どこまで行けば
とある作者さんに影響されて書かせていただきました。
不平不満や、不快になった等の理由で削除要求がなされた場合すぐに削除させていただきたい所存ではあります。
「昔とは全然違うよね」「お前、随分と変わったよなぁ」
最近、よくそんなことを言われるようになった。自覚というか、そんなものは全くないのだけど。他人から見れば似て異なる様らしい。
正直なところ、ある時期より以前の記憶がひどく曖昧なのだ。何故?考えてみたことも一度や二度ではないけれど、結論が出そうに無かったので止めてしまった。
ある時期というのは具体的には数年前、グレゴリオ暦の下二桁の片方はまだ0だった頃だ。
その頃がまだ物心も憑いてないほど幼かった―――――――――――そんなオチでは無い。小中学生とはいえ単純ながら自我と呼べるようなものはあった。
なのに殆ど覚えていない。それらしく理由をつけようとすることは出来る。が、正しいと言える確証は、保障は、無い。
だから、これは自分の心を整理する為の儀式だ。自己満足で身勝手で独りよがりな独善家の戯言だ。それでも自分は――――――――僕はやっておくべきなんだ。
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ここは夢の中。明晰夢とはならないが、ここに来るのはこなれたものでなんとなくで知覚できている。
ところで、みなさんは夢が何で出来ているか少しでも聞いたことがある、または知っていることがあるだろうか。記憶の断片、強い願望、濃厚な感情。これらがレム睡眠中に発現したものだと、広く一般的に知られている。が、大体のことは研究中で、強ち間違ってはいないだろうが前述の例は全て医学的に実証されていない。夢とは脳が織り成す最も不可思議で謎めいている現象だ。
因みにここは記憶の断片。例のあの日だ。これもなんとなくで認識しているし、真実の記憶との差異も殆ど無いように思えるからそうとしている。
夢と知っていて明晰夢でないとする由は何か、簡単なことだ。この自分が自分であって自分でない。はぐらかすような言の葉を使ってはいるが、単純に時系列がずれている、それだけのこと。
今でさえもさして高くない身長を更に30センチほど縮め、体重は凡そ0,8倍。眼鏡の度も今ほどきつくは無い。この頃はまだ裸眼でも両目0,1はあったろう。
白いポロシャツに学校指定の紺色のハーフパンツ。髪は散らばってこそいないが好き放題に伸ばしている。厳しかった残暑も和らぎつつあるような日柄で、若干肌寒くは成りつつも精々がシャツの袖が長くなる程度で、ベストやブレザーを着ている子供は見られない。教師はその限りではないようで、暑すぎないくらいの涼しさを保つ厚着だ。今でこそ分かるが子供の体温は高い。大人の体温は低い。歩いているだけなら兎も角子供は遊びまわりもするのだしこればかりは致し方ない。
一般的には過ごしやすく食べ物がおいしい季節。もう数日で9の文字が10に変わろうというのだから季節感の少しでも感じる風流が欲しいものだ。9歳や10歳そこらの子供に言っても――――――――――――届いてはいないから文字通り言ってるだけだが、意味は無い。
とある日、正確な年月日はともかく日付くらいは明かそう、9月27日だ。
この日、寝坊のおかげで登校が遅れ、朝は満足に遊べなかった自分の下にいる自分は若干機嫌が良くないように思える。が、周囲はそんなことが無い様で、10月1日に迫った運動会の話題に花を咲かせている。担任である女性の先生も呆れ顔ながらも諌めることなく朝の会を進めている。
(今日の給食なんだったかな・・・)
ふと聞こえる声。正確には声ではなく下の席に着いている幼い時分の自分の内心だ。日課である給食献立の確認を忘れていたのも機嫌の悪さに一役買っている。
だらだらと重要ではないが無用ではない話を繰り返す担任。
近い行事に思いを馳せる子供達。
給食の献立を気にしている下の自分。
毎度のことながら客観的に見れば中々にカオスである。これはこれで眺めるのも悪くない。やれやれ、この頃と比べたら自分も随分と捻くれた。
ふと、時計を見る。そろそろだ。
幼い自分が座るこの席は比較的廊下側で目に比べると良かった耳は廊下に向けて常に聞き耳を起てているので人の通る気配や話し声に敏感である。そんな自分の耳に届いた音はどこかあわてた様子で走る人の足音だった。その人は教室の前で立ち止まると扉をノックする。そして半開きにし、一言。
「○○先生、XXX君はいますか?」
狭い隙間から覘く顔は度々廊下ですれ違うだけの名も知らぬ教師の一人だった。因みにxxxとは自分の名前である。
そんな面識の無い人物から名指しでいきなり呼ばれたのだ。下の自分は目を見開き、まさしく鳩が豆鉄砲といった風である。
「いるみたいですね。ちょっと来てください」
然して広くも無い教室である。自分が呼び出されたということは教室中に知れ渡り騒然となった。
呼ばれる心当たりが殆ど無い自分はわけも分からず困惑した様子でしかししっかりとした足取りで周囲に冷やかされながら歩いていく。
さて、少年が移動すれば青年も移動する。当然だ。あくまでこれは記憶を基にした複製なのだから。身体も何も動いていないのに景色は動くということに違和感が無いわけではないが案外馴れるものだ。教室を出て云われるがままに付いていく。着いた先は、普段前を通ることすらめったに無い校長室であった。
「校長、連れてきました」
下の自分の緊張した雰囲気が伝わってくる。普通にただただ生徒として何の問題も起こさず過ごしていたら校長室に入るなど限られた生徒しか出来ない。生唾を飲み込むはっきりとした音が聞こえつつも中に入るとそこには当時の校長先生と唯一無二の姉が居た。当時は……6年生であったろうか。その年齢にして発育のいい体躯は幼い自分の数十センチ上を往く。つまりは今の自分と既に同程度。端的に言うならば目立つ。その上彼女は赤いランドセルを抱えていた。だから視界には最初姉しか居ないように見えたし校長先生が居たことで数瞬後驚くことになる。
小学校の中で一番豪華な香りの漂う室内にゆっくり入っていき、思考を巡らせる。その声が漏れてきていた。
(姉ちゃんが居るなら僕個人の話ではない……?となると説教であるわけは無い。だとすると……いや、僕はまだ知らない。知りたくない)
それは濃密な焦りの感情。一人の小学生が抱くには少々過ぎた感情だが、当時の姉弟は既に薄々感づいているんだ。
下の自分を連れてきた教師は扉を閉め、既に姿を消している。急に放り出されて混乱する自分に校長先生はソファに腰掛けるよう促した。心なしかこの妙齢の女性の目元は哀れみに染まっている。場は重い雰囲気に支配され誰も何も口に出すことは出来ない。それに耐えかねたのかそれとも別の事情があったのか、校長先生は席を外した。動きがあったことで若干気配に乱れが生じるもののそれでも動くことは適わない。
どれほど過ぎただろうか。先ほど自分を連れてきた女性は黒く傷が目立つランドセルを片手に、校長先生は老いによって皺が寄った顔をさらに歪ませて戻ってきた。
「もうすぐ、お母さんが迎えに来るからね」
随分と急な話だ。説明のせの字も無い。ここまでくると完全に置いてけぼりである。この時、きっと目の前に座る女性に説明を要求すれば彼女は悲痛さを滲ませながらも喋ってくれるのだろうが……小学生の自分にそんな勇気も度胸もなく、ただ時間が過ぎていくのを待っていた。
迎えに来た母が操る車は平常時とは比べるべきでないような速さで市街地を駆けていく。ここまで急いているのは中々あることじゃない。下の自分は定位置となりつつある助手席に座り、呆然としたまま流れる景色を眺めていた。途端、母が、口を開く。
「あの人が、あなたたちの父さんが、亡くなったわ……」
姉も自分もなんとなく察していたことだ。それが現実として突きつけられるか空想の域を出ないものだったかの違いしかない。全く内容は同じものだ。だけれど、天が地と入れ替わるほど衝撃を心に与えた一言だった。母は、堰が切れたかのように、一気に終わらせてしまおうとでもいうかのように話し始める。
「さっき、病院から死亡の確認をした、と連絡があったわ。それで学校にも連絡をしてあなたたちを連れて行く旨を話した。運動会との兼ね合いもあるからお通夜は今夜。葬式と火葬は明日すぐにする。そうすればあなたたちも問題なく運動会に参加できるから。それにyyyは最期の運動会なんだし、ちゃんと出なきゃ駄目よ。あの人もそう思ってるはず。」
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さて、ここまであの日のことを追体験しながら短くない程度に話してきたわけだが……これで終わりだ。夢も終わりを告げ、虚空にただ自分だけが浮き晒されているだけになっている。
勿論、この後は父の死体を三人で確認もしたし、霊安室に置くところもしっかりと見届けた。母と葬儀屋がする話も鼓膜を揺らしてはいた。実際に通夜にも出向き焼香を焚いて来賓の多くの人が父に別れを告げてその三十台後半で散らした命を惜しんだりもしていたことを記憶している。が、それはとても曖昧で、断片的で、欠落の激しい、完璧に不完全な記憶だ。そんなものまで他人にぐだぐだと話すつもりはないし話すことも出来ない。敢えて一つ言うならその後向う一ヶ月の間の記憶は自分に全く残っていない、ということだ。自己防衛、といえばまだ聞こえはいいが、結局は目を逸らしただけ。そんな恥ずべき黒歴史を惜し気もなく披露出来るほど自分は厚顔無恥ではない。許してはいけないことだと思う。
こんな儚くも切ない経験をしたことが現在変わった、と言われる原因だろうし覚えていない理由でもあるのだとは思う。こんな残酷な息子をそれでも優しかった父は笑って許してくれるだろうか。一度尋ねてみたいことではあるが聞けるはずなどいろんな意味でない。尋ねてみたいと思う時点で甘えなのだろうが…やはり青年と呼べるような年になっても自分はまだ大人になりきれていないようだ。
失くして、亡くして、無くしてしまったのに、その後になってからとやかくいう自分を殺したくなった。ちょうどその頃自殺が流行っていたしぼんやりとその流行に乗ってみようかと考えたこともあったが、まぁ最終的には死なない、という方向で落ち着いた。だってそうだろう?衰弱していく人を碌に気遣うことも出来ず親孝行だって出来てない。死んでしまっては取り返しのつかない事に取り返しのつかない事になってから気づいて、逃げるなんて卑怯だし、無様だし謂わば一番やってはいけないことだろう?だからそれ以来自分の選択肢から『自殺』の二文字は完全に消えている。僕の人生一番の汚点だ。決して消えることも癒えることもない。ならばそれを身に染み付けてやがてその染みが身体の全てを覆い崩れ落ちていくまで生きていくのが僕の小さな贖罪だろう。そんなことを考える僕はある意味もう終わっているのかもしれないけど、終わる準備は、いつでも出来ている。なんてベタ過ぎかな、父さん。
このような駄文を読まれた方へ。
これをどう受け取るかは貴方達自身に完全に任せます。僕は放棄します。ましてやこの話を真実ととるか虚実ととるか其処から既に貴方達に委ねましょう。それでも僕のちっぽけな想いをしては何かを受け取ってもらえたら、と考えています。