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退却 下

 正面から程普らを逃がすためには包囲してる敵の囲みを突破しなければならない。


 黒騎百に対して敵は新手の数百以上はいる。


 黒騎は程普らを救出する前から戦い続けている。


 いくら一人一人が精強な兵士でも、連戦続きは息が上がる。

 おまけに三日も何も食べていない空腹感も兵を襲っている。


 それでも黒騎は戦い続ける。

 主人である曹和が戦い続けているから。


「陣形を整えろ。目立つように敵に攻撃をしろ。だが、決して敵の囲みを突破してはならない」


 曹和の言葉に瞬時に陣形が動き出す。


 戦いながら敵をひきつける囮役は成功するかわからなかった。

 黒騎の最大の持ち味は突破力と機動力の二つである。


 二つを生かしてこそ初めて黒騎の真の姿と言えるが、今回は持ち味を生かすことはできない。


 背後をちらりと見ると陣形は整っていた。


「戦う準備は出来たか!?敵を一網打尽にせよ!」


 黒騎の士気を上げるために、敵にまで聞こえる大声を出す。

 背後からは黒騎が同じような大声で答える。


 曹和は背後から聞こえてくる頼もしい声を聞くと、剣を空に向けて高々と上げる。

 高々と上げた剣を振り下ろすと、黒づくめの騎馬隊が一斉に動き出す。


 程普らは黒騎の背後からその異様な光景を見ていた。

 程普の手勢は二百にも満たないが、それ以上に負傷兵が多すぎた。


 程普らを逃がすためには相当な時間を稼がなければならなかった。


 黒騎が一斉に動き出すと、敵は弓兵を前に出す。

 弓兵が黒騎に向けて数百本の矢が空を覆うように射かけられる。


「ちっ……」


 曹和は馬上で敵の弓兵を見て舌打ちをした。


 騎兵にとって矢は脅威である。


 数百本の矢が放たれるが、それでも黒騎の勢いは止まることはない。


 後ろにいた黒騎の数人が地面に投げ出された。

 敵の矢が馬に刺さり、兵が地面に投げ出されのだ。


 黒騎の勢いはさらに増し、敵の前衛にいた弓兵を視界に捉えた。

 接近戦に持っていけば、弓を使うことはできない。


 そのことをわかっていた曹和は黒騎が数人倒れようとも、馬の足を止めることはしなかった。

 あのまま立ち止まっていれば、さらなる損害が出る。


 敵陣めがけて一直線に進んでいく黒騎。


 不思議なことに曹和には敵の動きが手に取るようにわかった。


 敵は一人ずつではなく、数人で一斉に動きを合わして襲ってくる。

 曹和は襲いかかってくる数人の敵を鮮麗された動きで斬り殺す。


 常に先頭を走る曹和の目の前には大勢の敵の姿がある。


「こんなものじゃないだろ……」


 小さく呟く。


 ひと振りで、何人もの敵が弾き飛ばされる。

 右に左に巧みな手綱で敵を翻弄しながらも、引いては突撃を繰り返す。


 引いては突撃を繰り返すと、敵の包囲に綻びが見え始めた。

 左右に揺さぶりをかけると、敵は左右に兵を集中させる。


 おのずと正面の兵力は少なくなり、突破できる可能性が高まる。

 黒ずくめの騎馬隊が当初に比べて減ってはいるが、未だにその力は健在だ。


 敵も積極的に攻撃を仕掛けてはこない。

 包囲をしながらも、陣形は防御の陣になっている。


 前衛の兵に厚みを持たせ、黒騎の勢いを殺す策である。


 それならばと曹和は兵力の薄い部分を突き、敵の陣形を乱す。

 前衛の兵に容赦なく剣を振る。


 前衛の厚みが薄くなった部分には、次々と待機していた敵兵が入れ替わりに入ってくる。

 いくら敵を殺し続けても、兵の数を生かした策にはとてもではないがきりがない。


「程普殿の軍勢はまだか!」


 斬っても斬っても出てくる兵を斬りながら、腹の底から大声を出す。


 不意に背後から『孫』の一文字の旗が掲げられる。


 程普の軍勢が黒騎の背後につく。


「逃げればよいものを……」


『孫』の旗が掲げられるのを見ると、程普の軍勢が逃げるのではなく共に戦うをことを決めたことを悟る。


 程普の軍勢は負傷者が多い。

 だが、手傷を負っているのは程普の軍勢だけではない。

 黒騎も戦い続け、他の戦場でも同じように戦い続けている部隊がいるだろう。


 背後からから黒騎以外の馬蹄が響く。


「曹和殿……われわれだけ逃げるのはやはりできない」


 程普の声だった。


「さきほども言ったように貴殿の軍勢は―」


 曹和の言葉を途中で遮り、程普が言う。


「このまま逃げ延びたとしても、われわれは天下の笑い者になってしまう。味方を犠牲にして逃げてきた臆病者だと……。ならば、ここで共に包囲を突破し堂々と退却しようではないか!」


「……その言葉に二言は?」


「命を懸けた危機だ……。二言はない!」


「ならば共に戦おう……」


 程普の決意は固かった。


 たとえ逃げ延びたとしても、天下の笑い者になるなら戦場で果敢に戦い死ぬ。

 武人らしい名誉と名声を傷つけない判断だった。


「ならばもう小細工はなしだ……。一気に正面突破する」


「望むところだ」


 すでに二人の間は友人関係ではない。

 互いが互いの命を預ける同士の戦友である。


 連携を組んだことがない程普の軍勢と黒騎が動きが同調する。


 負傷者の多い程普の軍で負傷していない兵を中心に円になる。

 その円の周りを黒騎が囲む。


 円の中心には程普。

 円の外側には曹和。


 曹和を先頭に敵を突破する。


「旗を!」


 曹和が叫ぶと、『曹』の旗が掲げられる。

 旗が風に揺られる。


『曹』と『孫』の旗が同時の戦場に掲げられた。


 いつ敵同士になるかわからない軍同士が同じ戦場で、同じ危機に直面している。


 曹和は程普と共に戦えることが何よりも喜ばしいことだった。


 先頭を駆ける曹和は敵を斬り殺し、全身に返り血を浴びる。

 顔に返り血を浴びようと、前だけを見ている。


 董卓軍も度重なる黒騎の突撃、しかも今までにない重圧に恐怖を感じる。

 恐怖で足がすくんでいる兵もいる。


 出来る限り戦わずして全力で馬を駆ける。


 一瞬前方に隙間が生じる。


 曹和はすかさず隙間の周辺の敵を薙ぎ倒す。


「一気に突破だ!」


 突破した先には敵はいなかった。

 背後から続々と突破する。


「ようやくか……」


 一夜の戦いにも関わらず、一度の戦いだけでは味わったことのない疲労感が曹和の体を襲う。

 それでも、未だ包囲を突破しただけにすぎない。


「このまま駆けるぞ……」


 表情一つ変えない曹和だが、背後をずっと気にしていた。

 程普は周りの兵を鼓舞しながら、包囲を突破していた。


 程普の軍は歩兵が多く、騎馬隊のように速く走れるわけではない。

 歩兵の多くは疲れ切った自分の体に鞭を打ちながら、走り続けていた。


 暗闇の中で唯一の明かりが月の光である。

 月の光を頼りに駆けに駆けた。


 どれほど駆けただろうか。

 程普と歩調を合わせるように駆けたが、依然として辺りは暗い。


「あれを!」


 黒騎が前方を指さす。

 見えてきたのは無数に照らされている火だった。


 曹和は数人を先行させ、偵察を送った。


「どうであった?」


「間違いなくお味方の孫堅軍です!」


 偵察に行った兵は胸を張って曹和に言う。


「そうか、孫堅軍であったか……」


 曹和は目の前の軍が孫堅軍であると確認した。


「しばしの休息だ」


 休息を告げると黒騎は馬から転がり落ちて地面に倒れ込む。

 普段ならば即刻怒鳴られるが、今回ばかりは曹和も目を瞑った。


 程普の軍も少し遅れて到着する。


 歩兵のほとんどはその場に立っているのが精一杯だった。

 足を震わせながら、地面に座り込んだ。


「俺は兵糧を力ずくでも本陣から運んでくる。その間の指揮を程普殿……貴殿に任してもよいか?」


「ご安心を、すでに兵糧は目の前にあるようです……」


「どういうことだ……?」


「あれをご覧ください」


 程普が指さす。

 孫堅軍から何やら運び込まれてきた。


「無事だったか、程普!」


 髭を蓄えているのが特徴な大男が近寄ってくる。


黄蓋こうがいか!殿はご無事か?」


「……殿はご無事だ。だが、殿を逃がすために祖茂そもが身代わりとなり死んだ……」


「……祖茂そもが死んだ?」


「そうだ」


 程普は黄蓋こうがいの言葉にその場に項垂れてしまう。


「これは久しい、曹和殿」


 曹和の存在に気がついた黄蓋こうがいは曹和に語りかける。


「黄蓋殿……孫堅殿が無事で何よりだ。悪いんだが、兵糧を兵に配ってもよいか?」


「そのために運んできた。好きなだけ運ぶといい」


「感謝する」


 黄蓋は兵糧を配るように命令する。

 連戦続きの兵に四日ぶりに兵糧が支給される。


「曹和殿もしばらく休まれよ。貴殿も休まれた方がよい」


 曹和は頷くとその場を後にする。

 一瞬程普を見たが、あえて声はかけなかった。


 曹和も兵と混ざり食事を口にした。


 口の中に一口飲み込むだけで、生きている心地がした。


「そうか……生きているのか」


 曹和は今生きていることを実感した。

次回の更新は8月17日になります。

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