愛せなくてごめんね
「愛せなくてごめんね」
妻はそういって、泣いた。ポロポロとこぼれおちる涙がこの上なく美しく、思わず見惚れてしまった。
――ああ、そうか。
君は僕を愛せなかったんだね。
そんなことを思いながら見惚れていた。美しく儚い君がとても愛おしい。
いっそ、このまま殺してしまいたいほど。
「マリナ」
愛しくてしかたない。君の名を口にするだけでこんなにも血が踊る。
「ああ、マリナ」
愛しいよ。
「今日は何がたべたい?」
泣く君を前に、僕はいつも君のその美しく輝いている涙を殊更優しく拭いながら、不敵に笑みを浮かべるだけだった。
◇
マリナと出会ってからもう五年が経った。マリナはこの地とは縁もゆかりも無いことが初見でわかるほど浮世離れした存在で、周りの者は近づこうともしなかった。なぜなら、マリナの外見がこの地では見かけない黒髪に黒い瞳で己の姿形とは相反するからだ。それだけでも近寄り難いが、マリナはそれに加え整った目鼻立ちが悪目立ちしていた。一目みて美しさと恐怖心が体内で混ざり合うのも無理はない。
だが、どんな外見をしていたとしても、マリナは普通の女の子だ。所在無く佇んでいるにもかかわらず、瞳は忙しなく動いていた。その表情には恐れがありありと伝わってきた。
その不安そうな顔にヤられた。
僕は周りに構わず声をかけた。
「ねぇ、キミ。迷子?」
頭の中ではすでに手放す気など無く、どうやって匿うかしか考えていなかった。
それから優しく根気強く話してなんとかマリナという愛らしい名前とこの地へ来た経緯を聞き出すことができた。それからはうまいこと口車にのせ、自宅へ連れ込んだ。右も左も分からないマリナを自分のテリトリーへ匿うことは容易かった。それから、この地では役所へ届け出を出さないと大変な罪になるとかまぁ、そんな口からでまかせをのうのうとほざき、文字もろくに読めないマリナに婚姻届へサインさせたのは言うまでもない。
「レビルさん」
マリナの声はなぜこんなにも愛らしいのだろう。
「なんだい、マリナ」
「レビルさん、本当にごめんなさい。私、本当にこんなこと酷いと思って…」
「マリナ。愛してる」
「レビルさん…」
マリナが最近、郵便局の若い男に色目を使っていることはわかっていた。
「今度はどうやって閉じ込めようか」
いっそ、その美しい瞳を飾りにするのもいいかもしれない。
「ああ、レビルさん」
「なんだい、マリナ」
「ゆるして」
ああ。僕は君を許すよ。
「愛してる」
「ごめんね」
不敵な笑みを浮かべるマリナがこうも美しいなんて。
「ああ、マリナ」
君はひどい女だ。
◇ ◇ ◇
この人は頭のネジがぶっ飛んでいるんじゃないかと思う。それも少なくとも一本なんて可愛いレベルでは無くて。
彼は最初から物腰の低い優しそうな声音に似合う態度で紳士然だった。警戒心を崩さずに応対している私の方が、自意識過剰なんじゃないか、と思わせるほど彼は害がなさそうだった。だからだろうか。いつのまにか絆されてしまった。
最初はただの気まぐれなのかと自分をごまかしていたが、もうあれから5年も経てばいやでもわかる。
――そんなわけあるか、と。
彼の性癖が歪んでいることに気がついたのはいつの頃だっただろうか。
ギラギラと情念を籠めた瞳で私をみていた。特に、私が彼を拒絶すればするほど、否定すればするほど、彼ではない誰かをみればみるほど、彼の瞳に輝きが増す。ど変態だ。
「ごめんね」
「マリナ…」
恍惚としている様が色っぽくておもわず縋りたくなる。
「愛せなくて」
それでも私は続ける。
愛せなくて、ごめんね、と。
ほら、また瞳が雄弁に語る。
愛おしい、と。
「大丈夫、わかってる」
貴方は何もわかってない。
何一つ。
「レビルさん」
「…今日配達に来た彼ならもう来ない」
その一言でこんなにも簡単に地獄へ突き落とす貴方。
何もわかってなんかいない。
「あら。じゃあ、誰か郵便を届けてくれるの?」
「違う誰かさ」
「まぁ。楽しみ」
きっとまた勝手に勘違いして、私の尻軽さに興奮しているんだ。私が本気で貴方をお慕いしていると告げれば、彼はたちまち興を殺ぐだろう。
姿形の珍しい女がなかなか靡かないから彼は私に執念を抱いている。
ただそれだけなんだ。
だから私は時に涙をこぼし、彼の傷という名の性癖を抉る。
「愛せなくて、ごめんね?」
「ああ、マリナ」
その狂気的な恍惚さがいつまでも続けばいいと願う。
本日二度目の更新如何だったでしょうか。
今回のお話も実は前半の男性視点と後半の女性視点をわけて書こうとしていたんですが、ひとつにまとめた方がお互いの愚かさがわかるかな、と思いましてまとめちゃいました。もっと深く書きたかったんですが、それはまたの機会にします。楽しいお題でした。
次回は『触れた手のひら、離れる瞬間が別れだと知っていたけど』です。お楽しみに。