Relax
腹に木槌を叩き込まれた狼の魔物はそのまま地面に打ち付けられ動かなくなった。一方で、一希は魔物の牙が抜けた時、出血の勢いが増さないよう傷口を押さえた。不思議な気分だった。勿論痛い。しかし、戦闘経験の無い体はまるで戦傷が慣れたことのように落ち着いているのだ。やっぱり、勇者に転生すると多少のこういったメリットがいただけるのだろうか。
一希がそんな事を考えながらぼんやり腕を押さえている傍ら、マーは彼の負傷した腕を治療しようと包帯と薬を求めて荷物の山の麓でをやたらめったらひっくり返していた。やっとのことでそれを見つけたらしくぱたぱたと一希の方へ小走りしてきた。
「一希さん、大丈夫ですか。ごめんなさい。私がぼうっとしていたせいで...」
「全然大丈夫だよ。」
我に帰った一希はマーに包帯を巻いてもらった。薬草を磨り潰した薬をつけてもらうと流石に傷に染みたのか、彼は顔を歪めた。結んだ口から痛みに負け声を僅かに漏らすとマーはさらに心配して声をかける。
「腕、大丈夫ですか?」
「うん、ばっちり。ありがとうございます。」
一希は笑顔を作り、包帯を巻いた腕を撫でつつ答えた。
「大丈夫ですよ。それに最後の戦闘にびびった他の魔物どもはすっかり身を潜めたみたいですし」
「そうですね。ごめんなさい。魔物心配がないなら一晩休んでから朝早く出発しましょう。」
「じゃあ、うん。一晩ゆっくりさせていただきます。」
あまりにも疲れたため、一希は貪るように眠りについた。朝になってもボーっとしている一希を気づかってマーは言った。
「支度するので少し休んでてください」
マーは大量の荷物を魔法をで浮かばせると大きなリヤカーの上にのせ、一希を呼んだ。
「一希さん、乗ってください」
一希は困惑した。いくら怪我人とは言え、彼女に運んでもらうなんて申し訳ない。既に何度も助けてもらっている身なのに。
「ああ、俺は、大丈夫」
一希がいいかけたとたんに彼の身体がふわりと浮かび上がり、リヤカーの上に乗った。
「遠慮しないの!!」
マーの目が光を増す。物を自由に扱う魔法を使っているときの特徴のようだ。荷物と一希はリヤカーごと光に包まれ、彼女の魔法によって運ばれた。
「俺はホント大丈夫。マーさんこそ疲れたりしない?」
「大丈夫ですよ~。荷物を運ぶくらいじゃ私の魔力の1ミリも減らないから」
一希は時折揺れる手押し車の上で腕を不思議そうに眺めながら考えた。
もし本当にこの転生が夢でないなら俺はどうやってこの後を過ごしていけばいいのだろう。定番としては魔王退治だろうか。しかし戦闘はへっぽこだ。唯一の強みはこの転生先の体のお蔭で反射的に行動ができることだ。ただそれも完璧ではない。
とにかく疲れた。起きたばかりだというのに、疲れと適度な手押し車の揺れが睡魔を生んだ。薄れ行く意識の中、彼はぼんやりと考えた。こんなに悩んだが、こんなにリアルでももしかしたら夢かもしれない。次に目を覚ましたら轢かれたことすらなくなり、またいつもの会社勤めが始まるのではないかと...
一希はしばらくして目を覚ました。ああ、朝だ。会社に行かなくては。顔を洗って、朝食を食べて出社し仕事する。無限に続くいつもの朝が始まる。
「今何時?」
「9時頃ではないでしょうか」
「やべ、遅刻だ。」
一希は勢いよく立ち上がろうとする。だがそこはリヤカーの上。彼は派手に落下した。森の土と目覚めのキスをした一希は目の前にのんびり蝸牛が歩いているのを見た。自分の間抜けさを煽るか如く動くようにみえるそれにひどく惨めな気分にさせられた。一方で、マーは彼に駆け寄り、しゃがみ、顔を覗きこんだ。
そういえばここはファンタジーの世界だった。マーの顔を見て、落下したときの情けない格好のままハッとした一希。昨日の出来事がみるみるうちに甦る。近くを這っていた蝸牛が一希の頭の上に乗った。元々間抜けな構図だったがそれがさらに間抜けた。
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