孫堅と袁術
ついにあいつの名前が!
孫堅軍の敗北は連合軍に衝撃を与えた。
本陣の酸棗には続々と諸侯が集結していた。
曹操も孫堅軍の敗北を聞き、すぐに酸棗に飛んできた。
「夏候惇、子元は無事か?」
隣に控える男に尋ねる。
「未だ伝令は来ておりません」
曹操が曹和の安否を聞くと、淡々と表情を変えずに言う。
「そうか……。お前はどう思う?」
「子元ですか……。戦いの中で死ぬような男ではないかと……」
「聞くに値しないか」
曹操は夏候惇の言葉に笑いながら、歩きはじめる。
「伝令が来ないということは、間違いなく生きているのだろう。子元が戦いの中で死ぬような想像はつかないな」
「まさしく」
「しかし、孫堅軍の敗北とはな……」
「孫堅軍の敗北ですが、兵糧が何日も送られていなかったようで……。子元からも幾度となく伝令が参っていたのですが」
「何?」
曹操は初めて聞いた報告に眉をひそめる。
「どういうことだ?」
「数日前から兵糧が届いていないと子元から伝令が幾度なく参っていました。兵糧が前戦に届いていないとは思わず……」
「兵糧を担当していた袁術を信じたわけか?」
「……子元を信じれなかった私の落ち度です。いかような覚悟でもお受けいたします……」
「やめよ」
曹操は冷たく言い放つ。
「子元は生きている。誰かを罰するほどのことではない」
曹操は曹和が生きていることを信じて疑っていなかった。
夏候惇も曹和が戦場で死ぬことは想像がつかなかった。
「そのことは袁術に問いただせばよい。子元が戻ってきたら、一刻も早く知らせを入れよ」
「承知しました」
曹操は夏候惇に告げると、諸侯が集まっている陣幕に入っていく。
夏候惇は陣幕に入れないため、直立不動の態勢のまま曹操が出てくるのを待ち続ける。
「さっさと戻ってこいよ、子元」
小さく呟いた言葉は周囲には聞こえなかった。
陣幕内は静けさが漂っていた。
諸侯は誰一人として口を開いてはおらず、曹操が陣幕に入ってくるのを目で追うだけであった。
「袁術殿……孫堅殿の元に兵糧が届いていなかったようですが」
曹操は席に着くなり、正面にいる袁術に向けて言う。
「兵糧は届けた。届いていないはずはないのだ、曹操殿」
肥えた巨体から発せられる声はとてつもなく低い声だ。
「弟からも兵糧が届いていないと伝令がきていた……。兵糧は本当に届いていたのですか?」
「そ、それは……」
袁術の額には冷汗が流れる。
「よさぬか、曹操殿。ここは軍議の場だぞ」
曹操と袁術の話の間に何者かが割り込む。
「袁紹殿……」
話の間に割り込んだ反董卓連合軍の盟主である袁紹だった。
「孫堅軍が敗北した今、これからどうするべきか話すのが先決ではないのか?」
袁紹は曹操のみならず諸侯に語りかけるような言いぐさで言う。
どの口が言うか。
曹操は口からこぼれそうな言葉を何とか喉に飲み込む。
諸侯は袁紹の言葉に同意するように首を縦に振る。
「お言葉ですが袁紹殿、罪を犯した者が罰せられない軍議に何の意味がありましょうか?」
「罪だと?」
「袁術殿はここにいるすべての兵糧を担当している。前線にも届かない兵糧が他の戦場にも届いているとは考えにくい……」
曹操は袁術を睨みながら話を続ける。
「袁術殿が兵糧を担当している内は、ここにいる諸侯の軍に確実に兵糧が届くのでしょうか?」
「それは言葉が過ぎるぞ、曹操殿!」
袁術は勢いよく立ち上がる。
表情からは曹操に怒りを覚えているのようにしか見えない。
「では、孫堅殿には意図的に兵糧を送っていなかったと?」
「……なんだと?」
袁術は声を震わせる。
「兵糧は我が軍も含めて届いております。それも余るほど……」
「……兵糧は戦の要。兵が食えなければ、戦は負けるのだから当然多く兵糧を配るのが当たり前ではないのか?」
「では、なぜ孫堅軍にだけは届いていない?」
袁術は曹操に怒りを覚えながらも、口を開こうとする。
「それは―」
「それはなんだ?」
どす黒い声が陣幕に響き渡る。
「孫堅殿……」
曹操は声がした方を振り向くと、孫堅が袁術を見つめながら立っていた。
諸侯も孫堅を見て、思わず喉を鳴らす。
孫堅は全身に返り血を浴びながらも、一切拭き取らずに戦ってきたままの恰好だった。
「なぜ、兵糧を届けなかった?」
孫堅はいまにも袁術に襲いかかってしまいそうな雰囲気を醸し出している。
「孫堅殿……兵糧は届けていた。だが、手違いで届いていなかったようだ。担当していた者の首はすでに刎ねた。申し訳ない……」
袁術は孫堅に謝る。
「敗北したとはいえ、損害は軽い。す態勢を整え、汜水関を落とす」
孫堅は苛立ちをどうにか抑え込みながら、席に着く。
孫堅の発言後は進展もない軍議が続いた。
無駄な時を過ごしながらも、孫堅は黙って諸侯の議論を聞いていた。
曹操も同じだった。
結局孫堅が再び連合の先鋒を務める形で、公孫瓉や袁紹の軍が第二陣、その後も諸侯の軍が後詰に詰めるということになった。
諸侯は再び孫堅に戦いを望ませた。
孫堅自身もこのまま引き下がるつもりは毛頭なかったが、自分に代わると言い出す諸侯はいなかった。
誰もが損害を恐れ、戦をするつもりなどなかった。
孫堅は連合に失望を抱き、近いうちに連合は自然に崩壊すると思った。
連合に参加する利益はほとんどない。
唯一、功績を上げれば名声を得れば、名門に負けないほどの兵力が自分の元に集まる。
あそこで袁術を責め立てても、意図的に兵糧を届けなかったと認めるわけがない。
あの男にはいずれ返すが、今ではない。
孫堅は軍議が終わると、誰よりも先に陣幕から出ようとする。
孫堅が陣幕を出る際に一瞬見た袁術の口元には笑みが浮かんでいた。
「進展のない軍議だった」
曹操は待っていた夏候惇に言う。
孫堅とほとんど同時に陣幕を出た曹操は、夏候惇を見るなり不満を漏らした。
「孫堅が再び先陣を務め、諸侯が孫堅軍の後詰をする。これでは、前と何も変わっていない」
「孫堅軍が……。孫堅は何と?」
「自分から先陣をやると言ったが、孫堅軍は損害を受けた。損害は軽いようだが、態勢を立て直すには時間がかかるだろう」
曹操は一度先陣に名乗りを上げたが、兵力が少ないことを理由に袁紹が退けた。
そのときの袁紹の表情は優越感に満ちていた。
「董卓を討ち取る前に連合は崩壊するかもしれない」
「連合後はいかがなさるおつもりで?」
夏候惇が連合後のことを聞いた直後だった。
二人の目の前に待望の人物が待ち構えていた。
「子元」
曹操よりも夏候惇が曹和の字を口にした。
「敵の夜襲を受けながらも、生き残り、戻ってまいりました」
愛想のない苦笑いを浮かべながら、挨拶を述べる。
「無事であったか……」
曹和が戦場で死ぬことはないと信じ切っていても、いざ本人が現れると違う。
「兄者……董卓の首は俺が取ります。ぜひ、曹操軍の先鋒をご命じください」
曹和は珍しく自ら曹操に先鋒を名乗り出た。
「お前からとは珍しいな……」
「董卓軍にはあいつがいるようなので」
「あいつとは誰だ?」
曹操は曹和ほどの武人がいきり立つ敵に興味がわいた。
「当代随一の武人、呂布奉先」
曹和は期待に満ちた思いで、名前を口にした。
反董卓軍連合軍編が中々終わりません、申し訳ないです。
次回の更新は8月19日になります。
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