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俺達が勇者になった理由

作者: 葵 柊真

 右腕の感覚はほとんど残っていなかった。

 かろうじて握りしめるボールと動作の際に感じる違和感だけが脳裏の届いてくる。いったん間を取り、視線を向けながら腕を回してみる。

 感覚こそ無いが、どうやら自分の思い通りに動かすことは出来ているのだった。



優哉ゆうや



 と、腕の様子に安堵した矢先、耳に届く声。

 顔を向けると、日に焼けた顔に大粒の汗を浮かべた青年、一ノ瀬昴いちのせ すばるが、こちらに対して鋭い視線を向けていた。



「大丈夫だよ。お前は、次の打席で打ってくれ」


「それは当然だ。だけど……」


「投げられる。これだけで十分だろ?」




 そんな昴の鋭い視線に対し、優哉はかろうじて感覚の残っている手をヒラヒラと振るいながら答える。

 すると、周囲を包み込むような歓声が耳に届きはじめ、やがてそれは気押されるかのような圧力をもってグラウンドを包み込んでいく。

 全国大会。俗に言う、夏の甲子園大会決勝戦。それも、同点で迎えた9回裏の攻防が開始されようとしている時である。

 試合の行方を見守る観客にとって、盛り上がらないはずもない舞台であった。

 そして、優哉にとっては、こんな舞台で投げられる。それだけでも喜びでしかない。たとえ、投げ終わった時に腕の感覚が残っていないとしても。



「どうだか。全然、ボールが来ていないよ」


「ここまで来て、全力で投げる必要無いだろ?」




 昴の言葉に対し、不敵に笑みを作って答えた優哉に対し、大柄な体躯を揺らしながら駆け寄ってきた冷泉健介れいぜい けんすけもまた、顔を強ばらせながら口を開く。

 ここまで優哉の投球を受けてきた身である。その変化もまた肌で感じているはずであり、ここまで何も言わずにボールを受け止めてきたのは、小学校からの親友の気持ちを知っているからでもあっただろう。




「……誰が見たって分かるんだよ。とっくに我慢の限界を超えていることなんて」


「君達。守備についてっ!!」



 最後にそう言った健介であったが、さらに何かを答えようとする優哉達に対し、試合の再開告げる声が届く。




 聖地甲子園球場が、われんばかりの大歓声に包まれたのは、それから間もなくのことであった。




◇◆◇◆◇



『第1回選択希望選手……』



 ラジオから届く声に困惑しはじめる室内。


 困惑の主の多くはカメラやその他の道具を片手にこの場に詰めかけた報道陣であり、この場の関係者もまた多く詰めかけている。

 理由はただ一つ。今日のこの席に主役となるべき人物が、時間になった今でもこの場に現れないが故に。である。

 そして、その理由を知る人物は、自身に向けられる視線と疑問の声をやんわりと受け流すだけに留まり、彼らの困惑が解決されることはない。




「よかったのか?」


「何が?」



 そんな状況を知らない優哉は、学校近くの川原の土手に寝転びながら、傍らに腰を下ろす昴に対して口を開く。

 時間はすでに放課後である。受験生にとっては、放課後であっても自由な時間は無きに等しいものであったが、それでも勉強漬けになれば気を休める時間も必要になってくる。




「ドラフト。みんな待っているぞ?」


「志望届は俺の意思じゃなくて外野が勝手に出しただけさ。行く来もない舞台のことなんて知らないよ」



 そう言って、面倒くさそうに手にしていた石を放り投げる昴。


 その石は、川を横切るように突き進み、中ほどを遙かに超えた場に着水した。昴は軽く放っただけであったが、そのリストの強さは常人を遙かに超えていく。

 優哉もそれに倣うも、石は目と鼻の先に静かに着水する。




「別に、俺に気を使う必要は無いぞ」


「まだ、言ってんのか」



 そんな昴に対し、優哉は静かに口を開く。

 優哉にとっては、小学校の頃からの付き合いになる昴の夢を当然知っている。そして、それは自分の夢と同じ物。

 大好きな野球でプロの世界に入ること。

 それが二人の夢であった。




「甲子園大会最多本塁打記録の更新。2試合連続全打席敬遠。そんな化け物が『プロに行かない』なんて言い出したんだもんな。みんな、何が起こったのか分からなかったと思うぞ?」


「知るかよ。勝手に志望届出しといて、勝手に騒ぎだしてんのに……」


「先生達が何も言わないのが救いだわな」



 昴があの大会で叩き出した成績は、それまでの打者成績を更新するものであった。しかも、準決勝、決勝の二試合で全打席敬遠された上での成績である。ついでに言えば、最多盗塁も更新している。

 そんな彼であったが、あの大会の後、メディアからの取材などはすべて拒否し、その後も一貫して進学希望を口にしていた。

 とはいえ、周囲がそんな個人の事情を放って置くはずもない。加えて言えば、海外からもスカウトが来たほどの人材であるのだ。

 それも、甲子園はおろか、県大会でもベスト8進出が最高だった高校からそんな選手が現れたのである。周囲が沸き立つのも無理はなかった。

 実際、昴自身も3年になってから急成長し、注目を集めるようになってからは、元々の夢であったプロへの希望を口にしていたのだ。

 それが一転、プロは愚か、野球への興味も失ったかのような態度を大会後に見せ始めている。

 もっとも、周囲は知らぬことだが、優哉をはじめとするチームメイトや顧問、部長と行った指導者達はその真意を知っている。

 だからこそ、今も騒ぎを続けている大人達を抑えてくれているのだ。




「とはいえ、本当にもったいないと思うぞ?」


「またかよ……。それより、地方大会全試合完全試合。甲子園4試合連続無失点。二試合連続完全試合。大会通算奪三振記録更新……。そんな投手がいたんだよな」


「そうだな」



 そして、優哉自身、何度目かにもなる言葉を口にするも、うんざりしたかのような表情を作った昴の反撃に、思わず言葉に詰まる。

 準優勝に終わった夏の甲子園。その大会を終えた後、優哉の右腕は完全に沈黙してしまった。

 日常生活を行う程度には回復したが、今でも字を書くことに苦労するが、左腕を使うことにもなれてきていた。




「それじゃあな」


「ああ。また」



 川原から街中へと戻ってくると、二人はそれぞれの方向へと足を向ける。

 昴は事の是非はどうであれ、今後のことについて答えることぐらいはしなければならず、優哉がそれに同席する理由はない。

 いや、実際の所は、『優哉が続けることが出来なくなった以上、自分も野球を続ける気はない』というのが昴の本心であり、優哉自身は必死にそれを止めたのであるが、昴が折れることはない。

 昴自身、自分達のための優哉の将来を潰したと言うことへの負い目が強く、優哉は優哉で、自身の決意が昴の夢を絶ちきってしまったという負い目が消えることはない。




「治ってくれるなら、また……」



 駅へと向かいながら、自身の右腕をゆっくりと撫でる優哉。

 さわった手の感触はどことなく薄く、健常な状態に戻るには時間が掛かるとも思う。かといって、プロの投手のような大手術に挑戦して復活に賭けられるような身分でもなく、自然治癒を待ったところで、完治は不可能であるし、奇跡的に完治したとしてもかつてのような投球は不可能だ。



「今更だな」



 後悔したところで腕が元に戻る事は無い。


 あの時、昴や健介達とともに優勝することだけが自分の目的であり、そのために身を削ったこと自体に後悔をするつもりもないし、したくもない。

 しかし、こうして腕を撫でたり、配球を思い描いたりする時点で、未練たらたらであることは否定のしようはない。



 そんな刹那。




『それをそなたは望むか?』



「えっ!?」




 一瞬、自身を撫でるように吹きつける柔らかな風。


 ゾクリとした感触が首筋から全身を駆け巡り、静かな声が耳に届く。しかし、周囲には、突然立ち止まった優哉に対し、訝しげな視線を向ける者達が駅へと向かって歩いて行くだけである。




「優哉? どうしたの? そんなところで立ち止まって」



 そんな時、背後から耳に届く少女の声。視線を向けると、同じ高校の女子生徒が怪訝そうな表情を浮かべて立っていた。




「ああ、美波か」


「どうしたの?」



 彼女は、真中美波まなか みなみ。野球部のマネージャーを務め、優哉達の甲子園出場を影で支えてきてくれた功労者である。


 同時に、優哉と昴、加えてキャッチャーの健介の三人とは小学校からの友人である。


 今もまた、往来に立ち尽くしている優哉の姿に慌てて駆け寄ってきた様子である。




「お前、さっき俺のことを呼んだ?」


「今、呼んだじゃん」


「いや、その前なんだけど……」


「その前? 立ち尽くしているのが見えたから、何事かと思って走ってきたんだけど」


「じゃあ、なんだったんだ??」


「どうしたのさ?」


「いや、それが……」




 そんな優哉の問い掛けに、首を傾げる美波。


 当事者である優哉にも何が起こったのか分からない以上、彼女に分かるはずもないことであったが、優哉にとって、それがよけいに気味の悪さを誘う。


 しかし、かいつまんで説明する優哉の言を聞いていくうちに、美波の表情は見る見る曇っていく。




「優哉……。辛かったら、辛いって言って良いんだよ?」


「なんだよ、突然……??」


「幻聴が聞こえたりするほど悩んだり、辛いんでしょ? あれだけ大好きだった野球がもう」



 と、目に涙を浮かべながら口を開く美波。


 彼女もまた、優哉や昴の夢を良く知り、長い間一緒に頑張ってきた友人である。それ故に、優哉の無茶を止めることが出来なかったこと。


 昴や健介がそれに対して責任を感じ続けていることと彼らや周囲に対して気丈に振る舞う優哉の姿を見続けてきている。


 美波にとっては、形は違えど、優哉がようやく本音を口にしてくれたという思いと同時に、精神に異常をきたすほどに思い悩んでいたと話を聞いて思ったのだった。




「いや、待て。そう言うことじゃないぞ? ちょ、落ち着けっ!!」


「ごめん。でも、無理はしないでよ……友達じゃない」


「分かってるって。無理なんて別に……って、皆さん、なんでもないですよっ!!」




 優哉としても、美波の気持ち自体はありがたいものであった。吹っ切れたつもりになっていたとしても、そこまで簡単な話ではないのだ。

 とはいえ、曲がりなりにも優哉は甲子園準優勝投手。全国的にも、顔の知れた有名人であり、そこそこ大きな町であっても駅前とあらば、多いに注目を集める。

 思いがけない出来事への遭遇であったが、周囲から向けられるなんとも微笑ましさと興味深さを含んだ視線は、その出来事を忘却させるのに十分な出来事であったのだ。



◇◆◇



 暗がりの中に、青白い光が揺らめいている。




「こやつ等か?」


「は……」




 そんな暗がりの中にあって、光を見つめる女性の視線の先では、何やら慌てふためく少年と俯き加減の少女の姿がある。

 ともに健康的で、若者特有の力強さをもってはいるが、その裏にはどことなく影を背負っているようにも女性の目には映っていた。




「ふむ。まあ、こちらとすればどのような人間でも良い。手駒として、役に立ちさえすればな」


「では、ご許可を?」


「うむ。ま、ことはついでだ。複数を呼び寄せられるよう、派手にやれ」


「っ!? 恐悦至極に存じます」




 女性とすれば、“対象者”が誰であるかと言うことに興味はない。

 先ほど口にしたように、手駒として役に立てばよく、望むのならば可能な限りの待遇や褒賞を与えてやるつもりでもある。

 そして、それならば候補は多い方が良い。女性からしてみれば、駄目ならば斬り捨てれば良いだけの話であるのだ。

 喜々として頷き、光へと視線を向けた男の傍らから離れ、女性は静かに退室していく。

 窓から見える世界は、夜の帳がすでに降りており、その暗がりは朧気な光を放つ二つの月によって柔らかに照らされている。



「今日もまたやって来ておるのか。モノ好きな連中だ」



 そして、その闇の中に輝く複数の赤き光。

 その光を一瞥した女性は、腰から下げた剣に手を添えると、口元に獰猛な笑みを浮かべつつ、外へと通じる通路へと駆けていった。



◇◆◇



 肯定に降り積もった大雪もすでに姿を消していた。




「制服を着るのも、今日でお終いか」


「早いもんだったな」


「勉強して、野球しての三年間だったしね」



 ドラフトの日からすでに半年近くが経過し、優哉達も卒業の日を迎えようとしていた。進学校である母校の例に漏れず、大学入試を無事にクリアした3人は他のクラスメイトに混ざり、三年間の思い出に浸っている。

 もっとも、昴も健介も優哉とは違うクラスであったのだが、改めて3人で話すというのも悪くはない。




「結局、あんだけ騒いだ連中は一人も来ないんだな」


「そりゃあ、あれだけばっさり言えばね」



 と、校門付近へと視線を向けた昴が、不機嫌そうに口を開くと、健介が苦笑しつつそれに応じる。


 あの日のドラフトで、複数球団からの指名を受けた昴。健介も一球団が獲得の意向を示していたが、二人は示し合わせたかのようにそれを拒否。

 加えて、大学進学後も野球をやるつもりはないことを堂々と宣言したのだ。当然、世間からはバッシング混じりの非難も受けたが、すでに野球に対する思いを失っていた二人にとってはたいした問題ではない。

 獲得の以降を見せてくれた球団側には申し訳ないことをしたと思っている様子だったが、その辺りは二人の意志であり、優哉がとやかく言うことでもなかったのだ。





「まあ、大学も同じだし、今度は草野球でもやろうぜ? それぐらいなら大丈夫だろ?」


「ピッチャーじゃなければな」


「なんにせよ、楽しめればそれでいいよ」




 そう言って笑いあう昴と健介に対し、優哉も笑みを浮かべる。



(二人はすでに吹っ切れているんだな)



 笑みを浮かべながらも、優哉は静かにそんなことを考える。一番はじめに野球をあきらめ、ある意味では二人の将来を奪った自分。しかし、二人はそれに対して非難することもなく(当然ではあるが)、今では新たな人生に目を向けている。

 しかし、優哉は、顔に出すことはないが、日に日に後悔の念が募り続けているように思えていた。

 右腕の不調に対するもどかしさもあるのだろうが、やはり二人に対する負い目と、野球に対する思いから来るやり場のない悔しさが残っているのだった。




「ところで優哉。美波と何かあったのか?」


「え?」


「いや、なんかあいつ、最近よそよそしくないか?」



 そんなことを思っていると、昴が女子生徒の輪に入って話に盛り上がっている美波に対し視線を向け、口を開く。

 社交的であり、リーダーシップのある彼女は、幼馴染み達以上に友達の輪は広い。

 とはいえ、ここ最近の登下校や集まりなどにも顔を出さなくなっているのだ。それまでであれば、男に混ざって遊びに行くこともあったのだ。




「うーん。最近と言うより、ドラフトの時から変な気もするけど」


「…………優哉、どうなんだ?」


「そう言われてもな。一緒に帰ったけど、別に変なことはなかったぞ?」




 二人の言に、優哉はそう答えたが、当然それは嘘である。

 あの日以来、何かと自分に対して気をつかってくる美波であったが、なぜか昴と健介がいる時はあまり絡んでこないのである。

 その辺りの真意は分からないし、聞いたところで答えてもくれないだろうと思う。加えて、自分のもどかしさや負い目を二人の教えたくもない。




「ま、今日で離ればなれになる友達もいるし、積もる話しもあるんだろ」


「お? どこ行くんだ?」


「便所」




 なんとなく、居心地の悪さを感じた優哉は、そう言うと腰を下ろしていた机からおりる。卒業式までまだ時間があり、なんとなく一人になりたいような気もしていた。




「あ、優哉」


「おう。なんだ?」



 そして、教室を出ようかとした時、優哉の姿に気付いた美波が近づいてくる。その様子は、特段普段と変わりなく、心配そうに様子を窺うそぶりもない。




「えっと、今日…………きゃっ!?」


「うわっ!? っっっとっ!!」




 そして、何かを言いかけた美波であったが、それを優哉に対して伝えることは適わなかった。


 優哉にも、美波にも、昴にも、健介にも、その刹那に何があったのかを認識することは出来なかった。

 とっさに目の前の美波を抱きかかえた優哉が感じたのは、暗くなっていく視界と、激しく揺れる校舎。そして、抱きかかえた拍子に感じた、右腕の激痛が、静かに消えていく感覚であった。



◇◆◇



 声が聞こえる。何かを願う声が……。


 それに応えるように、軋む身体を動かすと、何やら柔らかな感触が手に届く。




「お目覚めになりましたか?」


「えっ!?」



 突如として耳に届く声。


 優哉は慌てて目を見開くと、軋む身体を気にすることなく身を起こす。周囲は薄暗く、青白い光が自身の周りを包んでいる。




「勇者様。ご気分はいかがですか?」




 再び耳に届く落ち着きをもった女性の声。しかし、それに答えることなく周囲に視線を向けると、そこは神殿のような、厳かな雰囲気の漂う空間だった。

 いくつもの柱が立ち並び、石造りの床は鏡面まで磨き抜かれ、燦然と輝き放っている。そして今、自分が、否、自分達が立っている場所には、複雑な意匠を凝らした紋様が静かに蠢いていた。




「ど、どうなってんだよ……これ……。っ!? 美波、美波っ!! 大丈夫かっ!?」



 そんな光景を目にした優哉は、自身の傍らに倒れている美波の姿に気付き、静かに彼女の身体を揺する。


 一瞬身じろぎした美波であったが、気を失ったまま目を覚ましはしなかった。

 そして、眼前に立つ人物に眼を向けることも無かったのは、突然の事態に対する無意識下の抗議であったのだろうか?




「勇者様……?」


「なあ、あんた。これどうなってんだよ。どこだここは」




 再びの女性の声。それに対し、動揺を隠すことなく問い返した優哉であったが、その声の主の姿に思わず息を飲む。

 暗がりに灯る青い光に灯されてか、その腰にまで伸びる長い髪が光を纏っているかのように見え、光そのものすらも彼女自身から発せられているように思えた。




「ここは、ユディアーヌ帝国、東方教庁です。勇者様」




 そして、その美貌の女性は、こちらの問い掛けにゆっくりと頷くと、静かにそう口を開く。口調自体は丁寧なモノであったが、声色はどこか落ち着いていて、威厳を感じさせる。

 よくよく見れば、こちらを見据えてくる眼光も、柔らかな表情とは打って変わり、意志の強さを感じさせてくる。




「……色々聞きたいことはあるが、まず、その勇者って言うのは」



 そんな女性に、優哉は少々圧倒されそうになりながらも、口を開く。




「突然ことであり、俄には理解しがたいことかもしれませぬ。ですが、今、この国はあなた様方のお力を必要としております。何卒、私どもを……この国をお救いください。勇者様」


「国を救うから、勇者と言うことか?」


「はい。何卒……」




 伏し目がちに言葉を紡ぐ女性であったが、優哉は突然の状況に困惑しながらも彼女が何かを隠しているかのような、そんな気がして仕方がなかった。


 こちらの問いかけにも歯切れの悪い答えが返ってくるばかり。何より、国を救えと言われても、一介の学生にそんな大それたことが出来るとは思えない。




「ですが、俺は戦いなんて」


「その点に関してはご安心を。後ほど、何故にあなた様方をこちらにお呼びいたしたのか。説明をいたします」


「今では駄目なのか?」


「口で説明するよりは、実際に味わってみることの方が肝要かと思われます」


「実際にって」


「ふっ!」


「うわっ!?」




 刹那。目の前を垂直に走る閃光。


 慌てて身を翻す。しかし、続けざまに自身に向けられる閃光の鋭さは増して行き、考えることよりもそれから逃れることのみに意識が向けられていく。


 なぜこんなことを。と、問い掛けようにも、こちらへと向けられてくる閃光。女性の手にした長剣の切っ先が止むことはない。

 一瞬、女性と視線が交錯する。笑っている。そんなことを思った矢先、閃光は止み、女性は静かに長剣を鞘に収める。


 それまでの深層の姫君といった様子と打って変わり、戦いに満足した武人然とした気配を醸し出す女性。思えば、先ほどの笑みは、どこか狂気めいているようにも思えていた。





「お分かりになりましたか?」



 そして、再び深層の姫君となって自分に問い掛けてくる女性。その姿に、先ほどの出来事は夢物語であったかのような錯覚に襲われる。しかし、彼女の問いかけこそが、それが事実であることを物語っている。



「なにがだよ?」



 思わず口調を荒げながら答えた優哉であったが、口を開いてから、自分の息がまるで切れていないことに気付く。

 あれほど必死で動けば、普通は息が切れもする。もちろん、体力には自信があったが、激しい運動の際に息が切れないことはあり得ない。




「気付いたようですね。加えて申し上げますれば、私はあなたを斬り捨てるつもりでおりましたよ?」


「いったい、どういう……?」


「それは……ふむ、ちょうどよいでしょう」




 斬り捨てるつもりであった。そう言った女性の表情に嘘はないように優哉には思えた。思えただけで確信はないが、どういった経緯であれ、わざわざ手順を踏んで自分をこの場に招き寄せたのである。


 それをあっさりと斬り捨てるような真似をするとは思えない以上、最悪の事態に至ることはないという確信があったのだろう。


 しかし、なぜ自分がそんなことが出来たのか。少なくとも、それまでの自分であれば、どう足掻いても女性の剣から逃れることなど出来なかったはずである。


 だが、その答えは予期せぬ来訪者達によって得る事は適わなかった。




「優哉っ!!」


「昴っ!! 健介っ!! それに、みんなも」




 そんな時、暗がりの向こうから現れたのは、昴や健介をはじめとするクラスメイト達である。もっとも、昴と健介はクラスが違うが、先ほどからともにいた者達は無事であるようだった。




「いったいどうなっているんだ?」


「私達が、あなた様方をこちらに迎えました。勇者様、そして、ご友人の皆様、何卒、私どもを、国をお救いください」


「そんな勝手なっ。第一、俺達がどうやって」


「健介。どうやら、その辺はどうにでもなりそうなんだ」


「どういう……?」


「見た方が早い。すいません、ええと……」


「私は、ユディアーヌ帝国第一皇女アヴィネスでございます。勇者様」


「分かりました。では、皇女様。よろしいですか?」





 再会に安堵したのか、何がどうなっているのか分からないと言った様子で口を開いた健介に対し、アヴィネスと名乗った女性が静かに答える。


 優哉が先ほど聞いたように、彼女は自分達に国を救ってもらいたいがためにこちらへと呼び寄せたのだという。


 それに対し、普段温厚な健介であっても、やや声を荒げる。


 しかし、優哉は先ほどアヴィネスからその根拠の一端を見せつけられており、健介をはじめとする他のクラスメイト達を安心させたいという気持ちから、ちょっとした意趣返しを思いついた。


 ちょうど、健介や昴達を案内してきた、帝国の兵士達が、アヴィネスの背後に詰めているのだ。





「はい。ですが、お手柔らかに……」


「約束は出来ないな」





 アヴィネスの許可を得、そう答えた優哉は、一気に足元を蹴る。


 元々運動神経に関しては校内トップクラスである。しかし、今の自分のスピードはそれまでのそれとは隔絶しているように感じていた。


 そして、兵士の周囲を優哉が駆け抜け、再びアヴィネス等の前へと戻った時、兵士達は静かに崩れ落ちていく。




「ふう、上手くいったな」


「ゆ、優哉……っ、お前何をっ!?」


「周りを走って軽く叩いただけだよ」


「軽くって……」





 静かにそう答えた優哉に対し、昴と健介が目を丸くしながら口を開く。一瞬にして数十人からの兵士を倒したのである。信じられなくとも不思議ではない。




「ふむ。では貴方、跳躍をしてみてください」


「俺が?」


「はい」


「…………どうする?」


「やってみろよ」




 そんな二人に対し、アヴィネスは顎に手を当てると、昴に対してそう口を開く。怪訝そうな表情を浮かべた昴であったが、優哉は向けられた視線に対して頷き、彼を促す。


 すると、床を蹴った昴は数十メートル先へと跳躍し、驚きと共に駆け戻ってきていた。



「な、何がどうなったんだ??」


「これが、私どもがあなた様方をお呼びした理由にございます。伝承より、異なり世界より呼び寄せた魂は、その過程にあって大いなる力をその身に宿し、やがて祖国を救うと」


「大いなる力……?」


「身体の強化はその一端でございましょう。おそらくは、法術の使役や治癒の力も増大しているものと思われます」


「治癒?」


「はい。およそ、常人では考えられるほどの速度で傷を再生するはずです」


「っ!? 優哉っ!! 腕はっ!?」


「あ、…………嘘だろ??」



 昴の問いにそう答えたアヴィネスであったが、昴がもっとも反応したのは、『治癒』という言葉である。

 それに目を見開き、昴は優哉に対して向き直る。そして、それに気付いた優哉もまた、恐る恐るであったが、動かすことが困難であった右腕を動かしていく。


 不思議な感覚だった。


 それまで、動かすにしても感覚がまるで伝わってこなかった右腕に、はっきりと力がこもった感覚と動きの感触が伝わってくるのである。




「腕が、動く……」


「夢じゃ……無いよな?」


「っ!? 美波っ!! 起きろっ」




 思わず、そう口にするとともに目頭が熱くなる優哉。昴もまた、目を見開き、健介もまた驚きをもって目を覚ましていない美波の元へと駆け寄る。



「そう……。それが」



 そんな彼らの様子を目にしたアヴィネスは、表情を変えることなくそう口を開く。



「その程度が望みであったのか」




 そして、目を覚ました美波や他のクラスメイトの祝福を受ける優哉を横目に、静かにそう吐き捨てるように口を開いたことに優哉達が気付くことはなかった。



◇◆◇



「では、魔王をはじめとする敵対勢力を打倒すれば……、俺達は帰れるんですね?」


「ええ。お力は失うことになりますが、お体はそのままに」


「…………だったら、優哉と美波だけでも先にっ!!」


「昴っ!?」


「どういうこと??」




 手荒い祝福を終え、再びアヴィネスの眼前に立った優哉は、静かに彼女の言に耳を傾けた後、そう問い掛ける。


 優哉や昴にとって、異世界における栄達などは望んでいない。何より、優哉の腕が治れば、野球と縁を切る理由はなく、多少に溝はあれど、プロの世界を望むことは出来る。


 そう思っていた優哉にとって、昴の言はあまりに唐突であった。




「俺達は、不義理なことをしたし、すぐに復帰は難しい。でも、お前は完治したことにすれば大学で続ける事も出来るはずだ。美波は俺達の分まで応援してやって欲しいんだよ」


「だからって……」


「俺もそれは賛成だね。とはいえ、皇女様は面白くないみたいだけど」




 顔を上気させながらそう口を開く昴の言に、健介も頷くが、健介は健介で、冷めた視線をアヴィネスへと向けている。




「そ、そのようなつもりは」


「そうかい。でもさ、優哉達を先に帰らせるつもりはないんだろ?」


「…………勇者様、いえ、優哉様は、もっとも強きお力をお持ちでございます。我々としては……」


「まだ、隠していることがあるんじゃないかい?」


「…………申し訳ありませぬ。帰還は可能であるのですが、そのために必要なモノがいくつか存在するのです」


「なんだとっ!! なぜ、黙っていたんだ」


「私の立場をお考えください。私どもは、あなた様方を危険に晒すと言うことに対し、最大限の礼を尽くすつもりです。ですが、目的を果たす前に帰還されてしまっては……」


「だから、俺達が代わりすると言っているだろうっ!!」




 そんな健介の指摘受けたアヴィネスは、初めてと言って良いほどの動揺を見せる。それまでの深層の姫君を思わせるはかなさも、時折見せる鋭さも影を潜め、単純な動揺がそこにはあった。




「よせよ。昴」


「優哉……」




 そして、彼女の言に対し、苛立ちを見せた昴に対し、優哉は静かに首を振るう。



「俺だけ戻ったんじゃ意味がないよ。なんのために俺は無茶をしたと思っているんだ?」




 優哉自身、昴や健介の思いはよく分かる。自分が同じ立場であったとしても、同じ事をするとも思う。しかし、自分だけが戻っても意味は無い。


 優哉自身、自身の腕を犠牲にしても投げ抜いたのは、昴や健介達とともに優勝旗を、さらにその先の道を勝ち取りたかったからである。




「しかしな……」


「昴。いい加減にしときなよ」




 そして、さらに口を開きかける昴に対し、美波が問い詰めるかのように口を開く。



「美波!?」


「あんたが友達を思う気持ちは分かるけどさ、それでどれだけ優哉が苦しんだと思う? 野球に関してはお互い様かも知れないけどさ、今回のそれははっきり言ってあなたの思い違いだよ? こんな、何が起こるかも分からない世界に、友達を置き去りにして帰れると思うの?」



 そして、静かに諭すような美波の言に、昴も健介も押し黙る。


 結果として、お互いを思いやっていた行動でお互いを傷付けあう。ドラフトでのことなどはその典型であり、周囲から見れば愚かなことでしかないのであった。



◇◆◇



 こうして、彼らは異世界の地において、“勇者”として戦いに身を投じていくこととなる。ともに大地を駆け抜け、ともに敵を屠り、やがて元の世界へと帰る。

 そのことだけが、彼らの戦う理由であった。

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