糠床頭の勘助〜風早蒼炎智三郎始末記〜
ほーらいや、ほーらいや。
雀追いの声が、秋の黄金の原に響いている。
米どころとは程遠いこんな山の中でも、収穫の時期が来れば、活気付くのだ。
米の収穫から、秋祭りの準備が始まる。
村長の中庭では、牡丹餅作りも始まっていた。
デカい釜には、煮付けられた大根が、旨そうな匂いを漂わせている。
この日の為に一年、田畑守ってきた様なものだ。
田楽味噌用の蒟蒻を串に刺しては、お湯の入った釜にポチャンと投げ入れながら、勘助はひとりムスッとしていた。
秋祭りが終われば、江戸に奉公に出る事がさっき決まったのだ。
良い話だといわれたが、村から追い出される様な気がして、納得がいかない。
確かに、村でも貧乏な家であったが、勘助はこの村が好きだったのだ。
蜻蛉を追いかけ、蛙を捕まえて遊ぶ歳が、過ぎてしまった事に、気づかされてたのも、勘助の心を頑なにさせていた。
秋祭りで村に来ていた、村長の親類の男が、奉公先に、勘助を送り届けてくれる手筈だった。
そんな勘助の憂鬱とは関係なく、秋祭りは、始まった。
滅多に食べられないデカい牡丹餅に、手も口もベタベタにした弟と二人の妹の面倒を見ながら、何処か輪から外れている自分の身の上を想いやった。
上の姉が奉公に出たのは、勘助より早かったのを覚えている。
この下の歳若い兄弟達は、勘助を覚えていてくれるだろうか。
翌日の朝、家族に見送られて、勘助は小さな風呂敷包みとこの村を後にした。
峠は1度、上の兄と越えた事があったが、その先に行った事は無い。
村長の親戚の叔父さんは、あれこれ話しかけてくれるが、勘助はうまく返答が出来なかったので、話は尻つぼみになり、二人はせっせっと山を越えるのだった。
やがて、大きな川が出て来て、そこを越えた。
川を越えると、石畳の道が現れた。
轍に、水が溜まっている。
そこに、スーイ、スーイ、と、蜻蛉が尻を漬けて、又飛んで行った。
宿場町に着いた頃は、とっぷりと日も暮れ、勘助は初めて旅籠に泊まったのだった。
そんな旅を3、4日過ぎた頃、二人の目の前にデカい山が現れた。
行けども行けどもその山は、勘助を見下ろしてくる。
松林と海にビックリしていた時も、山はグルッと巡って、勘助の脳天を見ている様だった。
あれは、江戸まで着いてくるぞ、といわれたが、勘助はからかわれたと思い、下唇をギュッとかんで、返答もしなかったが、その山は本当に江戸まで着いて来たのだった。
結局、村長の親類の男とは馴染まぬまま、勘助は奉公先に連れて来られ、置いて行かれた。
江戸言葉が半分も判らず、勘助の口は日に日に重くなって行った。
水汲みや庭掃除を毎日せっせっとすれば、1日はアッと言う間に過ぎて行った。
勘助が奉公したのは、江戸でも一二を争う、八百屋八百吉であった。
クズ野菜を集めて洗うのも、勘助の仕事だ。
手慣れたもので、このクズ野菜をトロリと味噌で煮込む。
それにご飯と漬物が付いて、奉公人達で鍋を囲むのだ。
勘助が目を白黒させたのは、奉公人にもご飯が付く事だ。
あわやきび、蕎麦がきを食べて育ったので、米の飯が出てくるのには、慣れていなかったのだ。
漬物は塩っぱかったので、モリモリご飯を食べられた。
そんな下っ端の仕事に精を出していた頃、お国訛りを勘助は聞いた。
水くみの手を休め、ヒョイっと首を出してそちらを見て見ると、片肌脱ぎの前髪も清々しい若者が、そこらの棒っくれを振っている。
ジーッと見てしまっていたのだろう。
若者がクルリとこちらを向いて、勘助と目が合った。
片手を袖に通しながら、スタスタとこちらに近づいてくる。
真っ赤になった勘助は、井戸の側に逃げて行き、クルリと姿を隠したのだった。
「待って、逃げなくても。
鈴川から来た子だろう。」
耳まで真っ赤にした勘助が、井戸の淵から、目をこちらに向けている。
「あの直ぐ側の、白岩村の出なんだ。
どうだい、江戸には慣れたかい。」
懐かしい名前が、火照った耳に届いた。
ハッと我に返り、立ち上がった勘助は、頭を下げ挨拶をした。
「鈴川村の勘助でございます。」
勘助が緊張感で、ガチガチになっていても、若者は楽しそうだ。
「したらんば、親戚も同じやな。」
懐かしい。
勘助はウッウッと泣き出してしまった。
「晴元、なんしてんの、小僧さん、泣かして。」
姫結いあげの人形の様な娘が、勘助の泣き声に、下駄を鳴らして、池の方からやって来た。
「違いますよ、狛江姉さん。
同郷の丁稚奉公の小僧さんなんです。
懐かしくてさ、お国訛りが、ね。」
「あら、まあ。」
狛江はカラカラと、大口を開けて笑い、それにビックリしてる勘介の袖を引いて、屋敷の表側に、向かった。
裏の下働きの勘助は、八百吉の表側には、足を踏み入れない。
キッチリと、棲み分けられていたのだ。
それに気付いて、クビを振るものの、喉から声がでない。
陽気な二人に引きづられ、畳の香りも清々しい座敷に、座らせられていた。
水汲みで汚れた足が気になり、生きた心地もない。
「そんなにかたくならなくても、良くってよ。
所詮、お江戸はお国訛りが手形代わりって、場所ですもの。
私はもっと西、毛利様のお膝元生まれ。
江戸が花なら、ススキの穂先って、もんだわね。
その上、西は外様だらけだし。」
「もう、狛江姉さんは、直ぐに人の物を取る。」
お茶とお菓子を頼みに行っていた晴元が、笑いながら帰ってきた。
「で、小僧さんの、お名前は。」
畳が恐くて、躙って板の間に逃げようとしていた勘助は、ビクッとした。
「勘助さんだよ。
狛江姉さんは、せっかちで行けない。」
襖が開いてい、お茶とお菓子を運んできた女中のお直が、目を丸くして勘助をジロジロ見て行った。
その後、何を食べたか何を話したか、まるっきり覚えていない勘助だったが、狛江と晴元のお屋敷のお使いを命ぜられるようになったのだった。
この頃の八百屋は、野菜を売るだけでなく、料理もだしていて、武家屋敷に仕出しもしていた。
何せ、他所の藩から江戸に出て来ただけでは、江戸の文化がわからない。
ましてや、お武家さんならば、おもて成しに恥をかく事も相手方にかかす事も、御法度だったので、手っ取り早く料理を持ってきてくれる八百屋が流行ったのだ。
お国料理と江戸の一品を並べるのが、粋になっていた。
国元から着いてきた商人達も、右に習えで、勘助をたいそう気に入ってくれた狛江と晴元は、そんな塩問屋鳴海屋の養子と養女だったのだ。
お家の為一族の為と、それぞれ遠縁から、二人は遠路遥々(えんろはるばる)、この江戸に来ていたのだ。
大人達の宴会がつまらなく、抜け出し、気晴らしに庭に出て遊んでいた所に、勘助が頭を出したのだった。
塩問屋の二人と仲良くなり、勘助は頼まれ物を運ぶ役割を受ける事になったのだった。
大店で、大層なひいき筋だったので、八百吉の旦那も、鳴海屋さんへの使いは、ゆっくりしておいでと、裏使いの小僧さんにしては、破格の扱いになっていた。
勘助はいつの間にか、晴元に手習いと剣術を習って帰って来るようになり、狛江のチャチャがはいったが、それも楽しかった。
口が重く暗かった勘助が、みるみる明るく、大きな声で返答もするようになって行った。
八百吉の旦那もこれにはビックリしたが、勘助を表に置くようになると、その気配りに、感心するのだった。
何処で覚えたのか、勘助の所作は、中々だったのだ。
八百吉は益々繁盛し、江戸は百花繚乱と栄えていった。
それから5年、狛江の婚礼が決まったその年の正月過ぎ、勘助は八百吉の漬けた菊蕪を桶に詰め、寺にと急いでいた。
懐には、晴元からの宿題の手習いが入っている。
読み書き算盤が出来るので、八百吉でも重宝がられ、番頭さんの下に着くようになっていた。
来た頃とは見違える様で、サッパリとした若いその姿は、希望と自信に満ち溢れていた。
その頃の江戸は、平安な世に慣れだしていた。
先代の将軍様のご落胤騒動でさえ、そんな平和な日々のひとつであった。
勘助は、晴元と同じぐらいに背も伸びていた。
あちこち建てられていたお屋敷や町人町の中を、八百吉の桶を担いで走りまわっているので、新しい道も直ぐに覚えた。
大名屋敷も下屋敷なら、全部頭に入っている。
そんなこんなんで、抜け道を軽快に走り、寺への参道に、ひょこりと出た勘助だった。
ここ本明寺の寺男は面白い男で、勘助が届け物をすると、聞きかじった仏様の話をして、器用に彫り上げた観音様などを見せてくれた。
季節の風の読み方などを、とうとうと話してくれる。
風が強い日で、人っ子ひとりいない参道を強風が吹き抜けた。
風を避けながらここまで来たが、流石に参道を避けるわけにも行かず、風に逆らいながら、勘助はジリジリと進んだ。
砂除けのほっかぶりも、気を許すと、風に持っていかれそうだった。
寺の中に入ると、ホッとした。
寺男に「今日の風は、邪だから気をつけろよ。」と、いわれ、寺を後にした。
風に押し戻されながらも、どうにか白壁に張り付きながら、鳴海屋に急いだ。
途中、懐の手習いを風に持っていかれそうになって、慌てたが、どうにか鳴海屋の裏側に着いた。
あちこち色んな物が、風の力でクルクルと回り、ピューっと吹き飛ばされて行った。
旋風に捕まった笹の葉が砂つぶ達と、踊っているのも見た。
すっかり砂まみれの勘助が風が和らいだのを感じた時、髪の焼ける臭いが鼻先をかすめて行った。
こんな日に、と、勘助が振り返ると、さっきまで居た小高い丘の上の寺から煙が上がっている。
見れば、尋常ではない風に煽られ、右に左に生き物の様な煙が、細く細く立ち上がっていた。
その時、煙の束がドーンと広がり、下から真っ赤な炎が、立ち昇って来たのだった。
メラメラと火は広がり、高く高く風と共に、舞い始めた。
勘助は、兄と隣村との境の峠に行った日の事を思い出した。
東風の風に煽られた山火事で、あちら側半分、焼け野原になっていたのだ。
その時の兄と二人で見た光景が蘇った。
今日の風は、良く無い。
勘助は、勝手知ったる戸口を開けて、鳴海屋に飛び込んだ。
勘助の只ならぬ声に、晴元が出て来た。
二人で寺を見るため道に出ると、風に煽られた炎は、八岐大蛇そのままに、四方に、火の舌を伸ばしているのが見えたのだった。
屋敷にとって返すと、下男に番所に走らせ、鳴海屋の旦那も番頭も非難する事になった。
大事な着物類は車長持に収められ、大八車には、家財道具やら塩やらが載せられ、荒縄で縛り付けられたのだった。
勘助のお陰で、1番に支度が整った鳴海屋は、非難する為、女子供共々、車輪の着いた長持を押し、大八車を引きながら、歩き出した。
勘助は、晴元と狛江が止めるのも聞かず、八百吉に向かって、走り出していた。
既に火はかなり広がり、火の粉が舞っている。
が、風のせいで、外には人影が無い。
勘助は、知ってるお屋敷がある度、門番やらに呼びかけ、火事を知らせて走ったのです、八百吉に着いたときには、クタクタだった。
知らせを受けたり八百吉も、車長持や大八車を引っ張り出して来て、家財道具を積んで逃げる事になった。
まだまだ昼日中であったのが幸いし、道は明るい。
勘助の疲労を察した八百吉の旦那は、勘助を大八車に乗せて、上から道案内をさせた。
大八車が通られる道幅の道を、良く熟知していた勘助は、皆を川向こうへと、避難させた。
橋を渡れたのは、運が良かったのだ。
この川の橋は数が少なく、闇雲に走っていては、たどり着けなかっただろう。
晴元にも、道順を教えてあったので、難なく合流出来た。
勘助はやすまなかった。
風の向きを読んで、鳴海屋と八百吉を安全な所まで、移動させた。
勘助は、この時期の季節風の来ない山寺を知っていたのだ。
山寺は既に廃寺で、人っ子一人いない。
大八車の上で鋭気を養った勘助は、晴元と山寺の長い階段を駆け上がった。
夕闇が迫る中、井戸を探した。
井戸があれば随分と助かる。
寺の裏側に、立派な井戸があり、手桶とひしゃくも見つけられた。
そこで二人は、目の前の火事の凄さを知るのだ。
最早、鳴海屋どころか、あの寺の下の家々は、煙と炎で、赤々と燃えている。
何処からともなく、ジャンジャンと鐘の音が響いている中に、人の悲鳴が混ざっていた。
「どうだ、ここは大丈夫かい。」
勘助は分からないと、首を振った。
それでも、とっぷりと暮れてしまったら、歩くことは出来ない。
本当に大事な物が以外、大八車に残し、見張りを立て、女子供は廃寺に避難させた。
急のことで、何が起きているのか、よく分からない女中達が不安がって、シクシクと泣いている。
狛江の方が、しっかりしていて、テキパキと指図をしているのは、普段お転婆なだけではなく、芯がしっかりしていたからだろう。
八百吉は、漬物をやら干し芋やらを持って出ていたので、分け合って食べる事が出来た。
勘助は、まるで水の様に燃える、不思議な馬を見ていたが、誰にも話さなかった。
故郷のあの山火事で、兄と二人で見た馬だ。
この寺もその馬が、馬の中の人が教えてくれたのだった。
天子様の使い馬、蒼炎の中に今は住む風早蒼炎智三郎は、自分の数奇な運命のせいで、鈴川村に流された風早家の甥を助けたのだ。
九州での、あの一揆の首謀者の仲間にされて、風早家は潰されてたのは、仕方のないことだろう。
直参旗本とはいえども、身分は剥がされ、一介の農夫として、ヒッソリと鈴川村に暮らしていたのだった。
あの山火事が、鈴川村を襲う前に、峠の山林を焼き払い、大火が鈴川村を襲うのをせき止めたのも、蒼炎智三郎だったのだ。
翌朝、黒々とした焼け跡に、幾筋かの煙が風に舐められながら、朝焼けの空に昇っていた。
煙はたなびいているが、鎮火した様にも見える。
だが、風の勢いはまだまだ収まってはいない。
山寺から見ると、鳴海屋のあった辺りは、真っ黒になっていた。
頭を右に巡らすと、八百吉も火災からは逃れなかったのがわかった。
風向きのせいで、ここには火事の臭いが来てはいなかったが、街中はすえた臭いが辺りを包み、逃げ遅れた人々で、見るも無残な光景が広がっていた。
旦那衆や番頭たちが話し合ってる間に、また煙が上がった。
昼日中でも、火の勢いが凄いことがわかる。
既に江戸の関所近くまで逃げていたが、風向きが変わった事もあり、鳴海屋と八百吉は海沿いに逃げる算段となった。
ここまで逃げおうせていたのは、本の一握りで、勘助が声を掛けた武家屋敷や大店の店の人達なども、姿は見えなかった。
あの風が、大火を広げたのだ。
途中、船を仕立てて、それに乗り込むと、やっとホッとした。
船からは、江戸の大火が益々広がっていくのがわかった。
北西の強風に煽られながらも、鳴海屋と八百吉を乗せた船は、対岸に辿り着いた。
その日、狂火はたけり狂い、寺男の言った邪な風がそれを煽り、江戸天守閣さえも、焼け落ちたのだった。
勘助達は、鳴海屋の伝手で、西へ向かうことになった。
打って変わって凪の様な海からは、焼け野原になった、江戸がいつまでも見えたのだった。
江戸の噂を聞きながら、鳴海屋の本家に厄介になっていた勘助達は、漬物屋を始めていた。
味噌漬け塩漬けなどと並んで、この地では糠漬も広がっていた。
そして半年。
遅れていた狛江の婚礼も滞りなく行われ、なんとなく区切りが着いた様な頃、勘助は鈴川村に1度顔見せに行く事になったのだった。
すぐそばの村の出の晴元も一緒だ。
東海道を東にと、二人は旅立った。
鈴川村に風早家はいなかった。
なんと、身分が戻されて、江戸に引っ越していたのだ。
それぞれ鳴海屋と八百吉に飛脚で、手紙をおくると、二人の若者は、江戸に向かった。
あの何処までもついてくる山を見ながら、二人は旅路を急いだ。
江戸は様変わりをしていた。
元々、湿地で乾いた土地の少なかった江戸は、埋め立てをして、土地を広げていた。
それ故に、出来た土地から、人が住み、道の整備も遅れがちだったのだ。
大名屋敷、直参旗本、寺町と整備され、町人町もまとめられていた。
役場に出向くと、キチンと鳴海屋、八百吉の代替地も用意されていた。
二人は早速その旨を伝えた後、風早家を探す事にした。
勘助が尋ねると、父と兄の勘一郎が、出てきた。
その姿は、武士のそれであった。
元々、爺様から剣術、読み書きを習っていたし、父親も、腰刀こそなかったが、立ち振る舞いは、武士のままだったのだ。
手習い嫌いの勘助が読み書き算盤を身につけている事に、感心されてしまったのだった。
二人は、風早家に長逗留して、鳴海屋と八百吉が帰って来るのを待つ事になった。
幼かった下の兄弟もすっかり大きくなり、その下に弟がもうひとり生まれていて、風早家は賑やかだった。
風早家復興を見届けた爺様は、勘助の顔を見て安心したのだろう、そのまま静かに息を引き取ったのだった。
楽しい時はアッと言う間に過ぎていった。
やがて、鳴海屋と八百吉が、江戸に帰って来て、新しい店を建て始めた。
その手伝いに、勘助と晴元は風早家から通った。
そして、引越しの日が訪れたのだった。
もちろん引き止められたが、勘助は八百吉に戻って行った。
新しい店が、軌道に乗ると八百吉では、勘助に暖簾分けをし、勘助は漬物屋を始めた。
西で覚えた糠漬がたいそう流行ったのだ。
風早家のおかげで、直ぐにご贔屓筋もふえ、八百吉共々繁盛して行った。
春のその日、里帰りしていた狛江と晴元が八百吉にやって来ていて、勘助も顔を出した。
八百吉の豪華な膳を前に、あの日の大火の話しは誰ともなく、口に上がったが、勘助は火の馬、蒼炎の事は、この二人にも話さなかった。
父からも兄からも、硬く口止めされていたのだ。
お家の秘密として、松平信綱様からも禁じられていたからだ。
父の弟だった智三郎が天子様の使い馬、蒼炎と共に、一揆の首謀者達を焼き、徳川を救ったことなど、誰が信じるだろう。
それ故に、お家の再建がされたのだ。
勘助は、町人の暮らしが気に入っていたし、商売がおもしろかった。
漬物屋も繁盛している。
今更、堅苦しい城勤めなどはしたくない。
「お前は、そうして糠床といる方が良いかもな。」
笑った兄のそんな言葉が嬉しかった。
やがて、あの大火はいろんな尾ひれがついて、後々まで語り継がれる事だろう。
今は、ここまで。