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『あの虹を渡って』

 老人が一人、きらきらした目で虹の上を走っていた。

 もう70代そこそこらしく、頭はほぼ白髪に覆われているが、その表情は全てから解き放たれたような奔放さに満ちている。そしてその走るスピードが大変なもので、ほとんど飛ぶように駆けていくのだった。

 程なく、老人の後を追ってもう一人、うんざりしたような顔の青年が、これまた飛ぶような速さで駆けてきた。こちらも一歩ごとに数メートルは移動しており、速度を落とす気配は全くない。

「どこまで行くんですかっ」

 青年が老人に声を掛ける。

「もちろん、橋の向こうまでだよ!」

 老人は叫び返した。

「ですから、これは橋ではないんですってば!」

 青年は呆れたように叫び返したが、もはや諦めたように老人の後を追い続ける。

 やがて、虹の橋は緩やかに下降曲線に入り、大地がはっきりと見えてきた。緑豊かな山々が段々と近づき、やがて点々と町が見えてきて、とうとう小さな町に程近い林の中に、二人は降り立った。

「ここはどこだ?」わくわくした様子の老人が、子供のようにあたりを見回す。「まさかここが……」

 しかし老人が言い終わらぬうちに、材木を積んだ、汚れた軽トラックがガタガタと走ってきて、二人の横を通り過ぎた。

 二人はそれを言葉も無く見送った。老人は呆然としているが、青年は深くため息をつき、言い含めるように説明を始める。

「ここはですね、栃木県の山中ですよ。あなたの住んでた町から、三キロ程離れた場所です」

「なんだと」老人は呆然と呟いた。「それではまだ、旅立ってすらいないというのか」

「始めにそう申し上げたはずですが」

 ここぞとばかりに文句を言おうとする青年を遮り、老人は叫んだ。

「わかったぞ! きっと虹が最後まで見えていたのがいけない。雲か何かで途中が隠れた虹はないか。きっと虹の橋を渡る連中は、雲の中でワープでもしているんだろう」

「違います!」

 青年が間髪入れずに否定するのも聞かず、老人はあっというまに飛び立ち、遠くに再び現れた虹をめがけて、真っ直ぐに飛翔していった。慌てて青年も地面を蹴って後を追う。

 数十分後、雲の真下で立ち尽くす老人と、青年の姿があった。

「ここはどこだ」

「群馬県上空の積乱雲の下です」

「普通に雲を突き抜けてしまったぞ?」

「ですからね……」

 なんと説明したものか、青年が唸っているうちに、老人はまたしてもぽんと手を打った。

「うむ、考えてみれば当たり前の話だな。空に虹が見えているなら、当然地面から虹が伸び、やがて頂点を経てもう一度接地するに決まっている。ならば、途中で切れる虹を探せばいいのだ。滝へ行くぞ! 大きな滝へ!」

 老人は喜び勇んでまたもや飛び立ち、青年はほとほと嫌そうな顔をして後を追った。

 その後二人は間もなく、栃木県は日光市の華厳之滝へ降り立った。

 水しぶきに映る美しい虹の出現を待ち、(少なくとも老人の方は)勇んで飛び乗ったものの、虹の切れ目まで歩を進めたところで、ただちにどこぞへワープするわけもない。立ちのぼる水しぶきに煽られるばかりで、結局何も起こらないまま、二人でしばらく立ち尽くしていた。

「なぜだ。なぜ、こんなに虹を追っているのに、どこへもたどり着かない」

 しょんぼりと肩を落とす老人に、青年は懸命に説明した。

「ですからね、虹の橋というのは俗信なのです」

「しかし、死んだ者は虹の橋を渡ってあの世へ行くと言うぞ」

「あのですね」青年は顔をしかめて言葉を探した。「何というか、これだけはわかって頂きたいのですが、あなたが今追っかけている虹は、単なる物理現象なのです」

「それがなんだ? 物理現象でも虹は虹だ」

「いえ、人間界で言う、いわゆる虹の橋というのは、『空に架かる異界への橋』という概念にぴったりくるスケール感を求めて虹が当てはめられただけで、単にあの世へと至る道を表す一つの比喩であり……」

「ふむ、しかしそういうが、それなら神様やご先祖様のお迎えだって、それらしい面々を勝手にイメージして人々がこじつけた、勝手な比喩ということにはならんかね。天使しかり、御来迎だってそうだし」

「それとこれとは、話が別なのです」

「一体何が違うというのだね」

「……ああああ、もう」

 全く聞く耳を持たない老人に、青年は頭をかきむしってしゃがみ込んだ。

 確かに、神仏や先祖のお迎えと言えども、本人の受け入れやすい事象をチョイスすることでスムーズにあの世へ導くという、一種のメソッドでもあることを考えれば、「比喩」であり「イメージ」であるという言いに完璧な反論はできない。しかも場合によっては、実際に虹色の道を展開してあの世へ導く例だって無いことはない。

 しかし、この老人は現世での言語表現を真に受けて、とにかく現世に現れる虹ばかりを渡りたがるのである。そんなもの、そこらへんの歩道橋を渡ってあの世へ行きたがるのと大して変わらない。渡ろうとする橋の大きさが違うだけだ。

(参ったなあ、このまま浮遊霊になられても困るしなあ)

 青年は今回の仕事を多いに呪った。

 実はさっきから何度も何度も、あの世へと通じる虹色の道を目の前に展開してはいるのだが、老人が物理的な虹しか探そうとしないため、気付いてすら貰えない。死んだばかりの霊は大抵思い込みが激しく、無いと思い込むと視認すらしなくなるのだ。お迎えとしては、にっちもさっちも行かない状況である。

 とはいえ、この老人を放置しておくと、自分はあの世へ到達できない! などと変な勘違いをしてイジけてしまい、浮遊霊になる危険もある。やはり由緒正しき「あの世からのお迎え」としては、根気よく説得を続けるべきだろう。青年は、老人にとことん付き合う腹を決めた。それに途中放棄だって因業になる。

 やがて老人は気を取り直し、今度は彩雲に乗りたいと言い出した。くそ、路線を変えてきやがった。青年はげんなりしながら、予定時間の延長を無線で天界へ連絡した。

 数十年後、なぜか歩道橋を渡ってあの世へ行きたがるという希代に厄介な老人が現れ、そこで今回の経験を見込まれた青年が、その死後誘導を全面的に請け負わされる羽目になる事など、この時の青年にはまだ知る由もないのである。


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