第五話 イスラの森
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草原の中を、十人ほどの騎士が馬に跨り、口惜しそうにして、その場での待機を余儀なくされていた。
馬に乗る全員が、王都から離れたこの辺境の地ではお目に掛かれないような、最上級の素材で作られた鎧を着こなし、魔法が付与された強力な武器を所持している。
また当然ながら、皆一様にそれらの装備を纏う資格があるたくましい肉体と洗練された技能を持つ。
彼らは、ここユグド王国が誇る最強の騎士団、王国近衛騎士団の団員だ。一人一人が並みの兵士百人に匹敵する少数精鋭の怪物集団と他国から恐れられている。
そんな下手に動かせば、他国を警戒させるほどの一団に命じられた任務が、辺境の地を荒らす山賊団の討伐だった。
本来、山賊退治は、地方を預かる貴族の私兵や傭兵が行うのが一般的で国が動くことはまずない。しかし、今回は政治的な要因とその山賊団『赤き狼』が地方貴族の手には余るほどに強大化してしまったため、王国の最高戦力である近衛騎士団が投入されたのだ。
『赤き狼』と言えば、辺境の地では誰も耳にし恐怖する最強最悪の山賊団である。
彼らは元々王国でも指折りの傭兵団だったのだが、理由は不明だがある日を境に突如、村や街を襲う山賊と化した。
討伐に来た貴族の私兵や傭兵を次々返り討ちして、とうとう男爵領を占領し、独立国家のような状態にまでしてしまい、一時は国盗りまでしてしまうのではないかと思われた『赤い狼』だったが、王国最強である近衛騎士団の前には手も足も出ずに敗北。
結果、占領された領地と民衆は解放され、構成員の大多数は死亡もしくは投降し、快進撃を続けた『赤い狼』は僅か一週間で壊滅した。
しかし、幹部や配下を失っても、頭目だけは僅かな生き残りを連れて拠点から逃げ出すことに成功し、その頭目を捕らえるために、近衛騎士団も追跡するが、後僅かのところで森の中に逃げられて、追跡を断念せざるを得なかったのが、今の状況だ。
そう世界でも屈指の強さを持つ近衛騎士団。そんな怪物集団が、目の前に広がる広大な森に入るのに躊躇していたのだ。
「我々の手で、取り押さえたかったのですが、残念ながら、これ以上の追跡は中止すべきだと提言します」
壮年期に差し掛かった男の名はエリオ・フェルナンド。鬼の異名を持つ近衛騎士団の副団長であり、他国の将校ですら敬意を払う、長い戦歴と実績を持つ。
ユグド王国の英雄と呼んでも差し支えない老騎士だが、この集団の中ではナンバー2。彼は上官である自分の孫と同じくらいの年齢の青年に意見具申する。
「口惜しいが、貴殿の言う通りだな」
長い金色の髪を靡かせる青年の名は、レヴァン・ゼーレス。近衛騎士団団長にして、当代の竜騎士だ。
竜騎士とは竜騎士の加護を持つ者のことで、魔王を倒すために、女神ソロンに選ばれた七人の使徒の内の一人を指し、他には賢者や聖女や剣聖などがいる。
使徒が出現したという事は、既に世界のどこかに魔王が誕生していることを意味するが、幸か不幸か、未だに魔王は活動しておらず、どこにいるかも分かっていない。それが原因かは分からないが、異世界からやってくる勇者の召喚も遅れているのだが、その話は今は関係ないので割愛する。
今重要なのは、この世界でも屈指の強さを持ち、神の力を持つ者もいるというのに、森の中に入って凶悪な賊を捕らえることを断念してしまったという事だ。
夕暮れであるため、夜になり捜索が困難になるのも理由の一つだが、それ以上にこの森の特性の方が大きい。
「もうじき、夜だというのに、奴ら命欲しさにこんな場所に逃げ込むとは」
「だが、我々が手を出せない場所は、他国の領土か、目の前に広がるこのイスラの森くらいだ」
「この森を抜ければ、帝国か共和国に出られる。まあ、無事に出られればの話だがな」
強さに自信のある騎士団の面々も、この森に入って無事に抜け出せるとは思ってはおらず、捕らえられなかったのは残念だが、生存は絶望的だと判断し、王国中を震撼させた猛威『赤い狼』の終わりを悟る。
「それにしてもあ奴の最後の地が、イスラの森とは……」
そして、森の中に逃げ込んだと思われる『赤い狼』の生き残りのメンバーの一人と親しい存在だったフェルナンドは、目を閉じて静かに友の冥福を祈った。
ここでイスラの森について少し話をしよう。
ドロップ素材がゴミカスなゴブリンしか出ない癖に、無限に湧き出る糞みたいなステージ。
三十年前に召喚された勇者は、大陸中央に広がる広大なイスラの森のことをそう呼んでいた。その言葉の通り、この森には人間を襲うモンスターが出現する。
モンスターとは、ゴブリンやオークなどの生物の事を指し、生殖ではなく大地から誕生し、人間と意思疎通することはできず、本能から人を襲い人が作り出した物を破壊する化け物なのだが、別にモンスターが出現すること自体はこの世界では珍しい話ではない。
むしろ、モンスターの素材を糧に生活している人間も大勢いるので、普通であれば歓迎すべきなのだが、このイスラの森で出現するモンスターに関してはそれは当てはまらない。
全てのモンスターは、特定の地域において、近くにいる人間を殺そうと夜間に大地から誕生する。またその際に人間の数に応じて出現数も増え、朝になると、生き残った個体は霞のように消えていなくなり、倒された死体は人間に有効活用されてきた。
この法則はどこの場所でも変わらないのだが、出現するモンスターの種類と、倒したモンスターが再び出現する再出現時間は地域によって異なり、平均で三日、長い場所では一か月というところもある。
それに対し、イスラの森でのモンスターの再出現時間は異常なほど短く、なんと僅か十五分から三十分というありえない速度で次々にモンスターが出現する。
その代わりなのか、出現するモンスターのほとんどが雑魚モンスターの代表格であるゴブリンであるが、腐ってもモンスター、油断すれば普通に殺されるし、夜間に休む暇もなく延々と出現し続けるため、強いモンスターを相手にするよりも、遥かに面倒である。
おまけに、いくらでも回収できるゴブリンの死体から取れる素材の中にレアな素材はないため、どれだけ倒しても大して金にならない。
以上が、イスラの森には豊富な資源が眠ると分かっていながら、人間が入って来なかった理由だ。
だが勿論、強欲な人間達が、今まで何もしなかったわけではない。かつてユグド王国に匹敵する帝国は、大陸中央にあり豊富な資源の眠るイスラの森を開拓するために、軍隊を動員したことがあった。
しかし、国家が望むような、採算が取れる大規模開発をするためには、大量の人員や物資が必要であるため、移動に時間がかかり、機動性のある行動はできず、更に夜間は常に人数の増加によって、調査隊派遣時よりも遥かに増大したゴブリンの大軍勢による夜襲があるので、昼間しか防衛陣地や住居や倉庫の建築作業ができず、雑魚ゴブリンとはいえ、休日もなく、毎晩繰り広げられる圧倒的な物量による包囲戦により、多くの兵士が疲弊し命を落としていった。
そうした劣勢の状況を鑑みて、このままでは肝心の資源が眠る森の中間地点に辿り付く前に、この外縁部で全滅すると上層部は判断し、膨大な量のゴブリンの死体だけでもせめてもの土産代わりにして撤退することになった。
帰国後、この計画に参加した一人の将校は、最低でも、敵数を余計に増やさないように少人数で、日中という極めて短い時間で、ゴブリン達の攻撃を完全に凌げる砦を建設する技術や方法を考案しない限り、永遠にこの森を開発できないと報告書を書いた。
その報告書は、帝国だけではなく、他国も入手し、どの国も一度は解決策を議論したそうだが、結局誰も解決策を見いだせずに、イスラの森は今日まで誰も開発できなかった地として残っている。
そして、最後に恐るべき事実として、未だに各国の調査隊はこの森の深部には辿り付つけていない。
帝国の開拓団が撤退した森の外縁部、調査隊が発見した豊富な資源が眠る中間部よりも、さらに奥には、何があるのか、分からない前人未到の深部が存在するのだ。
まあ、そんなこんなで、イスラの森を開発するのはもはや完全に夢物語ではあるが、山賊の残党狩りが今の任務であるため、近衛騎士団としては、他の部隊と連携して、山賊達が森から出て来ないかを見張っていればいい。
「連中が出て来ないように、数日は森の周辺を警戒するぞ」
森から出れば、近衛騎士団によって即座に討伐されるのは目に見えているため、その可能性は低いが、レヴァンは、一応今後の指示を出し、忌々しそうな目でイスラの森を睨みつけるのであった。
一部、設定を変更しました。