する。


「帝国は脅威だ。それは認めよう。しかし、だからといって、人を殺すことしか考えない魔物共の主と手を組む必要などない!!」


「王都を襲った連中と手を組むと知ったら兵士達が暴動を起こすかもしれん」


「厄介な帝国と魔王軍が勝手に殺し合う様を眺めていればいいのではないか?」


 王都襲撃から日が浅いこともあり、心情的に魔王軍と手を組むことが難しいのか王国の方が反対者は多かったが、統合軍側からも反対意見が続出した。


 その結果、列席者の八割近くが、魔王と手を組むことに反対するも、逆に魔王軍と手を組むべきだと主張する者もいた。


 一番力強く賛成の声を出すのは、空軍大将であるロイドだ。


「このチャンスを逃せば、帝国の勢いを抑えることができなくなるかもしれません」


 統合軍王国派遣軍のナンバー2であるロイドの言葉は軽くはない。ロイドが警鐘を鳴らすように、帝国側も空鯨船を多数建造しており、それに加えて強大な陸軍も存在する。


 ユグド王国と統合軍勢力が同盟を結んだとしても、正面からやり合って勝てる相手ではないという予測が統合軍情報部から上がっているほど、圧倒的な戦力を帝国は有していた。


「ロイド大将閣下の仰る通り、今が帝国を倒す最後にして最大の好機かもしれません」


 ロイドに追随する者も多少はいたが、それでも人数は少ない。と、ここで静かに軍議の行方を見守っていたガリウス国王がある事を尋ねた。


「おい、そもそも帝国軍と魔王軍、このままぶつかったとして、どちらが勝つんだ?」


 その質問には、彼の隣に座っていたメルクリアがすぐに答えた。


「情報部の分析では、犠牲は出るも帝国が勝利する可能性が高いそうです」


「魔王は不死なのだろう? 勇者が確認されていない中でも、魔王軍が負けるのか?」


「例え、指揮官である魔王が不死身でも、軍団を構成している魔物達は違います。いくらなんでも魔王一人で帝国は滅ぼせませんよ」


「なるほどな……」


 メルクリアの解説を聞き、何やら納得した顔になったガリウスは、もう一度メルクリアに問い掛ける。


「メルクリア殿。先程から余と同じく、貴殿も自分の考えを述べていないではないか。貴殿はどう考えておるのだ?」


 軍議の締めとして自分の意見を述べたガリウスは、メルクリアに先に自身の考えを述べるように急かすが、この場において間違いなく一番有能なメルクリアの意見はこの会議の結果をも左右しかねない。


 全員が興味津々の様子だ。


「私としては、魔王軍と一緒になって帝国を滅ぼすべきだと思います」


「?! 理由は!!」


「ロイド大将も主張しているように、これが帝国を滅ぼせる最後にして最大の好機だからです。今を逃せば帝国の勢力拡大を防ぐのは、とても難しくなるでしょう」


 特に新しいことは言っていないが、メルクリアの口から最後という言葉が出たのは衝撃的だった。


 あのメルクリアが最後というからには、これが最後の好機なのだろう。


 大統領に就任して早々イスラ同盟軍と手を結び共和国首都を魔王軍から守り、その後、イスラ同盟国のナンバー2に就任し統合軍の編成に務めた。そしてローラン公国のみならずユグド王国の王都さえも救った。


 それだけの偉業を成した人物の言葉は、列席者全員の心に強く響いた。


「ふふふ、流石はメルクリア殿だ。余と全く同じ考えを持っておったとは」


 会議室内の雰囲気が変わっていくのを察したガリウスは、すぐに叫ぶ。


 別に多数決で方針を決めるわけではないので、今のが決め手だった。


 統合軍と王国のトップ二人が、帝国ごと魔王軍を潰すと主張した以上、帝国領への侵攻に反対だった者達も考えを改めなければならない。


 こうして連合軍は、帝国領内への侵攻を決定した。


 魔王と接触したことは伏せたまま、魔王軍諸共、帝国を滅ぼすというこの決定は、ただちに全兵士に通達される。


 少数であるが、帝国領内まで攻め入ることに反対する将兵はいた。


 だが、元々、占領した国の民を奴隷にする帝国に良い印象を抱く人間などいなかったため、ほとんどの将兵が決定を受け入れ、連合軍は一路、帝国の中枢である帝都を目指して進撃を開始するのであった。








 数日後、戦う前から降伏した帝国西部のとある小都市の官庁施設の一室にて、ユグド王国近衛騎士団副団長フェルナンドは、上官である近衛騎士団長レヴァンと休憩を取りながら、状況を分析していた。


 彼は今、長い列を形勢する連合軍の中間付近にいる国王ガリウスを守る部隊を指揮していた。


「ここまでは順調だな」


「いやはや、私も長い事、戦場で戦ってきましたが、敵国内で、これほど楽な行軍をしたことは一度もありませんぞ。まあ、今だけの話ですがね」


 帝国の動きは、迅速かつ徹底していた。


 驚くことに、連合軍に先駆けて、十万の魔王軍が帝国内に侵攻してきた段階で、帝国西部全域を放棄することを決定し、西部方面軍のほとんどを帝都まで後退させた。


 帝国側はこちらが連携していることは知らないだろうが、魔王軍十万と連合軍三十万の両方を相手にできるほど帝国軍西部方面軍は強くはない。


 それでも全滅覚悟でいくつかの要塞や砦に籠城すれば、時間稼ぎくらいはできたかもしれないが、それすらやらずに、西部方面軍は帝国西部に住む民衆を見捨てて中央に逃げてしまった。


「自分達を守るはずの軍隊がいなくなった帝国西部に住む民衆には同情しますが、帝国全体を考えれば、最善の策でしょうな」


 今回の帝国軍の決断は、下手をすれば皇帝の権威を揺るがしかねない下策に見えるが、フェルナンドの指摘するように、帝国全体を考えれば最善の策だった。


 というのも、連合軍の帝国領侵攻とほぼ同時に、帝国と国境を接する全ての中小諸国が、一斉に帝国領へ攻め入り、帝国軍の各方面軍は、それぞれの持ち場から動けなくなった。


 西部に援軍を出せない以上、西部を守る意味は薄れる。


 帝国側は、敵を帝国の奥深くにある帝都まで誘き寄せて、中央軍と西部方面軍の総力を結集して迎え撃つことを選んだのだ。


 こうして帝国軍中央参謀本部は、さっさと西部方面軍を帝都まで後退させてしまい、その代償に、西部に取り残された民衆は各都市に立て籠もり、連合軍が来たら、戦わずして降伏することを余儀なくされた。


 彼らの救いは、一部の王国軍の粗暴者達が略奪行為をしているものの、組織的な略奪行為まではしていないので、おとなしくしていれば、身の安全は保障されていることだ。  


 そのおかげもあって、連合軍は、占領した各都市に最低限の部隊を配備し、兵站線を構築しながら、帝都を目指すことができた。


「それにしても、ユーリ・メルクリアという男は、恐ろしい男ですな」


「ああ、全くだ」


 フェルナンドの意見に、レヴァンも頷いて肯定する。


「中小諸国と予め話がついていたことを考えると、ローランへ出兵する前の段階で、帝国領への侵攻準備を整えていたと考えるべきだろうな」


 これほどの戦略家は、ユグド王国にはいないと断言できる。


 レヴァンもフェルナンドも、人口こそ多いが優秀な人材は乏しいユグド王国の現状に頭を悩ませながら、次の都市に向けての行軍の準備に入るのであった。






 帝都、帝国軍中央参謀本部。


「東部方面軍司令部から、このままでは兵糧が足りなくなると報告が入りました!!」


「ドロス平原の続報はどうなった?」


「ええい!! 南部方面軍には籠城に徹し、絶対にこちらから攻めるなと伝えろ!」


 魔王軍の帝国領侵攻から始まった周辺各国の総攻撃に対応するために、帝国軍中央参謀本部は、不眠不休で事にあたっていたが、状況は芳しくはない。


 中でも最大の問題点は、帝国西部、ユグド王国領から侵攻してきた魔王軍と連合軍だ。



 はっきり言えば、当初、帝国軍参謀本部は、帝都に辿り着く前に、魔王軍と連合軍は互いに殺し合うだろうと、最初はどこか楽観視し、他の戦線に注視していた。


 だが、思うようには上手くいかないため大慌てになった。


 帝国と皇帝の名誉に関わるため、口が裂けても公には言えないが、西部方面軍が退却し盾を失った西部に住む帝国民を魔王軍が大虐殺し、それを見かねた王都を焼かれて復讐に燃える連合軍が、魔王軍を攻撃するだろうと予想していたからだ。


 むしろ、そうなるように仕向けるために、帝都に戦力を集中するという目的以上に、西部の帝国民を魔王軍への生贄に捧げるべく、西部方面軍を引き払ったまである。


 これは、そうなればいいなという願望ではない。間違いなく、そうなるだろうと予想して立てた作戦だ。


 結果は、見事に失敗したが。


「ええい!! どうなっておる!! どうして魔王軍は、戦う力のない民がいる各都市を無視して、後方から追い掛ける連合軍にさえ手を出さずに、真っすぐ帝都に向かってくる!!」


 魔王の命令に逆らえないにしても、人間を襲うという魔物の本能を封じ込めて、規律正しく行軍している魔王軍に苛立ち、全ての作戦を立案した帝国軍総司令イェーガー元帥は大声を荒げる。


 そんな姿を見て、いよいよ窮地に達したと判断した皇帝カリンはある決断を下す。


「イェーガー、本国は任せる」


「はっ! ですが、どちらに?」


「妾自ら、ラグナロク艦隊を指揮し、連合軍だけでも撤退させる」


 そう言って皇帝カリンは、その日の内に、空鯨艦に乗り込み、帝都を後にした。


 この後、カリン率いるラグナロク艦隊は、イスラ同盟国の首都を見事焼き払うことに成功し、そのカードを持って、共和国政府に圧力を掛けようとした矢先、謎の空中要塞ギャラルホルンによって大打撃を受けるのだが、この時は誰も知らなかった。




 それから何日か経過した後。


 皇帝カリンに本国を任されたイェーガー元帥並び、参謀本部の将校達はその叡智を振り絞って、必死になって国の守りを固める。


「よし、南部と東部は、しばらくは抑えられるだろう。問題は」


「北部と西部ですね」


 中小諸国からの攻撃を受けていた南部と東部は一段落したというイェーガー元帥の判断に頷く将校達は、いよいよ最大の問題点の対処に取り掛かる。


「共和国との国境を接する北部の方は、まあ大丈夫でしょう。対峙する統合軍の中身はあの剣聖ザルバトーレ率いる旧共和国軍の精鋭ですが、こちらの北部方面軍も帝国随一の練度を誇ります」


「北部国境線から帝都までの距離は非常に短いため、万が一、国境線を抜かれれば、あっという間に帝都までの侵入を許すことになりますが、北部方面軍には絶対に陣地から出るなと指示していますので、抜かれる心配はないと思います」


「うむ。では、やはり問題は、帝国西部から押し寄せる魔王軍と連合軍だな」


「魔王軍が道を切り拓き、安全が確保されたその後ろを魔王軍以上に大軍の連合軍が続く。これではまるで、魔王軍が連合軍の先鋒です。或いはその逆で、魔王軍の本隊が連合軍とも言えますが」


 王都を蹂躙された王国兵が聞けば、激怒するかもしれないが、帝国から見れば、魔王軍も連合軍もどちらも帝国を脅かす侵略者だ。なので彼らには、人間主体の連合軍もまた魔王軍にしか見えなかった。


 まあ、連合軍の指揮官は魔王なので、あながち間違ってはいないのだが。


「無駄話はそれくらいにして、本当にどうする? 連合軍の大半は未だに帝国西部にいるが、魔王軍と連合軍の先鋒部隊の一部は、もう帝国中央に侵入しているのだぞ」


 帝都を目指して一直線に進む魔王軍は、何もなければ数日で帝都に辿り着く、もう悠長に話し合いをしている段階は終わっていた。


「戦務参謀長。部隊の集結の方は?」


「西部方面軍並びに中央軍の全部隊が帝都への集結を完了しております。ですが、籠城の備えができておりません。帝都の民を全て追い出し、軍だけで立て籠もれば余裕で食糧は持ちますが」


「帝都の人口は膨大だ。帝都近隣に安全な避難先もないため、民と共に帝都に籠るしかない。食糧の用意に、何日掛かる?」


 戦務参謀長は、しばらく黙り込んだ後、ゆっくりと口を開いた。


「今すぐに門を閉じ籠城態勢に入れば、五日と経たずに食糧が枯渇するでしょうが、後一週間も時間を用意できれば、一か月分は用意してみせます」


「一か月か……。それだけ時間があれば、陛下が共和国の連中を屈服させるには十分だな」


 ラグナロク艦隊が、共和国の各都市を破壊し共和国政府が負けを認めた時、帝都が陥落しているか、そうでないかで、後の展開が大きく変わってくる。


 他の都市がどうなろうと、皇帝と並ぶ帝国の象徴である帝都の陥落だけは絶対に阻止しなければならない。


 決意を漲らせる将校達の顔を見て、どこか安心したのか、イェーガー元帥は、この中で一番、守備に秀でたバロラム将軍の方を向く。


「バロラム将軍。中央軍の一部を率い、今すぐにナガス要塞に向かって欲しい」


 ナガス要塞は、帝国西部から帝都に至る道の最後に構える堅牢な要塞だ。


 帝都から軍の足で一、二日という位置にあり、文字通り最終防衛拠点だ。


「ナガス要塞も放棄する予定であったが、籠城の備えが整っていない以上、敵が帝都に来る前にどこかで足止めをしなければならない。魔王軍だけなく、下手をすれば、連合軍の相手もしなければならないかもしれんが、やってくれないだろうか?」


 帝都の籠城準備が完了するまで、文字通り、肉壁になれというイェーガー元帥の命令に、バロラム将軍は、これが自分の役目だと静かに頷くのであった。







 三日後、いつ魔王軍が約束を翻して襲い掛かっても対処できるように、高い練度を持つ統合軍の将兵で構成されている連合軍の先鋒部隊の司令部に、二つの緊急の知らせが入ってきた。


 最初に飛び込んできたのは、ここまでほとんど接敵せず快進撃を続けていた魔王軍が、遂に帝都の目前にあるナガス要塞で足止めを食らったという報告だ。


「流石の帝国も、帝都の目前まで攻め込まれては、黙っていられないか」


 この場でもっとも階級の高い男。統合軍側の総司令官であるユーリ・メルクリアは、将校達に自分の見解を述べさせた。


「戦力分散をせずに帝都で戦う方が有利だろうに、そのつもりはないのか?」


「未確認ですが、帝都に忍ばせた諜報員からの報告では、帝都はまだ籠城の準備ができていないとのことです。各地から続々と物資が運び込まれているそうですが、膨大な帝都の民も一緒に籠城するとなると、準備には時間が掛かると思われます」


「なるほど、そのための時間稼ぎか」


 それぞれ思い思いに意見をぶつけ、ある程度、熱が冷めるとメルクリアはこう言った。


「魔王ナハトからは何か言って来たか?」


 真相を知っている者からすれば白々しい演技ではあるが、メルクリアから魔王の代役を演じる事を命じられたカリオスの構成員の名前を出すと、場は一気に静まり返った。


 共闘することになったが、相手は魔王だ。何も知らない将校達は、皆、名前を出すことさえできないほど、心の底から恐れていた。


「いえ、ファウゼン以来、魔王側との接触は確認されておりません」


 若手将校が勇気を振り絞って、報告の義務を果たすと、メルクリアはご苦労と言ってから、全員に向けて言う。


「さて、諸君。帝都に近づき、いよいよ敵も本格的に動き出してきた。ナガス要塞は堅牢な要塞と聞くが、数日あれば、魔王軍なら陥せるだろう。しかし帝都に時間を与えたくない」


 魔王軍に協力して、ナガス要塞を攻撃するかどうかの議論をしたいメルクリアだったが、その時、酷く狼狽した伝令兵が司令部の天幕の中に入ってきて、本国からの緊急の知らせを告げる。


「さ、参謀本部よりの緊急の報告です!! 約三百隻を超す帝国軍の大艦隊が共和国上空に飛来し、共和国の各都市に対し、空爆を行っているとのことです!!」


「「「は?」」」


 世界で最も早く空鯨船の開発に成功した統合軍勢力でさえ、戦闘可能な空鯨艦の総数は百隻にも満たない。


 それだって、三つの各方面軍に配備した艦と、有事の際に待機させた予備と、建造途中の艦を含めた数だ。


 三百隻という数字は、途方もなく馬鹿げていた。


 あのメルクリアですら、最初は何を言っているのか理解できず、思考が停止したぐらいだった。


 他の将校なんか、魚のように口をパクパクしているするほかない。


「て、帝国軍は既にこちらとやり合えるほどの空鯨艦を五十隻前後保有しているが、それとは別に三百隻か?」


「はい、残念ながら……」


「なんということだ。これが帝国の秘策。いや、あのシド・カルスタンを失脚させた現皇帝カリンの奥の手か」


 警戒していた。


 イスラ同盟国の評議員としてだけなく、魔王としても。


 彼女と彼女が率いる帝国こそが、己の野望を阻む最後の壁になると。


 情報戦に力を注いでいる帝国から入ってくる情報が少ない現状、想定外の切り札が飛び出して来ても大丈夫なようにあらかじめ覚悟を決めていた。


 それでもだ。


「これは流石に想像を絶する展開だ」


 メルクリアが、ここまで言う以上、どうしようもないのだろう。全員、意気消沈するが、メルクリアにはまだ尋ねたいことがあった。


「君。その報告は、一体いつ、セントラル・イスラにある参謀本部から出たものだ?」


 はっとした将校達、全員の視線が、伝令兵に注がれる。


 セントラル・イスラにある参謀本部を出発して、ローラン公国、ユグド王国王都アルン、ファウゼンを経由して、帝都を目前にしたこの地まで大急ぎでも、その情報が来るのに何日掛かるか、計算していなかったからだ。


「ええと、報告書の日付を見ますと、十日前になります」


「と、と、十日前だと!!」


「それでは、いま現在の被害は、もっと拡大しているではないか?!!」


「いや、参謀本部があるのはイスラの森の中だ。だとすれば、実際に、共和国が空爆を受けたのは、もっと前のことになるのではないか?」


「マズいぞ。もう共和国首都も攻撃を受けているかもしれん」


 絶叫が響き渡る。


 もうダメだと諦めの声すら漏れる中、唯一メルクリアだけは冷静を失っていなかった。


 長年準備していた自分の計画が音を立てて崩壊している状態でも、彼は諦めない。


「参謀本部。もしくは、評議会からは何か命令はあるか?」


「いえ、今回はまだ帝国軍の大艦隊が共和国の各都市への攻撃を始めたという報告だけです。今後の具体的な指示はありません」


 王様自ら出陣している王国軍とは異なり、軍の最高意思決定をイスラ同盟国評議会に委ねている統合軍は、イスラ同盟国評議会の命令には逆らえない。


 この軍には、メルクリアとロイドの二人の評議員がいるが、それ以外の評議員が、降伏、もしくは軍の撤収を決めた場合、従わなければならない。


 それだけにメルクリアは、評議会の方針を注視したが、評議会もまた突然の大艦隊の攻撃に混乱しているようで、判断に迷っていると結論付けたメルクリアは、すぐさま行動に移すことにした。


「では、評議会が撤退命令を出す前に、帝都を陥落させるぞ」


「ちょ、それは!」


「お待ちください。それは、後方にいるガリウス陛下のご意見を伺ってからでないと」


「いいから聞け。帝都さえ陥落できれば、交渉の場で五分に持っていける。というより、もうそれ以外にこちらが手にできるカードがない」


 独断専行が過ぎると諫める将校達を、半ば強引に納得させるとメルクリアは周辺の地図を広げ、ある場所を指差した。


「全員ここを見てくれ。切り立った崖の間にある、この街道は、数年前に発生した落石によって通行不能になっている。人力で撤去するには大きすぎる巨大な岩が道を塞いでいるそうだ。この岩さえ何とかできれば、ナガス要塞を迂回して帝都に攻め込めるはずだ」


 確かに地図の上では、その街道が使えれば、ナガス要塞を通らずに帝都に辿り着ける。しかし、事前にこの街道のことを調査していた偵察部隊を指揮する将校が、異を唱えた。


「メルクリア司令。偵察隊からの報告で、その街道についての報告がございます。仰る通り、その街道を使えば、帝都は目と鼻の先ですが、街道を塞いでいる大岩は、恐らく賢者クラスの魔法使いの魔法でなければ、撤去するのは不可能です」

 

 爆弾で吹き飛ばすことも考えたそうだが、威力の加減が難しいので、最悪、勢い余って両側の崖を崩れさせる危険性があることを説くが、メルクリアにはそれを解決する策があった。


「魔王からサイクロプスを借りることにしよう。あの巨体なら大岩も普通持ち上げて運べるだろう。最悪、撤去作業中に何かあっても我々には損失は出ない」


 サイクロプスは、一つ目の巨人のような魔物だ。並みの城壁よりも身長の高いあの魔物であれば、なるほど、何とかなりそうだが、一つ大きな問題があった。


「サイクロプスは、魔王軍の中でも切り札的な立ち位置の魔物です。それを、共闘しているとはいえ、魔王が我々に貸してくれるでしょうか?」


 しかも、魔王軍は、現在ナガス要塞を攻略中だ。他の魔物ならばともかく、サイクロプスを貸してくれる見込みはかなり低いと誰もが考えた。


 成功の見込みがないという否定的な雰囲気の中、メルクリアは全くもって心配していないような態度でこう言った。


「この話は魔王にとってもメリットがある。とはいえ、諸君らの警戒ももっともだ。私の直属の部下を魔王の元へ送るので、それまで待っていてくれ」


 いくらメルクリアでも、魔王を動かせるだろうか?


 半信半疑であったが、将校達にできることは何もないので、この場の軍議では、不要な混乱を招くのを防ぐため共和国空爆のことは一般兵には伏せたまま、進軍を一度停止させ様子を見ることになった。





 軍議の終了後、急いで自分の天幕に飛んだメルクリアは、すぐに偵察部隊に席を置いているカリオスの構成員の一人を呼びつける。


「急いで、ナハトのところへ行き、サイクロプスを使って、この街道を塞ぐ大岩を撤去するように指示しろ。それと街道から侵攻してくることを帝国に悟られないように、魔王軍にはそのままナガス要塞を攻撃し続けろと伝えておいてくれ」





 翌日。


 メルクリアの言葉を聞いた将校達は、心臓が飛び跳ねるほど驚いた。


「魔王ナハト・ギュスターブは、私の提案に快く引き受けてくれた。昨晩のうちに、例の街道を塞ぐ大岩を撤去するために、現地にサイクロプスを送ったそうだ。我が軍も移動を開始するぞ」


 一体何をどうやったら、自軍の戦力を削ってまで、サイクロプスをこちらの進撃路確保のために寄越してくれたのかは定かではないが、メルクリアが魔王を動かしたのは確かな事実であった。


 この一件は、改めてユーリ・メルクリアの凄さを思い知らせたが、この時、メルクリアの心中は穏やかではなかった。


 評議会が白旗を挙げる前に、決着をつける必要があったこともそうだが、それ以上に昨晩、ケルベロスが目撃した女神が乗っていると思われる空飛ぶ謎の大要塞を、テレパシーで確認したメルクリアは、かつてないほど焦っていた。



 今はまだ王国領を飛行中だが、今日中にはイスラの森の中に入るだろう。


 目的地は同盟国首都セントラル・イスラか?


 目的はなんだ?


 それに、どれほどの戦力を抱えている?



 訳の分からない事だらけだが、かつてない逆境の中で魔王は小さな笑みを溢していた。


「ハハハッ。帝国軍の大艦隊といい。どれだけ準備をしても、やはり思い通りにはいかないな。まあ、その方が面白いがな」




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