第十六話 多分、この日が歴史の分岐点だったと思う
はあ、お偉いさんと会談か。
ゴードン達に丸投げしてもいいが、他国と貿易したり同盟を組むという話を勝手にされるのはマズイ。
面倒だなと心の底から思うが、ストレスフリーの暮らしを守るためにも、立ち向かわないといけない辛い現実だ。
ひたすら億劫だと感じながら、空に浮かぶ鯨にもう一度目を向ける。
正にその時だった。
空鯨船の下部が光ったらと思ったら、まるで砲弾やミサイルのように火の玉がこちらに向かって落ちてくる。
そして、爆音と共に、近くの家が吹き飛んだ。
攻撃だ。
飛行船からの魔法による空爆だ。
対話も事前通告も宣戦布告も一切ない、無慈悲な攻撃だ。
しかも、一度ではない。
火の玉、雷、氷の柱。
ありとあらゆる魔法が敵船から流星群のように放たれて、家々が次々に吹き飛ばされて、人々の悲鳴が鳴り響く。
突然の奇襲。
だが不幸中の幸いか、多くの人間が世に珍しい空に浮かぶ空鯨船に目をやっていたおかげで、空鯨船が攻撃してきた事を瞬時に察した。
大混乱に陥っても不思議ではない異常事態。しかし、長年、イスラの森でゴブリン達の夜襲を日常として受け入れていた村人達である、足を止めて地に伏して蹲る者は一人としていない。
「逃げろ!」
「上だ、上だ!」
「敵の位置が高すぎる。反撃するな。こちらからの攻撃は届かない。ともかく逃げろ!!」
子供も老人も、瓦礫の山を避けながら一斉に街の外へと走り出す。勿論、俺も一緒になって逃げることを選択する。それでも、この攻撃は余りにも突然過ぎた。逃げ遅れる者は少なからずいるだろう。
少なくない犠牲を覚悟した時、半透明のシールドのような光の膜が、空を覆うように展開されて、敵船からの攻撃を防いだ。
「アレは?」
「恐らく、聖女であるエシャル嬢が結界を張ったんでしょう。気に入らないカルスタン家の者とはいえ迅速かつ賢明な判断だ」
聖女であるエシャルは、攻撃系以外の魔法を極限まで強化することができる。加護と結界魔法を組み合わせて、傘のように村を覆う巨大な結界を展開したのだろう。
ゴードンの言うように素晴らしい対応だ。おかげで、態勢を立て直す貴重な時間を得た。
先程までは逃げることしか考えてなかったが、敵の攻撃を中断させたことで、少しばかり冷静さを取り戻し周囲を見渡す。
つい数分前まで、活気のあった街並みだったが、今は灰色の焼け野原となってしまっていた。
折角コツコツ築き上げたモノが、訳の分からないままに一瞬の内に瓦礫の山と化した惨状を見て、身体の奥底から怒りの感情がこみあげてくる。
「どこの誰かは知らんが、事前通告もなしに、いきなりこちらに攻撃してくるとは!!」
敵の狙いは分からない、だがかつてこの場所を奪おうとしていた元山賊『赤い狼』ですら、事前に何も言わずに、住民を皆殺しにして家屋を焼き払うような酷い行いをしよう等とは考えてなかった。
「ぐぬぬぬぬ……!!」
俺の様子を見て、ゴードンが何やら怯えているように見えるが、詮索している暇は微塵もない。
「おい、ゴードン!! 今すぐに各派閥のトップを集めろ!!」
「りょ、了解です」
あの目障りな空飛ぶ船を撃ち落としてやる。
男の名前は、リチャード、共和国防衛軍准将だ。
彼は、野心家であり、有能な将校だ。
共和国防衛軍は、他国の軍とは異なり、原則自国の防衛でのみ出撃が許可されるため、手柄を立てる機会が少ない。
その現状に歯痒さを感じながらも、貴重な模擬演習の機会や日々の派閥争いなどで着実な実績を上げて、若くして准将にまで昇進した。
そんな彼がある日、司令部から命じられた極秘作戦、それが魔境と恐れられたイスラの森に突如建設された謎の城砦の確保だった。
イスラの森は各国が領有権を主張していない地ではあるが、自国の外に当たるため、当然共和国防衛軍に出撃の許可は下りない。
にも関わらず、予算と人員ばかりか、公式では一隻しか建造されていない虎の子の空鯨船まで、演習航海と称して使用許可が下りている。
共和国防衛軍において准将という階級は現場部隊を指揮する将校の階級としては最高位にあたるが、軍の上層部という枠組みには入っていない一介の指揮官に過ぎない。
故に、この作戦の詳しい内情までは知らされていないが、ここまでお膳立てされていると、流石のリチャードも今回の作戦には何か裏があるとは察してはいた。
この作戦を議会が知れば間違いなく反対するし、最悪、軍トップの参謀長の解任もありうる。
それを分かった上で、軍上層部は極秘に作戦の発動を決めた。
失敗は許されない。また作戦自体を他にバレることも許されない。
今の司令部の存続を掛けた作戦だ。
そう考えると凄まじいプレッシャーを感じるが、同時に、これほどの作戦の現場指揮を任されたことは名誉であるとも感じている。
こうしてリチャード准将は、必ず任務を完遂させるという強い決意を抱いて作戦に臨んだのである。
一部の政府上層部とリチャード准将を含めた軍上層部だけが、知っている最重要機密だが、現在共和国には、三隻の空鯨船がある。
一隻はすでに完成しており、国境付近で秘密裏に運用されている。もう一隻は、開発したゼラシード商会の秘密ドッグに、そして最後の一隻が、世界初の空鯨船と世界に喧伝し今作戦のためにリチャード准将に使用許可が出た一番船スルトだ。
一番船スルトは、選ばれし二百人の精鋭を乗せて共和国防衛軍の基地を旅立ち、一切のトラブルもなく、イスラの森の空を走り抜けて、空の上にあるためゴブリンの夜襲に悩まされることもなく、数日後、報告どおりの場所で城壁に囲まれた村を発見した。
「ほう、報告書には、かつて帝国が行った一大開拓作戦の際に、作りかけで破棄された基地をイスラの森に住む難民達が、補修したものと書いてあったが、想像以上の出来栄えだな」
船の前方の下部付近にあるブリッジのガラス床の下に広がる城塞を見て、到着早々にリチャード准将は本心から感心した。
「全くです。帝国がベースを作っていたとはいえ、ゴブリンの住むこの魔境に、よくぞこれほどのものを築いたものだと素直に驚いていますよ」
「接収した後の補修工事にかなりの時間と予算を取られると覚悟しておりましたが、これならば、すぐにでも使えるようになるでしょう」
同様の感想を抱いたのか、同じ光景を見ていた副官達も一様に頷く。
いやはや、よくぞこれだけ立派な城砦をこの地に作ったものだ。
まず目を引くのが、居住区を囲むように長く円形に張り巡らされた高い城壁。
もうこれだけでゴブリンの侵入を防げそうだが、一定間隔でバリスタのようなものが設置されている。
あのサイズのバリスタでは、現在このスルトがいる高度までは届かないだろうが、ゴブリンに留まらず、他の軍隊による地上からの攻撃には十分対処できるだろう。
壁に守られた居住区には、広大な土地を利用した田畑と、無数の家屋が立ち並んでいる。
その大半が共和国首都と同じレンガ造りの建築物なため、この城塞に優れた建築技術を持つ者達がいることは容易に想像がつく。
それだけに残念だ。
「少しもったいない気もするが、これも任務だ」
上層部からの指令は、城砦を発見し、全住人を殺害、無人となった城塞を確保することだ。
上が欲しいのは、土地と施設のみ。後々邪魔になりそうな、そこに住んでいるであろう村人は女子供だろうと一人残らず殺せという命令なのだ。
放棄された無人の城砦を偶然にも演習中の本船が発見し確保、恐らく上層部はこんな感じの絵を描いているのだろう。
「攻撃用意」
船の中央付近と後方にある下部ハッチが開き、乗船している魔法使い達が、遠距離用に調整された杖を眼下に向ける。
許せ、これも命令だ。恨むならば、この作戦を立案した奴を恨め。
「総員、攻撃開始!!」
敵の手が届かない空の上からの一方的な攻撃、その第一波で中心付近の家の大半が吹き飛んだ。
蹂躙を楽しむような思考の持ち主達ではなかったが、巣穴をほじくられたアリのように、住民達が右往左往している様を見て、リチャード准将を始め空鯨船に乗っている者達はある種の優越感のようなものを抱く。
地を這う虫けらを天から見下ろす神のような気分だ。
だが、第二波を開始しようとした矢先、驚くことに城砦全体が濁った水のような色をした半透明の巨大な結界に覆われて手出しができなくなった。
敵には一切の抵抗の術がないだろうと予想していたために、この光景を見ていた全乗組員は心底驚いた。
「これは……」
恐らくはホーリーフィールド。
傘のように展開し、全方位から大抵の攻撃を弾く防御魔法だが、目の前にある街全体をカバーするそれは常識外れの規模であった。
この船には五十人という戦場に連れていけば、確実に勝てるほどの数の魔法使いが乗船しているが、船にいる全員が束になってもこれほどの規模でホーリーフィールドは展開できないだろう。
だとすれば、それが可能な存在は一人しかいない。
「なるほど聖女か」
一番に口を開いたリチャード准将の考えに副官達も同意する。
「はい、確かに聖女の加護を持つ者は未だに確認されていません。まさかこんな場所にいたとは」
「ラッキー……と思うのと同時に、故郷を追われた敗残者達が、これほどの街を作れた理由も納得がいきますな」
(ふふ、俺は運が良い。重要任務達成だけでなく、聖女の確保まで、帰れば昇進は確実だな)
「聖女といえど、これほどの規模でいつまでも結界は維持できんだろう。持って数時間、あの結界の中央に聖女がいるな。よし予定を少し変更する。結界の解除と同時に、壁内の外側から攻撃しながら、難民達を村の中心に集めて、最後に降下部隊を送り込んで聖女だけは捕獲する」
「「了解」」
思わぬ土産ができた。
この時リチャード准将の頭の中にあったのは、約束された勝利と英雄として凱旋する自分の姿だけだった。




