挙兵
互いが互いを知るために行った一騎打ちを終え、曹和は曹純の案内の元、曹操のいる陳留郡己吾に向かっていた。
一騎打ちを終えた二人の間には気まずさなどはなく、以前の兄弟のような関係に戻りつつあった。
道中、陳留郡己吾に近づくにつれて、兵士の姿がちらほらと見うけられる。
「兵士は全部、兄者が募った兵士なのか?」
「そうだな……。曹操様が私財を投じて募った兵士もいるが、曹操様の挙兵の知らせを聞きつけ馳せ参じた者たちもいる」
「馳せ参じた者たち?子和以外にも兄者の元に駆けつけた者がいるのか?」
曹和は曹純の妙にひっかかる言い方に疑問を感じる。
「それは……。今言ってもいいかもしれないが、直に分かるとだけ伝えておこう」
曹純は曹和の問いをあやふやに答えると、それっきり口を開こうとはしなかった。
曹和は曹純が話したっきり口を開こうとしない様子を見て、気になりはしながらも、直に分かると言われれば分かるであろうという納得する。
曹和は黙って曹純の後を追う。
しきりに本陣に近づいていることを曹和は感じていた。
兵士の姿が多くなり、兵士の住む幕舎まで見えてきた。
終いには、兵士の調練を行っている光景が目に入り、曹和の中でも曹操にようやく会えるという緊張感が高まっていた。
「ここが曹操様のいる本陣だ。子元に言う必要はないかもしれないが、くれぐれも無礼がないように」
「無礼だと……?兄者に無礼を働くわけがないだろう」
曹和は笑いをこらえながら、曹純に言い返す。
曹純と曹和の立場からでは曹操に対する見方が大きく違う。
曹純からしてみれば、曹操は自分の主君であり、身命を通してまで守らなければならない存在である。
逆に、曹和からしてみれば、曹操は主君ではありながらも、曹操と曹和のどちらかが欠ければ意味がない。
つまり、曹操と曹和は二人で一人という認識が曹和にはあった。
しかし、曹和が曹操に最後に会ったのは五年前。
曹操が曹和に対する認識を変えていないことも限らない。
「とにかく曹操様は忙しいため、あまり時間が取れないと思った方がいい……」
「わかった……」
曹和は大きく息を吸い、曹操のいる幕舎の前に一歩足を踏み入れた。
「曹和が参りました」
曹和の緊張感のこもった声が、本陣に響き渡る。
「入れ」
すぐに幕舎から声が返ってきた。
曹和はゆっくりと幕舎に入る。
「お久ぶ―」
「ようやく会えたな!」
曹和が言葉を告げる前に、相手から声を発してきた。
曹和に声を掛けた相手は紛れもなく、曹和の兄である曹操であった。
「兄者……」
曹和は五年ぶりの曹操の姿を自らの目で確認すると、感傷に浸り、歓喜に沸いた。
「どれほど再会できる日を待ち望んだことか!どうした、棒立ちになって。とにかく、今宵は夜が明けるまで語り合おう!」
曹操は棒立ちになっている曹和を見るなり、笑顔になる。
「兄者、今宵だけでは語り尽くせないかと……」
曹和もまた、曹操が自分と再会する時を待ち望んでくれていたという事実に喜ばないわけがない。
そして、曹操以上に曹和は再会できる時を待ち望んでいた。
再会する束の間、曹操は曹和に席に座るように促す。
「酒を持ってこい」
曹操は幕舎に酒を持ってくるように従者に指示する。
「兄者、ようやくこの時が来たのですね……」
曹和は席に着くなり、口を開く。
「子元、覚えていたか……」
「忘れるはずがありません。この日のために五年も大陸を旅し、己を鍛え世界を知るために旅を続けていたのですから」
「そうだったな……。我が軍の兵士は見たか?」
曹操は曹和に酒を注ぎながら、自軍の評価を聞く。
「実際に立ち会ったわけではないため何とも言えませんが、少なくとも本陣にいる兵士は精鋭揃いではないかと」
曹和は思っていることを素直に言った。
曹操がいる本陣を二重三重のようにしっかりと護衛していた兵士を曹和は見ていた。
装備も揃っていたが、それ以上に兵士一人一人の瞳が道中で見かけた兵士とは比べ物にならないほど鋭かった。
本陣を守っている兵士にとって曹和がいまいる場所がすでに戦場であり、曹和もまた彼らを褒め称えた。
「そうか……。実は本陣にいる兵士のほとんどは夏候惇が連れてきた兵士だ」
ここで曹和は懐かしき名前を耳にした。
「夏候惇……」
「そうだ。覚えてはいないか?」
「しっかりと記憶に残っています」
「夏候惇は挙兵すると同時に真っ先に馳せ参じてくれた。一族郎党すべてを率いてな」
「一族郎党すべて……」
一族郎党をすべて率いてきたということは、夏候惇は曹操に自分の未来だけではなく、一族の未来までを懸けたということになる。
曹和は夏候惇の判断力に思わず舌を巻いてしまう。
夏候惇、字は元譲。
曹操と曹和の従兄弟に当たり、曹和にとっても幼い頃からの顔なじみであった。
「他にも馳せ参じた者はおりますか?」
曹和はようやく曹純が先ほど妙な言い方をしていた訳に納得した。
曹純はあえて馳せ参じた者たちの名前を言わないことで曹和を驚かせようとした。
「夏候惇以外にも夏侯淵、曹洪、曹仁、曹純といった者たちがすでに参じている。曹純にはすでに会っただろ?」
「子和にはすでに……。夏候惇以外にもそれだけの一族が兄者の元に」
「それだけではない。曹家の私財を投じて募った兵士と彼らが馳せ参じて来た時の兵士を合わせると約五千が集まった。すでに夏候惇が調練を行っているが、子元にも調練を任せたい」
「調練は一任していただければ」
「やり方はお前に任せる。ただ、精鋭が欲しい」
曹操には自軍の兵を早急に精強な軍にしてほしい理由があった。
反董卓連合の詔勅は曹操の元にも届いていた。
すでに董卓を討伐せよという偽の詔勅が、各地の有力な諸侯の元に届けられている。
さらに、連合に参加するために諸侯は続々兵を集め、袁紹・袁術の元には数万を超える兵が集まったという報告が曹操の元に届けられている。
曹和の目には曹操が何か焦っているように映っていた。
「兄者……俺のこれからの役目は一日でも早く自軍の兵士を精鋭に近づけることです。そして、兄者の役目は堂々としていてください。何といっても、兄者は我々の総大将なんですから」
曹和は己の役割を全うするためだけに全力を注ぐ。
曹操は弟からの何気ない一言が自分を縛っていた心の鎖から解き放された感覚になった。
曹操は挙兵して以来、常に全軍に気を配り、一人でも多くの兵を欲しかった。
曹操と各地の諸侯とではあまりにも力の差があったことを曹操自身が自覚していた。
力の差を埋めるためにも、少しでも勢力を大きくし、反董卓連合の一員として発言力を上げたいと考えていた。
だが、現実は名門や有力な諸侯の元に兵が集まり、自分は私財を投じても五千を集めるのが限度だった。
自分には何が足りないのか。
人か?
名声か?
実力か?
曹操は悩みに悩んでいた。
そんな時に五年ぶりに曹和が帰ってきた。
曹操が誰よりも曹和の帰りを長い間心待ちにしていた。
曹和は曹操が放った「精鋭が欲しい」という一言だけで今の状況を把握したかのように、曹操に言った。
堂々としていてくれ、自分たちの総大将なんだからだと。
今更諸侯との力の差を埋める方法など考えても仕方がない。
それよりも、もっと大事なことがあるではないかと気付かされ、救われた。
「軍の話もよいですが、旅の話もぜひ聞いてもらいたい、兄者」
「そうだな……。今宵は子元の話を聞くとするか!早速話してくれ……」
その日、本陣の幕舎の明かりは夜が明けても消えることなく、絶えず大声と笑いが聞こえ続けた。
皆様、お久しぶりです。
約一か月ぶりの更新となります。
私事で更新できずにおりましたが、今日以降随時更新していきたいと考えています。
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