退却 上
まだまだ反董卓連合編が終わりそうにありません……。
では、どうぞ。
曹和は珍しく苛立っていた。
「兵糧はまだ届かないのか!」
汜水関の董卓軍と対陣してすでに五日。
緒戦に勝ったものの、五日過ぎても、兵糧は届いていなかった。
「まだ届いておりません」
李交も疲れ切った様子だ。
曹和は孫堅軍の近くに陣営を構まえていた。
「孫堅軍の方にも兵糧は届いてはいないのか?これでは、董卓軍に攻められたひとたまりもないぞ……」
曹和の言葉はもっともだった。
すでに手持ちの兵糧は食い尽くし、兵も三日は何も口にしていない。
その状況で董卓軍に攻められてもすれば、戦うどころの話ではない。
「孫堅軍の方にも我々と同様に兵糧は届いておりません……」
「後方は何をやっている!後方に兵糧は膨大にあるはずじゃないのか?」
「兵糧を担当しているのは袁術です……」
李交の言葉に曹和は思わず立ち上がる。
「袁術だと?なぜ、袁術が兵糧を……。もう一度、酸棗に伝令をやれ。一向に兵糧が届かないとな」
「承知しました」
曹和が酸棗に伝令を走らせるのは三度目だ。
酸棗には反董卓連合軍の本陣がある。
先鋒を務める孫堅以外の主な諸侯は酸棗にいるため、兵糧が届かないとは考えにくい。
反董卓連合軍で集結した兵の数は三十万。
大軍を養うには膨大な兵糧が必要だが、その膨大な兵糧がないはずはないのだ。
「袁術め……わざと兵糧を送っていないな」
それしか考えられなかった。
袁術と孫堅の関係は険悪だと耳にしたことがあったが、まさか戦いの中で仕掛けてくるとは思いもよらなかった。
頼りとしている曹操も一度、酸棗に戻っている。
つまり、汜水関と対陣しているのは実質的に孫堅軍のみだということである。
曹和の黒騎二百がいくら精強と言えども、巨大な門である汜水関を突破することは不可能だ。
後方の軍とも連携はとれておらず、連合の欠点である「連携」が浮き彫りになってしまっている。
「孫堅軍から使者が参りました」
「ここに通せ」
孫堅軍の使者を本陣に通す。
使者も疲労が蓄積し、やつれた表情になっていた。
「孫堅軍にはすでに四日も兵糧が届いておりません。孫堅様は董卓軍の夜襲を警戒されております……」
「こちらにも兵糧は届いていない。このままでは、戦う前に董卓に負けてしまう……。孫堅殿は何と言っている?」
「孫堅様はこれ以上兵糧が届かなければ退却もやむなしと……」
「退却だと?我らがここを退却すれば、董卓軍に連合の背後を見せることになり、たちまち追撃されてしまう!それこそ、この戦いの負けだ……」
「兵も将も戦う体力は残っておりません……。兵糧が届かなければ、これ以上ここに留まっても全滅は必須かと」
「それもそうだが……」
曹和は使者の言葉に同様の考えであると賛同してしまう。
しかし、今すぐ退却も難しい。
孫堅軍が独断で退却してしまえば、連合の背後を突き、董卓軍がこぞって追撃してくる。
袁術から兵糧さえ届けば、万事解決するはずだ。
「孫堅殿にお伝えくだされ、我らは孫堅軍と共に動くと」
使者は曹和の言葉を聞き、本陣をあとにする。
「兵糧さえあれば……」
兵糧がなければ兵は戦うこともできない。
曹和はこのとき改めて実感した。
「兄者にも急ぎ、伝令をやれ。兄者ならば、この危機的状況をわかってくれるだろう……」
頼みの綱でもある曹操は緒戦を終えてから、酸棗に戻ってしまっている。
この状況に曹和は何もすることができない。
不用意に動けば、董卓軍がいつ襲ってくるかわからない。
とにかく兵糧が届くことを待つことしかできなかった。
「これ以上はここに留まるのは無理かと。ここは一度退却をして、本軍と合流しましょう……」
李交が悲痛な声で言う。
伝令を走らせてから、さらに一日が経ったが、本陣からは兵糧どころか伝令さえも来ていない。
最早兵糧は届かないと考えるしかなかった。
李交はこれ以上ここに留まれば、全滅すると判断し、提言する。
「退却……。これ以上兵を飢え死にさせることはできないか……」
「夜の闇に紛れて、退却するべきかと……」
「それが得策か……。孫堅軍にも使者を出しておけ」
曹和にとっては苦渋の判断だった。
負けているわけでもないはずが、兵糧が届かないだけで、退却を余儀なくされる。
曹和は手に力を入れると、地面をたたく。
悔しさからの行動だった。
孫堅も退却を考えていたようだった。
使者が帰ってくると、孫堅軍とその日の内に退却することを決心した。
陣営内が慌ただしくなり始めた。
退却をするのだ。
必要のないものは、すべて置いていく。
「敵に気づかれなければよいのだが……」
敵に気づかれないことだけを懸念していた。
気付かれてしまえば、元も子もない。
「孫堅軍が敵の夜襲を受けております!」
伝令が血相を変えて走ってきた。
「気づかれていたか……」
懸念していたことが起こってしまった。
深夜になる前に退却をするつもりだったが、逆に董卓軍の夜襲を受けた。
「全軍に伝令だ。敵を混乱させるために五十ずつに隊を組み、孫堅軍の退却を援護すると」
どれほど生き残ることができるのか。
曹和は自ら退却の殿軍を引き受けた。
兵が疲労困憊の状態で、殿軍を引き受けるのは死を意味するかも知れない。
しかし、孫堅軍を全滅されれば、連合軍は一気に空中分解し、董卓討伐の話ではなくなってしまう。
「準備が完了いたしました」
李交は覚悟を決めた表情で話す。
「殿軍を引き受けたことを怒っているか?」
「まさか……曹和様がお決めになったことです。我々は主についていくだけです……」
「そうか……」
引かれてきた馬に乗馬する。
「生きて会おう」
曹和は黒騎二百を目の前に微かに呟き、力一杯馬を駆けさせる。
駆けた先には孫堅軍が何とか踏み留まっていた。
曹和は雄叫びを上げながら、敵兵に斬りかかる。
一人や二人ではなかった。
四人、五人とすれ違う敵兵の首や体の一部を斬り飛ばす。
孫堅軍は踏み留まってはいたが、軍としてのまとまりはなかった。
それぞれの部隊が孫堅を逃がすために死に物狂いで追撃を阻止している。
曹和の振り上げる剣をまともに受け止める者はいなかった。
圧倒的な力の前に、反撃をする隙もなく斬られてゆく。
董卓軍も曹和を倒すことを諦め、包囲する戦略に切り替える。
敵は距離を保ちながら、黒騎を取り囲むようにして包囲する。
右も左も敵の姿しか見えない。
「董卓軍には雑兵しかいないのか!」
全身に返り血を浴びている曹和は敵兵を斬りながら、腹の底から叫ぶ。
答える者はだれもいない。
近づいてくる者もだれもいない。
敵が動く気配を見せないと、自ら敵陣に突っ込んで敵を斬り殺していく。
右に左に視界に入る人間は全てが敵である。
後方を気にする必要はなかった。
李交と他の部隊は曹和の背後を守るように暴れながらも、孫堅軍を逃がす道を懸命に作っている。
曹和の頭にはすでに殿軍の役割のことなど頭の片隅にも残っていなかった。
目の前にいる敵兵を斬る。
それだけしか、頭に残っていない。
前方に孤立している部隊が見えた。
曹和は孤立している部隊に気づき、馬を駆ける。
「程普殿!」
孤立していた部隊には見覚えのある程普の姿があった。
程普を囲っている敵の一部を突破する。
「曹和殿、ありがたい!」
程普は息を切らせながら礼を言う。
「すぐに包囲を突破する」
程普は黙って曹和の言葉に頷く。
しかし、すぐに敵が包囲を構築する。
目に見える限り、敵だらけだった。
曹和は味方に目を向ける。
黒騎には戦う気力が十分にあり、四日も何も口にしていない部隊とは思えないほどの戦いぶりを見せていた。
だが、助け出した程普と側近の兵たちは孫堅を逃げ延びさせるために奮戦していたせいか、立っているのがやっとの者もいる。
程普も握っている剣の刃がぼろぼろになるまで戦い続けており、現状の戦力には数えられない。
曹和は冷静に考える。
何が最善の選択なのか。
どうすれば包囲網を抜け出せるのか。
董卓軍は曹和の悪魔のような戦いぶりに率先して近づいていく兵はいない。
ゆっくりと退路を断つように包囲をしていた。
「程普殿、正面から敵を突破してもよいが、我々だけでは程普殿と兵を連れたまま撤退することは不可能だ。我々が囮になっている間に、前だけを見て全力で走れ」
「それは……」
「程普殿言いたいことはわかる。だが、今の貴殿らは足手まといだ。足手まといを抱えながら、戦うのは無理だ」
曹和はあえて厳しい言葉を選んで、程普に伝える。
程普は最初こそ難色を示したが、すぐに結論を出した。
「なぜ我々をお助けになるのですか?」
程普の言葉はもっともだった。
曹和と黒騎の突破力があれば、敵の一部の囲みを突破して退却することも可能である。
「なぜ助けるのか……。孫堅殿や程普殿には世話になったからでは駄目か?」
「世話になっただけでは命を懸けるのは犠牲が大きすぎる……」
「そうかもしれないな。では、正直に言おう。ここで死なれては困るからだ……」
「ここで死なれては困る?」
「そうだ。兄者はいずれ天下を制するが、最大の敵は孫堅殿だ……。だから、孫堅殿と程普殿たちにはここで死なれては困る。それに、正面から正々堂々と戦って勝利しなければ、俺の気が済まないからという理由では駄目か?」
苦笑いを浮かべながら、程普の言葉に返す。
「我々が最大の敵……。そういうことであれば、何があっても生き延びなければならない」
「その通り。何があっても生き延びてもらわなければこちらとしても困る……」
互いが互いの顔を見合って、笑いあう。
「ご武運を……」
程普は真剣な表情で曹和に告げる。
「そちらも」
黒騎が左右同時に動き出す。
程普は息を整え、正面だけを見つめていた。
長くなってしまったので上下に分けました。
申し訳ないのですが、次回の更新は8月16日になります。
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