表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/19

第六話 手の届く範囲の幸せ

 私が十二歳の頃、お父さんが死んだ。急性心不全だった。アパートの一室で亡くなっているのを大家さんが見つけたのだ。お父さんはその時既にお母さんとは離婚していて、私はお母さん側に付いて行ったから、つまりは孤独死だった。離婚したとは言えお母さんは気持ちの整理がつかなかったから、一人娘の私が遺品の片付けに行った。

 部屋は乱雑で、どんな生活をしていたのか見て取れた。お父さんは生活力があまり無かったから当然と言えば当然だった。だからお母さんは、離婚したせいであの人を一人にして、それが死なせる原因になってしまったんじゃないか。離婚した後、あの人がどんな暮らしをしていくのか判っていながらも別れた自分に責任があるんじゃないか……そう自問自答を繰り返していた。

 でも、お母さんとお父さんの暮らしは完全に破綻していて、離婚しなければ確実にお母さんは壊れていたと思う。だから、これはなるべくしてなった結果だった。

 とは言ったものの、私も正直自分を責めていた。何故かって、私だけは離婚してからもお父さんとは連絡を取っていたから。お酒も呑んだし呑まれたし、その上で酔うと暴力的だったし、最低の父親だった。けれど複雑だったのは、彼に悪気がない事だった。脳の作りがきっと最初から違っていて、常識が半歩ずれていた。だからお父さんはきっと、自分は普通と思っていたのに周りからはおかしいと言われ続けて、ある意味壊れていたのだと思う。死んでからこうやってまともに考えて、私は都合の良い人間なのだなと情けなくなる。ろくに友達のいないお父さんを救えるのは私だけだったのかもしれない。死ぬ直前、お父さんから電話が来たけれど、毎回のように酔っていてしかもお母さんの悪口を言うから、それを取らずに着信拒否をした。その後、一通メールが来て、そこには私の名前がただ一言書いてあった。だから最後にお父さんが私になにを言いたかったのかは、永遠にわからないままだった。

 死んで当然と思ったこともあったけど、いざその時が来ると、凄く、凄く心に闇が住まうのだ。

 お父さんのアパートで遺品を探していると、金魚が二匹、水槽を泳いでいた。水槽の近くには名前があって、そこには「花奈」「理香子りかこ」と書かれていた。

 ーー私とお母さんの名前だった。

 金魚に私達の名前をつけて、どんな生活を送っていたのか。最低の父親の筈なのに、筈なのに、それを想像すると何故か涙が滲んでしまっていて。もう心がぐちゃぐちゃになっていた。


 ◆


 お母さんは魔法少女だった。でもそれは、テレビや漫画の魔法少女とは似ても似つかないもので、見た目こそ確かにそれらしく見えるものの、実際はもっと現実的な存在だった。マスコットキャラクターなんてどこにも無く、あるのは戦い続ける人間の姿だけ。お母さんが怪我するのは見てていい気分なんてするわけがなく、そんな魔法少女という存在が私は嫌いだった。

 お母さんは現実味がない性格で、淡々としているとかではなくて、のほほんとした……常に笑顔を絶やさない人だった。小さな頃から私はお母さんに事あるごとに頭を撫でられて育った。怒る時も感情任せじゃなくて、しっかり怒る理由を教えてくれて、ぴりっとした表情の中にいつも優しさが感じられた。


 そんなお母さんの願いを聞いた時、私はきっと彼女より先に死ぬんだろうなと思ったものだ。なんでかって?だって、その願いが「世界中の誰もが幸せになれるといいな」なんて、桁外れに大きな願いだったからだ。一体どれほどの淀みのエネルギーを集めればそんな奇跡を起こせるのだろう。私には想像もつかなかった。

 お母さんの友達に中村橋くんという若いお兄さんがいた。お母さんが離婚した時、彼は私にこう言った。「お母さんの願いは凄く大変な願いなんだ。きっと僕が生きている間には叶わないと思う。だから花奈ちゃん、僕がいなくなったらきみがお母さんを守るんだよ?じゃないと、お母さんは寂しくて可哀想だからね」私はなにも言わずに頷いた。お母さんは皆を幸せにして、私がお母さんを幸せにする。そんな想いが私にはあったのだ。


 でも。

 神様がいるのなら、私は問いたい。なんでお母さんだったのか。なんで、皆の幸せを願ったお母さんだったのか、って。


 ◆


「一緒に治していきましょう」

 頭が真っ白になっていて、先生の言葉に反応する余裕はなかった。先生ははっきりとした事は言わなかったけれど、なんとなく理解していた。


 お母さんは癌になっていた。


 後日、私だけが先生と話す事になった。それは、予後、つまり余命の話だった。良くて半年、悪くて二ヶ月。それがお医者さんの言う、お母さんの残りの人生だった。それはあまりにも短くて、切なくて切なくて、切ない気持ちが瞳から溢れ出て来て、口からも言葉にならない想いが吐き出されて、ぶつけようのない感情が身体を引き裂いて、私を黒く塗り潰していった。

 中村橋くんはお母さんの症状を聞いても泣かずに耐えて、私を抱きしめてくれた。「お母さんがどうなっても、僕達がお母さんを守っていくのは変わらないよ」中村橋くんは一言、そう言ってくれた。私には頼れる大人は中村橋くんしかいなかったから、凄く嬉しかった。


 最初の数週間は抗がん剤治療というものに挑戦してみた。お母さんは寝転がってリラックスしながら身体に流れてくる薬を受け止めていた。でもお母さんの身体はもう、それに耐えられなくなっていて、二回くらい治療を受けた後は体調不良でひたすら延期をした。


 日に日に弱っていくお母さんを見るのはとても辛かった。どんどん食べられるもの、食べられる量が減っていった。食べられても数分後に吐いた。悪い細胞がお母さんが得るはずだった栄養を全部食べてしまっていた。みるみるお母さんは痩せていった。

 信じたくなかった。あの元気だったお母さんが今ではフルーツを一口食べられた事に一喜一憂しているのだ。どんどん喜びのボーダーラインが下がっていく現実に、私は誰もいない場所に走って大声で泣いた。


 緩和ケアを開始した。それはつまり終末期、終わり方を考える段階だった。徐々に笑顔が消えていくお母さんは、起きている時間が苦しみに変わりつつあった。私はいらついていた。お母さんが苦しんでいる。お母さんを助けてあげて。やるせなかった。

 私と中村橋くんで交代でお母さんの様子を見守った。体勢を変えてあげたり、気道のつまりを取ってあげたりした。まだ若い中村橋くんは、お母さんの付き添いをしながら悔しそうに下を向いていた。「僕に地位や権力……力があれば、理香子さんにもっと平穏をあげられたのに」そんな言葉を呟いていた。


 そんなある日。珍しく調子の良いお母さんが私に話してくれた。「花奈。お母さんは死なないから、花奈のやりたいように生きていいのよ。花奈が大変そうだとお母さんも辛くなっちゃう。でも、花奈や中村橋くんがしてくれている事、お母さんは凄く嬉しい。ありがとね、花奈」

 お母さんは死なない。お母さんは魔法少女だから、苦しんだり弱ったりするけれど、決して死ぬ事はない。それはつまり、ぎりぎり死なない状態で生き続けるという事でもあった。自由に死ぬことが許されない。永遠に苦しみ続ける。魔法少女はまるで呪いのようだった。


 ◆


 お母さんの痛みが激しくなってきている。すっかり憔悴しきったお母さんはきっともう立ち上がれないし、歩くこともない。そればかりか、病室から出ることもないのだろう。お母さんが見る最後の景色がこのくすんだ白い天井だなんて、あんまりだ。

 そんな中、お母さんは私に「花奈。お母さんはもういいから……後は中村橋くんと話し合って、お母さんの事決めていいから……」とか細い声で訴えた。その意味を理解した私はもう、まともにお母さんを見る事はできなかった。

 死ぬ事が唯一の幸せなら、私は彼女を幸せにすべきなんだ。

 真夜中。私はようやく眠りについたお母さんのベッドの横に布団を敷いて、天井を見つめていた。

 手鏡を見る。ぼさぼさの髪に目の下には大きなくすみ。肌荒れも酷い。頭も痛い。私も中村橋くんもぼろぼろだった。でも、それ以上に辛いのはお母さんで、私は再び天井を見つめる。

 ひとつだけ、方法があった。お母さんを幸せできる方法が。


 翌日。病室の前。廊下で中村橋くんに私は告げた。

「魔法少女を、お母さんから奪いたい」

 それはつまり、継承だった。魔法少女が死なないのであれば、魔法少女である事を捨てればいい。それが、お母さんに残された最後の手段だった。もちろん中村橋くんが頷くはずはなかった。でも、私は諦めるわけにはいかなかった。

 継承に複雑なルールなんて無く、「譲渡者」「継承者」相互の意志が一致するだけで事は進む。だから私には中村橋くんの他にお母さんという大きな壁が残っていた。


「お母さん」私の呼び声に小さい声で「うん」と返すお母さん。次に続けた私の「魔法少女を継ぎたい」という言葉に、お母さんは反応しなかった。目は開けていたから、それはつまり拒否の意思表示という事だ。二度は言えなかった。そんなの無理だ。


 だって、お母さんに、お母さんに私は、死を、死を宣告している。大好きなお母さんなのに、こんな事、本人に向かって……。

 後ろで見ていた中村橋くんが私の肩を抱く。いつの間にか大粒の涙を零しながら嗚咽する私を気にかけてくれたのだ。私は震える声で想いを吐き出した。

「なんでお母さんなの。頑張って私を育ててくれて痛い思いとかもして……もっと幸せになるべきだったのに。なんで、なんで」

 言葉はいつしか泣き声に変わり、私は中村橋くんに抱きついて泣きじゃくった。お母さんの前だったから心配かけたくなかったのに、ダムが決壊したように心が崩れた私はその場に立っているだけでもやっとだった。

 ひとしきり泣いて少し落ち着きを取り戻した私は「ごめんね。馬鹿なこと言って……」と謝って頭を冷やそうと部屋から出ようとした時、私はか細い声で「花奈」と発するお母さんの声を聞いた。振り返る私。中村橋くんは聞こえなかったのか、無反応だ。でも確かに聞こえた。お母さんに歩み寄るけれど、お母さんは目を開けたまま苦しそうに呼吸しているだけで。「お母さん、無理しなくていいからね」と語りかけて私は椅子に座り、うなだれた。

 その時だった。

 私の中になにか、大きな想いが突き抜けるのを感じた。突き抜けたそれ・・は光の粒となって私の周囲を囲んで、ぐるぐると回りながらひとつずつ身体に溶け込んでいく。ああ、来る。私は今から変わるんだ。新しい私が生まれようとしているんだ。私自身の願いなんて無く、ただ心の中にあるのはお母さんに対するただひとつの願いだけ。


 どうか、どうか、お母さんが苦しまずにいけますように……。

 それだけを強く、なによりも強く願い続けた。


 私は立ち上がる。

 お母さんと似たコスチューム。私の魔法少女としての最初の姿。お母さんはしっかりと目を開けてそれを見ていてくれている。中村橋くんは嬉しさのような悲しさのような、どちらとも言えない表情で私を見ている。

「お母さん、かっこいいでしょ?それともかわいい?」

 ひらりと一回転。スカートを翻して私は出来るだけ嬉しそうにお母さんに笑いかける。「お母さん。私、お母さんみたいな優しくて強い魔法少女になるよ。淀みを倒して、辛い思いしてる人達を救って……みんなに笑顔になってもらって……」言いながら、いつの間にか涙声になってしまっていて。お母さんとの別れがこんな泣き顔じゃだめだ。必死に笑顔を作るけど、持たない。ぼろぼろ涙が溢れてくる。

 今までなにがあろうと絶対に泣かなかった中村橋くんが、私の後ろで泣いていた。そしてお母さんに駆け寄って「理香子さん、今まで、ありがとね、ありがとう。花奈ちゃんの事は、まかせて」と、泣きながら途切れ途切れに語りかけていた。

 きっと、私の最初の魔法だったのだろう。涙を止める魔法。私は泣き顔を抑えて笑顔で「お母さん、大好きだよ」と囁きながら額にキスをした。

 うっすらと開いていたお母さんの目が、静かに閉じられた。安らかな表情だった。きっと、苦しまずにいけたのだろう。ゆらめていた心電図が泣き始める。どたどたと看護師さんがやってくる。中村橋くんも泣くのをやめてやるべき事をやり始める。私だけが、うわんうわん泣いていた。


 お母さんは天国にいけたのだろうか。

 願いを持たない私が、叶える願いを前借りしてお母さんから苦しみと不死を取り除いた。私はもう、死ねない。死ぬ事はない。叶えるべき願いは、どこにもない。願いや目標のない魔法少女は、どう戦い、なにをして生きればいいのか。そんな事、今の私にはまだ判らない。

 鏡の前には笑っちゃうくらいぼろぼろの魔法少女がいた。辛いけど、でもほんの少し嬉しい。

「この格好見てると、まるでお母さんがいるみたい」

 私ってお母さんに似てたんだなぁ、そんな気持ちにさせられるのだ。


 ◆


 人は本当にどうしようもなくなった時、これまでの幸せに届かなくなってしまった時、手の届く範囲のありもの・・・・でそれを作ろうとする。幸せの形を組み替えてしまう。でも、どうあれそれは紛れも無い幸せであって、例え妥協の結果であっても、日々すり減っていく心に拠り所は必要なのだ。


 初めて空を飛んだ。地平線には人々の生活がきらめいていて、こんな景色をこうやって見れるのだから、魔法少女も捨てたもんじゃないなと思った。

 力の使い方に慣れなくてふらふらと虫みたいだったけど、辛くなった時、誰かを元気付けたい時、この景色を見せてあげるんだ。


 そう心に決めた私は、疲れ果てるまで、眠くなるまで、落ちてしまうまで……黒い夜空を泳ぎ続けた。

つづく

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ