本気の恋は叶わないって、あの人が言ったから
好きだと言おう。
そう決心した。
同じ職場だからうまくいかなかった時のこととか、そんな先のことを考えたってもう仕方ない。
保身に走るのは大人の悪いくせだ。
そう、自分を奮い立たせなければ、なけなしの勇気が簡単に霧散してしまう。
◇ ◇ ◇
この作業さえ終われば、今日は切り上げて帰ろう。それから三神さんへ想いを告げる準備――いわば、心の準備に取り掛かろうと残りの作業と向かい合い、気合を入れ直したところでノック音が響いた。
「はい」
応えるとそこから現れたのは、なんとあの三神さんだった。なんて幸運とタイミングの悪さだろう。
「あれ? 今日の作業は白浜さんじゃなかったか?」
「白浜さんなら事務所にいると思いますが、呼んできましょうか?」
緊張で喉の奥が渇き、気道がくっついてしまいそうだ。
「いや、いいんだ。たいした用事じゃないから」
そういうと三神さんは退出してしまいそうだったので思わず「あ、あの!」と引き留めてしまった。
三神さんはその場でとどまり、私の方へ視線を向けてくれた。その、移ろいだだけの瞳、みつめてくれたこと、どれもこれも馬鹿みたいに嬉しい。もう、本当に馬鹿だ。
「み、三神さんが片想いしてるって聞いたんですが!」
自分を呪い殺してしまいたい。
どうにかして引きとめたかったのはわかる。わかるが、なぜその話題!
不躾な質問をしたにもかかわらず、三神さんは顔を歪めることなく「そう、なるのかな」とだけ溢した。
「そ、それは、どういう意味ですか?」
「うーん。わざわざ考えないようにしていたから面と向かって片思いと改めて聞かれるとそうなるのかーとしみじみ思っただけ」
まさに爆弾を投下した己に殺意以上の感情が湧く。
「考えないようにしてた…」
三神さんでも――完璧だと思われるような人間でさえ、こんな人間らしいことを考えていたなんて。
思わずこぼれた本音が取り返しの付かない言葉なのではないか、と冷や汗を流すが、気を悪くしたような態度は見て取れず、一安心したところに「本気の恋は叶わないからね」と言い放った。
その色気も優しい瞳も全て慈しむような態度も素直にうらやましいと思った。叶わないな、と。まるで先手を打たれたように感じるのは彼の優しさなのか、それとも面倒に思ったのか。実際のところはわからないけれど、これ以上足を踏み入れるようなことをしない程度には分をわきまえ、大人になったつもりだ。
本音を言えばそんな空気も読みたくないし、思いをそのままぶつけてしまいたいと思うが、報われないとわかった恋に果敢に攻める精神をいつの間にかどこかへ落としてしまった。人生の何処で落としてしまったのだろうか。それさえわからない。
「三神さんでも叶わない恋なんてあるんですかー?」
虚勢を張るしか手札には残されていなかった。
自分を守ってあげられるのは己だけだ。
結局保身に走るんだから反吐が出る。
無様にも自己防衛を張れるだけ張ろうとする私を嘲笑うように、三神さんは優しい笑みを浮かべ「これが、あるんだなぁ」なんて色気を放ちながら言うもんだから、やってられない。いちいち男前なんだよ。
「手に入れたいと願えば願うほど遠のくことって、ない?」
まさに今がその場面です、といったらあなたはどうしますか?
少しずつ探りを入れるこの醜い行為を若いときは恋の駆け引きなんて、言っていたけれど実際はそんな甘美な雰囲気などない。
――いや、それは私だけなのかもしれない。目の前に立つ良くできる男は甘美で大人な恋の駆け引きを楽しんでいるのかもしれない。
結ばれることだけが恋愛ではない、とでも言うのか。
「三神さんは願っているんですか?」
手に入れたいと。
その恋に発展するかしないの段階を楽しんでいるだけではなくて?
「ああ。毎晩願ってるよ」
その横顔を見てしまえば誰だって恋に落ちる。
――そして、気付く。
「失恋って、自分の気の持ちようですかね?」
想いを告げさえしなければこの恋に終わりは来ないのか?
「そうかもな」
きっと、彼の恋に終わりは来ないだろう。
彼の終わりのない恋をする覚悟を目の当たりにしてみて、己の恋の覚悟を考える。
――そんな気の遠くなることなんて私には出来ない。
純粋な心さえもどこかへ置き忘れてきたのだろうか。
「三神さん。私は貴方が」
叶わないからって、
――それがどうした。
ぐちゃぐちゃにかき混ぜられた思考と欲に塗れた想いを愛情と名付けたいがために、私は開き直る。
――それがどうした!
「すきでした」