孫堅文台という男
曹和は孫堅のいる本陣に足を踏み入れた。
「殿、曹和殿をお連れしました」
前にいた程普が控えめな声で孫堅に言う。
本陣には孫堅以外にも孫堅の側近もおり、自然と曹和に注目が浴びせられる。
「そうか。皆は下がっておれ」
「し、しかし……」
側近らは孫堅が曹和と二人っきりで会うことに難色の反応を示した。
「旧友との再会だ、誰にも邪魔はされたくない……。それに、それほど時はかからない」
「承知しました」
孫堅の言葉に誰よりも早く従ったのは程普だった。
「程普殿……」
側近らは程普が言うのならとしぶしぶ納得したような表情で本陣から出ていく。
本陣から出ていく際、すれ違い様に曹和に軽く会釈をしながらも、目だけは厳しい視線で曹和を牽制したようにも見えた。
側近らが出て行ったことによって、本陣は孫堅と曹和の二人のみとなった。
「久しいな」
「孫堅殿……」
「どうした、もっと近づいてこい。そこにいては話もできないではないか」
孫堅は曹和に近づくように手招きをする。
「まずは、緒戦を取りましたな。あれほどの大軍を率いながら、鮮やかな兵の動きでした」
「敵は弱かったが、緒戦は緒戦。兵たちにはちょうどよい実戦機会になった」
「それにしても、一人一人の兵の顔も引き締まっている気がするのですが……」
曹和は本陣に向かいながら、孫堅軍の陣営の様子も観察していた。
勝ち戦であれば、勝利の余韻に浸っていてもおかしくはない。
だが、孫堅軍は勝利しても気を緩まず、引き締まった表情だった。
「それはお前のおかげでもある」
「どういうことでしょうか?」
「配下の者たちはお前に負けたことをよっぽど悔しかったみたいだったぞ。お前が去ってからも、一日として休まず、調練ばかりをやっていたからな……。嫌でも、鮮麗された動きにはなるし、引き締めるられる」
「……あの時の無礼はお許しください」
曹和は冗談ぽく笑いながら孫堅の話を流そうとする。
曹和が荊州を旅をしたとき、孫堅の招きによって一月ほど孫堅の元に滞在した。
孫堅は黄巾の乱で活躍した曹和に興味がわき、曹和を招いた。
孫堅が興味を持ったのは、曹和の持つ圧倒的な武だった。
同じ戦場で戦うことがなかった孫堅は一目でいいから、曹和の武を己の目で見てみたかった。
孫堅配下の武に自信を持った武人が曹和に挑んだ。
結果的に曹和が滞在している間、孫堅配下の者たちは誰一人として勝つことはできなかった。
孫堅軍ではそれ以来、曹和一人に負けたことが何よりも屈辱だったため、誰も口にすることはなかった。
「許すもなにも、あのときはあのときでお前には感謝している」
「感謝ですか?」
「あれ以来、特に武人の意識は目に見るほど変化した。誰も自分を過信しなくなり、常にお前に近づくために鍛錬は欠かしていない」
「それは……厄介な敵が増えてしまったようです」
曹和は苦笑いする。
「厄介な敵か……。曹操殿は俺を敵と認識しているのか?」
孫堅はわかりきっていることをわざと曹和に嫌がらせのつもりで言う。
「兄は覇道を進む上で、孫堅殿、袁紹殿が一番の脅威になると考えております」
「ほぅ……。曹操殿がそんなことを」
「兄の考えには納得します。しかし、一つだけ孫堅殿に申し上げたい。あなたは野心に満ちすぎている」
曹和は孫堅本人を目の前にして思い切ったことを言った。
孫堅は曹和の言葉を聞いても、表情一つ変えずに答える。
「野心に満ちすぎているか……。では、聞こう!曹操殿の覇道とやらも野心に満ちすぎてはいないか!?漢王朝がありながらも、お前の言い方ではまるで自分が天下を取るような意味ではないか?」
曹和は孫堅の問いに何も返答しない。
孫堅は続ける。
「答えないか……。お前は野心に満ちすぎているというが、人間は野心を持たなければ何も成し遂げることはできんぞ!曹操殿の覇道も野心ではないのか?お前は何をしたいのだ?」
「俺の夢は兄者の夢。孫堅殿と兄者では野心の捉え方が違う……。孫堅殿は己のための野心、兄者は天下のための野心……。それをわからない以上、孫堅殿と俺とでは根本的に違いすぎる」
「天下のための野心とは、民のための野心というのか?笑止!覇者となろう者がわざわざ民のためなど考えていては、何も成し遂げることはできないぞ!」
「孫堅殿言う通り、何も成し遂げることはできないかもしてない……。しかし、志を忘れた者には何も成し遂げる資格はない」
互いが互いの野心・天下に対する思いが込み上げてくる。
「志とは何の志だ?」
「この国を救いたいという志ですよ、孫堅殿。それが俺にあって、あなたにないものです……」
「この国を救いたいか……。お前とは一生話が合わなさそうだな、曹和……」
「そうかもしれません。ですが、これからの孫堅殿の活躍には期待しております」
曹和はそう言うと、腰を上げて本陣から出ていく。
「ああいう男が欲しかった……」
曹和が本陣を出る際に、孫堅は誰にも聞こえないような声で呟く。
本陣を出ると程普がそばに控えていた。
「曹和殿には感謝します」
程普はゆっくりと曹和に頭を下げる。
「では、また後ほど」
曹和も程普に軽く会釈をすると歩きはじめる。
程普は曹和の姿が見えなくなるまで、頭を下げ続けていた。
曹和は歩きながら表情にこそ出ていないが、内心では一安心していた。
それもそのはず。
孫堅には挨拶程度のつもりが、会った瞬間、胸の内で熱くなるものがあった。
自身では気づいてないが、孫堅とは正々堂々と雌雄を決したいという思いからの行動であった。
「戻られましたか」
曹和の姿を見つけた李交が歩み寄ってくる。
「損害は?」
「一名のみです」
「一名か……」
李交の報告を聞いた曹和の顔は不満げな表情だった。
「ご不満だったでしょうか?」
李交は主の不満げな表情に気づき、問いかけてくる。
「不満がないと言えば嘘になるが、さすがはお前が鍛えただけの騎馬隊だ……。何も言わずとも、勝手に動きについてくる」
曹和は一度言葉を止める。
「しかし、俺は欲を言えばもっと精鋭な騎馬隊が欲しい。それこそ大陸最強と呼ばれるような騎馬隊が」
「大陸最強……」
李交は思いもしなかった言葉にただ呆然としている。
「そのためには、俺自身が騎馬隊を指揮する必要があるが、お前の力だって必要だ。俺がいない間、黒騎の指揮をしていたのは李交……お前なのだからな」
「ありがたき言葉……」
李交は曹和に褒められて嬉々としている。
「緒戦は取った。董卓も本腰を入れて、本軍を出してくるだろう……。次の戦いからはもっと厳しく激しい戦いになるだろう……」
曹和の視線は汜水関の方角を向いていた。
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