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第八話 命を受け止めて

 組んだ手の甲に顎を預けながらただじっと椅子に座る。周りには大量の女性。ちらりと横を見る。みんな各々のやり方でその時を待っている。

「おまたせー」水音だ。水音が帰ってきたぞ。「順調だって。あと二ヶ月くらいかな」と水音。

 と言うわけで僕達は産婦人科に来ている。説明不要だとは思うけれど水音は妊娠していて、その経過の確認に来たのだ。水音のお腹は日に日に大きくなり、正直に告白すれば最初はどこか他人事だった僕もこの頃には自覚のようなものが生まれ始めていた。


 しかし、僕が父親か……。どうしても違和感が払拭できない。ちゃんと人の親になれるのだろうか?と、正直に水音に言うと彼女は「そう思えている時点でもう立派な親になりつつあると思うよ。大丈夫、真白くんなら」と笑ってくれた。

 子供ができた時、皆に順番に報告した。

 桃果さんは「勝手に彼女作って、結婚して、子供だって!?もうたまんないなお前は!あーーー!!」と地団駄を踏んでから「真白!なにかあったら連絡しろよ!水音にも言っとけ!笑ってやるから!」と捨て台詞っぽく去っていったけれど、桃果さんなりの優しさを感じて嬉しくなった。

 中村橋くんは「そうかぁ、真白くんがパパかぁ……」と感慨深い表情で数回頷いて「遂に僕もおじいちゃんか、孫にはじーじって呼ばせるぞ〜!」といきなり爺モードだった。

 栞里ちゃんは「おめでとうです。私の事はお姉様と呼ばせてください」とマジ顔で言うもんだから栞里ちゃんにはあまり遭遇させたくないな……。

 でも、各々が各々らしい祝福をしてくれて、恵まれた境遇に僕達は感謝するのだった。


 ◇


 雪もちらつく年末。夜十時。水音の様子が変わった。「あ、くるかも」その一言で、僕の心臓が跳ね上がる。慌てて病院に電話して身支度をし、水音を乗せた車を病院へ飛ばす。救急窓口に駆け込んで看護師さんに案内されたのは出産の為の病棟。ベッドに横たわる水音と隣に座る僕。ここでその時を静かに待つのだ。

 どくん、どくん。心臓が全身を揺らす。なにをしたらいいかわからない。「水音、ここにいるから」それしか言えなかった。今は落ち着いている水音は「ありがとう」と一言告げると目を閉じてこの時間の流れに身を委ねた。

 一時間、二時間経っても状況は変わらなかった。どうやら僕達の子供は気まぐれらしい。「真白くん、ここじゃ真白くんが寝る場所ないから、一回帰ってもいいよ?もし生まれそうになったら連絡するから」と水音に言われて、眠気で死にそうになっていた僕はそれに甘えて一旦家に帰ることにした。

 病院から出ると、さっきよりも濃い雪が降り始めていて、ああこれは積もるななんて考えながら車に乗り込んだ。

 静寂の中、雪で白くなった道を走る。行きの慌てぶりが嘘のような帰路だった。途中、コンビニでおでんを買ってアイドリングする車の中で頬張る。ヘッドライトに照らされてきらきらと瞬く雪。少し幻想的なそれが僕の心を鎮めていく。携帯を取り出して花奈ちゃんに電話をかけた。

「もしもし、もしかしたら今夜生まれるかも。まだもう少しかかるそうだけれど。また生まれそうになったら連絡するね」「教えてくれてありがとう。何事もなく生まれるといいね。連絡待ってるね」通話を切る。

 行こう。家に帰って準備をしよう。もうすぐだ。


 家のドアを開けた瞬間、着信が鳴った。そしてその言葉を聞いた僕は全力で走り出す。車のドアを力強く閉めエンジンをふかし、さっき走ってきた道を引き返していく。心臓がうるさい。身体から飛び出しそうだ。病院の階段を二段飛ばしで駆け上がる。手すりにつかまって遠心力で半回転してまた駆け上がる。登り切ったところで躓いてうつ伏せに倒れたけれど、ぐんと両手で身体を持ち上げて床を蹴とばして走る。

「水音!!!」

 ぜえぜえと荒い呼吸のまま水音が寝ている部屋に駆け込むと、看護師さんが「ほら、旦那さん来てくれたね。行きましょうか」と流石の落ち着きで水音の誘導を始めた。当の水音はお腹を押さえて「真白くん、早かったね……!先に行こうか迷ってた」と安堵の表情を浮かべた。

 分娩室に入ると、看護師さんが水音を分娩台に乗せて「今先生呼んでますからね」と優しく声がけをしてくれている。そんな中、僕はなにも出来ない。なにをしたらいいかわからない。「看護師さん、僕はどうします?」とか気の抜けるような質問に「大丈夫ですよ。奥様に声かけてあげてて下さいね」と看護師さん。「なるほど!水音、頑張っていこう!」と言われた通りにすると水音は吹き出して「この人素直すぎる……!やめて笑う、出てきちゃうよ」とか言うので僕は「生まれそうなのか!?看護師さん!先生はまだですか!!」と看護師さんを問い詰めると看護師さんも何故か吹き出した。

 そんなやり取りのようなものを続けていると、ようやく先生がやってきた。それを待っていたかのように水音が痛みにうなされるようになる。僕は水音の頭側に立って、必死に声がけをした。先生も看護師さんも凄くてきぱきとして、それでいて言葉は穏やかで安心できるものだったけれど、それでも部屋の空気はどこか張り詰めていた。昔より桁違いに環境が整っているからと言って、それでも出産は命がけなのだ。なにも出来ない僕は無我夢中でただ水音に声をかけ続けた。僕が生きてきた中でぶっちぎりで鬼気迫る時間だった。

 僕はもっとドライな人間だと思っていた。でも、先生の「ほら、頭出てきたよ!」の一言で視界が歪んだ。何故なのかはわからない。でも、なにかが僕の中に起きていた。

 そして今までこの部屋になかった声が聞こえた。大きな声だった。その声を聞いた瞬間、僕の目からぼろぼろと涙が零れ落ちた。おかしい、この声を聞いていると涙が止まらない。下を向いたまま必死に声を押さえて泣いた。

 そして、その時は来た。初めて見るその姿は小さくて、涙で歪んで良く見えなかったけれど凄く力強いものを感じた。涙を拭いて水音に「ありがとう」とそう一言伝えた。水音は疲弊しきっていて反応が薄かったけれど頷いてくれた。少ししたらその子は水音に寄り添って母乳を飲み始めた。美味しそうに飲んでいるな……。


 この時なんだと思う。僕のスイッチが完全に切り替わったのは。

 なにがあっても二人を守りたいという強い気持ち。それが沸々と僕の中に芽生えてきていた。


 ◇


 ぎゅ、ぎゅ、ぎゅ。真っ白な雪を踏みしめる。はぁーと吐いた息が湯気になり景色に溶ける。あれから一週間。すっかり雪景色に染まった町。僕は駐車場に積もった雪をせっせと掘っていた。そうしないと車が出せないのだ。今年は特に雪が多く、面倒この上ない。雪は見るのは好きだけれど、別に掘るのは好きじゃない。ざしゅりと雪山にスコップを刺して小休止。その場に座り込む。

「よう、真白。積もったな」振り向くと完全防寒具といった具合にモコモコな桃果さんがいた。「今年は凄いね」「はは。毎年そんな事言ってんな。それで、今日じゃないのか、退院日」「体調良さそうならね。今のところ連絡ないから予定通りかな」「そうか」桃果さんは僕の隣にどかっと座る。また雪がちらつき始めている。桃果さんは仰いだ天に雪玉を投げる。「あんなに小さかったお前が子持ちの親父かぁ……少し羨ましいな。あ、子持ちって部分じゃないぞ?」律儀に説明する桃果さんもこれまたかわいい。「成長しているってところがさ、ほら、あたし達には無いから。望んだ結果ではあるけれど、あたし達は例によって欲の皮が突っ張ってるからさ、無いものは輝いて見えるのさ」桃果さんはあまり見せない寂しそうな顔つきになっていた。「ま、自業自得だけどな。戯言だよ気にすんな」そう言って彼女は立ち上がる。

 そういえば。

「桃果さんは、なにが望みで魔法少女に?」今までずっと聞く機会に恵まれなかったこの疑問。桃果さんは淡々と答えてくれた。

「会いたい奴がいる。会って話して、仕留めたい。この手でだ」桃果さんの顔が強張る。彼女の拳はぎりぎりと溢れんばかりの力で握りしめられていた。とても悲しい思いが伝わってくる。「力になるよ」桃果さんを見上げてそう伝えた。彼女は少し嬉しそうにはにかみながら下を向き「ありがとよ。心強いよ」と小さく返してくれた。


 インターホンを押すと程なくして花奈ちゃんがドアを開ける。「おまたせ。楽しみだね。早く触りたいな」花奈ちゃんの笑顔が眩しい。表情から嬉しさがにじみ出ていて、僕もなんだか良い気分になる。

 車を走らせる。助手席で花奈ちゃんは珍しく自分語りをしてくれた。「魔法少女になる事で叶えたい願いなんか無かったけれど、別に出来た願いが一個叶いそうだよ」「なんだろう?」「真白くんの子供を抱っこする事」何故だか少し恥ずかしくて下を向きたかったけれど、運転中だから出来ない。花奈ちゃんはそんな僕の気持ちを察したのか、「ふふ」と横で笑うのだ。

 幸せは、間違いなく今だった。

 この幸せが永遠に続けば良いのに、と人並みで贅沢な思いを巡らせながら病院へと急いだ。


 病院の中。水音の元に向かう途中、花奈ちゃんは「中村橋くん、楽しみに待ってるって」と言った。中村橋くんは今日、体調不良により店も閉め療養中だ。僕も生まれて二十五年。中村橋くんは五十九歳で、彼の身体はいつまで仕事出来るかわからない状態なのだ。だからではないけれど、僕は中村橋眼鏡店を継ぐことにした。まだ新人に毛が生えた程度の知識しかないけれど、毎日眼鏡のイロハを勉強している。いつか一人前になって中村橋眼鏡店を有名にしてみせる。そんな目標も出来ていた。中村橋くんには秘密だけれど。


 階段を上った先のデイルーム。目的地はそこだった。そして待ち合わせ時刻までの十分弱の間、他愛ない話をしながらその時を待つ。


 あと数分で僕の生活はがらりと変わる。起きる時間も、寝る時間も、食べる時間も、一人の時間も、なにもかもが、僕の全ての人生が……別の誰かのようにせわしないものに変わるのだ。でも僕は思う。生きているってこういう事なんだろうと。必死に生きて、いつの間にか歳をとって、大切な人に想われながら死んでいく。それが僕の求める人生なんだ。

「真白くん、水音ちゃん来たよ」

 花奈ちゃんの言葉で僕は立ち上がり、足音の方向を見る。向こうには水音と、彼女に抱かれた小さなそれ。僕の子供。いてもたってもいられず早足で彼女に向かって歩き出す。

 そして、僕は水音の肩を抱いてその子に語りかけた。


「よろしく……黒華くろか!」

 希望ヶ丘黒華。僕の大事な命。

 ふと視線を上げる。

 その先で、四角い廊下の中で……花奈ちゃんはただ静かに、そして優しく、僕達に微笑んでいた。

つづく

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