武人一族、御役に殉ず
ずっと走っていた。逃げるためなのか、向かって行っているのかも段々わからなくなってきていたが、ただ走り続けた。
握りしめた刀の柄は、既に血に染まっていた。
早く。早く。逃げろ。いや違う、反撃しなければ。
村を守るために。自分を守るために。
俺は精一杯、村の長を守る一族として、その役目を果たしただけだ。
村人の半分が、長一族の家に刃を向けようとしているなんて、誰にも言う暇がなかった。誰も逃がしてはならないし、だからこそ誰に言うこともできなかった。
だから俺は、発起文に名前があった村人を、手当たり次第に襲った。殺すべき者と、そうでない者の違いは、発起文を見た俺にしか見分けがつかないし、しかも決行日は差し迫っていたのだ。
長一族はその日、あちこちに出かけていて、この有事を一度に知らせることができなかった。それに、たとえ長に反乱を知らせたところで、そしてそれを長が信じてくれたところで、ほかの長一族が凶刃に倒れるなんて事もあってはならない。
だから、俺は先手を打った。長一族を守る武人の一族として、長一族が一人も殺されることのないよう、ひいてはこれからも末永く、長の治める穏やかな暮らしが続くよう、俺は発起文に名を連ねた村人を次々と襲ったのだ。
もちろん、褒められた行為ではないのは分かっている。しかし、芽を摘まねば確実に長一族の誰かが殺される。それをわかっていながら、むざむざ見過ごすことなど、俺にはできなかった。長一族を守ること、それが俺と、俺の一族が村のためにできる、そして俺たちにしかできない、ただ一つのことなのだから。
あらかた始末し終えたところで、俺は他の村人達に見つかった。いきなり村人を殺し始めた俺に恐れをなし、彼らは思い思いの武器を携えて遠巻きにしている。
俺は反乱と、発起文について声高に叫んだ。すると彼らは戸惑いつつも、発起文を見つけてきて、やがて俺がまだ手を着けていない残党と、ついでに俺をも縛り上げ、長の家の前に転がした。
翌日、長一族が全員揃ったところで村人一同も揃い、俺は早速反乱について説明した。村人の半分が、長一族をまとめて殺害しようとしていたこと。俺はそれをぎりぎりで知ったこと。それを阻止するため、名前の割れた者を片っ端から始末していったこと。
長は難しい表情で顎を撫でながら、掛ける言葉を選んでいるようだった。当然だ、俺は普通ならば許されない事をした。長が処罰を望むなら、甘んじて受け入れる。
しかし、長が何かを言う前に、俺の腕に菜包丁が飛んできて一瞬突きたち、ぽろりと落ちた。突然の痛みに振り返ると、そこには鬼のような顔をした女がいた。
「この人殺し! あんたのせいで、うちの旦那が……」
俺が始末した村人の妻だ。周りの村人は、そのあまりの剣幕におびえながらも、なんとか両脇からその女を抑えていた。
「人殺しは出て行け! この村に、あんたなんかの居る場所はないんだ!」
そう叫ぶ女に、俺は思ったことをそのまま返した。
「あんたの旦那が、昨日まさに人殺しになるところだったんだが」
「うるさい! 何もしていないみたいな顔しやがって!」
今度は別の方向から飛んできた竹槍が、軽く太股に刺さる。今度は何だと振り向けば、これまた俺が切り捨てた村人の妻と、その息子だった。
「名前があったから……名前があったから何だってんだい! 何でわざわざ、あの人を……あの人を!」
「父上は優しい方なんだ、発起文だって、きっと無理強いされて書いたに決まってる! あんたは何のつもりがあって、こんな事をしたんだ!」
「……あのな、発起文に名前を書くと言うことはな……」
俺は念のため説明をしようとしたが、そのまた隣の女が出刃包丁を振りかぶるのを見て諦めた。
ここまでだ。
俺は身体を縛る縄を、指の間に忍ばせていた刃物で切った。武人の心得として、事を起こす際は最低限の備えくらいはしているのだ。
そして太股の竹槍を振り落とし、近くの村人に体当たりして得物を奪い取った。
俺を中心に一斉に人が飛び退いていくが、それでもぎらぎらとした目で踏みとどまり、武器を構える女子供や老人が、結構な数で存在した。多分、俺が殺した男たちの家族だ。その恨みは当然といえば当然だろうが、俺としては少し理不尽に感じられた。
長にちらりと目を向けると、どうも口を出しあぐねているらしい。まあ、今武器を持っているのは長を殺そうとした奴らの身内だ、下手な動きはまだできないだろう。
俺はこの場が膠着状態にあることを見て取り、一度身を隠すことにした。飛んでくる包丁や石をかわしつつ、山中に逃げ込む。
それから数日。
俺は、俺の討伐隊と遭遇した。
始めは、討伐隊は村人で構成されていた。おそらく指揮は、俺の一族の誰かだ。こんな時の仕切り方を知っているのは、武人たる俺の一族だけだから。
俺を見つけた時の、あの時と変わらぬ鬼のような女の顔に、俺は心底うんざりした。そして、その隣に立っている、俺が守った村人の決意を秘めたような眼差しを見て、俺は気持ち悪さに鳥肌が立った。
なぜ、全員で、俺を殺しにかかるのか。
俺は、長を、ひいては村を、守っただけだ。
急に頭が沸騰するように、説明のつかない怒りがわいてきて、俺は手加減なしでその討伐隊を返り討ちにした。ついでに新しい得物もせしめた。
そして、せめてもの復讐に、鬼のような顔の女一人だけを逃がした。
お前は、旦那のもとへはまだ送らない。その代わりに、帰って村人に伝えろ。これに懲りて、もう二度と、俺には手を出さないようにと。
ほうほうの体で逃げ帰る女を見送りながら、俺は今度こそ泣きたくなった。
その後、ここら一帯の武人が討伐隊に召集されたらしく、俺はここしばらくずっと、追っ手に追い回されている。
簡単に負ける気はしないが、いつまで持つかは分からない。俺のせいで村の貴重な戦力を減らすわけにも行かないから、出来る限り相手はしたくないが、しかし追い込まれれば遠慮なく切り捨てて、俺は更に逃げている。
幸いなことに、長はこの討伐隊編成によって村内をまとめ直すことに成功したらしい。その点は、役にたてて良かったと思う。
ただ、これからも俺は村を守りたい。だから、村を遠く離れるわけにもいかない。当然、死ぬわけにも行かないのだ。