これから起こることの前日談
花弁の舞い散る桜の並木道。目的地まで延びるその道を、僕は爽やかに歩いていた。
今日から始まる高校ライフ。陳腐でも愉しい日常を早く送りたいなぁ。あー、このあとの始業式が待ち遠しいよ。
ここ私立赤福高等学校は、校門前の桜の並木道のクオリティで有名な学校。特にレベルが高いとか、美男美女が多いとかそういう訳じゃない。元々僕は、そこそこの頭しか持ち合わせてなかったから、特に学校を調べてるわけでもなかった。だから今、この桜の美しさに感嘆しながら校門へ向かう。
「どんな人たちがいるのかな~」
スキップでもしそうな心で玄関の前に立つ僕。
そこに立った瞬間、さっきまでとは裏腹にテンションが物凄く落ちてしまった。
『新入生の皆さん、御入学おめでとうございます。
皆さんと共に学校生活を送れるのを
教師一同心よりお待ちしております。
4/8(金)赤福高等学校教員一同』
でかでかと木製の掲示板に張り出されていた。
……あれ、今日って8日だったっけ……?
時計を見ると、7日午前8時03分。バリバリの始業式前日。
「……そっか…………」
はぁ……、どおりで登校中に学生と出会わないわけだよ。今日前日だもん。はしゃぎすぎちゃったかな。
結局来た道を歩いて戻る。ここまで来たら、桜を愛でる気持ちすら出てこない。
まぁ、明日また来ればいいや_____
ふと俯いていた顔を上げると、一台の中型バイクがこちらに向かってきていた。前日準備なのかな、取り敢えず僕みたいに間違えて来た人な訳がないしね。
勢いよく隣を通り過ぎた行くバイク。何の準備をするのだろうか。
キキィィィーーー!
通り過ぎたと思ったバイクは、背後で急ブレーキをかけてこちらへ向き直っていた。
「君、ひとつ聞きたいことがあるんだが……」
見ると、スーツ姿の女性がバイクに跨がっていた。どうせ僕の間違いを正しに来たんだろう。もうわかっているのにな……。
「はい、なんでしょうか……」
「もしかしてだけど、もう始業式終わったかな?」
一瞬、口をあんぐりと開きかけてしまった。さっきまでここの教員だと思ってただけあって、閉じるのに少し時間がかかってしまった。も、もしかしたら、保護者の方なのかもしれないし、教員とは一概に言い切れないからね、驚くべきじゃないよ。
「玄関前の掲示板に明日って書いてありますよ」
「ほんとに!? ……あのハゲだるま、私のこと騙したのか……」
ハゲだるま……? 物凄い言われようだな。その人かなり恨まれてるのかな。
「お知り合いの方ですか、その人たちって」
「あぁ、ここの教頭だよ」
今度こそ開いた口が塞がらなかった。この人、ここの学校関係者だったんだ。しかも始業式の日を知らないなんて……。
「もしかして、教員の方なんですか?」
「一応ね。……あれ、もしかして君うちの新入生?」
教員だったんだ……。さっきのハゲだるま?とかが教えてくれなかったのかな。
「はい、まぁ一日間違えて来たんですけどね」
自嘲気味に僕がそう言うと、前のめるようにして女性教員は距離を積めた。
「丁度良かった! 今から時間あるよね、ちょっと手伝って欲しいことあるんだ!」
ヘルメットを両手で持ちながら、言い寄った。押しが強すぎて、呑まれそう……。
「は、はい!? えっと、何のことですか」
「君の返事は三択しかない。1.yes、2.はい、3.ja」
「全部同じ意味じゃないですか!」
僕の選択肢は結局一つじゃないか。確かに予定はないけど。
「まあ良いではないか。それよりほら、早く乗りたまえ」
結局流されて、僕はヘルメットを受けとる。当の誘った本人を見ると、既に僕が乗ることが決定事項だと思ったらしく、当たり前の如くバイクに跨がっている。
はぁ、僕はこのあと何をすることになるんだろうか……。
◇◆◇◆◇
何も考えずに揺られていくと、一棟のアパートについた。
僕が頼まれたのって、何の手伝いなんだろ……。
そんな僕を気遣うことなく、女性教員はすたすたと歩いて行き鍵を開ける。
「むー、そういえば君の名前を聞いてなかったね。私は村雨 響子。呼び方は任せるよ」
ドアを背に村雨響子さんはそう言った。改めて思ったけどこんな人でも教師になれるんだな……。
「祈颯 陽斗です、響子先生」
「いきなり下の名前なんだ……まぁいいや~。んで、陽斗君にやって欲しいことっていうのが…………」
人の気持ちも考えずにドアの向こうを僕に見せる。
「……じゃーん、こちらで~す」
特に何もない、引っ越し直後の段ボールの積まれた部屋でしかなかった。
「こちらって……荷ほどきの手伝いですか?」
そんなはずないよね、あくまでも私情で生徒を手伝わしたりなんて……
「あぁ、うん、そうだけど?」
したね、がっつりしてたね。
「……もういいです。やりましょう、荷ほどき」
三つ目の段ボールに手をかけた辺りで、僕は気になってた疑問を投げ掛けてみた。
「ここの学校って初めてなんですか? 学校の造り、よくわかってるように見えたので」
バイクの回り方といい、完全に使い慣れてる道って感じだったし……。
「あー、やっぱり勘違いするよね。この段ボールね……騙されたんだよね…………」
「だ、騙されたんですか!? 誰にです!?」
こんな人が相手でも、騙すなんて酷いにも程がある。一体どんなことを。
「うちの教頭なんだよね。あの、ハゲだるま」
「き、教頭が!?」
教員のなかでも教頭になんて……。恨みでも買ってしまったんじゃないか。
「そうそう、そうなんだよ。あのハゲだるま、『来週からお引っ越しだね~』とか言っといて何なんだって感じ」
「……それって…………」
極度の天然か正直者だね、この人は。
「……響子先生、それどう考えても職員室内の席の移動以外ないじゃないですか……」
僕が顔をあげると響子先生は既に、豆鉄砲を喰らったかのような顔で目を見開いていた。
「んなっ!? は、陽斗君、それはいくらなんでも……」
「ありえます」
「いやいや、そう思ってるのは君だけだって……」
「誰に聞いても満場一致の返答が来ますよ」
途端に悄気た顔をした。分かりやすいな~。
「でも、それだけでここまで準備するんですね。変に真面目なんですね」
「変にとはなんだ、変にとは。私だっておかしいとは思ったんだよ。でも、万が一っていうのもあるし…………」
もうバカ正直というか、なんというか。今時の人の中ではかなり珍しい分類だよ。
ピンポーン
こんな時間に来るなんて、どんな人なんだろ。
「はーい、今でま~す」
響子先生がドアを開けると、そこには男性が立っていた。落ち着いてる人っぽいな。
「なあ村雨よ、もしやだがあの教頭の台詞を真に受けてなんてないよ……な…………邪魔したな……」
バタン
あれ、今目合ったよね? 勘違いされた?
「あれ、宮崎先生? ちょっと勘違いしてませんか~!」
慌てた様子で響子先生も追いかける。あの宮崎先生って人、何しに来たんだ?
ちょうど外で一悶着あったようで、少し待つとこの部屋主が帰ってきた。
「むー、なんか勘違いされたまんま行っちゃったよ……。別に特に何もないのに」
あの先生も落ち着けてなかったよね。今僕制服だし、その上に段ボールに手を突っ込んでる最中だったんだよ。あそこで勘違いするかな。というより、僕はなにも悪くない!
「あのー、先生。もう一旦この事は忘れて、荷ほどきに戻りませんか?」
「そうだね、考えてても仕方ないや」
そう、考えててもただの時間の無駄なんだから…………さっさと終わらせたい。一刻も早く終わらせたい。
作業を始めて三時間ほどで作業は終わったんだけど……。
『今日はありがとね。入学したら手厚く歓迎するよ』
バイクで元の位置まで戻されたあとにこの台詞。そしてそのまま来た道を先生は戻っていって、今に至る。
おかしくない!? 普通ここで『お礼にどっかに食べに行かない?』的なのない? …………いや、あの人にそんな期待するもんじゃないな。もう今日は帰って寝よう。
そう思いながら、僕も来た道を戻っていった。