時間遡行退魔師はいかにして童貞を捨てるか
連載モノが進まない時に息抜きで書いていたものです。
第三入場口警備隊は全滅し、残っているのは鳴髪少佐とその副官である篠原軍曹のみだ。
日本は京都を残して全ての都道府県を妖怪軍団に占拠されて、もはや滅亡を待つのみである。
陛下よりの勅命が下されたのは三日前のことで、回天必至の最終作戦のために京都防壁防衛の命が下された。
京都府内に残る民間人三千人と軍人が二千人、最後の日本人で起死回生の儀式を行う。
御所の上空には霊力の光が緑色に輝いていて、妖怪共はそれに惹かれるように異常なまでの突撃を繰り返す。
物量で勝る相手に一日半も持ったのは奇跡と言えた。
「……最後のバリケードは突破されたか。残されたのは我らだけだな」
鳴髪小夜子少佐は最後の『こだま』を美味そうに吸って煙を空に吐きだした。
「はい、よくぞここまで持たせてくれたものです」
篠原大樹軍曹は、左目の眼帯をトントンと叩いて眼窩に隠していたキャラメルを取り出す。そして、口に放り込んだ。
「ずるいぞ、最後まで甘いのを残すなんて」
「言うと思ってもう一つ用意しています」
眼窩の中で温められてぬくいキャラメルを鳴髪少佐はひったくると、同じくして彼女も口に放り込んだ。
「うむ、甘い」
「甘いですね」
ねちゅねちゅとキャラメルを噛む音が響く。
「対人地雷をありったけ仕掛けてますから、ここに来るまであと五分はあるでしょう」
「うむ、お前とも長かったな。もう三年か」
「はい、自分が訓練生のころからですから、三年と半年です」
「そうか」
鳴髪少佐は腰まで伸ばした黒髪をさらりと手ですいた。
腰にあるサーベルを抜くと、肩口で黒髪を斬った。
「持っておけ、処女の黒髪である。私の霊力も篭っているし、気休めにはなるだろう」
「はい。……シャンプー、使ったんですね」
「最後だからな。今くらいは自慢のみどりの黒髪を晒したかったのさ」
またしばし沈黙して二人のキャラメルを噛む音だけが響いた。
どおん、と対人地雷の爆ぜる音が響く。
「今だから申し上げますが」
「なんだ」
「鳴髪少佐、好きです。ずっとあなたのことが好きでした。毎日あなたでヌいてました」
「そうか……。それは一昨日言うべきだろう」
「少佐は自室で瞑想されていると聞いていたので」
「女の士官はみんな恋人とねちょねちょ睦みあっていたのだ。私だけ相手がいないから恥ずかしいだろう。だからな、部屋に篭って最後の桃缶を食べてたんだ。一日かけて」
「え、俺は部屋でヤケ酒でしたよ。行ったら相手してくれましたか」
「当たり前だ。最後に処女くらい捨てたかったに決まっておるだろう。それにな、今年で三十七歳のわたしだぞ、お前がわたしの尻と胸ばかり見てたことくらい気づいていたわ」
「あのう、それってアレですか、お付き合いしてくれたってことですか」
「阿呆が、女に言わせるな。わたしでヌいてるお前を傍に置いていることで気づけ」
「ええ、もうちょっと分かりやすくしていて下さいよ」
「お前に胸を当てたりしただろうが」
「作戦中に密着しても分からないですよ。それに、俺はまだ二十五歳の若造で童貞なんですから無理ですよ」
「ああ、惜しいことをした」
「せめて一時間あったらできたんですけど」
「あと一分くらいだろうな」
「そうスね」
小夜子はサーベルの刃に真言を唱え、大樹は愛用の突撃銃に同じく真言を唱える。
武器に霊力をまとわせることにより、妖怪に特大の効果で損傷を与えるのだ。
「なあ、篠原」
「なんでしょう鳴髪少佐」
「名前で呼べ」
「なんでしょう、小夜子さん」
「お前が副官でよかったよ、大樹」
小夜子から大樹へ、キスをした。
唇と唇がふれあって、どちらからともなく舌を絡めて唾液を交換する。キャラメルの甘味と煙草のヤニと、唾液の生臭さの混じる口づけだった。
キスというのは気持ち良いものなのだな、と感じるも、地雷の爆破音で現実に戻らざるを得ず、唇を離すと唾液の橋がかかった。
「来世で会えたら、続きをしよう」
「はい、好きです小夜子さん。来世で会いましょう」
地響きのごとき妖怪共の迫る音。
見渡す限りには餓鬼、羅刹、飛頭蛮、牛鬼の群れ。
互いに笑い合ってから、彼らは死に向けて駆けた。
空には緑色から虹色に変じた霊力の光。
餓鬼をけちらし羅刹を斬り、飛頭蛮を蜂の巣にし牛鬼にグレネードを噛ませ、千切られ食われて彼らは死ぬ。
最後に見上げた空には、霊力の光が満ちていて、爆発するかのようにその光が視界を覆い尽くした。
◆◆◆
気が付くと、大樹は懐かしいベッドの上にいた。
生き残ったかと跳ね起きたら、体のどこも痛くない。
それよりも周りが変だ。
「俺の……、へ、や?」
もう忘れかけた学生のころの、実家の自室。
パソコンがあってゲーム機があって本棚にはライトノベルが詰まっていて、ミニコンポがあって美少女フィギュアの飾られた高校生までの自室だ。
何かの妖術に引っかかったかとも考えたが、あの状況でそれはない。
「ん、体が、なんだこれは」
細い腕に細い足。指だって綺麗で、何の冗談だ。壁の姿見には痩せっぽちの少年がいる。ガキのころの自分そっくりのそいつはなんともいえない顔で大樹を見つめていた。
訳が分からない。時間遡行、タイムスリップ。ありえない。
落ち着くまで時間を要した。無駄に部屋にある本をめくってみたりしたが、懐かしいそれは記憶と一致する。
ここでこうしてはいられない。とにかく確認をせねば。現状を理解しないと妖術にかかっているいないに関わらず危険だ。
おそるおそる部屋を出ると、掃除中の母と目が合った。
「あ、大ちゃん、今日は外に出るの」
「お、お母さん」
胸をおさえてうずくまった。
歯を食いしばって、うつむいて、もう一度母を見上げる。
「か、帰って参りました。お母さん、篠原大樹は、帰って参りました」
「え、なに、どうしたの、大ちゃん、大ちゃんっ」
涙で前が見えない。
あの時、母と妹は餓鬼に食われて死んだのだ。
ここにいる母は、生きている。
妖術師の見せた夢でもいい。ここに家族はまだ生きている。
◆◆◆
修行をするにあたり、一番嫌なのが始まりの最初である。
用意するのはオリーブオイルか植物性食用油かローションだ。
ここで言うローションとは、性的玩具に含まれるぬるぬるの液体のことだ。これは粘度において油をはるかに凌ぎ、事故防止に最適である。
未成年者がこれを買うのには大きな勇気が必要であった。この厳しいご時世にも絶滅はしていないもので、ガキがエロ物品を買うのに目を瞑ってくれる店は極稀にだが存在した。
修行は、ケツに木の根っこを挿入することから始まる。
春の空は青がまだ白い。
篠原大樹は中学校をサボってやって来た廃村を前にして大きくため息をついた。
「やっぱり、あるよなあ」
声に出してみたところで結果は変わらない。
キャンプ用品一式と食糧など、大きな背嚢に詰めてえっちらおっちら荒れ果てた道を行く。
廃村の名は赤雨村。
N県の国道を田舎方向へ進み、旧道に入ってから枝道に入れば見つかる知る人ぞ知る心霊スポット的廃村である。
本来の歴史、時間遡行者である篠原大樹が遡行前にここに訪れたのは19歳のころである。今現在の彼は15歳、四年早い来訪であった。
荒れ果て草むらと化した田んぼ、崩れかけた民家、倒された道祖神、何もかもが大樹の記憶にあるままだ。
規定的未来で修行場であったここ赤雨村。何もかもが記憶と同じで、時間遡行というクソみたいな現象のさ中にいることを今更実感した。
「あの日あの時、地獄の釜が開いて俺は餓鬼に食われた」
何が悪かったのか、これから先にある未来に希望は無い。
三年後には日本の半分は地獄界からあふれた怪物に蹂躙され、四年後には皆が銃と独鈷を持って戦わざるを得なくなる。
大学生であった大樹は対魔適正を持つが故に急場しのぎの修行を受けさせられて、前線の兵士として京都防衛の戦線に送られた。
退魔師がほんの少しと退魔学徒が少し、後は昨日まで銃を持つこともなかった人々が動員された。座して死ぬなら戦って死のう。気勢を上げていたのは運動家崩れと役人たちで、もしかしたらあの後で本命の作戦があったのかもしれない。
なにはともあれ、よい言葉である。
なにはともあれ、何もしないで死ぬのは嫌だ。だから、あの時やった修行を早めに行って、死ぬまで生きることにしよう。
赤雨村は呪われた村、という訳ではないが、打ち捨てられた神社に神木がある。ご神木として祀られているケヤキの木も神木ではあるのだけど、その奥の雑木林にある祀られていない神木が目当てだ。
人の手が入らず放置された村、そこの崩れかかった神社、さらにその奥の雑木林。薄気味悪い景色だが、もっとひどいものを見て体験した今ではごくごくのどかな景色に見えた。
目当ての神木は股木のモチノキである。
年月を経たモチノキはねじくれた股木を周囲の木を押しのけるように展開していて、見てくれからして不気味だ。トリモチの原料になる実をつけるというのに鳥の姿は無い。いや、生き物が寄り付かない禍々しさがある。
対魔適正、生まれながらに持つ霊的なものへの抵抗性だ。未だ微弱な体内のそれが警告を発している。どうせ四年したらやるのだから、今やっても何も問題は無い。
荷物を下ろすと、木の根を掘り起こすべくシャベルで地面を掘っていく。
意外に柔らかい土を掘りだしながら、シャベルに切断された地虫に微笑む。俺もお前もそんなに変わらない。
根を掘り出すのに三時間と少々。幾度かアクシデントがあり、シャベルで左の人さし指をざっくりと切る。
こういうのは御神木に邪魔されているということだ。きっとこの傷は熱を持ってじくじくと腫れて汁を出すだろう。消毒液をかけて、抗生物質を飲む。
ケツに入れるのに丁度いい根を掘り出したら、根をちゃんと洗う。
それから茣蓙を敷いて、香を炊き、水と五穀絶ちに対応した食糧、それから各種ビタミン剤を取り出して、死なないことを祈る。
ケツに根っこを入れるため、ローションを塗りたくり、ケツはアナル用バイブでよくほぐす。五穀を絶っているというのに、前立腺の刺激で勃起した。
ケツに根っこを入れたら、結跏趺坐の姿勢で瞑想に入る。
御神木との合一が果たされた暁には、退魔師としての霊験を得るのだ。しかし、この荒行は失敗することもある。いや、大抵は失敗する。
五穀絶ち、これがあり得ない。米、小麦、大麦、大豆、小豆の五種を絶つのである。もちろん原材料から不可だし、肉などもってのほか。野草の汁を食えというものだ。
赤雨村に来る二週間前から五穀は絶っている。今の大樹は精神力のみで動いていると言っていい。ビタミン錠剤や口径保水液で計算上は死なない状態に体を維持しているが、計算上という安心感以外は荒行そのものだ。
もう一度記そう、荒行である。
以前、遡行以前の時間軸での四年後では自衛隊対魔教導隊の指導の下で死ななかった。だから、今回もきっと死なない。と、大樹は自身に言い聞かせる。
直腸に挿入した根っこはいやに冷たく、全身から熱を奪う。
以前も二日目からの記憶が無い。気づいたらこの辺りに倒れていて、自衛隊員に取り押さえられていたはずだ。
御神木の奇怪な視線を感じる。さて、この御神木は祀られもせずに放置された力ある樹であり、幾人もの人に首を吊らせた意思ある樹だ。ここからは、彼との対決になる。
口径保水液で唇をしめらせ、ビタミン錠剤をかみ砕いた後に、読経を開始。以前の時間軸で教えられた刹鬼妙経を喉から絞り出せば、御神木がざわりとした気配を放つ。
手元にはLEDランタンと何かあった時の携帯電話、抗生物質を含む薬物と食糧があるが、これは基本的には触らない。あとは、ただこのまま読経と瞑想を続けるだけだ。
春の寒さはダウンジャケットとジーンズがなんとかしてくれる。だけど、ケツに丸く穴を開けたジーンズなんて履いて荒行に挑む間抜けは大樹くらいなものだ。
夜半、読経をしていると闇夜の中から何かが近づいてきた。
ピンク色のブラウスに白いスカートの女だ。街で見かけるならお姉さま系の、横切るといい匂いのしそうな出で立ちなのだけど、顔がいけない。つるりとした御影石のような球体が頭の代わりに乗っている。ちゃんと毛髪はセミロングにカットされていた。
女らしきものは大樹の前に棒立ちでしばらくいたが、ぶらんぶらんと頭をゆらゆらさせ始めた。リズム感を異様なまでに感じられない不快な動きだった。
なんとはなしに厭なものである。おお、こわいこわい。
ぶらんぶらんする頭のおかげで読経のリズムが少し狂う。
般若心経などもそうだが、読経というのはリズムも大事である。ヒップホップとは少し違うけれど、やはり読経には読経のグルーヴ感があるのだ。
結局、そいつは頭をぶらぶらさせたまま翌日の夜中まで目の前にい続けた。慣れる。
長時間の出オチという面倒なものが終わり、その後はわりと静かに読経を続けられた。
ケツの痛みは麻痺して、小便垂れ流しで喉からは血が出る。直腸と根っこの関係は少しずつ高まっているのではないだろうか。
ふと気づくと、御神木と大樹を囲むように巨大な芋虫が何匹ものたうちまわっている。象ほどの大きさの芋虫というのは吐き気を催す異相である。喉がいやに詰まるので痰を吐けば、それは噛み潰した芋虫であった。おお、きもいきもい。
遡行前の戦時、補給もへったくれもなくて、死んだ仲間の肉を食うのだけは厭だったので、虫とか化け物とかを煮て食べたものだ。吐いて下痢して、糞まみれで験力を練ったものだ。
あの恐怖とか絶望とか、空だけはいやに青くて、泣きながら笑いながら防衛線は突破されて、それからのことはあまり覚えていない。
読経だ、読経をしよう。読経だけが救いである。
虫はしばらくして引っ込んだ。無視されるのが嫌いな繊細なタイプらしい。
喉がいやにつまるなと思ったら、たくさん虫が出てきて驚く。苦い。
このようなびっくり仕掛けで御神木は驚かしてくるのだが、それは三日三晩続いた。
不思議なことに、三日間は結跏趺坐を解くこともなく意識を失うこともなかった。遡行前の修行では一日と持たなかったはずだが、今はそれなりに平気なのがとても不可解だ。
などと雑念が過ぎった時、木漏れ日が左の瞼に当たった。ゆらりゆらりとした光は何かの文字を瞼に刻んでいるようで、「あ、あ」と思った瞬間に直腸と左目に激痛が走った。
直腸に挿してある根っこは、容赦なく前立腺と腸壁をかき回す痛みだ。そして、左目は焼き鏝をぶち込まれたような痛みだ。
ぎぃぎぃと、大樹は妙な音を吐いた。
歯を食いしばって結跏趺坐と全身の疲労と激痛に襲われて漏れ出た呻きであった。左目からは血が、ケツの感触は激痛すぎて何が何やら分からない。
読経を続ければ、瞳の中で何かが動くのが分かった。
ああ。何かが目玉の中にもぐりこんでいる。
ぎりぎりとした瞳の痛み。頭の中にパッパッと光輪が走って、花が咲いたような。
御神木と共に生きた蟲が、瞳を食い破って、次の寄生主に大樹を選んだ。ケツと一体と化した御神木もまた、同じくして大樹、『大きな樹』という名を持つ少年を新たな自身として認識していた。
尻の穴から脊髄に何かが至り、背骨の中を脳に向けて熱いものが突き進む。
額に穴の開いたような感覚があって、緑色の光が目の前に。
何か夢を見た気がするし、ただ気を失っていただけのような気もする。
目覚めると体の痛みがリアルで、ケツに入れていた根は見当たらなかった。だが、掘り起こしたそれは何かの刃物で切ったようにすっぱりとした断面をさらしていた。体の中に入ったかな、と確信に近いものがある。
左目は光を失っていて、中で何かがカリコリと動いて食い残しをポリポリやっている。痛い。ほじくり出すのも怖いのでそのままにしておいたが、この感触は甲虫の類であろう。
強張った体を少しずつ動かしながら、早く病院へ行かないと死ぬ、と不思議と冷静に状況を考えることができた。
篠原大樹は荷物をうち捨てて歩き出した。
とりあえずは病院にたどり着くのが先決だ。
口径補水液と抗生物質を腹に入れて、後は人と会えるまで歩くしかない。
廃村を歩けば、そこかしこの異形じみた気配を鮮明に感じ取れた。
目をこらせば、四足立ちをした人間らしきものが蟲のごとく這い回っているのが見える。彼らは大樹を恐れるようにして遠巻きに見ているのみだ。
こうして、第一段階は成功した。
◆◆◆◆◆
「鳴髪少佐……、今が十年前ならあなたは二十七歳。相応しくなって会いに参ります」
大樹はふらりふらりと歩きながら、笑みを浮かべてそう言った。
さて、彼女もまたこの時代にいるのだろうか。
なあに、愛はだいたいのことを可能にするし、約束は果たそう。
ついでと言ってはなんだが、この平和な世の中だって守らねばならない。
地獄の釜を開いたアホを探し出して始末して、少佐に愛を囁く。
男にはやり遂げねばならない時がある。
「今が、その時だな」
退魔高校生篠原大樹の波乱に満ちた冒険はここから始まる。
鳴髪小夜子少佐との再会はいましばらく後のことであった。
退魔師とかそういうジャンルってもう流行らないよね。