第四十九話 帝国過去編2 決着
バイキング帝国、皇宮、玉座の間。
遠征から戻ってきた帝国軍元帥シド・カルスタンは報告のために皇帝と謁見していた。
「ロロバ王国の制圧、完了致しました」
「うむ。大儀である」
彼のお人形は、一段高い玉座に座りながら、労いの言葉を掛ける。
「褒美に、カルスタン家には宝物と領地を与えよう。それと、ロロバの総督任命権をくれてやろう」
「ありがたく頂戴致します」
外部の人間が見れば、良き主従関係に見えるかもしれないが、実情を知っている者からすれば、ただの茶番だ。
ロロバ王国に攻め込む事も、占領地利権の分配も、全てシド・カルスタン一人が決めて、幼い皇帝はシドの息の根が掛かった官僚や大臣の指示に従い公式のものとなるように承認しているだけだ。
即位から月日が流れ十二歳になっても、依然として皇帝カリンはシド・カルスタンに取って都合の良いお人形であり続けた。
謁見が終わると、シドは帝都にあるカルスタン家の屋敷へと戻った。
久しぶりの我が家で疲れを癒し、その晩、自分の母シギンと夕食を共にした。
「しばらく帝都を留守にしましたが、最近、何か変わったことはありましたか?」
「いや、特に変わったことはなかったぞ。ユグド王国も、共和国も、お前の活躍ぶりに震えてか、ちょっかい一つ掛けてこない」
当主の座を譲り一線を引いたとはいえ、今もシギン・カルスタンは独自の情報網を持っている。その母親が、何も変わりないといえば、そうなのだろう。
事実、軍部と行政を掌握しているシドにも、異常なしという報告が届いていた。
「これも全部、あの小娘が、お前に従順なおかげじゃな」
「小娘とは失礼ですよ母上。皇帝陛下とちゃんと呼ばなければ、不敬罪で拘束されますよ」
「その不敬罪で、多くの邪魔者を潰してきた人間がよく言うわい」
狭い室内に、二人の笑い声が響く。帝国の全てを牛耳っている者達の愉悦に満ちた笑い声だった。
「時に母上。エシャルの縁談の方は、以前、お話した通りに進めても大丈夫ですか?」
家柄は良くとも身体の弱いシドの正室が出産した子供は、エシャル一人だけだった。
そのエシャル・カルスタンは、魔法の才能、特に治癒に関しては帝国でも最高クラスで、器量も良く社交界の華となっていた。
国の内外から求婚の誘いが後を絶たないが、彼女の結婚相手は、カルスタン家の今後をも左右する極めて重要な要素だ。
単に、結婚相手個人が秀でているだけではダメだ。
相手の家柄、資産、人脈。その他諸々の含めて、カルスタン家の権力を確固たるものにできる存在でなければならない。
賢者とはいえ、元奴隷のネオなど話にもならない。
入念に検討し、シドが選んだエシャルの結婚相手は、皇家の血の流れを持つ名門中の名門貴族ドーハン公爵だった。
家柄、人脈、資産は共に満点だが、唯一の欠点は今年で六十歳になる老人だという事だ。
おまけに昨年、正室に先立たれ席が空いているが、何人も側室を囲っている好色家として名高い人物ときた。
カルスタン家を考えれば良い縁談だが、十代半ばの娘を嫁に出すことに普通であれば躊躇いを覚えるだろう。だけどもシドにとっては些細なことだった。
「公爵家と縁を結べばカルスタン伯爵家を格上げできる。それだけでなく、我が家に非協力的な皇家と縁の強い貴族共も味方につけるでしょう」
「ああ、エシャルには、少しだけ不憫にも思えるが、我が家の繁栄のために目を瞑ってもらうかのお」
「それは良かった。実はドーハン公爵も、帝国の未来のためならと縁談には前向きのご様子で、三日後に帝都の近郊の森で狩りしようとお誘いがありました。その時に最終的な決定をすることになるでしょうから、我が派閥の主な代表者達も連れて行こうかと思います」
「相変わらず、手が早いな。自慢の息子じゃ」
カルスタン家の派閥の代表者達は、帝国の要人中の要人。万が一、ドーハン公爵が後になって縁談を破棄できないように、シドはたくさんの証人を用意していた。
自分の子供を権力のための道具にしか考えていない親達だったが、娘のエシャルも、この縁談には反対していなかった。
「私がドーハン様の元に嫁ぎ、カルスタン家がより繁栄するのでしたら、私は喜んでドーハン様の妻になります」
シド・カルスタンにとって、娘のエシャルもまた皇帝カリンと同じく自身の権力を強めるためのお人形だった。
だが、その内の片方は、傀儡であることを自覚し、自らの足で立ち上がろうとしていたことには、彼らは気がついていなかった。
三日後。これでカルスタン伯爵家の権力を盤石の物にするという強い意思を持って、シド・カルスタンは自派閥の代表者達と共に、帝都を出立した。
それから少し経った後。皇宮にある皇帝執務室に、親衛隊に所属する一人の兵士が入って来た。
「報告します。ドーハン公爵を伴って、シド・カルスタン元帥一行が帝都の外に出た模様です」
その報告を聞き、普段は徹底して人形を演じていた少女は、思わず生き生きとした顔で身を乗り出す。
「奴の息の掛かった有力者達も一緒じゃな?」
「はい。大臣に、各省庁の長官、高級将校。帝都在住のシド・カルスタンに味方する有力な者達のほとんどが参加しております」
「あやつが心の底から油断するまで奴の傀儡を演じた切った妾も大した役者じゃが、それ以上にドーハンの奴も、よくぞやってくれた!!」
ネオを味方につけてから二年、時は来た。
カリンは、すぐ隣で待機していた護衛を務める青年にかつてないほどの笑顔を見せつつ命令を下す。
「ネオ。始めるぞ!!」
「はっ!!」
この二年間。カリンは、国中からどれだけ罵られようがシド・カルスタンの人形を演じ続けた。
その裏で自身に協力してくれる味方を集めていたが、カルスタン伯爵家側に露見しないようにする必要があるので、その数は決して多くはない。
だからこそ、皇帝カリンは自分では何もできない愚王であるという印象を周囲に与えることに意味があった。それが皇帝派の最大のカードだからだ。
そして、密かに協力を約束してくれたドーハン公爵の尽力もあり、カリンは遂に一世一代の大勝負に出た。
もし失敗すれば、シドは半永久的にカリンに監視を付けるだろう。最悪、皇帝の位を失う可能性もある。
何より、カルスタン家の専横に協力しない者達はいるが、明確な反カルスタン派閥がいないという今の絶好の機会を逃すわけにはいかない。
帝都はおろか国内に敵がいないと判断したからこそ、シドは油断を見せたのだ。
これがカリンにとって最初で最後のチャンスだ。
そのことを肝に命じながら、カリンは数少ない皇帝派の部隊に作戦開始を告げた。
作戦開始の命令を受け、帝都に潜んでいた皇帝派の部隊が一斉に行動を開始する。
「行くぞ!!」
皇帝派が最初に制圧を目指したのは、シド・カルスタンの根城とも言える帝国軍中央参謀本部だ。
ここを制圧出来るかどうかで、作成全体の成否が決まるため、全員気合いを入れる。
帝国軍の頭脳とも呼べる場所なので、平時でも厳重な警備が成されていたが、警備部隊に所属する者達は、まさか味方からの襲撃を受けるとは思わなかった。
「何だ貴様ら!!」
「抵抗する者は殺して構わん。制圧せよ」
奇襲の効果は絶大で、碌な反撃も受けずに皇帝派の部隊は中央参謀本部の制圧に成功した。
狩りに招待され最上位の将校がいない参謀本部を任されたのはカルスタン伯爵家側についていたロドリゲス中将だったが、今は襲撃してきた兵士達によって地面に押さえつけられていた。
「おとなしくして下さい。ロドリゲス中将閣下」
「これは、どういうつもりだ! イェーガー准将!! 奴隷の身分に逆戻りしたいのか!!」
ロドリゲス中将は、自身の身を拘束する反乱部隊を指揮していたイェーガー准将を激しく非難する。
「さては、元帥閣下のいない隙に、奴隷共を率いて反乱を起こすつもりだな!」
最初は、名誉帝国人の中でも屈指の実力者であるイェーガー准将が反乱の首謀者だと判断していた。
だが、それはすぐに間違いだった。何故なら、反乱の首謀者張本人がやって来たからだ。
「イェーガー准将は妾の同志であり配下の一人じゃ。今回の企ての首謀者は妾じゃよ」
その姿を目にしてロドリゲス中将は我が目を疑った。というより、ここまでの道中で彼女の姿を見た全員が、信じられないものを見たという感じだった。
当然だろう。
皇宮にいるはずのシド・カルスタンのお人形が僅かな兵を率いて参謀本部の施設に出向いて来たのだから。
謁見の場や帝都のパレードで単なる象徴として壇上で飾られていた姿とは大違いだった。
「ほ、本当に陛下なのですか?」
無礼にもロドリゲス中将は本当に皇帝なのかと疑う発言をするが、カリンは咎めることなく簡潔に尋ねた。
「ロドリゲス中将、お主には二つの選択肢がある。罪人シド・カルスタンの共犯者として裁きを受けるか? それとも帝国の真の主である皇帝に忠誠を誓うか? 好きな方を選ばせてやる」
元々ロドリゲス中将は、その時その時の上司の顔色を伺って出世してきた。故に迷う事なく決断した。
「はっ、このロドリゲス。陛下の忠実なしもべとして職務に励む所存であります」
その一言を聞き、カリンはとても満足する。
その後、皇帝派とロドリゲス配下の帝都守備隊は、皇帝旗を掲げ、大した抵抗もなく帝都全域を手中に収めるのであった。
「ほれ、そっちに行ったぞ!!」
「任せろ」
帝都郊外で鹿狩りに興じていたシド・カルスタンの一行の元に、その知らせが飛び込んできたのは、皇帝派による帝都制圧が完了した後だった。
顔見知りの将校が、一人馬に乗り、酷く慌てた様子でやって来るのを見て、娘の婚約が正式に決まり浮かれ気分だったシドは、緊急事態があったのだと察して真剣な顔つきになる。
「た、大変です!」
「どうした?!」
今回同行しているドーハン公爵のように、カルスタン家に非協力的な勢力は存在するが、軍部と行政府を抑えているので、国内には敵対勢力はいない状態だった。
シドは、ユグド王国もしくは共和国が遂に兵を動かしたのではないかと最初は予想したが、それは大間違いであった。
「て、帝都で反乱です!!」
帝都内に敵はいないとばかり思いこんでいたシドは、数秒ほど完全に理解が追い付かなかったが、政治闘争で成り上がっただけに、すぐに冷静さを取り戻した。
「反乱の首謀者は?! どこのどいつが反乱を企てた?! どの程度制圧されたのだ?! 参謀本部は?! 陛下は無事なのか!?」
この時、口には出さなかったが、シドの脳裏には、イェーガー准将の顔が浮上していた。
可能性は極めて低いが、前々から、もし反乱が起きるのであれば、彼が立ち上がるかもしれないと予期していたからだ。
ただし、確たる証拠もない上、一准将ごときが反乱を起こしたところで、どうとでも制圧できると踏んで捨て置いていたが。
気が付くと、狩りの参加者の大半が周囲に集まっていた。反乱と聞き、全員、内心穏やかではないが、今は口を閉ざしている。
「しゅ、首謀者は!!」
「早く言え、首謀者は誰だ!!」
反乱が起きたことを伝えに来た将校は、唾を飲み込み、この場にいる全員の耳に届くように大声を出して叫んだ。
「皇帝陛下です!! 首謀者は皇帝陛下、ご本人です!!」
「「え?」」
皇帝はシドのお人形のはずだった。何を言っているんだこいつは?という空気が張り詰めるが、将校は自分の知る全てを話した。
「皇帝陛下が自ら兵を率いて参謀本部を制圧。ロドリゲス中将率いる帝都守備軍は陛下の指揮下に入りました。それから、非常事態宣言が帝都全域に発令され、帝都の門は全て閉ざされました。反乱の情報を知った私は一人門が閉まる前に一人脱出してきたのです」
辛くも逃げることができたと自分の武勇伝を一人誇っていたが、他の者たちはそれどこではない。
「嘘だろ……」
「信じられない。陛下の名を騙っているだけで、黒幕は別にいるのではないか?」
狩りに参加している者たちは、皇帝の傀儡ぶりを目にする機会多かった。それだけに反乱の首謀者が皇帝本人であることが信じられない。
しかし、その真偽はともかく分かっていることが一つだけあった。
「おい、そうなるとこれは反乱なのか? 粛清じゃないのか?」
シド・カルスタンが権力を欲しいままにしても、突き詰めれば彼は一貴族の当主でしかない。それゆえに、皇家の血を取り入れて、権力を盤石なものにする必要があったが、先手を打たれた形だ。
背後にいる黒幕の有無に関わらず、筆頭魔法官と元帥の任命権と解任権が皇帝にある以上、このままではシドは地位も全て失う。
それに帝都全域が制圧下にあるということは、妻子を人質に取られてることと同義だ。
この時点で、既に心の中でシドを見限る者が続出していきシド・カルスタンの王国は音を立てて崩れていった。
それから一時間程、帝都に戻るか、他所へ移動して態勢を整えるかで議論が紛糾したが結論は出なかった。
そんな中、皇帝旗を掲げた騎馬隊が一向に近づいてくる。
皇帝の許可なく掲げることが許されない錦の御旗を見て、シド派の有力者達は、全てが事実だと悟った。
「やあ、シド様」
騎馬隊を率いていた人物は、シドにとっても馴染みの深い人物であったが、下馬すらしない自分の元奴隷を忌々しい目つきで睨む。
「これはどういうことだ、ネオ?」
自分と母シギンの不評を買ったネオだが、賢者の加護を持つ以上、罰することも手放すこともできないため、取りあえず魔王軍が本格的に活動するまでは、魔法官の一人として皇宮で飼い殺しにする予定だった。
カルスタン伯爵家から追いやり、書類上は、名誉帝国人で、奴隷の身分から解放されているとはいえ、彼を購入し育てた自負があったので、今でも自分が主だと思っていただけに、シドは極めて不愉快を覚えた。
だが殺意の混じった敵意を浴びてもネオは一切動じない。それどころか、明らかに舐めた態度を見せる。
「恐らく、もう帝都が制圧されたことは聞いているのでしょう?」
「ああ、しかし、信じられない。本当なのか? 本当にあの人形が首謀者なのか?」
反乱が起きたことは認めるが、その首謀者が、自分が祭り上げた小娘だったことが今でも信じられなかったシドに、ネオは現実を突きつけた。
「ドーハン公爵様、ご苦労様でした。貴殿の働き、陛下も大変お喜びになられております」
「いえいえ、この程度のお役目で調子に乗った小僧の息の根を止められたのです。私も満足ですよ」
ドーハン公爵は、謀られたことに驚愕している一同の中を堂々と歩き、騎馬隊が用意していた馬に跨った。
「この裏切り者が!!」
今すぐに殺したい衝動を抑えて、シドは吠えたが、ドーハン公爵は、人生の先輩として助言を残した。
「シド・カルスタン。確かに私も若い頃はやんちゃしていた。多くの女性を泣かせたのは事実だ。だが、私は自分の子供を蔑ろにしたことはない。十代前半の娘を、六十過ぎの老人へ嫁がせるなど正気の沙汰ではないわ。それに、先代のキショウ様が生きていた時の君は、帝国の未来のために尽力していたが、今の君はカルスタン家の権力拡大のために働いているようにしか見えない」
そう言い残し、シドの反論も聞かぬままドーハン公爵はその場を後にする。
「ぐぬぬ。どいつもこいつも!!」
苛立ちを募らせるシドや窮地に陥り怯える取り巻きに、ネオは最後に皇帝からの伝言を告げた。
「陛下は、シド様が帝都に戻り筆頭魔法官と元帥の印綬を返還すれば、権力を濫用した罪を問わないと仰せです。他の者達も権力と地位と引き換えに命を助けるそうです。ですが、もし歯向かうようであれば、帝都で軟禁状態の貴殿らの家族は処刑し、女神に選ばれた賢者である私自ら軍を率いて、逆賊となった貴殿らを討つ。以上です」
伝えるべきことは伝えたと判断したネオは、背を向けてそのままこの場を離れた。
やがて、騎馬隊が見えなくなると、冷静さを失ったシド派閥の者達の絶叫が響いた。
「どうするのじゃああああ!!!」
「早く、帝都に戻るぞ!!」
「妻や子供達の命が危ない!」
「地位を返上すれば、全ての罪を見逃してくれるのだ。悪い話ではないだろう!!」
ほぼ全員が、地位を返上し命乞いすべきと主張するが、一人だけ声を荒げる男がいた。
「ふざけるな!! 女などまた探せばいいし、子供もまた作ればよかろう!! ここで投降すれば地位を失うだけなく、皇帝派の監視の下で暮らすことになる。そうなれば一生再起は不可能だ!!」
唯一、シドだけは大反対した。
権力が惜しいのもあるが、それ以上に、自分が用意した皇帝や、元奴隷であるネオに頭を下げるのが嫌だったのが大きい。
帝都に住む家族を見捨てて、地方の帝国軍に合流すればまだ勝ち目はあると断言する。
事実、この段階では皇帝派の指揮下にいたのは、帝都守備隊と中央軍の一部のみ。帝都に残した人質を見捨てれば、余裕で巻き返しは図れた。
しかしながら、操り人形の小娘に出し抜かれてしまったシドの権威は地の底だった。
「誰か、そいつを黙らせろ!!」
「そもそも、こんな奴について行ったから、こんな目に合ったんだ!」
「こいつを差し出せば、刑が軽くなるどころか、恩賞も貰えるかもしれん」
シド・カルスタンを見限った取り巻き達は、シドを捕らえようと、全員で襲い掛かった。魔法の才能がなかったために、長い事、政治や指揮能力を磨いてきたシド・カルスタンでは、暴力に抗うことはできなかった。
薄れゆく意識の中で、栄光から転落と、権力を失えば、仲の良かった者もあっさりと手の平を返すことを悟り、失意の底に落ちていった。
その日の内に、シド・カルスタンとその一党は投降した。
翌日には、皇宮に参内し、狩りに参加していたカルスタン伯爵家に組する有力者全員が、地位を返上することになった。
中でも、絶対的な権力者として君臨していたシド・カルスタンが、全身を殴打された痕が消えぬ内に、全てを失い憔悴した姿で皇帝に頭を下げたことは、後世の歴史書に挿絵付きで残るほど話題となる。
皇帝をも超える権力を持ちながら、僅か一日で、没落してしまったカルスタン伯爵家。
だが、取引に従い、権力を放棄した以上、これ以上の追及はないと誰もが思っていたが、不穏分子を排除すべく、皇帝カリンは帝国民の予想を超える一手を繰り出してきた。
「確かに、これで妾は、長年皇帝を蔑ろにしてきたシド・カルスタンの罪を問う事はできなくなった。じゃが、お主には、世間には露見していない大罪が存在する」
皇宮で軟禁状態だったシドの元を訪れたカリンは、シドにある事を告白した。
「よくやく掴んだぞ。お主があの日、父上を殺したことをな!!」
帝国の分裂を恐れたシドは、先代皇帝キショウを殺害し、当時皇宮に務めていた侍女達を買収するなどして口封じを行っていた。
後に帝国情報局として活動することになるカリンの配下達は、執念の調査の結果、この隠蔽していた事実に辿り付いた。
「これまでカルスタン伯爵家が打ち立てきた数々の功績を無にし、一族郎党皆殺しにしても足りない大罪じゃ。じゃが、腐敗が広がったとはいえ、お主の働きにより帝国が強大な国となったのは事実。じゃから選ぶ権利をやろう! 先帝暗殺という歴史に恥ずべき汚名を残し一族全員と共に果てるか? それとも、先帝暗殺の件を伏せたまま、権力濫用の罪で自らの意志で処罰される事を願うか? 好きな方を選べ!」
廃人寸前ではあったが、シドはしばらく瞼を閉じ考え、暗殺の件を伏せたまま自ら処刑される道を選んだ。
カルスタン伯爵家が終わるとしても、先帝暗殺などという大罪を犯した罪を世間に晒されるのを恐れたのか? それとも、土壇場で、一族の命を守ろうと思ったのか?
シドがこの時、何を思ったのかはカリンにも分からなかった。
一週間後、シド・カルスタンと連座制度により正室の妻の公開処刑が発表された。
取引がある以上、皇帝側からシドに刑を科すことはできないため、処刑の直前まで、皇帝カリンは平気で約束を違える人物だと噂が広まったが、処刑台に立たされたシドが、最後にこう叫んだ事により、カリンへの悪評は鎮静化した。
「私は罪を犯した。陛下は温情を掛けてくれたが、私は自分が許せない。自らの意志で処刑されることを選んだ」
強制されているとしたら、処刑の直前で懺悔などしないだろう。
シド・カルスタンとその妻は、民衆の前でかつての奴隷ネオの手によって首を刎ねられた。
せめてもの救いは、処刑台に詰めかけた民衆達は、シドが心の底から悔やんでいたことを知り、死んだシド・カルスタンに悪評を立てる者は少なくなった事だけだった。
何はともあれ、こうしてカルスタン伯爵家の専横の時代は終わりを告げた。
この後、実権を取り戻した皇帝カリンは、大規模な改革を進める。
手始めに、第二第三のカルスタン家が現れないように、貴族の権限を大幅に縮小し、全ての権限を皇帝の下に一本化させた。
次に、罪を犯した帝国人に行う刑罰に奴隷落ちを加えた。これにより、奴隷という階級は被征服者を指す言葉ではなくなり、同時に従来の基準を大幅に緩め名誉帝国人の数を増やした。
今までは、ほとんど奇跡に近かった奴隷からの這い上がりが、現実的に手が届くようなったおかげで、奴隷達のやる気を促進させ、帝国の経済力は大きく向上する。また奴隷達の不満も抑えることに成功する。
余談だが、シド・カルスタンの専横の時代に、密かに手を組んでいたユニオン商会から奪った空鯨船の技術を用いて辺境の地で極秘裏に建造していたラグナロク艦隊は、建造協力の見返りに奴隷からの解放を約束させた奴隷達の手によって建造していた。
ともあれ、僅か三年弱という短い期間の中で、カリンは身分に関係ない官僚帝国を築いた。それを持って、対外戦争を再開し、帝国の国土を二倍にまで拡大させ最盛期のユグド王国を超える歴史上最大の国土を持つ国へと導いた。
勿論、この間、貴族を中心に反発の声は多数上がったが、あのシド・カルスタンが敗北を認めた皇帝に逆らう者など存在しなかった。
シド・カルスタンを暗殺という手段で排除させるのではなく、己の所業を認めさせ屈服させた稀代の皇帝の威光の前に誰もがひれ伏したのであった。
さて、話を戻そう。
カルスタン伯爵家は、繁栄の絶頂期にありながらこのようにして没落したわけだが。
権力濫用や各種不正を認めた事で処刑されたのは当主夫妻のみで、連座制度に照らすと、一族の他の者の罪は消えていなかったが、連座制度を持ち出すと処刑する事は出来なかった。
だったら奴隷にすべしという意見もあったが、最終的にはネオが提案した、皇帝カリンの手腕により、かつてない繁栄を迎える帝国の雄姿を見せつけるために、隔離された収容所に送らせた。
そして三年間、帝都内の収容所で過ごしたカルスタン伯爵家の人間達は、一日だけ外を出歩く事を許されシド・カルスタンがなし得なかった強大な帝国の姿を目撃することになる。
かつての自分達の指導者シド・カルスタンの頑張りは何だったのか? カルスタン伯爵家の者でさえ人形と侮った皇帝に敗北した事実を知り、復讐心は残っているが、内心では敗北を認めた。
しかしながら、一人だけ敗北を認めずに憎悪を失っていない人物がいた。
「違う。違う!! 帝国支えてきた貴族の権限が縮小し、征服した奴隷共が、帝都の大通りを我が物顔で歩く。こんな世界。認めるわけにはいかぬ」
現皇帝カリンや先代皇帝キショウ、自分の息子のシドが生まれる遥か昔から帝国を守り続けていたガチガチの保守派であるシギン・カルスタンはカリンの作り出した新しい帝国を絶対に認めなかった。
それにシギンは、自分の息子が先代皇帝を殺めた事実を知らない。
先代皇帝殺害という一族の存在も否定しかねない記録が漏れていないことは、カリンがシドとの約束を守ったことを意味する。
だが、その事実を知らないシギンは、約束通り、権力を返上したにも関わらず、皇帝とネオの二人が約束を反故にして、息子を処刑し自分達を収容所送りしたと思いこんでいた。
その後、カルスタン伯爵家にイスラの森への追放処分が下される。
帝国におけるカルスタン伯爵家の歴史は、これにて終了だが最後にもう一つ語るべき事がある。
エシャル・カルスタン。
イスラの森を彷徨っている間に、聖女の加護を与えられた少女についてだ。
エシャルは幼少期の頃から、彼女も他の貴族の子弟と同じく英才教育を受けていたが、父親であるシド・カルスタンは他の家とは異なる教育を施していた。
それは、洗脳に近い領域で、カルスタン家の事を最優先に考え行動するように教育させていた事だったのだが、その結果、エシャルはシドですら気付かない程のある種の怪物に成り果てた。
確かに、他の家でも大抵の場合、女は政略結婚の道具でしかない。それは事実だが、それにしても、会った事もない六十過ぎの老人に嫁げと言われ顔色一つ変えずに頷く少女など普通に考えておかしい。
いや、表では了承しても、裏で泣きべそをかく少女はいるだろう。少なくとも何かしらの嫌悪感を抱くに違いない。
しかし、エシャル・カルスタンは心の底から不満一つなかった。物心ついた時から、カルスタン家の存続と繁栄のために自己を犠牲するのは当然だと考えていたからだ。
不満を押し込めるもの何も、不満そのものが沸いて来ない。
命の恩人故に黙っていたが、心の中を覗ける忍者の加護を持つアリシアは、このエシャルの異常性に恐怖していた。
知っての通りアリシアは、ユグド王国の貴族社会にて、我欲にまみれた人間を数多く見てきた。
中には、己の欲望を第一に考え、それを組織の利益に繋げる。そんな考えの人も極少数はいた。しかし、エシャルはどれとも異なる。
「この人、自分の欲というものが全くない。どんな時も、自分の家の存続と繁栄しか頭にない」
どのような場面でも必ず、カルスタン家の事が最初に浮かび、一族にとって友好的なものであれば積極的取り入れ、そうでなければ愛想よく笑っているだけだ。
顔には出しても、心の中では喜んだり、悲しんだり、嫌ったり、怒ったりする事はなく、一族の利益のために己の心情を一切考慮しない打算的な考えしか持たない。
シギンからの命令に従い、今も天田要を落とすチャンスを伺っていたが、そこに愛や恋はない。
姉のように慕ってくるロカ・フェンリルについては、フェンリル傭兵団の一員であることと、狂戦鬼であることから、いずれ役に立つと友好的に接しているだけだ。
胸が小さいことはタブーらしいが、実はその方が親しみを持ってくれると判断して行っている演技の一つに過ぎない。
エシャルに命令を下せるシギンとかいう婆さんの事も、カルスタン家の中で最高位に立っているから従っているだけだ。
あの時は読み取れなかったが、王都襲撃の時にアリシアを助けてくれた理由は、以前から写真で公爵令嬢であるアリシアの事を知っていたので、後の人脈構築に役立つと判断して、信頼を得るために助けただけだった。
その証拠にエシャルはアリシア以外、誰も助けなかったし、助けようとも思っていなかった。
極め付けは、天田の説明で、アリシアが人の心を読めると判明した時も、エシャルの心の中は一切動じずに少しだけ思案した後に、これが最適だと判断したのが、それ以降アリシアの傍にいる時は、完全に心を閉ざし心の声が全く聞こえなくなったことだ。
流石に話し掛ければ、多少は心の声が漏れるが、それだって他の人と比べれば圧倒的に少ない。
恐るべき自己理性で自らの精神を縛っていた。
どんな人間でも、少しは好き嫌いの感情が出る。それがエシャルには全くない。というか、もう感情がないと言った方がいいかもしれない。
ここまで来ると、カルスタン家そのものが人の形をした怪物に思えてくる。
見方を変えれば、我欲が一切ないので、聖女に相応しいかもしれないが、気の弱いアリシアは、エシャルについてもう深く考えないようにしてしまった。
そんな歪な心を持つ少女は、一族の未来を断った男の元へ自ら向かうことを決断し、今まさに対峙した。




