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「あっ、君、待って!」
一希が立ち上がり女性が出て行った扉の先を見た。そこにはもう彼女はおらず、何事もない朝が彼を出迎えた。
「どこに行っちゃったんだろう...」
「朝が来て他の方が出歩き始める時間になりましたし、大丈夫だとは思います。もしもに備えて魔物除けのお香を渡してありますし...」
一希は感心するように頷いた。そんな便利なものがあるのなら、自分たちが遠征した際にも少しでいいから持たせてほしかったものである。
「あの子、一希にテレたんじゃないの?凄くかっこよく見えたのよ、きっと。」
「かっこよくないって...」
マーは一希をからかうような口調でいい、彼女はもうすぐ朝食が部屋に届くことを彼に知らせた。彼が時計を見ると、すでに宿で決められていた朝食の時間であった。彼は昨晩、自分が信じられないくらいよく動いたものだった。食事のことを考え始めたとたんに彼の体は空腹を主張した。空腹を表すにはこれ以上にない音が響いた。
「...彼女、戻っていてよかったかもしれないわね...」
「そういえば、この先はどうするつもりなの?」
テーブルに並べられた朝食の席につくと、チュリアは一希とマーに尋ねた。騎士たちの反対側に座る勇者と行商人は手を止めた。
「考えてなかったわ...」
「俺も...」
それを聞いたチュリアも手を止める。フォークを置き、足元にある彼女の鞄から地図を取り出して、この近辺のページを開き、一際大きい町を指さした。町はこの村から出て魔物退治の際に通った街道を逸れることなく歩いていけば到着する場所だった。街道の途中で出会った詩人が向かった先だろう。
「じゃあ、近くのジューカルミ市に行ってみるのはどうかしら」
「それいいかも!」
マーはすぐにこの提案に飛びついた。三人に合わせて手を止めていたルートが補足する。
「あそこの市長は確か、魔法の本拠地ともいえるムーン王国出身でしたよね。もしかしたら一希さんのおっしゃっていた昨晩の魔法の真相も伺えるかもしれませんね」
行商はその話を口角を上げて満足げに聞いていた。うんうんと一人で頷き、一希に言った。
「それなら決まり!ね、いいでしょう?」
旅初心者の自分にとって近くの町を目標としてくれることはありがたく、そしてこの世界と自分の世界の大きな違いの一つである魔法について知れる大きなチャンスである、彼は快諾した。
「決定ね!」
彼女は嬉しそうにパンを口に放り込んだ。食事は一等の宿屋らしく、パンや鶏肉のソテーなど、どれも一級の材料が使用されていた。香りも舌触りもよく、本来ならもっと時間をかけて味わうものだったのだろうが、彼の空いた腹はそれを颯爽と平らげてしまった。
「じゃあ、私たちはそろそろ戻るわね!」
「それでは!」
食事も終え、出発の時間が近づいた。一同は、宿の庭先にいた。宿のマーはなにやら上機嫌そうに口笛を吹きながら準備している。リヤカーの上に彼女の背丈と同じくらいの荷物が積まれていた。特技である物体移動の魔法を使って器用に荷物を組み上げていく。ちょっと一希が触れるだけで崩れてしまいそうだった。彼は邪魔にならないように気を付けながらルートを手招きした。
「なぁ、ルート」
「はい?」
「早めにチュリアに思いを伝えたほうがいいと思うぜ。」
何を言われるのか考えずに一希のもとに寄ってきた彼に恋愛沙汰の耳打ちをすると、彼はたちまち真っ赤になった。
「ちょっと、何を言うんですか!?」
「後悔する前にさ、めちゃくちゃいい子だし他にもたくさんくるぞ。」
俯いて赤らんだ顔を彼は隠す。日差しを差し込む太陽にも雲がかかっているが、風が吹いるのかそれが流されていく。
「頑張ります...」
ルートは顔を上げて答えた。照れ隠しに眉をひそめていたが、瞳には確固たる決意が見えた。お節介すぎたと反省もしたが、彼が天然の結果であれ、彼の恋心を聞いてからどうにか手を引いてやろうと思っていた彼にとって、この決意の瞳を見れるのはとても嬉しいものだった。
「お節介かけてごめんな、でも、めっちゃ応援してるぞ!!」
「じゃあ、一希さんも頑張ってくださいね。」
「ありがとう、頑張るよ!」
チュリアとマーが荷物の準備を終えて彼らのもとに来た。別れの時間でもある。再会を誓う挨拶をし一希とマーは宿の門を潜り抜けた。彼らと入れ違いに風が吹き込む。向かい風だが太陽に当てられ温かく、宿の近くにある花屋からの良い香りを運んでいた。外へと通じる門まではもうすぐだった。
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました。