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第一話 魔法少女の腕の中

 僕の最初の記憶は誰かの腕の中だった。その誰かが誰だったのか分かったのは暫くしてだけれど、その誰かは希望ヶ丘花奈きぼうがおかかな――花奈ちゃんだった。花奈ちゃんは僕を抱きかかえたままビルの屋上で僕の唇にキスをした。僕はなんの変哲もないただの赤ちゃんだったけれど、花奈ちゃんにはそれはとてもとても美しく可愛らしく見えたらしい。可愛すぎると人はキスしてしまうのだ。それが花奈ちゃんのファーストキスだったわけで、花奈ちゃんの事は大好きだったから最高に嬉しかった。


 その初めての出会いの日、花奈ちゃんは僕を抱きかかえたまま戦ったらしい。戦った・・・というのは、そもそも彼女は魔法少女・・・・とかいうアニメや漫画みたいな活動をしていたので、人の心の中に日常的に巣くう魔物のようなものーー「淀みよどみ」を倒すためせっせと働いていたからである。流石の花奈ちゃんも僕というお荷物を抱えながらの戦闘は熾烈をきわめたらしく、大切な身体を傷だらけにして全治二週間で病院に運ばれた。僕も数か所傷があったので花奈ちゃんの隣の小さなベッドで二人並んでにへらにへらしながら入院生活を送った。

 町中で細々と営業している眼鏡店の店主である中村橋なかむらばしくんは花奈ちゃんの顔なじみで、彼の驚異のネットワークで行き場のない僕の存在を上手く社会に組み込んでくれた。僕は中村橋くんの事も大好きだったし、中村橋くんも僕の事をとても可愛がってくれた。例によって可愛すぎたので彼は僕にキスをしようとしたけれど、花奈ちゃんが全力で中村橋くんの顔を殴り続けて(容赦ないな!)止めたらしい。中村橋くんはそれが原因で全治数日間の怪我をしたけど花奈ちゃんには感謝の言葉しか見つからない。


 退院後、僕は希望ヶ丘家の人間になっていた。花奈ちゃんの息子という事になったわけだ。花奈ちゃんは一人暮らしだったから、僕が来て嬉しかったらしい。ちなみに花奈ちゃんは十四歳で、僕は何歳だったのだろう、確か中村橋くんの知り合いのお医者さんが成長具合をチェックしてくれて、それでとりあえず生後二週間という事にしたとかなんとか。僕が幼い頃の話は全て中村橋くんから聞いた話だけど、二人が片手間で事足りる程、子育てというものは容易なものではなかったらしい。そもそも花奈ちゃんは学生だったし、魔法少女の活動もあって、ただでさえ怠りがちだった出席日数が壊滅的な状態だったという。その頃の僕はよく病気になったから、そのたびに花奈ちゃんと中村橋くんが交代で僕の面倒を見てくれた。一度、淀みの出現と僕の病気と中村橋くんのインフルエンザが重なり阿鼻叫喚になった事があって、花奈ちゃんが僕をおんぶ紐で括り付けながら戦ったらしい。病児保育というやむを得ない事情で病気の子供の世話ができない人が利用する支援施設があったけれど、枠が足りなくて全然利用できなかったと中村橋くんは言っていた。最初の二年はこうして激動のままに過ぎ去っていったのだが、当の僕は泣いたり笑ったりうんちしたりアパアパ言ったりしているだけなのであった。


 ◇


 二歳になると僕の環境はがらりと変化した。保育園である。平日は毎朝いつもの二人のどっちかに連れられて、大泣きしながら僕みたいな奴らがわんさかいる部屋へと預けられた。途轍もなく僕は悲しんでいた。というかこの世の終わりみたいな感情だった。顔なじみが何故か僕をわけのわからない場所へ置いて去っていく。それ程に恐ろしい事はなかったと思う。とは言ったものの、暫く泣き散らかした後は適当なおもちゃですぐ笑顔になったのだけれど。そう、僕はちょろかったのだ。初めて見るおもちゃばかりで最高に楽しい気分にさせてもらった。でもお昼寝から目を覚ますとやっぱり悲しくなって泣きじゃくった。うわんうわん泣きながら、あの二人の顔を探して這いずり回った。保育園の先生に抱っこされて頭を撫でられても泣いた。お昼寝の後は何故だか本当に悲しかったのだ。あと、泣き続けていればもしかしたらぴょん!と花奈ちゃん達が飛び出してくるかもしれないなんて言う淡い期待も抱いていた。そんな事言いつつもおもちゃで満面の笑みになる僕だったのだけれども。やはりブレなくちょろかったのだ。


 そんな保育園生活の中で贔屓と言うわけではないけれど、僕の事をよく気にかけてくれたのが町田まちだかすみ先生――通称まっちーだった。まっちーは保育園にやってきた僕を必ず最初に抱っこしてくれた。それでもうわおんうわおん泣いていたけれど、それでもずっとまっちーは僕を抱っこしてくれていた。僕は泣きながら少し安らいだ気分になっていたのかもしれない、たまにそのまま寝てしまう事もあった。午後にお昼寝の時間があったからすぐに起こされるわけだけれど、ちょろい僕はそこで一旦感情にリセットがかかるのでとりあえずは泣き止んだ。まっちーはきっと僕の事が大好きだったんだと思う。自惚れではなく、どうも僕はフィーリングが合った人にはとことんハマらせてしまうタイプらしい。そういう僕も日に日にまっちーに安らぎを感じていた。


 月曜日、プールで遊んだ。

 火曜日、花奈ちゃん達とお買い物した。

 水曜日、友達の誕生会をした。

 木曜日、花奈ちゃんとお絵かきした。

 金曜日、絵本を読んだ。

 土曜日、まっちーに誘拐された。


 何気ない日常の中で、ごくごく自然に、当たり前かのように、まっちーは犯罪者になった。

 土曜日というのは特別な事情がなければ基本的に保育園を利用しない家庭の方が多く、先生も園児も園内に少なかった。そして僕はその日、事情により保育園に預けられていた。まっちーはその隙をついたのだ。昼間だけどなんだか夜逃げのようにまっちーは予め用意したであろうチャイルドシートに僕を乗せて車で蜃気楼のアスファルトを飛ぶように走った。僕はまっちーの横顔を見ながらなにも言わず車に揺られていた。ぶううんぶうううん。ああ、太陽の光がまぶしい。まっちーもまぶしいだろう。だからなのか僕の前に手をかざして日光を遮ってくれた。まっちーは優しかった。保育園の誰よりも優しくしてくれた。

 でもきっともう、まっちーは終わりだった。そんな事はまっちー自身が一番よくわかっていたはずだけど、それでも自分を止められなかったのだろう。僕が「どこにいくの?」と聞くとまっちーは「大丈夫だよ」としか言わなかった。でもそれは僕に答えていたのではなくて、自分に言い聞かせていたんだと思う。そのうちまっちーの携帯がぴろろぴろろぴろろんと鳴り出した。

 ぴろろぴろろぴろろん。ぴろろぴろろぴろろん。ぴろろぴろろぴろろん。まっちーは携帯の電源を切って「うるさい携帯君いないいないしようね」と窓の外に投げ捨てた。町を過ぎて、森に入って、山を越えて暫く走ったところで車は止まった。

 そこは海岸だった。

 横を見やると、まっちーは無表情のまま静かに空を見ていた。すっかり日が落ちたそこには星なんてなく、殺風景な暗闇がただただ無限のように広がっていて、なんだかこのままスルリと溶け込んでいってしまいそうだった。僕もまっちーと一緒にまっくろの宇宙を泳いだ。きっともうすぐまっちーとは会えなくなる。まだ生きて短い僕にさえ、そう感じさせるなにかがそこには漂っていた。「ただ夜の海を一緒に見たいって、そう思ったんだ」とまっちーは呟いて、微笑みながら涙を流した。

 わかっている。僕の所為だった。僕の所為で狂っていく。僕はなにかおかしい存在なのだ。この時そう確信した。まっちーのおかげで僕は自分を知る事が出来た。

 まっちーがなにも言わずに僕を持ち上げて抱っこする。僕はまっちーの肩の上に頬っぺたを押し付けながらされるがままで景色を眺める。車から降りた。まっちーが砂浜をゆっくりと歩く。無重力のようなふわりふわりとした上下運動。なにか、本当に宇宙にいるみたいな気分だった。

 ゆっくりと「せめて一晩くらいくれてもいいのに」とまっちーが誰かに話しかけた。振り向くとそこには花奈ちゃんがいて、僕は無意識のうちに笑顔になっていた。それを見たまっちーが僕を強く抱きしめたのを感じたが、でもやはり僕には花奈ちゃんが必要で、まっちーも好きだけれど片方だけを選べと言われたら花奈ちゃんを選ぶのは間違いないわけで、だから僕はまっちーの方を見ながら「花奈ちゃんのところに行きたい」と懇願した。それを聞いた直後、まっちーは懐からナイフを取りしゅぴんと刃を出すと、とても悲しそうな顔で僕を一瞥したあと、花奈ちゃんを静かに見つめた。暗くて今まで気づかなかったけど、花奈ちゃんは魔法少女のスタイルだった。ああ、まっちーは悪いなにかになってしまったんだな、と思った。だから悪いまっちーはこれから花奈ちゃんに退治されてしまうんだ。


 ◇


 一九〇〇年代中頃、世界は初めて魔法少女を観測した。ただしその正体は謎のままで、空飛ぶ帽子ーーフライングハットと呼ばれるただの未確認飛行物体に過ぎなかった。花奈ちゃんが言うにはそれより更に昔にも魔法少女はいたが今よりもっともっと力があったので、それまで誰にも見つからなかったし、仮に見つかっても隠滅して来られたらしい。

 魔法少女は一般的には知られていない。知っているのはそれに関わる者達だけ。だから花奈ちゃんがしている事は言ってしまえば大半の人達からはしていないも同然の行為で、では何故花奈ちゃんは魔法少女でい続けるのだろう……。

 そして花奈ちゃんは魔法少女ではあったけれど、魔法少女と普通の少女の違いは「魔法が使える」その一点だけだった。だから体力的にはただの十四歳だったし、痛いものは痛い。高い所から飛び降りても着地前に魔法で落下速度を抑えなければ確実に骨折、もしくは再起不能だ。だから僕は花奈ちゃんが心配で仕方がなかった。


 邪な心に侵されたまっちーの淀みは花奈ちゃんによって退治された。人の心は簡単には変わらない、変えられない。だから魔法少女に出来ることは、その溢れ切った淀みを綺麗に掃除してあげる事だけ。まっちーはきっと、もう元には戻れないのだろう。そして大声で泣いている僕。そんな僕を抱きしめてくれている花奈ちゃん。彼女の太ももに深々と突き刺さるナイフ。溢れ出る血液。普通の少女にとってそれがどれ程までに耐え難い苦痛だったか僕には想像もつかなかったけれど、花奈ちゃんが僕にこれ以上心配させないように叫びあげたい程の声を必死で我慢しているのはよくわかっていた。脂汗を滲ませながら花奈ちゃんは、それでも僕を心配させまいと微笑みを浮かべて「帰ろっか」と、ふわりと浮かび上がった。


 僕は花奈ちゃんに抱かれながらきらきらと瞬く夜の町を見下ろしていた。灯る光、消える光、動く光。無数の営みがそこにはあった。僕はこの町で花奈ちゃんと生きている。

 見覚えのある建物。二人の帰る場所。気づくと夜空には星々の気配。そんな煌めきの中で、花奈ちゃんは僕の頰にキスをした。

「おかえり、真白ましろくん」

 希望ヶ丘真白。それが僕の名前。花奈ちゃんがくれた僕が僕である証。


 ミニチュアの夜景に包まれながら、僕はゆっくり意識を閉じる。

 まだまだ幼い僕のまぶたは、世界の重みに耐えられない。

つづく

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