第十四話 魂の還る場所
これが最後になるだろうから、全部出しておきたい。
自分の出生を知った時、僕は正直安心したんだ。
だって、僕はちゃんと花奈ちゃんから生まれたんだと知れたから。ああ、僕の母親は、花奈ちゃんだったんだなぁと思えたから。
心が、とても透き通った気がした。自分が淀みという概念であっても、それがちっぽけに思えるほどの嬉しさがあったんだ。
ざく、ざく、ざく、と灰色の砂浜を歩く。後ろを振り返るとこれまで歩いてきた足跡が見える。見えなくなるまで、地平線の向こうまで続いている。
遠い。
僕は、とても遠い場所からやってきたんだ。
まだ先は、どこまでも続いて行く。続いて行くけれど、足跡をつけるのはきっと僕じゃなく、僕の魂を受け継ぐ者なのだろう。そして、それはきっとあの先に、僕に背を向けて立っているあの子なのだろう。
世界がこれからどうなっていこうと、それを僕が知る術はない。大事件が起こるかもしれないし、なにもないかもしれない。
名残惜しい気持ちはないわけじゃないけれど、それでも僕はやりきったと思っている。
もう、僕ができることはなにもない。
向かうべき場所へ、行くだけなのだ。
◇
「栞里ちゃん。助かったよ」「いいえ。真白くんには大分お世話になりましたから」法条家で、僕は栞里ちゃんに頭を下げていた。そして部屋の外で立っている法条。彼にも一言「なんだかんだで助けてもらってばかりだった。魔法少女ネットワーク自体には納得いかない部分があるのは曲げないけれど、君達は良い人だった。ありがとう」と伝えた。「いえいえ。考えや方向性が違うのは仕方のないことです。私達も手当たり次第に反乱分子扱いするのは間違ったことだと改めたわけですし、感謝したいのはこっちですよ」と法条は笑う。
「本当は秘密にしてと言われてましたが……この前言われた通り私はお父様が一番ですから、言っちゃいますね」
数年前、花奈ちゃんが恐らく初めて、法条家を訪れた。そして法条と栞里ちゃんに突然跪いてこう言ったのだ。
「真白くんが生き延びられる方法を探して下さい」
深々と頭を下げるそれは明らかな土下座で、流石の二人もその圧倒的な圧力に息を飲んだという。
更に別の日、今度は桃果さんも一人でやって来て同じような事をした。
二人が、各々が、プライドを捨て去って、自らの人間の部分を曝け出して、懇願したのだ。
「手は尽くしたのですが……良い方法がどうしても見つかりませんでした。ごめんなさい。でも……きっとお父様が見つけます。魔法少女を解明してみせます」
栞里ちゃんの言葉に、僕は頷いた。
「ありがとう。栞里ちゃんはもちろん、花奈ちゃんや桃果さんの想いも充分すぎるほど伝わった」
僕の目指すゴールには必要のないものだから。二人の気持ちを抱えていけるのが嬉しい。それだけで満足だ。
帰り際。見送りに来てくれた栞里ちゃんはこう言った。
「実は、少し責任を感じています。やっぱり私が過去を見せなければ……」
違うよ栞里ちゃん。
「感謝してる。だって、あのままなにも知らない僕だったなら、みんなを苦しませる事になっていたから」
「……そう、思う事にします。でも、私に出来る事はするつもりです」
栞里ちゃんが手を前に出して握手を求める。でも。
「残念だけれど……握手はもうできないんだ」僕と栞里ちゃんの手が重なり、すり抜ける。もうじきに、自分は消える。
「真白くん……また、誰かの思い出で会いましょう」
「うん。いつでも会いに来て」
ありがとう、栞里ちゃん。
またね。
◇
中村橋眼鏡店の店先に座りながら桃果さんと話した。
「あたしはさ、今でもお前が生きられる方法探してるよ」「ありがとう、嬉しいよ。でも、これでいいんだ」「……黒華の事は、任せとけ。水音の手が届かない部分は、あたしが埋める」「心強いよ。初めて会った時からずっと、心強い」
桃果さんがいると、不思議と勇気が湧いてくる。いつもそうだった。
「桃果さん」
「なんだ」
「どうして、僕にここまでしてくれたの?」
桃果さんは笑って答えてくれた。
「あたしは理屈で動かないのさ」
いつだって、桃果さんは僕を助けてくれたんだ。
だから、きっと黒華も守ってくれるだろう。
延々と話していたいけれど、そろそろ行かなくては。僕はそれを伝えると立ち上がる。
「真白」桃果さんの声。桃果さんの顔を見る。
「さよならは言わないからな」
「わかってるよ、桃果さん」
僕を覚えている人がいる限り、きっとどこかで会えるから。
だから、僕はいけるんだ。
前を向いて、あの場所へいけるんだ。
◇
「……水音」
「うん?」
「僕は、花奈ちゃんを助けたい」
「うん。早く、元気になってほしいね」
「僕の……」
僕の存在に意味があるとするならば。淀みとして生まれた僕にも、あるとするならば。
命を繋いだり、意志を伝えたり、そういった魂の関わりだと感じている。
「僕の?」
「いや、なんでもない」
「?」
「水音。花奈ちゃんの所にお見舞いに行ってくるよ」
「うん。いってらっしゃい」
病室を出ようとすると、再び水音の声。
「帰ってきてね」
僕は振り返る。
「絶対に、きみを一人にはしないよ」
水音は多分気づいていた。
これからなにが起こるのか。
それを知っていて、僕を送り出してくれたのだろう。
水音がいなければ、今の僕もない。
今の僕がないということは、それは幸せがないということに等しい。
それ程までに、僕には今しか考えられない。
ありがとう水音。
僕が消え去っても、いずれきみが死んでしまっても、僕がきみを愛していたという揺るぎない事実をこの世界に刻み込んで、僕は行く。
忘れてくれなんて綺麗事は言わない。
僕もきみも、それが例え誰かの思い出という概念になったとしても、永遠に想いはひとつになり続ける。
行ってきます水音。
ゆっくりでも急いでもいい。
自分のペースでついてきてほしい。
ちゃんと追いつけるように、待っているから。
◇
病室のドアを開ける。
目の前には一つのベッド。
希望ヶ丘花奈、その人だ。
彼女はもう起き上がることすらままならない。
淀みが、僕が、彼女を蝕み続けている。
蝕まれた人を解放するには、その淀みの存在を消し去ることが必要だ。
ただひとつのシンプルな答え。淀みを消し去るだけ。
僕はこれから、黒華と一緒に、最後のひと仕事をするのだ。
僕はそっと手のひらを花奈ちゃんの頬に寄せる。花奈ちゃんは薄っすらと目を開けて、反応する。
「花奈ちゃん。これから黒華の話を聞いてほしい。大切な話だよ」
僕は一歩後ろに下がり、代わりに黒華が花奈ちゃんの前に出る。
黒華は暫くの沈黙の後、落ち着いた口調で語り始めた。
「花奈ちゃんはきっと私を魔法少女にはしたくなかったんだと思う。私はまだまだ子供だけれど、魔法少女になるという事がどういう事なのか、私なりにわかっているつもりだよ。きっと辛い事、沢山あると思う」
花奈ちゃんは「聞いているよ」と言っているかのように目を開けている。黒華は続ける。
「昔、花奈ちゃんがそうしたように、私が、私とお父さんが……花奈ちゃんを、自由にしてあげたい」
僕達はちっぽけな存在だ。世界の流れや理を変えるなんて出来やしない。なにもない場所から湧いて出たような奇跡なんてどこにもなく、限られた手段を見つけてそれにすがる事しか許されないんだ。
「花奈ちゃん、お願い。お父さんが、き、消えて……」黒華が涙ぐむ。「う、うぅ……消えて、しまう前に……私に、魔法少女を下さい」ぼろぼろと溢れる涙。
僕は花奈ちゃんの頬に手を添えたまま、すっとすり抜けさせた。「もう、僕は自分を保つのも精一杯なんだ。黒華は……見せたいんだ。僕に、魔法少女になった自分の姿を。かつての花奈ちゃんのように……。花奈ちゃんが、花奈ちゃんのお母さんに感じたあの想いと同じものを、黒華も持っている。やっぱり、黒華は僕の娘であって、花奈ちゃんの孫なんだよ」
大切なものは、魂がしっかり継いでいてくれている。
その時、何処からか花奈ちゃんの声が聞こえた気がした。
『黒華ちゃん……しっかりと、願いを持って生きて。ただぼんやりと生きちゃ駄目だよ』
黒華も聞こえているようで、「うん」と頷く。
『困ったら、お母さんと桃果ちゃんと……栞里ちゃんに頼んでね。一人で抱えないで』
「うん」涙を拭って、黒華は答える。
『真白くん。私は、お母さんを死なせてしまった私は……苦しむのは当然だと思って生きてきた。人の命を終わらせた責任とはそういうものだと信じてきた。そんな私は、終わっていいのかな』
「いい」
迷いなく答える。
「だって、花奈ちゃんは教えてくれたじゃないか。人は魂なんだ、って。花奈ちゃんはお母さんの魂を、誰よりも優しく送り出した。だから花奈ちゃんは、決して死なせてなんかいないんだよ。最初から、答えは花奈ちゃんの中にあったんだ」
光の粒が次々に黒華の周りに現れる。花奈ちゃんの心が開かれていくのを感じる。黒華はその光の粒をそっと両手で包み込み、小さな声で語りかける。
「おいで」
その言葉に答えるように、ひと粒ひと粒がゆっくりと黒華に溶け込んでいく。黒華は目を閉じて全ての粒を受け入れる。黒華の姿が薄ぼんやりと変化していく。魔法少女が、花奈ちゃんから黒華へと継承されていく。
花奈ちゃんとも、花奈ちゃんのお母さんとも違う姿。
黒い服を纏った、黒い瞳の魔法少女。
その後ろ姿を僕は今見ている。
と、その時。
ばん!と病室のドアが開けられ水音が飛び込んでくる。走り寄り黒華を後ろから抱きしめる。
「お母さん!どうして……」「気づいていないわけないじゃない……!黒華の事、なんでも知ってるんだからね。でも……お母さんの事だから、今この瞬間まで待たないときっと、黒華を止めちゃうから……。お母さんにできることは、待つことだけだったから……!」
その言葉に黒華は涙を滲ませながら水音に抱きついた。「ありがとう、お母さん。大好きだよ……」
そして僕は花奈ちゃんの近くに寄り、しゃがみ込む。
そこには、年相応に老け込んだ花奈ちゃんがいた。
魔法少女によって止まっていた時間が今、動き出したのだ。
「花奈ちゃん……僕も一緒だよ」
立ち上がり、水音と黒華を見る。
「わがままばかりでごめん」
世界が白んでいく。自分が溶け始めているのがわかる。
水音が僕に抱きつこうとするが、身体が透けてしまう。それでも、水音は僕を抱く。
「真白くんの、そういうところが好きだったから……だから、それを止めたら、真白くんじゃなくなるから……だから、だから……」
震えながら水音が声を絞り出す。
本当にごめん。でも、やっぱり僕は、借りていたこの時間を花奈ちゃんに返さないといけないんだ。
水音を抱き返す。今度はしっかりと、通り抜けずに抱きしめる。
「水音。会えて良かった。きみのお陰でここまで来られた。きみがいなきゃ、僕はきっとなにも出来ずに消えていた。黒華を……お願いね」「うん……!」
水音から離れて、黒華を見る。
既に涙はなく、力強い眼差しで僕を見ている。
黒華の目を見ればわかる。もう、言葉はいらない。
任せたよ、黒華。
二人に背を向ける。
再びしゃがんで虚ろな目の花奈ちゃんの耳元で囁く。
「なんだか恥ずかしかったり、自信がなかったりで言えなかったけれど……今、言うよ」
唇にキスをした。
「ありがとう、お母さん」
花奈ちゃんは僅かに微笑みながら、ゆっくりと目を閉じた。
僕の意識も溶けていく。泡のような光となって、そして弾けて、花奈ちゃんに還っていく。
「長い間、本当に……お疲れさま」
一緒に休もう。
飛び散る光の中で、振り返ると水音と黒華。
もう顔は見えないけれど、僕は最後に二人に笑いかけたんだと思う。
幼い頃からの記憶が蘇る。
生まれて、花奈ちゃんと生きた日々。
中村橋くんや桃果さん、奈菜子ちゃんに霧ヶ丘夕凪。法条や栞里ちゃん。まっちーや町田雪。そして水音と黒華。
大切な人達との出会いと別れ。
なにもかもが、代え難い記憶。
何十回、何百回とフラッシュバックする。
その記憶を追体験しながら……白い光の中へと溶けていく。
この日、僕、希望ヶ丘真白は世界へと飛散した。
◇
意識だけが浮遊する。
わからない、この世界がどこなのか。
僕はなんなのか。
知っていたはずの風景、知っていたはずの人。
目の前の女の子。
その子は僕に手を伸ばす。
「今のあなたは一粒の小さな光。その最後の記憶……消えてしまう前に、私が責任を持って残します。あなたが誰から生まれ、なにをして生きたのか。だから……安心しておやすみなさい」
言葉の意味はわからない。
でも、何故か嬉しかった。
僕の役目は終わった。
もう名前も顔も思い出せないけれど、きっといたはずの誰かの為に僕は生きられたのだと思う。
女の子の手に包まれながら僕は小さくなっていく。
暖かみの中で消えていく。
さようなら、僕の生きた世界。
さようなら、僕の愛した人達。
さようなら。
つづく




