その小鳥、ピッピ
私は一羽のインコを飼っている。
名前はピッピといって、言葉を覚えるのが早い、頭の良いインコだ。
朝、鳥かごに掛けておいた布を取る時に「おはよう」と声を掛けていたら、あっという間に覚えて返事をするようになったし、ご飯が欲しい時には「ゴハン」と言って私を呼ぶ。また、鳥かごから出たい時には「オモチャ!」と叫ぶのだが、これは私がピッピを鳥かごから出す時にいつも言う言葉であり、同時にお気に入りのオモチャの鈴のことも指す。
いちいち可愛らしいことこの上ない。
日々幸せである。
そんなある日、ピッピを鳥かごから出して、テーブルの上で遊ばせていた時のこと。ピッピが急に私をじっと見つめて「ピョロロッ!」と鳴いた。
「はいはい」
返事をすると、またピョロロッ! と鳴く。そして手元のオモチャ(例のお気に入りの鈴である)をしばらく齧った後、またピョロロッ! と鳴いた。
「楽しいねえピッピ。大好きなオモチャだねえ」
優しく声を掛けると、ピッピはより一層大きな声でピョロロッ! と鳴いた。
やがて夕方になり、そろそろ餌の時間なので粒餌のパックを取り出す。すると、ゴハンゴハンと騒いでいたピッピが、急に鋭く「ピピッ!」と鳴いた。
はて、どうも今日はよく鳴くぞ。どうした。
「ピッピ、どうしたの?」
餌皿をいっぱいにして、鳥かごに入れながら声を掛けると、ピッピは餌皿に飛び乗って再びピピッ! と鳴いた。
何だろう。何か言いたいことでもあるのだろうか。
ピッピはしばらくピピッ! と鳴いた後、餌をもりもりと食べた。とりあえず、体調不良ではなさそうなので、しばらく様子を見る。
次の日の朝、鳥かごに掛けた布を取り、いつものようにおはようと言うと、
「オハヨウ! ピピピピピピ!」
と返ってきた。
まったく、最近やけに良く鳴くけれど、これは機嫌が良いのか、なんなのか。
「おはよう?」
「オハヨウ! ピピピピピピ!」
「おはよう!」
「オハヨウ! ピピピピピピ!」
何度やっても同じだった。
ところが、こんな調子で何日か経つと、今度はピッピは急に言葉を喋らなくなった。朝、おはようと声をかけても、小鳥らしくさえずるだけである。日中も、ピョロロッと鳴くばかりで、いつものお喋りは聞こえない。夕方頃になって、いつもならゴハンと騒ぎ出す時分になっても、ピピッ、ピピッと鳴きたてるばかりだ。
どうしたろう、風邪でも引いたろうか。しかし、鳥かごから出してやれば元気に遊ぶし、食欲もいつも通りである。羽の状態も良い。私はいつも通りに声を掛けながら、しばらく様子をみることにした。
翌日も、同じような状態が続く。
「おはよう、ピッピ」
「ピピピピピピ!」
「お・は・よ」
「ピピピピピピ!」
「うーん」
そして事件は起きた。
私は初めて、ピッピに噛まれたのだ。
それは、ピッピが喋らなくなってから数日経った、昼頃のことである。
鳥かごの中で、例によってピョロロッと鳴いているピッピを観察していると、その日はなぜか、どんどん声が大きくなっていった。
とうとう絶叫し始めたので、さすがに近所迷惑になると思い、慌てて鳥かごに近寄る。するとピッピは、しびれを切らしたように戸を咥えてガタガタ揺すっているので、外に出たいのだと思って鳥かごを開けてやった。そして手に乗せた途端、親指の付け根にガブッときたのである。
一体、なんのこっちゃ! しかしピッピはピョロロッと高く鳴いて、さっさとお気に入りのオモチャの鈴のところへ飛んでいった。
ヒナの頃から育ててきたが、ここまで強く噛まれたことなど一度も無い。一体何が悪かったのか、よくわからない。私は手に絆創膏を貼りながら、かつてない程落ち込んだ。
それから更に数日、ピッピの機嫌は明らかに悪い。鳥かごの隅でそっぽを向き、これ見よがしにすねている。おまけに、依然として喋らない。
「何か悪いことしたかなあ……。頼むから機嫌直してよ、ピッピ」
私は弱り果て、何とかして機嫌を取ろうと、ピッピのお気に入りの鈴を鳥かごの中に置いた。ピッピはしばらく不貞腐れていたが、やがてしぶしぶといった様子で立ち上がり、面倒臭そうに鈴をつついてチャリチャリチャリと鳴らす。
そして、私をじっと見つめてピョロロッ! と鳴いた。
ピョロロッ! ピョロロッ!
聞き飽きるほどに聞いた声。鳥かごの中。オモチャの鈴。
ああ。
なるほど。
とりあえず、ご所望のようなので鳥かごから出してあげた。
ピッピは早速バサバサと飛んでゆき、テーブルに見事着地したあと、考えるように首を傾げて、今度はピピッ! と鳴いた。
まあ、まだ時間じゃないけど、今日は特別だ。私は少しだけエサをあげた。
ピッピは一瞬きょとんとした後、たちまちご機嫌になり、やたらと首を振って踊り出す。
どうやら無事に仲直りできそうだ。私はほっと胸を撫で下ろした。
とはいえ、インコに言葉を教えられるというのも、人間としては少し微妙な気分ではある。