第二十五話 魔王登場
共和国首都、中央議事堂。
目視できるほどドリュアス要塞と首都との間の距離は近い。そのため、イスラ同盟軍の空爆によって共和国最終防衛ラインであるドリュアス要塞が崩れ去っていくのがはっきりと確認できた。
首都の目前まで攻められた以上、心の何処かで敗戦を予感は心の何処かに僅かにあった。しかしそれでも、数万の大軍と剣聖がいる共和国軍が負けるとは思っていなかった。
持てる限りの全ての戦力を結集した最終決戦。国家存亡を掛けた戦いに敗北した今、議員達は嘆くしかない。
発光信号によって司令官代理であるロズウェル・カルスタン中将からの作戦失敗の報告が議会に届けられるが、この時、議会は別の問題の対処に追われていた。
「それで、大統領の容体は?」
少しだけ呆れ果てた顔をしながら議員の一人が、官僚に尋ねる。
「はい、医師の診断では、過度なストレスによって精神に異常をきたしたと。しばらくは絶対安静だそうです」
「そうか、ご苦労だったな」
長老と敬われる最高齢の議員は、官僚からの報告を聞き終わると、その場で立ち上がる。
「聞いての通りだ。私はボンズ大統領は、これ以上大統領の職務を果たせないと考える。よってボンズ大統領の即時解任を議会に提案する」
敗戦のショックで、使い物にならなくなった大統領に用はない。大統領解任に対する反対の声はなく、全会一致で可決された。
「全く、好き放題やって失敗したら、後片付けもせずに退場か」
「そう言うな、イスラ同盟国側は、大統領の首を要求しておる。こうなった以上、どのみち死ぬだけだ」
一部の議員がボンズ大統領を嘲笑う。そんな彼らを心良く思わなかったのか長老は口を開く。
「さて、国法では、大統領が執務不能になった場合、議会が速やかに臨時の大統領を決めねばならないと定められている。この一件が解決するまでの短い任期ではあるが、誰かやりたい者はいるかね?」
共和国議会は、大統領選挙によって選ばれた大統領という名の王様が、国益を損なったり民を虐げる可能性がある場合に、ストッパーの役割を果たすために設立された。
そのため、大統領不在時に問題が解決するまでの間、議会が特例で大統領選挙を行わずに、臨時大統領を決めることができる権限も持つが、誰一人として自分から臨時大統領になりたいと手を挙げる者はいなかった。
当然の判断だ。
大統領の座は、この国の政治家が目指すべき最終到達点ではあるが、今、臨時大統領を引き受けた者がする仕事は、敗戦処理に他ならない。
有する権限こそ大統領選挙を経て正式に就任した大統領と同等ではあるが、臨時大統領には問題解決までの限られた任期しかないという制約がある。
そして何より、任期が短い事以上に、今臨時大統領になれば、敗戦時の大統領として歴史に汚名を残すことになる。
別に議会で過半数が承認すれば議員でなくてもいいのだが、少なくともやりたい議員はいなかった。
こうなってしまっては、官僚か軍人から適任者を指名するしかないなと、長老は、顔を背ける議員達を見て、残念そうな顔をしながら仕方がないとため息をついた。
「では、臨時大統領については一先ず、保留にしておこう。それよりも、早急に結論を出さねばならない問題がある」
ドリュアス要塞を破壊したイスラ同盟軍の艦隊は、降伏しなければ首都を空爆すると通告してきている。回答までの刻限が迫っていることもあり、悠長に構えている暇はなかった。
「断固反対だ。三強相手ならば、まだしも一都市程度の人口にも満たないという小国に負けを認めるわけにはいかん!!」
「諸外国から笑い者にされるぞ!!」
「左様、栄光ある祖国の歴史に泥を塗るおつもりか!!」
「首都を捨てても、我々にはまだ各地に無傷の都市が山ほどある。いつまでだって戦えるわ!!」
「そうだ!! 今すべきことは一刻も早く首都を脱出することだ! 我らだけでも逃げよう!!」
本音を言えば、決戦前に逃げるべきだったが、戦う前から逃げ出しては、共和国軍が勝利した場合、臆病者だと未来永劫蔑まれて、次の議会選挙があれば確実に間違いなく敗北する。
このような打算から決戦の前から妻子を首都から逃がして、自分だけ残って徹底抗戦を訴える議員は、主に散々ゼラシード商会やユニオン商会と癒着していた議員達だ。
イスラ同盟国の要求は、自分達の国を襲撃するように命じた先程解任されたボンズ大統領とゼラシード商会会長のダグラスの身柄であると、彼らと交渉を行ったゼラシード商会情報部長ユーリ・メルクリアは報告していたが、イスラ同盟国側が決戦に勝利した今、二人の他にもゼラシード商会と関係にあった議員達の身柄も要求してくる可能性が高くなっていた。
また仮にイスラ同盟国側が要求して来なくても、戦犯として自国民から裁かれる恐れは十分にある。
だから、彼らはここで負けましたと宣言するのは断じて認められないのだ。
このような議員は全体の四割近くを占める。
対して今まで中立派や戦争反対派として、ゼラシード商会やユニオン商会と距離を置いてきた残りの議員は、すぐに降伏にすべきと主張していた。
「貴様ら、正気か?! 首都にいる何十万人もの民衆を見捨てるつもりか!!」
「それにどこへ逃げるつもりだ。連中の空鯨船は共和国全土をいつでも空爆できるんだぞ!!」
「剣聖は重傷、共和国艦隊は全滅。戦える戦力がどこにいる!!」
直ちに降伏すべきという議員のほとんどが、反戦を掲げて当選した議員達だ。
彼らは、議会がダグラス・ゼラシードの圧力に負けてしまい、戦争ができる法案を承認したことに罪悪感を抱いていた。
「それと、貴様らの後ろ盾になっていたダグラスやジョシアはどこにいる?! 数日前から行方不明と聞いたが、よもや逃げたわけではないだろうな!!」
「か、会長達は、急病のため療養中と聞いている。どこにいるかは知らないが!!」
「欲望のままに勝手に戦争を起こして、負けた途端に逃げ出したのか!!」
ただ、平和を愛する議員と言えば聞こえはいいが、彼らも彼らで心の中では、どうにかして戦争責任を擦り付ける気満々であるため、徹底抗戦を訴える議員達に譲歩できないでいた。
徹底抗戦を主張する方も、それが分かっているため、ダグラスやジョシアのような後ろ盾がいなくても、対等に議論できる。
とまあ、こんな感じで、時間は限られているというのに、議会は狭い議事堂内で、相手側が根を上げるまで、平行線を辿るのであった。
そんな時、一人の男が議会場に入っていた。
男の名前は、ユーリ・メルクリア。
ゼラシード商会の情報部長であるが、情報面で政府側に協力してくれていた。
「議員の皆様、悪い知らせです」
今まさに国が亡びる寸前だというのに、これ以上悪いことがあるのかと叫ぶ議員達に、メルクリアは衝撃の一言を告げた。
「直に参謀本部からも報告があると思いますが、最低でも十万体もの魔物の大軍を発見しました。その大軍勢はこちらを目指して移動中、分析によれば、明日の朝にはドリュアス要塞に到達するとのことです」
「じゅ、十万だと!!」
「いや、それよりも待て、今は昼間だぞ!」
「そ、それはまさか」
大地から生まれる魔物は通常であれば、夜に生まれて日が昇れば消えるとされるが、例外が一つだけある。魔王が直接触れて隷属させた魔物は魔王の支配下に入り、日が昇っても消えないのだ。
「魔王軍が遂に姿を現したのか」
「よりにもよってこのタイミングで?」
それはこの上のない凶報だった。
先程まで互いに罵り合っていた議員達が呆然としていると、慌てた様子で新たに扉を開いて入ってきた参謀本部勤務のロッジ中佐も同様の報告をしてきたため、魔王軍襲来の情報は確定的なものとなる。
「防衛軍の方は何か対策はあるか?」
議員の問いかけにロッジ中佐は悲しそうな顔をしながら首を横に振る。
「残念ながら、現在魔王軍が侵攻しているルート上にある共和国防衛軍の軍事施設は、全てイスラ同盟軍側の空爆によって破壊されています。駐留していた部隊も全てドリュアス要塞に集結しており、敵を撃退するどころか、時間稼ぎすらできない状態にあります」
「な、何ということだ……」
「そんな馬鹿な……」
「もう、お終いだ」
同じ人間であるイスラ同盟国は交渉の余地があるが、意思疎通もできずに、ただひたすら人間を殺すことしか頭に入っていない魔物には対話による交渉が成立しない。
唯一、元々人間である魔王だけは会話ができるが、歴代の魔王は皆、魔王の力に目覚めると同時に、強烈な支配欲に飲まれ残虐で強欲な暴君になるという言い伝えがあり、やはり交渉など論外である。
議員達も馬鹿ではない。このままでは文字通り国が亡ぶと理解していた。
もはや危険で凶暴な魔王軍を首都を近郊まで侵入を許すのは避けられない。
そして不運な事に、首都を守る最後の砦であるドリュアス要塞も破壊されているため、地上部隊が健在でも十万以上の魔物が攻めてくれば、相当数の魔物が首都に到達する恐れがある。
その事実を悟り、先程までどこか余裕が見え隠れしていた状況とは打って変わって悲壮感が漂う議会場。
過酷な未来に目を背けて現実逃避し始める者が出てくる中、唯一顔色を変えずに、冷静に分析していたメルクリアがロッジ中佐に尋ねる。
「ロッジ中佐。近隣住人は大丈夫なのかね?」
自分がいる首都が魔物に蹂躙されるかもしれないという予測に一切恐怖せずに、落ち着いた様子を見せる軍時代の頼れる先輩に改めて尊敬の念を抱きながら、ロッジ中佐は答えた。
「はい、メルクリア殿。一応、近隣の街や村には避難するように命令を送りました。ただ、鳥での連絡であるため、間に合うかどうか」
「そうか……」
その言葉を聞いて、メルクリアは「我々はなんと無力な存在か」と嘆くと、決意を固めた顔付きで議員達に向かって話し掛ける。
「議員の皆様、聞いての通りです。今の共和国防衛軍では、確実に魔王軍の侵攻から首都を守りきれる保証はないと推測できます」
メルクリアは大きく息を吸い込み、議会場にいる全員に届くように言葉を紡いだ。
「私は政府の人間でありませんが、祖国と国民の命と生活を守るためにも、ただちにイスラ同盟国との和平交渉し、共和国防衛軍及びイスラ同盟国軍からなる連合軍を立ち上げ、侵攻中の魔王軍を迎撃すべきだと提案します!!」
本来議会で意見を提案できる者は、議員か許可のある人間だけで、メルクリアはその両方も持ち合わせていないが、彼に対して無礼だと言う人間はいなかった。
元軍の大佐。政府に協力してくれている組織の幹部。彼の父親が先月病で他界した元議員など、確かな信頼と実績があるため、部外者とは見なされなかったからだ。
そして何より、彼の出した提案が、とても興味深かった。
「し、しかし、そんな事が可能なのかね? 相手は現在交戦中の国なんだぞ」
この世界の人間にとって、魔王軍の襲来は世界の危機ではあるが、どれだけ膨大な犠牲が出ようと最終的にはいつも魔王の死で幕を下ろしているため、どこか楽観的に捉えている風潮があった。
それ故に、各国の指導者達は、如何にして、自国が受ける魔王軍からの被害を抑えて、対立している国の力を落とすかを考えている。
過去には魔王軍と敵国の双方の攻撃によって滅ぼされた国もあるくらいで、魔王は明確な敵だが、他国は信頼できない味方という認識が根強くあり、各国が極限まで追い込まれて同盟結ぶまで信頼できないのだ。
なので、イスラ同盟国が魔王軍と一緒になって攻めてくるという最悪のパターンも存在していただけに、目を丸くしながら、半信半疑の顔をしている長老の問いにメルクリアは答える。
「今、一番避けなければならない事態は、イスラ同盟国と魔王軍の双方から攻撃を受ける事です。敵の空鯨船の空爆で地上部隊も失い、首都も火の海に沈んだところに、魔王軍に襲撃されては、冗談抜きで生存者はゼロになりますよ」
メルクリアの予測する最悪のシナリオに全ての議員が冷や汗をかく。
「また、このままイスラ同盟軍艦隊に帰られても、余り良い結果にはならないでしょう。要塞に籠って籠城戦をするのと、平地で大軍同士ぶつかるのでは出る被害が大きく異なります。ドリュアス要塞が健在であれば、魔物の侵入を一切許す事なく、軍の被害も最小限に抑えられたでしょうが、要塞が壊滅した今、ある程度の数の魔物が防衛線を突破してしまうでしょう」
それでも幸か不幸か、全兵力の半数近くが集結していることもあり、イスラ同盟国が介入しないのであれば、剣聖を欠いた地上軍でも最終的には勝てるだろうという元軍人にしてゼラシード商会の情報部長であるメルクリアの予想に議員達は一瞬安堵するが、彼の次の発言で恐怖のドン底に陥る。
「一番の問題は、イスラ同盟国との戦争で疲弊した我が国だけが、魔王軍相手に壮絶な潰し合いをしてしまうことです。他国から見れば、見れば我が国を潰す絶好の機会なのですよ」
メルクリアの言うように、大陸で唯一の民主国家である共和国を目の仇にしている国は無数にある。
表向きは仲良くしているが、隙を見せれば、邪魔な民主主義の思想を潰して、あわよくば共和国のため込んでいる財産や技術を奪うために攻めてくるのは間違いない。
そんな連中から今日まで国を守ることができたのは、守りやすい国内の地の利と圧倒的な技術力と経済力と練度の高い防衛軍があったからだ。
しかし、イスラ同盟国軍の空爆で国内の防衛線はズタズタ。世界の武器市場を支配するゼラシード商会の失墜や、門外不出の空鯨船の技術が帝国に流出している事件もあるため、防衛力、経済力と、技術力の差はかなり縮まっている。
このような状態で、共和国軍と魔王軍が潰し合いをしたら、他の国はどのような行動を見せるだろうか。
せめて異世界からやってくる勇者を確保していれば強力なカードになったが、勇者が発見される前に魔王軍がやってきてしまった今、メルクリアの話を聞いて、誰一人良い未来を描けなかった。
静まり返る議会場。
すぐ傍まで来ている暗雲漂う未来に、誰も声を上げられない中、いち早くメルクリアの考えを理解した長老は、真剣な顔でメルクリアの方を向く。
「言いたいことは分かった。君の言うことは憂慮すべき事案だ。ただ、大きな問題が残っている。イスラ同盟国をどう説得する?」
そうそれが問題なのだ。
イスラ同盟国にとっては、今が共和国を再起不能にできる絶好の機会。虐殺されかけて怒り心頭であろう彼らを仲間に引き込むのは容易ではない。
しかし、長老の難題に対し、メルクリアは驚きの回答をもって応じた。
「イスラ同盟国に全面降伏します。全国民と全領土を差し出し、共和国の全てをイスラ同盟国の領土とします。今日からこの国の全ては彼らの領土であり国民です。そうなれば、彼らも大陸有数の大都市であるこの首都を焼け野原にして魔物に蹂躙されるのは得策ではないと考えるでしょう」
自ら属国にしてもらうなど、気が狂ったかと何人かの議員は異を唱えるが、メルクリアはそのまま話を続ける。
「こちらの掴んだ情報では、幸いにも向こうも評議会という一部の代表者が国の運営とするという我々と似たような政治をしているようです。王族や貴族、奴隷もいません。何より、人口差があり過ぎて連中がこちらを完全に支配するのは不可能です。そう考えれば、他の国の属国になるよりは数段マシでは?」
思うところはある。だが、他国よりも数段マシと言い張るメルクリアの言葉が決定打になった。
例えば、これが征服した民を奴隷にしてしまうバイキング帝国のような野蛮な国が相手であれば、反発した者はいたかもしれないが、どうやらイスラ同盟国側は民主主義に理解があるようだ。
それに、メルクリアの言うように人口差があるため、イスラ同盟国が共和国を完全に占領することはできない。
ならば、魔王軍を撃退して国力を維持するためにも、形式的には属国でも構わないのではという意見が多数出る。
他に代案もなく、民と生活の場が無事であれば文句はないと考えていた降伏派は、メルクリアの意見に賛同する構えを見せた。
対して、ゼラシード商会やユニオン商会と癒着していた徹底抗戦派は、形式的でも降伏など冗談ではないと一蹴しようとする。しかし、
「降伏にあたり、ボンズ大統領とダグラス会長以外の指導者の戦争責任は問わないという条件をつけるというのはいかがでしょうか? 三強の一つが手に入るのです。ボンズ大統領とダグラス会長の首だけで十分だと向こうも満足するはずです」
自分達の責任を回避するメルクリアの悪魔のような提案に心を動かされて、徹底抗戦派も、すぐに賛成に回ってしまった。
その後、短い時間の中で、メルクリアと議会は綿密に、降伏案について討論をした。
「意見は纏まったな」
一先ずこれで、という降伏案が完成した段階で長老が、決裂したとは言え、唯一イスラ同盟国側との交渉経験があるメルクリアに書簡を手渡す。
「頼むぞ、この国の未来は貴殿に掛かっているユーリ・メルクリア臨時大統領」
かつての交渉が失敗した原因の一つに、メルクリアが政府内の実権を持っていなかった事もあり、今回は、確実に交渉を成功させるために、満場一致で、誰もやりたがらなかった共和国臨時大統領という強力な権限がメルクリアに付与された。
イスラ同盟国との降伏交渉、及び魔王軍の迎撃という誰もやりたがらない敗戦処理をこの男に擦り付けてしまおうという打算的な考えも見え隠れするが、ともあれ、歴代大統領の平均年齢が五十歳を超える中、三十歳という驚異的な若さで新たな大統領が誕生した。
この期に及んで、頭の中で己の利益をだけを考えている議員は大勢いるが、彼らはメルクリアの描いた交渉が成功する前提で今後の行く末を思案していた。
故に、盛大な拍手で新たな大統領の誕生を祝福して、明るい未来を祈るのであった。
発光信号で、事前に使者を送ることは伝えたが急いだ良いと判断し、議事堂を出たメルクリアは、議会が用意した専用の馬車に乗り込み交渉の場である戦場を目指す。
その道中、彼の心の中に語りかけてくる者がいた。
(臨時とは言え、大統領就任おめでとう。これで魔王ユーリ・メルクリア臨時大統領の誕生だな)
(どうもありがとう。ケルベロス)
ケルベロスという名前の屋敷で悠々自適に暮らしている黒い飼い犬は、この時、首都から一日ほどで到達する距離にいた。
この普段は普通の犬に化けているこの魔物とメルクリアの間には見えない線があり、距離が離れていてもテレパシーで会話することができるのだ。
(それにしても驚いたぞ。まさかこんな計画だったとは。こちらの準備は整った。そちらは?)
直前になってメルクリアから計画の全貌を聞かされたケルベロスは、今も驚いているが、意識は計画を成功させる方向に集中している。
(これから、イスラ同盟国側との交渉だ。その後は予定通り、連合軍を組んで魔王軍という世界の敵を叩き潰す)
ケルベロスが率いる首都を目指す十万の魔王軍は、勿論、全てメルクリアの支配下にある。
彼が命令すれば、魔物達は本気を出して戦うこともできずに命を散らす。戦う前から人間側の勝利は約束されているのだ。
(敵対していたイスラ同盟国を味方に付けて、危険な最前線に自ら立ち、魔王軍を追い払うという英雄的な活躍を見せれば、議会はともかく民衆は私を熱狂的に支持するだろう。……そうなれば、短期間の任期である臨時大統領ではなく、大統領選挙を勝ち抜き正式な大統領になるのも容易なはずだ)
(まあ、今回連れてきた連中は雑魚ばかりだが、それでも自分の配下を使い潰して出世するとは全く酷い王様だ)
(使い捨ての雑魚で、三強の一つが手に入るのだから安い犠牲だ)
(そうなると、問題はイスラ同盟国との交渉か。上手く行きそうか?)
(心配するな。今回は議会と協議した通りに、穏便に奴らの支配下に入る計画だ。こんな美味しい話、イスラ同盟国側も拒絶しないだろう)
(そして、内側からに入りこんで、共和国と同じように、最新の空鯨船の技術ごとイスラ同盟国も乗っ取ると?)
その通りだと、メルクリアは小さく頷いた。
メルクリアの立ていた計画は、まず災害扱いされている魔王軍を使い他国を蹂躙、その後被災した国に共和国軍を出兵し邪悪な魔王軍から被害に遭った国を解放させてやり、最後に復興援助と称して見えない形で経済的に隷属させる計画だった。
表しか見ない真実を知らない者ならば大歓迎するであろう、この一連の流れを彼は大陸中の全て国が共和国に恩義を感じるようになるまで行う予定でいた。
そして、メルクリアが魔王である事に誰も気が付かないまま、世界征服を完了させるのだ。
この壮大なマッチポンプを成功させるために必要な力は以下の三つ。
魔物を支配する自らの魔王の力。
剣聖率いる世界有数の練度を誇る共和国防衛軍。
ゼラシード商会を始めとする共和国の圧倒的な経済力。
そこに、四つ目の力として、現時点で既に圧倒的な空鯨船技術を持ち、更に豊富な資源を活用して将来的には世界最大の資源産出国になり得るイスラ同盟国が加わる。
しかし、このイスラ同盟国の存在だけがメルクリアにとって予想できない相手だ。
毒になるか薬になるか。
少なくとも当分はイスラ同盟国を宗主国と仰ぐ必要があるため、共和国大統領として大々的に活動する筈だった従来の予定には大幅な修正が必要だ。
折角、共和国の頂点に立つ大統領になったのに、このまま国ごと身売りすれば、宗主国であるイスラ同盟国の評議員よりは格下という位置付けになる。
しかし、メルクリアは不敵に笑う。
(勇者はもう倒した。一つくらいはイレギュラーがあった方が面白い)
強靭な理性で魔王の欲望を抑えていたメルクリアだが、この時、初めて邪悪な笑みを溢した。
だが、幸いな事に誰にも見られることはなかった。




